二ノ弦 脱出

 あねさまと、われは気持ちを奮い立たせて、若君たちの身支度をした。

 この城にいる者は、もう誰一人として信じるわけにいかぬ。


「この屋敷には、抜け道があるのです」

 あねさまは六之助ろくのすけさまの手をひき、われは与一よいちさまを抱え上げた。


 家老屋敷の裏手に雨水を貯める井戸があった。この城の欠点は、掘っても水が出ないことであった。

 その井戸は打ち捨てられていた。


「古井戸は目晦めくらましじゃ」

 井戸の中へ下りると、手前側の側面に、ぽっかりと水門が開いていた。

 まず、われが降りて、六之助ろくのすけさま、与一よいちさまの順で抱きかかえて井戸の底へ下ろした。

 あねさまは上からのぞき込んでいなさる。

 月の光を背で受けて、お顔の様子はわからない。


六之助ろくのすけ、母の教えたこと、覚えておりますね」

 あねさまが言う。

 六之助ろくのすけさまは、こくんとうなずいた。


あねさま、さぁ」

 われはあねさまを受け止めようと、両手を広げた。

 あねさまは、ゆっくりと頭を振った。

 

「われは残ります」

「……あねさま?」

刑部少輔ぎょうぶしょうさまの室さまの御様子を確かめねばならぬ。抜け穴を出たところに城所きどころの手の者をやる。その者と逃げるのじゃ」


「かあさま」

 小さな与一よいちが、心細そうな声を出した。

「大丈夫ですよ。二人とも、おゆきの言うことをちゃんと聞くのですよ」

 それから、一人一人に呼びかけた。


六之助ろくのすけ

与一よいち

「おゆき、頼みましたよ」


あねさま、必ず、必ず、また」

 見上げるおゆきに、「あぁ、必ずな」と、姉さまは笑ったようだった。


 急がねばならない。


 ねっとりと汗ばむ闇の中を、おゆきは与一よいちをおぶり、自分の着物のたもとをしっかりと六之助ろくのすけに握らせて、頭をこごめて抜け穴に忍び込んだ。

 六之助ろくのすけが手に携えた小さな蛍石ほたるいしが、ぼうっと青白い光を放つ。


 抜け穴の先は、蛇頭城じゃずがじょうの麓を流れる川に通じていた。

 もうニ月ふたつきも前の雨の時期であれば、この抜け穴は半分水に浸かっていただろう。

 幸い、くるぶしが濡れただけで、おゆきと子供たちは河原とは言えぬような狭い場所に出た。


 心細く、真っ暗な辺りを見渡していると、人の近付いてくる気配がする。

「しぃぃ」

 われは、六之助ろくのすけさまと与一よいちさまを抱え込んだ。


「おゆきさま」

 小さく呼ぶ声がした。

簗瀬やなせにございます」

 見知った者であった。六之助さまの守り役の一人だ。


 切り立った河岸は自力では登れない。

 おゆきは、まず与一を高々と差し上げて、簗瀬やなせに受け取ってもらう。

 次は六之助ろくのすけだ。おゆきが少し支えてやると、六之助ろくのすけは器用に岩に足掛かりを見つけたから、少し手助けをするだけで登り切った。


「さてと」

 おゆきも懸命に岩にしがみついた。

 簗瀬やなせは、ぐっと、おゆきの手を握り、「うぬ」とうめいて引き上げた。

「お、重うございましたか」

 やっとこさ、おゆきは立ち上がった。


「いえ、女子おなごはこのぐらい重い方が、抱えがいがあるというものです」

 褒められたのじゃろうか。

「御案内いたします」

 

 かすかに欠けた月が、尾根伝いに逃げていく四人を見ていた。





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