第61話 この村じゃ常識なんだ?

 夜は暗い。

 東京の家やいま瑠姫るきが住んでいる家と違って、街の明かりがぜんぜん見えない。

 こんなに暗い夜はこの村でも初めてだ。瑠姫がこの村にいたころはホテルが夜まで明るかったから、夜空もほの白くてずっと明るかった。

 遠く、どこかの灯台の光の筋が回って行って、沖を定期的に照らしている。

 左のほうでは漁港の突堤の灯台が緑と赤の明かりを灯している。

 白い蛍光灯の灯ったその「二階の座敷」の窓のところに並んで、窓枠にべたっと腰を下ろし、瑠姫と幸織さちおは沖を見ていた。

 窓枠の外には、板の目隠しと手すりがついていた。昼に幸織が言ったように、ここの見晴らしがいいということは、外からも見えるということで、それでもあんまり近くからは見えないように、手すりにこの目隠し板を張ったのだろう。

 その板と手すりがあるので、窓枠に腰かけても外に転落する心配はない。

 今度は虫除けのスプレーはしていないけれど、部屋のなかに四か所ぐらい蚊取り器をつけていた。

 幸織が帰って来たときには夜九時を回っていた。でも部下の失敗のフォローはうまくいったらしく、上機嫌だった。

 それから、幸織のお母さんとおばあさんが用意した、十品以上の晩ご飯を食べ、お風呂に入って、ここに上がってきたのだ。

 瑠姫が結生子ゆきこに会った話をすると、

「ああ、結生子がときどき村に来てるって、ほんとだったんだね」

と言って幸織は目を細めた。

 風はない。海辺のことで、空気はじとっと湿っている。

 昼間のような暑さはないけれど、その空気に体をさらしていると、それだけでも汗がにじむ。

 「そんな話があるの?」

 「まあ、ね」

 幸織は穏やかに笑う。

 「そのさ、瑠姫がきいて来た、その還郷家かんごうけのあいだでは噂になってるよ」

 「ああ」

 またそういうのが出てきた。

 「それってこの村じゃ常識なんだ? ぜんぜん知らなかったよ、わたし」

 「それ、って?」

 幸織がきく。瑠姫が答える。

 「その、帰郷家きごうけと還郷家っていうの」

 「ああ。瑠姫のところのお父さんお母さんは、そういうの嫌いだったからね」

 幸織はくすんと笑う。

 「うちのおじいちゃんもだったよ。あとでおばあちゃんからきいたんだけど、うちのおじいちゃんは、もうそういうのは自分たちの世代で終わりにして、これからは帰郷家も姫社ひめしゃの祭りに参加するようにしよう、とか言ってたらしいんだけど、その、結生子のおじいさんが絶対反対でさ」

 「姫社の祭りって?」

 十年以上も村にいて、そんなのはきいたこともない。

 「還郷家だけでやるんだよ」

 幸織はやさしく言った。

 「しかも、帰郷家にはわからないように、還郷家だけで家のなかで何かおまつりして、それで、還郷家の人だけで家を訪問しあったりするんだ。それも、お祭りのために訪問してるってわからないようにしてさ。ま、還郷家の子に言わせると、それがスリルで楽しいらしいんだけど」

 「ああ、それで」

 昼に感じた疑問が、一つ解ける。

 「それで、わたしたちにはお祭りがなかったんだ」

 「そういうこと」

 幸織は、言って、遠くの海を見る。

 手に持ったうちわをゆっくりと動かしている。

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