第6話 子猫
「あ〜、なんか咽渇いたし、それに甘いものが無性に食べたいな」
まあ、一人暮らしをしていたらこんな夜だってあるあるだ。
俺は、部屋着のくたびれたスエットからちょっとだけ首元がシャンとした薄手のトレーナーに着替えると、アパートの部屋の鍵を閉め、トントントンと軽快なリズムを起てながら階段を降り、そしてコンビニへと向かう。
暑すぎず、寒すぎず…。
この季節はいいよな〜って思う。
そう言えば、母さんもこの季節が一番体調が良かったな…。
末期癌を宣告された母さんは、積極的な治療を望まなかった。それは、静かに、そして、安らかに過ごすことを選択したということでもあり、身体が痛くなれば一日の摂取量ギリギリのモルヒネを点滴に入れてもらう。そして、痛みが引けばまた病院の中庭で、ゆっくりのんびり僕らとおしゃべりをする…。そんな時間を母さんは大事にしていた。
そうだ。母さんが言ってたってたっけ。「過ごしやすい季節が今の私には一番よ」って…。
見上げるとそこには綺麗な三日月が黄色の発色をしている置物の様に輝いていた。緑色の看板が少しぼやける…。
えっ?俺、今、泣いているんだろうか?もういい加減、強くならないと…。もっと頑張れ!俺!と鼓舞しながらコンビニのドアを開け中に入った。
「ありがとうございました。また、お越し下さい」
年配のおじさん店員がとても律儀な挨拶をしてくれたから、ちょっとこそばゆい感じだ。言葉の持つ力は、きっとどんなものより強いに違いない。だから、俺は、言葉を大事にしていきたい。いつもそう思っている。
なのに、美依はなんで、俺に会うと、あーなんだろうな…。
その時、小さな公園のジャングルジムの近くで、「にゃぁ」という小さな声を聞いた俺はすぐにその近くまで走っていく。
どこだ?確かここら辺だったよな…。あっ…。
ジャングルジムのすぐ脇に、ガムテープで止められた小さな段ボールがあった。俺は、ゆっくりとそのガムテープを外す。
すると、中からシルバーダビーのイケメンかレディーが現れた。
「か、可愛い〜〜!お前、捨てられたのか?大丈夫だぞ。この太一様がお前のご主人様になってやるから」
抱き上げたその身体は、見た目よりもずっと軽くて、もろくて、俺はゆっくりと自分の胸に抱きしめた。
それにしても酷い。
もし、誰かが気付かなかったら、この子は完全に死んでいた。そもそも、ガムテープで箱を留めるってあり得ないだろう!?信じられない!!!
俺は、この子猫の命をぞんざいに扱った元の飼い主を許せないと思った。
本来はすぐに動物病院に連れて行きたいところだが、この時間だし流石にどこもやってないだろう。まあ、明日の午前中、病院が始まったらすぐに行くか…。
「お前、男か、女か?どっちだ?」
そんな事を言いながら、コンビニに向かう時に感じた寂しさは一気になくなっていた。
◇◇◇
「ほら、ここが今日からお前の家だぞ」
部屋に戻った俺は、子猫の身体をぬるま湯で洗うとタオルで優しく拭いてやる。ドライヤーの風量を弱にして、子猫にあてるとなんだか気持ち良さそうな顔をしている。
「にやぁ〜〜!!」
これって、サンキューってことなのだろうか?それとも?お腹空いたとか?
すると、隣のドアが『バンッ』と音を立てたと思うと、俺の部屋の鍵がガチャンとあいて、いつものように美依が入って来た。
「ねえ、今、ニャーって聞こえたけど!?まさか?」
「そうだよ。そのまさか!ほら、お姉さんに挨拶しな〜」
俺は、子猫を美依の方へ向けて差し出す。
無類の猫好きの美依の反応なら、なんとなくこうなるだろうな〜って分かっていた。が…、美依は俺の顔を全く見ない。何でだ?こんなに近くにいるのに?だけど、子猫をガン見して大興奮となった美依は、どんどんヒートアップしていく。
「太一、明日、動物病院、私も行こうか?」
「えっ?そうしてもらったらむっちゃ心強いんだけど」
「うん。行くよ。この子、身長の割に凄く軽いのよ。きっとご飯を与えてもらってなかったんじゃないかな」
「えっ?それって…」
「うん。放棄かもね」
何て酷い、本当に!!!飼い主を探し出して、一言いってやらないと気が済まない気分だ。
「あのさ、太一。凄くいいにくいんだけど」
「えっ、何?」
「太一この子の世話できるの?」
「で、出来るよ」
「あのね、子猫だから、朝、昼、晩の三回に分けてご飯あげないと駄目なんだよ?出来る?」
「やるしかないだろう!?」
「そんな根性論を訊いてるんじゃないのよ。本当にできる?って聞いているの?」
「・・・・・・」
「それに、この子きっと身体が弱いと思う。だから、病院に行くことも多くなると思う。その際の費用も馬鹿にならないんだよ」
「わ、分かってる…、よ…」
「あとね、餌代、正直、太一が思っているよりかなりかかると思う。トイレの砂の費用とかもね」
「俺だって、子供じゃないんだから…、わ、分かってるって…」
俺は、絞り出すようにして言葉を発す。
だが、美依の言う通りだ。俺は、さっきまで、俺とこいつで仲良く過ごしていく楽しい、いや、甘い発想しかしてなかった。
だが、美依は厳しい現実をしっかりと俺に言ってくれたんだ。だけど、こうして現実を突きつけられればなるほど、素直になれない。
「ほっといてくれよ。俺がなんとかするから!!!」
はんばやけくそで発した言葉だったと思う。
なのに、美依は、「そう。わかった。じゃあ、おやすみ。猫ちゃん!また会おうね!バイバイ!」と言って、自分の部屋に帰って行った。
俺はベットにもたれかかる。その俺の足の上を子猫が登ったり降りたりして遊んでる…。
なんだか自己嫌悪で泣けてくる。
その時だった。スマホが「ピローン」と鳴った。ラインだ。俺は、すぐにスマホの画面をタッチする。
【太一、ごめんね。私、いつもこんなんで。太一が飼う猫ちゃんは私にとっても家族だから、私もお世話するから二人で頑張ろっ】
俺は、このラインを見て、不覚にも声を出して泣いてしまった。
壁が小さくトントンと叩かれている。俺も小さな音でたたき返す。これが俺ら流のコミュニケーションなのかもしれない。
だが、次に来たラインはなんとも甘々で、俺は完全に叩きのめされたのだった。
【太一、でもね…。私よりその子猫ちゃんが一番になったら嫌だよ。太一にとって、いつも一番の席は私だよ。それは約束してね】
これって…。たまらんは!もう我慢出来ん!!
【あのさ、どんなことがあっても、俺の一番は美依だよ。いつもありがと】
壁を叩いている音が聞こえなくなった。その代わりに、「ひぇ——」という小さな声が聞こえたと思ったら、バタバタと手足を動かす音が壁伝いに聞こえてくる。
そう、この日も結局、美依は自分が放った甘々攻撃を、見事にブーメラン攻撃されてしまい、あえなく撃沈したのでした。
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第六話を読んでいただきありがとうございました!
次回、「江ノ島デート」をお楽しみに!
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