ワタリという一族
ワタリ、と呼ばれる一族があった。ふたつの世界を往き来する、渡っては戻る、帰ってこなくなるひとも居た。かれらが渡っているあいだの、ぬけがらとなったからだは、ひとみが透明に溶けて色を変えるのでわかったという。かれらは次第にひとびとと入り混じり、その血すじのもとを辿ることすらままならないけれど、いまもごくわずかに、そのすべを受け継ぐ者がふいと生まれる。べつに家族にワタリが居たわけでもなかった。幼い頃はイマジナリーなものごととして受け流されていた、ある日の真昼、そうめんを一啜りしていた最中に何故か渡ってしまった、その折のひとみが、私をワタリとして認める契機になったのだと、母は言っていた。
夏の夕方というものはどうも、人を切ない気持ちにさせる。真っ赤に染まる西の空を大きな入道雲がゆっくりと横切っていく。蜩の鳴き声が響き渡る。静かに毛先を揺らすような風が吹いて、照り付けていた日差しの残り香と湿気とを追いやる。振り返るほど人生を歩んでいる長さはないのに、遠い昔へと思いを馳せたくなるような。
家に戻ったのち、その足で祖母の墓参りへ行った。とはいえ、自分が生まれる前に亡くなったその祖母には、祖父の部屋に置いてある一枚の写真以上の印象はない。毎年お盆になるとおじいちゃんは決まって墓参りへ、と言う。彼は口数の少ない人だ。脳梗塞にかかってからは一層喋りづらいらしく、多くは語らない。だから二人が一体どんな夫婦だったのか、その雰囲気を知るすべはない。墓参りへ、と言うおじいちゃんの様子からは、それを単に儀礼的に言うのか、喪った祖母のことを思ってのことなのか、計りかねた。道すがら、おじいちゃんは、
「あの、エイコさんは元気か」
と父に尋ねた。父はハンドルを握ったまま、
「いやあ、どうも亡くなったみたいね、この間喪中はがきが来ていたから」
とあっさりと答えた。おじいちゃんは千葉の医者一家の生まれで、実家とは縁を切って船乗りになった。今になっても実家とは連絡を取らないままで、この間、叔父が死んだといって父は葬式へ行ったが、おじいちゃんは直接の兄に当たるその人の死に際しても連絡一つ取らなかったらしい。だから、おじいちゃんが親族の話をするのは、それが祖母方の一家のことでも珍しく思った。
「そうなんだ」
とおじいちゃんは何回か言ったあと、
「あの人は俺と同い年だ」
といった。すると父はしきりに
「そんなことはないでしょう、だってエイコさんはおかあさんの妹でしょう」
という。おじいちゃんは喋るのが大変なようで、手に持った白いタオルを左右に振りながら、
「違う。エイコさんより、お母さんの方が、下」
と答えた。父はそれに再び色々とまくし立てていたが、億劫なようで、もうおじいちゃんは返事をしなかった。
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