銀河採掘者

春夏あき

銀河採掘者

 彼女の存在に気が付いたのは、確か艦内の片隅にあるぼろいダイナーで、ウイスキーをあおっていたときのことだった。

 その時の俺は採掘帰りだった。使いこんだ旧式の電動採掘機を背中にしょい、埃臭いパワードスーツを揺すりながら、見栄えのいいメインストリートに向かう人の流れに逆らうようにして、俺は行きつけのダイナーにたどり着いた。艦内は完全計画都市となっているはずなのに、この辺りには開発半ばで放置された建物がごろごろあり、人工太陽灯の明かりの元で薄暗く輝いていた。

 当然ここの住民は変わっている。明るくて、綺麗で、おしゃれな街に住みたくない、もしくは住めない奴らはここに住むことになる。特に俺みたいな、肉体労働者としてのみ乗船を許可された者たちは、艦内管理局から支給される安い給料を片手にこんな場所に住み着くしかない。食糧やその他日用品は艦独自の経済ルートで出回っているからいいものの、土地という絶対的普遍的な価値だけはどうしても手に入れようがなかった。

「電気ガリウムを一つ」

 彼女はマスターにそう注文していた。今時カクテルを頼む奴なんて珍しい。そんな思いで声の主を振り返ったのが、最初の出会いだった。

 彼女は見た所一人だった。淡い紫色の髪に、小さな金属製のパーツが取り付けられていた。発信機かなにかだろうか。それで服はと言えば、こちらが不安になってしまうくらいに軽装備だった。体つきもそうだ。俺は自分の身体と彼女の身体を見比べる。自分の身体に比べれば彼女のそれは、鉄板と紙のようなものだった。身体にピッチリと張り付く、機能性を重視したスーツがあることは知っていた。だがそんなものは艦内で職を持っている者だけが着ていて、この場所にいるような労働者は着ないはずなのだ。しかし誰が船の燃料を採っているのかを知ってか知らでか、彼らは労働者を毛嫌いしていたからこんな場所に来るはずもない。

 俺は完全なる好奇心の元で、坐る彼女に近づいた。

「やあ」

 彼女の隣の席にどっかりと腰を降ろす。彼女はそのバイオレットな瞳でちらとこちらを一瞥したが、つまらなさそうにすぐ視線を戻した。

「そのスーツ、変わってるね。ファッション用のやつなのかい?」

「ナンパですか」

「そうじゃない。こんな場所まで上の人が降りてくるのは珍しいなと思って」

「……私は採掘者ですよ。あんな奴らと一緒にしないで下さい」

 彼女はそこだけは、確固たる意志を秘めた声で返した。

「君も採掘者なのか。それにしてはスーツが薄すぎる気がするが……」

「ああ、それで声を掛けて来たんですね」

 彼女は目の前に置かれた電気ガリウムを、ほんの少しだけ嚥下した。

「私はアンドロイドです。それも、船の建設に携わった旧型です」

 俺はようやく、彼女がなぜこんな薄型の身体をしているのかを理解した。アンドロイドなら生体器官はほとんどないはずだから、身体を守る鉛プレートや体温調節機構もごく最低限で済む。それに旧型ともなれば、新型のものよりよっぽど頑丈だろう。

 第四次世界大戦で星としての機能を失った地球を見捨て、人類は宇宙へ逃げ出した。その当時立案された循環型宇宙船ノアの造船計画、その計画に誰よりも早く携わったのは、皮肉にも過去の戦争で大いに活躍した自立型戦闘アンドロイドたちだった。彼らは銃を捨て、工具を手に取り、敵兵を殺すのを止め、合金と格闘した。戦争での死者の内八割が彼らによって生み出されたとは言え、彼らの活躍が無ければ我々人類は生き延びることができなかった。そういう面で言えば、旧型は生ける伝説とでも言えた。

「あなたもその口ですか?」

「ん?」

「旧型差別主義とかいう、けったいな思想があるみたいですが」

「いやいや、俺は違う」

 俺は慌てて両手を振った。

「俺にはそんな趣味はない、むしろ逆だ。旧型には感謝しかない。あんたたちがこの船を造ってくれなかったら、今頃人類は、荒れ果てた土地で文明の再建をはからなけりゃならなかったんだからな」

「でもその原因を作ったのは私達ですよ」

「でもそれだって、結局君らは指示されていただけに過ぎない。腹の黒い人間たちが私腹を肥やすために始めた経済戦争は、いつしか世界を巻き込む大事へと発展していった。国を、国民を守るために戦った君らには、製造主の正義に沿ったプログラムが施されていた。人間で言うところの、一種のせん妄状態にあったわけだ。戦場での細かい判断は自分でできるとしても、やはり骨子には人間の意思が加わっていた。だからあれはしょうがない。誰にも責める権利なんてないさ」

 彼女は電気ガリウムをちびちびやりながら俺の話を聞いていたが、俺が言いたいことを言い終わると、今度はその視線をこちらに向けた。

「お気遣いありがとうございます。……あなたのような人間に出会ったのは久しぶりです」

「そりゃどうも」

「私のようなアンドロイドを嫌う人は、むしろ労働者階級に多いんです。お前のせいで俺たちはこんな目になんていちゃもんをつけられて、昔は乱暴されそうになったこともありました。でもいくらパワードスーツを着ているからって、所詮中身は戦争経験のないただの人間ですからね。戦闘プログラムに従って対処していたら、いつの間にか私に声を掛けて来る人はいなくなりました」

「ここいらでは見かけなかったけど?」

「私を憎む奴らに着け狙われていた時の癖で、一つ所に定住するというのはどうも落ち着かないんです。しばらく住んだら別の地区に引っ越すというのを続けていて、ここへは最近来たんです」

「そうなんだ、それで……」

 それで会話がふっと途切れた。俺はマスターに「子牛のステーキを」と注文を入れた。マスターは培養器に牛の細胞を入れ、電熱線でゆっくりと温めながら培養を始めた。やがて手のひらぐらいにまで成長すると、マスターは火を止めてそれを注意深く取り出し、フライパンの上に油と共に置き、電気を使ってじっくりと焼き始めた。この店名物のステーキは、肉が柔らかいことで有名だ。なんでもマスターが地球で牧場を営んでいたらしく、その時飼っていた牛の遺伝子サンプルを未だに持っているかららしい。肉が焼ける香ばしい音が店内に響く。それと同時に脂の焦げた匂いが空気中に漂い、何重にも重なっているはずの宇宙マスクを貫通してスーツ内にまで伝わってきた。充分に熱を通されたそれは、マスターの丁寧な手さばきで皿に盛りつけられ、俺の前にごとりと置かれた。

 俺は「いただきます」と言ってからマスクを外し、口元を見られる気恥ずかしさを抑えながら、柔らかな肉の繊維を存分に味わった。

「やはり、人間はいいですね」

 彼女は俺の口を物珍しそうに見つめながら、ぽつりと呟いた。

「私は本当の意味で食事をしたことがないんです。私にも消化器官は備わっているけれど、それは単に有機物を分解してエネルギーに変換するだけのもの。味や食感、匂いなどという戦闘において不必要な機能は全て除去されているんです」

 その時になって初めて、俺は食事のできないアンドロイドの前でこんなものを食べるということの重大さに気が付いた。

「あー、すまん──」

「別に気にしないでください。私には無用の長物ですから」

「今度DNAディーラーを紹介しようか。ほら、俺の友人に腕の立つのがいるんだ。多分そいつなら、食事に関する記憶中枢遺伝子も持ってるはずだ。代金は俺が持ってやるから、どうだい」

「私は確かに旧式アンドロイドですけど、でも、戦争前の設計図で作られているんです。だから生体パーツは組み込まれてなくて、手術は受けられないんです」

「ご、ごめん……」

 リカバリーまでことごとく裏目に出てしまい、俺は完全に意気消沈した。

 一口にアンドロイドと言っても、その性質から彼らは大きく二つに分けることができる。一つは生体アンドロイドだ。身体の主要機能を培養臓器に代替させることで、大幅なスペース削減につながり、空いた空間により多くの戦闘補助機器を詰め込むことができる。その分寿命は大きく縮むが、戦場で敵軍に突っ込ませるような使い捨て前提だったため、さほど問題はなかった。この型の多くは、戦争が始まった後に作られた。

 そしてもう一つは戦争の始まる前に主に生産されていた、彼女のように純機械で構成されたアンドロイドだ。彼らは元々が産業に従事させる目的だったため、多少図体がでかくても、機能が充実していればそれでよかった。身体の全てのパーツは鉄や鋼と言った金属、または基盤などのレアメタルから構成されており、寿命が極端に長いのが特徴だった。メインプログラムが書き込まれたクリスタルディスクは脳と違って朽ちることがなく、また臓器を持たないため放射線や寒暖差にも非常に強い耐久性を持つ。条件さえ整えば、彼らは半永久的に生きることができた。

「見た目がすらっとしていたから、つい生体型かと……」

「それ、お世辞ですか?」

 彼女はくすっと笑った。

「別に謝らなくてもいいんですよ。もう慣れました。私も昔は味というものを知りたくて、船の中をプログラマーをあちこち探して見たんです。でも見つかるのはスーツや船のプログラマーだけ。やっと見つけたと思ったら、技術的な問題で修理を断られる。私みたいな古いアンドロイドは、もう根本から書き方が違うんですって。若い頃はそれで何度も悩みましたが、今となってはもう何も感じません」

 その話を聞いていると、俺の口の中にある子牛のステーキが、途端に生々しいものに思えて来た。俺は人間だから、これまで何度も食事をしてきた。よくもまあ、日に三度、それを毎日欠かすことなく繰り返して来たもんだと、今になって自分でもそう思う。俺は元々食事が嫌いだった。俺が食べるものと言えば、朝はトースト、昼は安い定食、夜は適当な自炊料理。種類にして百を超えることもないだろう。そんな決まり切った味のものを、これから先、死ぬまで延々と食べ続けるというその事実が、過去の俺はどうも気持ちが悪かったのだ。例え世界中の料理を毎食ごとに食べても、それに使われている材料は同じだ。味付けを変え、調理方法を変え、見た目を変え、でも本質は変えられない。材料は数えるほどしかない。それをローテーションで食べ続け、やがて血となり肉となる。俺の身体は肉や魚や野菜で作られてはいるが、結局それらは規則的な栄養素の集合体にしかすぎない。

 食事に意味などあるのだろうか。単に生きるだけならば、栄養サプリとカロリー剤でも飲めばそれで事足りる。だけれども彼女の苦悩を見ていると、それが凄く特別なことのように思えてくる。食材を調理するというは、人間だけが行う行動だそうだ。野生動物は皆、食材をそのまま食べる。だがそれらに本質的な違いはない。ようは味がいいか悪いかというだけで、結局消化されれば同じ道筋をたどるのだ。ではなぜ人間だけがそんな非効率的なことを未だにしているのか。食材を調理する熱量をもっと有意義なことに使わないのか。彼女の姿を見ていると、その答えがぼんやりと分かるような気がする。

「──そうだ、あんたは一体どんな作戦に従事していたんだ?」

 口の中に残る培養肉を飲み込みながら、話題を変えようと彼女に話を振った。

「俺の知ってるところでは、北米の上陸作戦に随分多くのアンドロイドが駆り出されたらしいな。先のエンダル海峡横断作戦では、水深五千メートルの海底を歩いて横断したとかなんとか。潜水艦のソナーでも探せないんだから、大したもんだよな」

「作戦……ね。私はアジアのとある国で製造されましたが、その国は軍事力勝負というよりは、過去の惨劇を防ぐために自分で自分を縛り付けていて、そのせいで搦め手専門で戦っていましたよ。……ま、私の中では今でも機密コードが作動しているので大したことは言えませんけど、教えましょうか?」

「ああ、頼む」

「あなたは私を見て不思議に思いませんでしたか? 純機械ということは工業用のはずなのに、こんな華奢な身体では重労働はとてもできそうにないと。……私の戦争以前に就いていた仕事は軽作業でしたけど、戦争が始まれば、私は味方の基地に送り込まれました」

「……」

「私の作戦は、所謂従軍慰安婦というやつでした」

 彼女は何の気なしにそう言った。けれども作戦中に負った傷は、決して生易しいものではなかっただろう。

 ガリウムが溶液に溶けて、ガロンという音とともに崩れる。天井に張り付いた照明は、彼女を慰めるように光のヴェールを身体にまとわせた。

「倫理規定に触れるようなことも幾度もありました。あの時がもし戦争中でなくて、私にかけられていたセキュリティーがシャットダウンされていなければ、私は自己決定と意識の損失に板挟みになり、精神が破損していたでしょうね」

「その……すまんな、昔のことを思い出させてしまって」

「別に構いませんよ。もう何十年も昔のことですから。──時間はいいですね。時がたてばたつほど、過去の出来事を洗い流してくれる。時間は悩みの特効薬なんです」

 私のようなアンドロイドにとってもね、と彼女はそう付け加えた。

 店内には物音ひとつなかった。マスターは何の仕事をしているのか店の裏へ行っており、店内には俺たち以外に他の客は誰もいなかった。俺はすっかり氷が融けて汗をかいているグラスをスーツ越しに握った。サーモグラフィに淡い水色が映る。グラスと俺の手のひらの間には幾重にも防護素材が張り巡らされているはずなのに、俺は手の内から確かな冷たさを感じた。それは彼女がこれまで、たった一人で何十年も抱え込んできた行き場のない気持ちを代弁しているようでもあった。いたたまれない気持ちになり、俺は一息にそいつを飲み干した。

「機会があれば、一緒に作業をしてみないかい」

 持ちあげたグラスをカウンターに置くのと同時に、俺は彼女にそう言った。窓の外から漏れ出て来る暗闇のお陰で、照明がよく目立っている。どうやら昼夜サイクルがまた半周したらしい。

「今度の惑星採掘には参加するつもりか? どうやら船の燃料が無くなりそうで、また大規模な採掘作業が始まるみたいだ」

「どうでしょう。私はあまり、人前には出たくないので……」

 彼女は小さなコップに残っていたガリウムを飲み切ると、硬貨をパチリとカウンターに置いた。

「運が良ければまた会いましょう。それじゃ」

 彼女は俺に背を向け、ダイナーから出ていこうとした。俺は慌てて自分の勘定を済ませて店の外に出たが、その時にはもう、辺りに彼女の姿は見当たらなかった。



 次に彼女と出会ったのは、目的の惑星へ向かう輸送船内部の船員室でだった。無骨で潤滑油臭いパワードスーツがひしめくその部屋の中で、彼女は紫色が目立つしなやかな身体を衆人環視の元に晒していた。俺は背後から飛んでくる友人たちのヤジを流しながら、暇そうにピッケルをいじくる彼女に近づいた。

「やあ」

 あの日よりは幾分明るい声で話しかけた。彼女は警戒心の高い様子でさっと振り向いたが、相手があの時の人間であるとわかるとほっと息を吐いた。

「運が良かったな」

「どうだか」

「人前は苦手じゃなかったのかい?」

「勿論苦手ですよ、ただ──」

 惑星の硬い大地を穿つためのピッケルは、どうも彼女の手に余るように見えた。彼女の細すぎる五指は、大型機械に鍛え上げられた持ち手の金属棒を、弱者にもそうするかのように、優しく扱っていた。

「あなたのことに、少し興味が湧きましてね」

「そりゃまたどうして」

「なぜでしょうね、自分でもよくわからないのです。……時々こういうことがあります。アンドロイドに感情なんて、必要ないはずなのに」

 予想外の返答に、俺はぐっと応えに詰まった。こんなときどうすればいいのかという最適解は、頭部に搭載されている演算チップでも導くことはできそうもなかった。あの夜の反省を踏まえ、なにかいらぬことを言うのを恐れ、結局俺はそれ以上彼女に話しかけることができなかった。

 二人で黙ったまま、船は暗闇をどんどん帆走していった。やがて頭上のランプが緑に光ると同時に、俺の身体にはがくんという接地した衝撃が伝わった。後部ハッチが開き、道具を持った仲間たちがぞろぞろと出ていく。俺は彼女に手を貸して身体を起こしてやり、やはり黙ったまま並んで外へ出て行った。

 外は一面の銀世界だった。はるか遠くで白っぽい恒星が輝いており、その光が辺り一帯に降り注いでいるためだろう。距離がある分熱さは感じないが、その分スーツの体温調節機構は必須だ。地表面はごつごつとした岩肌がむき出しになっており、それは地平線の遥か彼方まで続いていた。あちこちに黒い色が見えるが、恐らく岩の起伏によって作られた影だろう。地面に円を描いている黒色は、ひょっとすると洞窟のようなものかもしれなかった。

『──本部より作業員諸君へ連絡。聞こえているか?』

 スーツに内蔵されたスピーカーから、ノイズの混じった電子音が響いた。

『この星が今回の作業場だ。戦争前についていた名前で言うと、D577。地球型惑星。直径は二万メートルあり、大気は全くない。この星はハビタブルゾーンから大きく外側へずれているため、地中には大量の固体化したガスが眠っている。君たちは適当な穴から惑星内部へ潜り込み、ガスの回収をしてくれ。規定量が溜まれば船は本船へ戻るから、乗り遅れないように。それでは』

 それだけ言うと、声の主はブツリと無線を切った。

 周りの作業員たちはそれぞれが手に道具を持ち、手近の洞窟に潜ろうとしていた。また別の地点では、小型のトンネル掘削機を使って新たな穴をあけようとする者たちもいた。

「それじゃ……どうする?」

「そうですね、この辺りの洞窟に入ってもいいんですが……」

「人と会いそうだから、少し離れた所にした方がいいな」

「ええ」

 俺たちは彼女を先頭に、降り立った地点からゆっくりと歩き始めた。

 彼女の紫色の服が、灰色の地面によく映えていた。こうして見ていると、まるで人間が歩いているように見え、ごついスーツを着ている自分の方が間違っているのではないかと錯覚してしまう。しかしこのスーツの外側には、絶対零度にも近しい極低温と宇宙放射線の嵐があり、そもそも空気がないことから生身では一分も持たずに死んでしまうだろう。彼女の軽快な歩みと小柄な体格から、俺は昔話の月と兎の話を思い出した。

 しばらく歩いて行くと、人影の見当たらない洞窟にたどり着いた。入り口は人一人がやっと入れそうなぐらいだが、ソナーを使ってみると奥に何百メートルも伸びていることが分かった。

「ここにしましょうか」

 彼女は古の探検家がそうしていたように、額に巻いているゲルマニウムライトの電源を入れながら言った。

「どうやらこの星は、内部まで完全に冷え切っているな。まさしく死んだ星だ」

 手や脚の関節を曲げ伸ばしして、操作の勘を取り戻そうとする。右手に持った電動採掘機は俺の手によく馴染み、まるで身体の一部かのように自由自在に操ることができた。

 洞窟へ一歩入ると、途端に辺りは漆黒に包まれた。慌ててライトをつける。眩いばかりの人工の光が放射状に広がり、辺り一帯を照らし出した。洞窟内部も、地表面と変わり映えのない景色だった。岩肌は不気味な灰色で、岩以外は何も存在していない。からからに乾いた地面に足を降ろすと、その度に微細な埃が宙に舞い上がった。地表面付近は温度が冷える過程で気体が逃げたのか、ガスの気配は全くなかった。だが深度計の針が振れるにつれ、灰色一色だった岩肌には、所々にライトに反射してキラキラ輝くものが見え始めた。近づいてみると、それらは固体化したガスだということがわかった。周囲の岩石と反応して若干の化合物と化しているが、それでも地球で見られるものよりは遥かに純度が高かった。

「これがそうですか」

 彼女はこの手の作戦に初めて参加したらしく、壁に埋まったそれらを物珍しそうな目で見つめていた。

「ああ。だが、こんな小さな固体を集めていたらいつまでたっても終わらないぞ。どこかにガスの鉱脈があるはずだから、もう少し潜ったら横に掘ってそいつを探そう」

 俺たちは更に洞窟の奥へと足を運んだ。段々と息苦しさが増してきたような気がするが、それに比例するように周りに露出するガスの数は多くなっていた。やがて俺たちは、小さなホール上の空間にたどり着いた。巨人の使っているお茶碗をそのまま伏せたような綺麗な球面を描いており、天井に目を向けると、ガスに光が反射してまるでプラネタリウムのようだった。

 俺たちは二手に別れ、早速作業を開始した。と言っても、作業はさほど難しくはない。亜光速で飛行中の船を修復するよりは、動かないガスを掘り出す作業の方が遥かに簡単だった。岩石は地球と同じかそれより柔らかいくらいで、採掘機の刃先を岩肌にねじ込むとボロボロと崩れていった。岩石は土煙と共に地面に落下し、俺は横方向にどんどんと掘り進めて行った。採掘されるガスの大多数は小指の先ほどの大きさしかなかったが、時たま頭ぐらいの塊があった。割らないように慎重に周りの岩石を割り砕き、そして比較的大きな物のみを、ホールの中央に運んで行った。非力に見えた彼女も、この作業は無難にこなすことができていた。ピッケルである分作業をしずらそうなものだが、これこそが私の得物なのだと言わんばかりに、頭上に高く持ち上げたそれを刀を振り下ろすような凛とした姿勢で振り下ろしていた。そのまま一時間も作業を続ければ、ホール中央にはガスの小高い山ができた。

「少し休憩しよう」

 俺と彼女は、掘り起こした余分な岩石の上に並んで坐った。

「どうだい、こんな採掘もあまり悪くないだろう」

「そうですね。意外と楽しいかもしれません」

 彼女はあんなにも激しい労働をした直後であるというのにも関わらず、汗の一つもかいていなかった。こうして彼女の横顔を眺めていると、彼女のその人間離れした蠱惑的な顔つきが、俺の心をいたずらにくすぐった。

「この後はどうするんですか」

「ああ、俺がワイヤーとそりを持ってるから、そいつにガスを積んで持って帰るんだ」

「通路が大分狭かったので、拡張が必要そうですね」

「崩落の危険性もあるから、硬化剤を忘れるなよ」

「ええ、勿論」

 しばらく休憩して体力を回復すると、俺達は再び作業を開始した。まず初めに、俺は自分の背中にしょっていた平べったいプレートを地面に置いた。四辺の小さな板を垂直に立て、辺の短い方にワイヤーを取り付ければ、それは即席のそりになった。二人でそのそりに、積める限界まで、さりとて零れないように、慎重にガスを積み込んだ。最後に上からネットを被せれば、運搬の準備は完了した。

 帰り道は彼女が先導して、そりの幅に道を掘るということになった。俺は背後から大型のライトを照らし、前方に大きな光の環を作ってやった。道はかなりデコボコしていたが、彼女はピッケルで器用に岩を削っていった。そのお陰で俺たちは随分早く道を進み、来た時と同じくらいの時間で半分まで到達することができた。

「もうすぐですね」

 彼女はピッケルを振りながら言った。もうすぐで帰れるということに俺も気を取られてしまい、彼女の方をよく見ずに生返事を返した。だがなにかイヤな予感がし、俺はふと前方を見つめなおした。それと同時に、彼女の振り下ろしたピッケルが壁に突き刺さった。

 ぴしりという、あの独特の音が真空を介して伝わってきた気がした。ピッケルが食い込んだ小さな穴からは、始めは目立たない、しかし徐々に大きくなっていくひび割れが発生した。

 俺は掴んでいたワイヤーを手放し、足の裏についているブースターを吹かせながら彼女に近づいた。

「逃げるぞ!」

 華奢な身体を乱暴に抱き上げる。俺は陸上選手のように力いっぱい地面を蹴り飛ばし、今まさに崩れようとする洞窟内を飛ぶように走った。だが数十メートルも行かぬうちに、俺の目の前に巨大な岩が落下してきて道を塞いだ。

「くそ!」

 慌てて後ろを振り返るが、そこにはもう道はなかった。前後を膨大な体積の土砂に埋め尽くされ、俺達は小さな穴の中に生き埋めになってしまった。

「おい、大丈夫か」

「なんとか……」

 俺の腕の中にいる小さな生き物を、そっと地面に帰してやる。彼女はまだ何が起きたか理解できないようでぼうっとしていたが、やがて眼の焦点を合わせた。

「ご、ごめんなさい」

「お前のせいじゃない。あれは不慮の事故だったよ」

 採掘にはいくつかのコツがある。それは力の入れ方という役立つものから、こんな洞窟は危険だという迷信めいたものまで様々だ。しかしそれらの多くは、幾度も採掘をすることで培われた自身の経験に基づいているということは言うまでもない。この洞窟なら危険も少ないだろうと思って彼女に採掘を任せていたが、なにか危険なポイントを掘りぬいてしまったらしかった。

「とにかく、これからどうするかを考えないとな」

 肩のあたりについた小石を払いながら言った。こんな風に落ち着き払っているが、現状はかなり危険だ。俺たちの上下左右には圧倒的質量の土砂があり、それらは電動採掘機を使っても除去が難しいだろう。またそれ以前にも、呼吸をするための酸素や、体温を維持するための電気など、生命を保つために必要不可欠なものは、今自分たちが持っているものだけに限られてしまっている。今回の採掘では短期間で終わることを想定していたからそのどれもが持って三日というありさまだった。先ほどまで激しい作業をしていたことを考えると、使える資源の量はそれよりも少ないだろう。

『こちらノア所属作業員、本部、聞こえているか?』

 アンテナを目一杯伸ばし、無線をなんとかつなげようとする。

『──こち、部だ。ど……した?」

 ノイズがかなり混じっているが、なんとか繋がった。

『緊急事態だ、落盤事故が発生した。作業員が二人閉じ込められている。座標を言うから、そこへ今すぐ助けをよこしてくれ』

 フェイスシールドにモニターを呼び出し、表示された現在位置の座標を本部に伝えた。『──了解』というそこだけやけに鮮明な返事のあと、無線はとうとう繋がらなくなった。あとは運を天に任せて待つしかなくなった。

「さて、困ったことになっちまった」

「救助にはどれくらいかかりそうですか」

「わからん。俺たちが今いる場所は地下百メートルの位置だが、地表からここまでどんな障害物があるかはわかりかねる。掘削機を持っている奴らがいたから多少は早いだろうが、それでも二日か三日は覚悟しておいた方がいい」

 それ以上に話すこともなく、自然と会話は途切れた。四方からの圧迫感に耐えるため、俺達は身を寄せ合って壁際に坐り込んだ。薄暗い穴の中に、俺の随所から漏れ出る光や、彼女の各所から聞こえる駆動音が、静かに広がっていた。

「ねえ」

 唐突に彼女が口を開いた。

「うん?」

「どうして私を助けたの」

「そりゃあ、同じ採掘者だからな」

「私を抱える時間がなければ、生き埋めにならずにすんだかもしれないのに」

「不思議なもんだよな。あんたとは会ってまだ二回目なのに、自然と身体が動いたんだ」

「そう……」

 そのあとごにょごにょと何かを続けて口にしたが、聞きなおすのも無粋なもので、俺はただ黙るだけだった。こうして暗闇は、またもや静寂に包まれた。

 ……あやうく眠りそうになった時に、俺の耳に微かな異音が聞こえて来た。思わず目を覚ます。仲間の無線かと耳を澄ましてみるが、聞こえてきたものは、「うう」といううめき声だった。

 咄嗟に彼女の方を向くと、そこには身体を抱きかかえて横たわる彼女の姿があった。

「おい、大丈夫か」

 肩を軽く揺すり、気を保たせながら聞いた。

「ええ、ですがかなり厳しいです……」

 彼女は息も絶え絶えだった。

「ピッケルを振るときに腕力補助機能を使っていたのですが、思ったよりも電気を食ってしまって。このままだと体温調節がうまくできなくて、回路がショートしてしまうかもしれません……」

「電気のやり取りはできるよな?」

「ええ、ここに整備パネルがありますから、そこから充電出来ます」

 彼女は自身の下腹部をこんこんと叩いてみせた。

「俺のスーツには、いざって時の為に予備バッテリーが備わってるんだ。プラグを使ってそいつをお前に送ろう」

 左腕前腕部に備え付けてある操作パネルを幾らか叩き、背中につけられている予備バッテリーからプラグを伸ばす。そして彼女の下腹部辺りにある整備パネルを無理矢理開き、そこにある小さな穴に先端部をねじ込んだ。

 彼女はしばらく寝たきりの状態だったが、やがて電力が充分にいきわたると、恐る恐るといったようすで上体を起こした。

「ありがとうございます。……このまましばらく充電すれば、体温調節ぐらいはなんとかできそうです」

 彼女はゆっくりとそう言った。

 その後はゆったりとした時間が流れた。待てど暮らせど向かってきているはずの仲間たちの気配は感じられず、掘削機の振動音すら聞こえてこない。落盤によって周辺の土壌が変わっているために、救助は遅々として進んでいないのだろう。

 横に座っている彼女は、いつの間にか頭をうなだれるようにし、はっと気がついてはびくんと跳ねるのを繰り返していた。アンドロイドにも恐怖の谷を克服するための工夫がされているとは知っていたが、これがその一つである疑似生理現象なのであろうか。

「助けが来たら起こしてやるから、それまで眠っておけ」

 そう言うと彼女はぺこりと頭を下げ、そして岩肌にもたれかかってじっと動かなくなった。じきに産業機械のような、一定のリズムを刻む呼吸音が穴の中に響き始めた。供給されている有り余る電力は、彼女の体温を一定に保つことに大きな役割を果たし、彼女はプラグを接続したまま、焼き立てのパンのように暖かそうに、またガニメーデスのような美少年みたいな寝顔で眠っていた。その顔を見ていると、なんだか俺の方まで穏やかな気持ちになり、気が付いた時には、既に意識は暗闇にすとんと落ちていた。



 あれから48時間が経過した。だが依然として、助けは来ていなかった。電力だけはパワードスーツに内蔵された発電機でほぼ無尽蔵に取り出すことができるからよいものの、今の俺には圧倒的に足りないものが一つあった。こればっかりは他のもので代替することができない。電気を使って作り出そうにも、水やその他の生成物は生憎持ち合わせていなかった。

 それでも彼女を心配させたくなく、俺は限界まで黙り続けた。だがいくら待っても助けは来ず、俺はとうとう、彼女に話さざるを得なくなった。

「なあ、話があるんだ」

 俺は平静をつとめて彼女に話しかけた。

「実を言うと、俺の持って来ていた空気がもう底をつきそうなんだ。大規模遠征の時なら生成器を持ち込むんだが、何分今回はすぐ終わると思っていたからな。残念ながら、俺はあと三十分もすれば酸欠になる。まさかとは思うが、お前は予備の空気なんて持ってないよな」

 彼女は俺の話を黙って聞いていたが、俺が話し終わると、ふっと顔を上げた。その顔はいつもと変わらぬ様子だったが、その深い眼の中には、悲しみと決意がごちゃ混ぜになったような色が見え隠れしていた。

「私には呼吸は必要ないので持っていませんが。──どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか」

「すまん、あんまり心配を掛けたくなくてな」

「……過酸化水素水は持っていますか?」

「ああ、過酸化水素水なら、小型ブースターの燃料分が残っている。しかし……」

 「それがどうした」と問いかける前に、彼女は勢いよくピッケルを自らの腹に突き立てた。思わず立ち上がろうとするが手で制止させられる。さしもの合金も、所有者のパワーにはかなわなかったらしく、つやりとした肌色がびりびりに破けていった。内部にある赤や黄や青の光を煌めかせる各種の機械たちが、安穏の眠りから無理矢理起こされた腹いせにか、一斉に抗議の声を上げ始めた。彼女はピッケルを脇へ置くと、一切の躊躇なく自らの手を体内に潜り込ませた。

「知ってましたか? 旧型アンドロイドの非常用電池には、二酸化マンガンが使われているんですよ」

 俺はその言葉で、彼女が何をしようとしているのかを悟った。しかしそれは、彼女にとって、自身を終わらせるというのと等しい行為だった。

 彼女は、見ているこちらが苦しくなるぐらい乱暴に、腹部に差し込んだ手を動かした。彼女が手をかき回す度、腹部からはネジやバネ、その他得体の知れない小部品が幾つも落下した。やがてお目当ての物を探し出したようで、彼女は手でそれを握ったまま、あの穏やかな顔でこちらを見た。

「私の内部タンクには窒素がまだ残っていますから、整備パネルの赤い蓋から補給してください。アルゴンや二酸化炭素はありませんけど、助けが来るまでならなんとかなるでしょう。……そんな顔しないでください。アンドロイドとしての私は、あの戦場でとっくに死んでいたんです。私には長すぎた余生です。最後の最後くらいは、本当の意味で人間の役に立ってもいいかなと、あなたと接しているとそう思えたんです」

「お前……」

「私のことはここへ置いておいてください。私の好きな星である、月に似ていますので。──それじゃ、さよなら」

 彼女は握りしめたその腕を、思い切り腹部から引っこ抜いた。空間にバチリと火花が散る。右手に電池を持ち、腹部から臓器のように色鮮やかなケーブルを垂らしたまま、彼女は長い長い動作期間に終止符を打った。

 俺は彼女の傍にゆっくりと跪き、大仰な操作しかできないはずの油圧式の指をできる限り穏やかに動かし、今なお虚空を見つめている彼女の瞳をそっと瞼を閉じて隠してやった。俺にできる手向けは、全くそれだけだった。



 彼女がシャットダウンしてしまってから、助けが穴に到達するまでには実に十時間ものタイムラグがあった。身体に妙な振動が伝わってすぐ、天井を見慣れない金属の三角錐が突き破り、そこから掘削機が窮屈そうに出て来た時は本当に嬉しかった。俺は仲間に彼女は落盤で押しつぶされて死んでしまったと説明し、ボロボロになったボディを地上まで運んでもらった。

 地上は大騒ぎになっていた。辺りには掘り出したであろう岩石が山のように積みあがっており、頭上には空を端から端まで埋め尽くす大スケールで、ノアが停泊していた。

 最後に帰る段階になると、俺は彼女のボディを地表面に置き、白い地面がよく見えるようにしてやった。彼女が好きだと言っていた月という星とこの星はいったいどの程度似ているのだろうか。

 帰りの船では、俺は奇跡の生還者として仲間たちから大いに歓迎された。それでもそのどんちゃん騒ぎに付き合う気にはなれず、俺は一人で窓の外を眺めた。白い地表に置かれた彼女の姿が、ノアに近づくにつれて段々と遠ざかっていく。俺は俺の命を救ってくれた彼女に、交錯した思いを抱えていた。

 彼女が死と引き換えに渡してくれた電池には、確かに二酸化マンガンが使われていた。俺は電池を分解してそれを取り出すと、ふくらはぎの辺りにある過酸化水素水のつまったタンクに投入し、減圧チューブを通じて窒素と同時にスーツ内に送り込んだ。単純明快な化学反応で発生したのは酸素であり、これと窒素を2対8の割合で混合することで「空気」を作り出すことができる。……俺は彼女が命を失ってまで作ってくれた空気を、ゆっくり、ゆっくりと呼吸して助けを待ったのだ。

 ノアに帰ると、人類はまた当てもない宇宙の放浪を再開した。俺はほとぼりが冷めるまでしばらく待ってから、なけなしの全財産をはたいて小型のロケットを買った。そしてその内部に反応しきった二酸化マンガンを入れ、ある方向に向けて発射スイッチを押した。ロケットは嘘のような小さな火を灯し、そのままゆっくりとノアから遠ざかって行った。これを作った作業員が言うところには、小型の反射板を搭載したこのロケットは、宇宙を飛び交う放射圧を自身の背後に投げかけ、半永久的に飛び続けるらしい。これならば、時間はかかってもいつかはたどり着くだろう。

 俺はあのロケットが、地球の衛星に落下する日に思いを馳せながら、いつまでもいつまでも、その後部にやどる明るい光を見つめ続けた。

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銀河採掘者 春夏あき @Motoshiha

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