第23話 何かあったら、助けに来てよ
ボートは普通のボートより幅が広くて安定しているので、ボートのへりに腰を掛けても、ボートをひっくり返すことは心配せずにすんだ。
「ぷはーっ!」
と大きく息をついた。閉じていた目を開く。とたんにまぶたの上から流れてきた水が目に入って、目に痛みが走った。
手を目にやろうとするのだが、足が着かないので泳いでいないといけない。軽く足を平泳ぎのように動かしてボートのほうに戻り、へりにつかまる。
上から
「海なんだから、ゴーグルつけとかないと海水が目にしみるよ」
と言う。
「ああ、うん」
そうだった。海辺の村で育ち、毎年、この海で泳いでいたのに、そんなことも忘れていた。
頭の上に上げていたゴーグルを目の上につけると、幸織も照れたように笑って、バッグから取り出したサングラスをかけた。そんなところまでお揃いにしなくてもいいと思うけれど、海の上は
そういえば、あの
瑠姫はボートのへりに手をかけたまま幸織を見上げる。
「ここって、深さ、どれぐらいかな」
「さあ」
色の濃いサングラスをしているので目もとはわからないが、口もとは笑っている。
「十メートルは超えてるんじゃない? 二十メートルとか、三十メートルとか……」
そして、おかしそうにころころと笑う。
瑠姫はぞっとした。それでは足が着かないどころではない。
いまこのまま幸織がボートを漕いで浜に帰ってしまえば、瑠姫はおそらくどこにも帰り着けない。
機器検査会社OL、海で行方不明……。
「気がついてみたら、あの子の姿が見えなかったんです」
と涙で声を詰まらせながら語る、昔からの親友、
自分で見捨てて溺れさせておいて、何を言ってるんだ!
……などとサスペンスドラマの一場面を想像して幸織の顔を見上げると、幸織も笑って瑠姫を見下ろしていた。同じことを考えていたのかも知れない。
瑠姫は足の着かない海が怖い、と思われるのも、何か腹立たしい。そこで
「ちょっと泳いでくる!」
瑠姫はボートのへりを突き放して、思い切って泳ぎ出した。五メートルほど行ったところで、立ち泳ぎして幸織に言う。
「何かあったら、助けに来てよ」
「ああっ!」
幸織は驚きの声を上げた。何に驚いているのかはわからない。
「何?」
幸織が本気で驚いたときにはもっと慌てるだろうから、たいしたことではなさそうだが。
「浮き輪持って来るの忘れた」
「はあ?」
たしかに、中学生のころまで、浮き輪は幸織が海に来るときの必須アイテムだったが……。
「浮き輪持ってないと、瑠姫に何かあったときに助けられない!」
そういうことか。
ライフセービングでは、溺れかけている人にまず浮き輪を投げて、その人が浮き輪につかまって落ちついてから近づく、という話をライフセービング部出身の男の後輩にきいたことがある。
「まあいいよ」
幸織は一人で納得している。「まあいいよ」のあとは、「瑠姫のことだから、溺れても死なないだろうから」と続くのだろうか。
「ボートで瑠姫のあとずっとついていくから」
違った。
「だから、あんまり気にしないで泳いでていいよ」
「うん。わかった」
瑠姫は、水のなかにいちど頭まで沈むと、浮き上がって、いきなりクロールで泳ぎ始めた。
あの大きなボートを、幸織は一人で操っている。
瑠姫のクロールに着いてくることができるだろうか?
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