第24話 瑠姫、泳ぐの慣れてるね

 泳ぐのは今年になってから初めてなので、泳げるだろうかと思っていたが、何の違和感もなく泳げた。しかも、海で、足の着かないところなのに。

 これならば、もっと海岸から遠いところで遭難しても、泳いで助かることができる。

 そんなはずはないと思ったけれど、泳いでいると、最初に持っていた恐怖感はなくなってきた。

 しかも、ゴーグルを水につけて見ると、遠くに海の底が見える。そこまで十メートル以上もあるのだとしたら、ほんとうに海がきれいなんだ。

 最初は白と黒のまだら模様のようで、何なのかわからなかった。進みながらしばらく見ていると、砂地が続き、そこは白く見えて、ところどころに黒い岩が盛り上がっているのだとわかる。

 底の砂地には泳いでいる瑠姫るきの影がときどきシルエットになって映っていた。自分の姿を映した影と向かい合っていると、何か気恥ずかしい。

 泳ぐのをやめて立ち泳ぎに変える。心臓はとんとんと速く打っていたし、息も短くなっていたけれど、体は軽かった。海に包まれているとこんなにも心地いいんだと感じた。

 後ろから、ぎゅうっ、ぎゅうっとのどかな音がする。振り向いて見ると、幸織さちおがゆっくりとオールの音をさせながらボートを漕いで来たのだ。ちらっと振り向いて瑠姫の居場所を確かめると、その沖側にボートを進めて、オールを水に立てて瑠姫の横で止めた。横と言っても、五メートルぐらいは離れている。

 幸織がこちらを見る。瑠姫は、立ち泳ぎしているあいだ、ゴーグルを上にはずした。

 「瑠姫、泳ぐの慣れてるね。あいかわらずだね」

 瑠姫はお返しにふふんと笑って見せる。

 でも「あいかわらず」なのだろうか。瑠姫自身にはわからない。

 前は海辺に住んでいて、夏になったら幸織や結生子ゆきこと泳ぎに来るのがあたりまえだった。もちろん、同じ村でも、泳ぐのが好きでなく、授業のとき以外には海に出てこない子もいたけれど、この三人は時間があればいつも泳いでいた。お嬢様の結生子も含めて。だから、自分が泳ぐのに慣れているかどうかなんて意識したこともなかった。

 瑠姫は海面から顔を出したままふうっと息をつく。

 あらためて、あたりを見回した。

 左には、さっきいた崖の続く岬が見える。それほど泳いだつもりはないが、その崖は遠くなっていた。そこから体をボートの反対側へと動かすと、ボートを出した海岸の海水浴場が見える。そこで動いている子どもたちや大人たちが小さく見える。

 ああ、これは、ここで幸織に見捨てられたら、ほんとうに機器検査会社OL失踪事件になってしまう。

 いまは、そんなことが、軽く、冗談として考えられる。

 海水浴場の後ろが村だ。ここから見ると、ひな壇のように段を作りながら高くなって、その段ごとに家が並んでいるのがよくわかる。

 どれが幸織の家かまではわからない。海水浴場に近いほうの家のどれかだ。瑠姫の家だった家は海水浴場より左側から斜面を上のほうまで上がったところのはずだが、これもわからない。だいいち、あの家がいまもあるのかどうか、瑠姫は知らない。

 幸織の家の背後、二段ぐらい上にぽっかりと不自然に開いた空き地は、あの「いわし御殿」の跡地なのかも知れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る