旅に出る

 空港へ向かうのにバスを待っていた。坂の下から、ひとりの女の子がやってきた。好ましいメガネだと思った。黒縁の形が少し吊り上がった眼に合っていた。そしてバスが来なかった。待てど暮らせど来なかった。そわそわと、腕時計と道路の先を交互に見返している様子だった。私もそわそわしていた。そわそわとそわそわが共鳴して、こちらが向こうを見る、向こうがこちらを見る。えいや、と声を掛けた。

「1時間前から待っているけれど、全然こないんです」

「あ、そうなんですか」

「空港まで?」

「はい、困ったな、着かないといけないのに」

 全く困りみのない顔で、彼女はそう言った。

「良かったら」

 相乗りしたタクシーの車内で、同じ大学に通っていることが判明した。学部も同じだった。なんならサークルも同じだった。

「ハッ」

 破顔一笑、と言った感じのする笑いかただった、促音の後にはもう一つもハが付かないで、もとの表情に戻っていた。

「サークル一緒なのに、ウケる」

 全くウケてない顔で、彼女はそう言った。

「ね」

 釣られて無表情のまま、短く同意を示した。偶然はそこまでで終了して、飛行機で運ばれてゆく先は異なった。祖父母の実家に向かうのだと言う。

「とりあえず……」

 とスマートフォンを差し出し、彼女はライン上での友達に追加された。

「じゃ」

 別れ方も快活で、手を左から右へサッと振ると、その腕は振り戻ることなくくるりと背を向け、そのまま搭乗口へ進んで行った。



「ワタリって強制的に旅行させられるようなものじゃないの?」

 と現地で合流した友人が尋ねてきた。フォークに巻き取りかけたパスタを皿に置く。

「旅行というよりは家がふたつある感じかな、子どもの頃からだから」

 再びフォークを取り上げ、巻き取りを再開する。向かい合う彼は、ふーん、と曖昧な相槌を打ちつつマカロニを食している。

「うま」

 ふと、つぶやくように放たれたうま、はひゅるる、と天にのぼっていく気がした。

「なんかさあ、」

 と思い浮かんだ空想を伝えると、

「うま収容センター的なのが天上に存在していると?」

「まあそうだね」

「収容してどうすんの?」

 まともに突っ込まれると言葉も無かった。そこで黙々とラザニアを胃に収めていたもういっぽうの友人が、

「よりたくさんうま、を収容できた料理は天国に行ける」

 と突然発言し、事態をより混乱させた。

「料理にとっての天国ってなに?」

「そもそも料理に自我が無いじゃん」

「肉類とかは?」

「ベジタリアンみたいになってくるな」

「というかあれ、俺一部のベジタリアンの肉食攻撃してくる感じどうかと思う」

「それな」

「自分の主義でそうするぶんには構わないけど、他人に強制しないでほしい」

 インスタのストーリーに「どうしてこんな風に生きてる動物を殺そうと思えるの?」「動物たちはあなたのために死んでいる」などと投稿をしていたveganの女の子を思い出す。ヨーロッパでは kinda cool thingならしい。その子の投稿の次に現れたのが日本の女子大生の肉寿司なう[牛の絵文字][ハートマーク]みたいなもので、なんとも微妙な心持ちになった。


 食事を終えて、街に出た。かつてはアラブの王朝が支配していたこの街は、彼らの遺構を留めている。その入り組んだ道を歩くだけでも楽しい、ちょっとした広場にバルが並ぶ、南部の夜は過ごしやすい気温で、人々はグラスを片手に外で談話している。オレンジの木が路地に植わっていた。ほろ酔いの友人は戯れにそれを揺する、だいだいより少し淡い、黄色に近い色をした実がぼとりと落ちた。ビール缶を片手に持った中年が近づいてくる。

「それは食べられない、苦すぎるから」

 と言う。一方で、友人は通りがかった青年と実の蹴り合いを始めた。石畳に引っかかったオレンジは、思わぬ角度へ飛んでゆく。今度はティーンエイジャーらしき少女たちが話しかけてくる。

「食べてみ?」

 と先ほど食べられない、と忠告されたばかりのオレンジを差し出す。目に浮かべられた笑みはからかいの色を持って。

「まじで? いや嘘でしょ」

「お前が先に食えって言ってよ」

 と隣の友人が要求する。自分の語彙にその言葉が見つからない。先ほどの中年が近寄ってくる。知り合い? と聞くと首を振る。彼は、

「この子たちは恋人同士なんだ」

 と突然決めつける。少女たちは、その年頃ティーンエイジャー特有の傲慢な、あの「は?」という表情をして、

「こいつ、ちょっとおかしいんだよ」

 と指先で頭を指し、くるくると回す。爽快な口笛をヒューヒューと鳴らしながら。構わず中年は、

「美人だろ? うちの娘にちょっと似ている」

 と上機嫌に話し続けていた。彼らを後にして、チャオ、と路地を奥へ進む。オレンジサッカーから帰還した友人は煙草を取り出す。ご相伴に預かって歩き煙草。人生三本目のそれは、強く吸い過ぎてすぐ灰と消えてしまう。バルでもう一杯、そしたらグーグルマップを閉じて宿まで戻ろう。酔いで狂った方向感覚に導かれて、でたらめに歩き廻る。時間の粒がきらきらと光るような夜。

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