第18話 うみうみうみうみーっ!

 けっきょく、海に入りはしたものの、幸織さちおにとってもこの日の海は寒かったらしい。三十分も泳がないうちに上がって、もとの学校の制服に着替えた。結生子ゆきこ瑠姫るきは海に入る前よりも待たされた。幸織が髪を三つ編みに戻すのに時間がかかったからだ。髪を編むのなんかあとでいいと思うのだけど、幸織にとってはそうではないらしい。いちどベンチに出て待っていた結生子と瑠姫は、待ちきれなくなり、ロッカールームに戻って、無理やり二人で右と左を分担して幸織の髪を三つ編みに編んだ。結生子と瑠姫で結びかたが違っていた。結生子が結んだ側はボリュームのあるふさふさの三つ編みになり、瑠姫が結んだ側は平たいひものような三つ編みになった。

 「うわあ、瑠姫ってきれいに編むね!」

と、お嬢様の結生子はほめてくれた。幸織は右と左で長さもふわふわさも違う三つ編みになって、最初はむくれていたけれど、結生子の

「あんたがさっさと編まないのがわるいんでしょ!」

のひと言で沈黙した。

 最初は

「海水浴のあとはかき氷っ!」

と主張していた幸織も、制服に戻って海辺を離れたとたんに寒くなったらしい。

 「ねえ、いっしょに豚汁とんじる食べて帰らない?」

などと言い出した。この「豚汁食べて」というのは、あのルーローファンの店で、ルーローファンだけでなく豚汁もつけて、という意味だ。つまり、この海辺からまたあの坂道を上ってバスのロータリーのところまで戻らないといけない。三人ともまっすぐ帰ればすぐに家に着くのに、だ。それでもこのまま別れてしまうのが惜しかったのだろう。三人でがたがたぶるぶる震えながらその道を戻った。途中で、同じ中学校から戻ってくる先輩や同じ学年の子たちに、この子たち、なんでこんなに寒そうにして、しかも下校するのとは逆向きに歩いてるの、と怪訝けげんな顔を向けられた。温かい豚汁とルーローファンでようやく人心地がついた。ロータリーの、ほとんど屋台と変わらないような軽食の店でも、両方食べるとけっこうな値段だったと思う。こういうときはお嬢様の結生子が何も言わずに多めに出してくれた。

 そして、幸織は次の日は風邪で高熱を出して学校を休んだ。瑠姫と結生子は無事だったので、二人でいっしょにお見舞いに行った。

 そして、そんな目にったにもかかわらず、風邪が治ると幸織はまた海にみんなで繰り出そうとしたのだ。結生子は塾に通っていたし、瑠姫も理科部の部活があったので、いつもいっしょではなかったが、だれかいっしょに行ってくれる子がいるかぎり、幸織は海に出ていた。

 「うみうみうみうみうみうみうみうみうみうみーっ! うみーっ! うみうみうみうみーっ!」

 その声は、この二階の海に面した部屋に届く、海の波の音と同じように、いまでもどこかから聞こえている。

 だから、あの日から十数年後、幸織が

「海、行かない」

と答えたのが瑠姫には信じられなかった。

 それは、幻のように、海の波の音に紛れていまも聞こえる「うみうみうみーっ!」の連呼よりもずっと遠くで響いた声のようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る