四ノ弦 逃亡

 簗瀬やなせさまも、城所きどころの若さまから命を受けていたという。

「よもや、身内の謀反むほんまでを予見はできませなんだが」


 この男は、刑部少輔ぎょうぶしょうさまがキョウの先鋒となって落城させた他國のお人じゃ。

 腹違いの本家の兄と、生け捕りにされた。

 城所きどころさまは懐柔策として兄は娘の婿とし、庶子の簗瀬やなせさまを家来とされた。

 家族や知己ちきを、われらに殺されたお人が、われらを助けてくれるなど、どんな因果と思えるが。


刑部少輔ぎょうぶしょうさまの、お方さまと、一族の女子供も逃がしました故」

あねさまは、そちらの方々と落ちのびられたのか」

「――そうです」


 今、思えば、夜の暗がりで顔が見えぬのをいいことに、簗瀬やなせさまは嘘を申されたのじゃ。

 

「お足元に気をつけて」

 簗瀬やなせさまは六之助ろくのすけさまに声をかけている。

「んん」

 まともな返事を返す余裕が、六之助ろくのすけさまにない。


「おゆきさま、代わりましょう」

 与一よいちさまを負ぶったままのわれに、簗瀬やなせさまが手を差し出した。


「いえ、構いませぬ。簗瀬やなせさまは、そのままで」

 簗瀬やなせは、右手を刀のつかにかけたままだ。

 いつ、追っ手がかかるやもしれぬから。


 われらは尾根伝いに南へと下ってきた。

 

「ここは、敵領ではありませぬか」

 おゆきは、はっとした。この山國の士豪は、そのとき、そのときの覇者に身を寄せて生き延びて来たから。今は敵のはずだ。

 

キョウの大将の追撃に全軍、国境の尾根へ向かったことでしょう。今ならかえって、ここを抜けるのは簡単かと」 


 あぁ、やはり、われら、戦に負けたのだ。おゆきは、しんがえぐられるようだった。

 刑部少輔ぎょうぶしょうさまは、筆頭家老さまは、あねさまの夫さまは、ご無事であろうか。


「どこへ行くのですか」

本宮山ほんぐうさんの寺です」


 聞いたことがない寺じゃった。

 聞いたことがないほどでないと、逃げおおせることできぬのだろう。


「おゆきぃ」

 与一よいちが、おゆきの背中で愚図った。

「みずがほしい」


 おゆきがしゃがみ込むと、六之助ろくのすけが竹筒を与一よいちの口にあてがう。

「もっと飲みたい」

 与一よいちさまは竹筒の水を、すべて飲んでしまった。


「これを」

 簗瀬やなせさまが、御自分の竹筒を差し出した。


「いけません。与一よいちさま、水は大切にしなければ」

 われは、与一さまをたしなめた。

「そうじゃ。おゆきの言うことを聞け」

 六之助ろくのすけさまも言い添えてくれた。

「ん」


(おゆきの言うことを、よく聞くのですよ) 

 きっと、与一よいちさまはあねさまのうたことを思い出してくださったにに違いない。


「そろそろ夜も白みまする。それから、湧水を探しましょう」

 簗瀬やなせさまが、行く手の空が白々としている辺りを見て言った。


 

 そのときじゃ。武器を持った村人共に囲まれたのは。

 その頃の農民は、無力ではなかった。

 村ごとに鉄砲も持っていたし、武装していた。

 落ち武者あれば、村人皆で殺して金目の物を奪うことなど、当たり前じゃ。


「子供と女は生け捕りにしろ。男はいらねぇ」


 簗瀬やなせさまが農民を斬り捨てるが、多勢に無勢。

 われは、若君二人を抱え込んだところを、髪を村人にひっつかまれて引きはがされた。


女子おなごじゃ!」

「子供を逃がすな!」


 六之助ろくのすけさまと与一よいちさまが、村人に捕まえられた。


 そのとき、急に地べたに押さえ込まれる力が失せた。

 顔を上げると、へたり込んでいる若君二人を見つけて安堵する。


「なんてぇ重い子供だ」

 声のする方を見ると、数人の村人が根っこの張った杉の木を抱えて、うんうんうなっている。


「この女ときたら、なんてぇかてぇ鉢だ」

 大石相手に子供に見せられない所業に及んでいるやから


「えいっ、えいっ」

 くうを酔ったように斬っている村人、数人。


 白々と明けた山の森の中で、そこだけ何かが狂っていた。




「さぁ、この隙に行くこった」

 いつの間にか、水干姿の少年が目の前に立っていた。

 いや、立ってはいなかった。少年の体はおぼろなる光に包まれて、宙にふわりと浮いていた。

 

(これは人ではない)

 おゆきの本能が、全力で言った。

「おめぇ」


 声にならぬ、おゆきの声を、その少年は聞き取った。

「カンノンの使いを、おめぇ呼ばわりか」

 少年は半眼で見下ろしてくる。

「姉とは、えれぇ違いだ」


あねさまを知っとるん」

「あぁ。よぅく、あの女は観音堂に来て祈っておったから。お前は」


 そうだ。

 おゆきも姉より体が大きくなってからは、あねさまの体を支えて観音堂に行ったものだ。


「適当に祈願をすませたら、姉が祈り終わるまで、日陰で昼寝していたなぁ」


 少年は、よく御存じであった。観音のお使いというのは本当らしい。

 姉さまの精進しょうじんのおかげで、われらは命拾いしたのか。


「――あねさまも助けてくだすったか」

 少年は、おゆきの問いには答えなかった。


はよう手当てせねば、その男、危ないぞ」

 木の根元にもたれかかっている簗瀬やなせさまを指差した。


 簗瀬やなせさまは、ひどく右肩をやられていらっしゃる。

 額も斬られて目に血が入り、回りが見えていないようだった。

 少年は右手の人差し指と中指を揃え、己の口の一息をかけ、その指先を、簗瀬やなせさまの斬られた肩に押し当てた。


「気休めの血止めだ。突かれなくてよかったな。刀、振り回しているだけの奴らで」


 少年の後ろで、まだ村人は虚ろな目で空を斬っていた。

 何かの術にかかったようであった。



「寺はもうすぐだ。ほら、焼香しょうこうの香がするだろう」


 たしかに、風に乗って焼香の香がした。

六之助ろくのすけさま。与一よいちさまと、お手を繋いでくだされ」

 おゆきは簗瀬やなせに肩を貸して、歩き出した。





 ※〈鉢〉 お尻の辺りのことを言っていると思われる

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