五ノ弦 僧院

 おゆきたち四人が寺に辿り着くと、僧侶は心得ていたかのように招き入れてくれた。


いとうても、ちっとがまんしてくだしゃいよ」

 おゆきが、水に浸した手拭いで簗瀬やなせの目の辺りをそっと拭うと、ようやく簗瀬やなせは視界が開けた。

 六之助ろくのすけが新しい手拭いを持って、心配そうに簗瀬やなせを見つめている。

 僧侶が血止めと消毒の軟膏を、ぽってりと簗瀬やなせの傷に乗せた。

 与一よいちは座っている内に安心したか、そのまま板敷の間に崩れ落ちて、仰向けに眠ってしまった。

 住職はそれを責めもせず。


六之助ろくのすけさまと与一よいちさまにございます」

 おゆきの話を聞いている。


六之助ろくのすけさまというからには六番めの御子。与一よいちさまというからには十一番めの御子でしょうか。先に五人、間に四人、育たなかった御子がおられたと推察いたします」

 その通りであった。


「子供が生まれ育つのは簡単なことではありません。若君さまらは、まだ神の領域の住人。連れられて行くも、御心の内」

「ですが、あやめられるは運命さだめとは言わぬと思います」

 おゆきは、深くこうべを垂れながらも。


六之助ろくのすけさま。思うていたのと違う生き方をするのは、いかがですか」

 住職は問う。


「母は」

 六之助ろくのすけは、一言、一言、考えながら答えた。

「おゆきの言うことをよく聞くようにと。それから」

「うむ、うむ」

 住職は、ゆっくりと聞いている。


「どんなものになっても、生きていればよい、と。もし、われが仏門に入りますれば。弟は、まだ幼いので、わかるようになってから聞いてやっていただければと思います」

「それが、六之助ろくのすけさまの願いですか」

「そうでございます」

「これほど賢き御子なら、仏の道もきわめましょう。お預かりいたしたいが、いかがかな」

「もとより。お願いいたします」



 さぁて、それから。



簗瀬やなせさまのお考えはいかがなのです」

 まだ傷が癒えぬ簗瀬やなせに、おゆきは尋ねた。

 おゆきは、簗瀬やなせ六之助ろくのすけ与一よいちも仏門に入るのかと思うていた。


「あくまで、あきらめずにと思うのです。六之助ろくのすけさまの御身柄は仏門に入ることで守られましょう。与一よいちさまは、また別の場所にかくまいたいかと」

「当てはあるのですか」

八名やな養父村やぶむら満目院まんもくいんという寺があります。そこに、与一よいちさまをお預けしようと」

「わかりました。われは、そこに与一よいちさまを連れて行けばよいのですね」

「お願いできますのか。女子おなご一人では、大変な役目ですぞ」

「お任せ下さい。簗瀬やなせさまは六之助ろくのすけさまをお願いいたします」


 おゆきは翌日、与一よいちと共に養父村やぶむらを目指すことにした。




「こちらの方角に歩かれよ」

「川に出ましたら渡られよ」

「したらば、満目院まんもくいんが見えるであろう」

 僧侶の説明は大体だった。


「一刻半で着けそうじゃ」

 おゆきは、ふんと鼻息を荒くした。


「おゆきさま、川を渡るときは気をつけてください」

 簗瀬やなせ六之助ろくのすけと共に、山門まで見送ってくれた。

 与一よいちは、それを何度も何度も振り向いた。



 僧侶の言う通りの方角に歩いて、おゆきと与一よいちは川に出た。

 橋などない。

 流れの中を歩くか、泳ぐかしかない。

 田峯だみねで見ていた川は、平地になると、さらに大きなうねりを見せる大河となって流れていた。


「ほぅ、なんと見事な」

 おゆきは、川の流れに見とれたものだ。

「てぇ、感心している場合じゃねぇ。なむかんぜおんぼさつ」

 渓流で遊んで育ったおゆきも与一よいちも、水は怖くはない。

「どぅにかなるさぁ」

 おゆきは、与一よいちの前にしゃがみ込んだ。

「さぁ、おゆきの肩に乗ってくだせぇ。川を渡りますよ」

「あいわかった」


 与一よいちがおゆきの肩をまたぐ。おゆきは与一よいちの両脚を、がっちり自分の両手で掴む。

「あは」

 この状況で、という笑い方を与一がする。

「おまたが、くすぐったぃ」

 おゆきも首筋に、与一の小さい物をあてられた感触に、なんだか笑えてきて、それでいて泣けてきた。


「さぁ、行きますよぅ」

 そのまま、じゃぶじゃぶと川へ入って行った。

「なーむかんぜおんぼさーつ。守りたまえ」



「お前、ちぃと勢いよすぎるんだよ」

 腰まで川の水に浸かったとき、少年の声がした。 

「体動かす前に、もっとアタマ、働かせろ」

 ちょっと失敬なことを言われている気がする。


「そっちは深いぞ」

 気がつくと、少年が、おゆきの脇で浅い方に引っ張ってくれている。

 大河となった水の勢いは強い。それを少年は、がっちりと細くないおゆきの体を支えて渡らせてくれていた。

 

「山で襲われた時にも助けてくれたね?」

 おゆきの問いに、少年は答えない。


(絶対、人でない)

 が、そんなことに構っている場合ではないと、おゆきは開き直っていた。


「はぁ、やべぇ、やべぇ。お前の魂魄こんはくは生きがよすぎる」

 そんなおゆきに、少年は、にまにまとしていた。




 川から上がり、歩いている内に自然に衣は乾いてきた。

満目院まんもくいんは、もうそこだ」

 そう言えば、少年の着た白っぽい水干すいかんは、濡れた様子など、いっさいなかった。やはり、あやかしたぐいなのだ。


「お前のような者には、わしの助けなど必要ないな」

「そんなこと、ない。助けてもろうた。恩に着る」

「もう頼まれても助けに来ぬから、自分で生きろよ」

「――えーと。名前、何だっけ」

 おゆきが横を見た時、もう少年の姿はかき消えていた。  




 昔々のことである。




 ※魂魄 たましい あやかしの好物

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