第16話 うみーっ!

 「うみーっ!」

 幸織さちおは叫んだ。

 「うみうみうみうみうみうみうみうみうみうみーっ!」

 「あんたねぇ」

 瑠姫るきがあきれて声をかける。慣れっこになっているとはいえ、言わないではすまない気もちだった。

 「朝から晩まで、一年じゅう海見て暮らしてるんでしょ? なんでそんな大騒ぎする必要あるかなぁ?」

 しかも、三人の家のなかで、この幸織の家がいちばん海に近いのだ。

 「それはさあっ」

 幸織はいっそうテンションを高める。

 「見てる海と泳ぐ海は別だからなのだーっ! 今日から海で泳げるーっ! ばんざーいっ!」

 瑠姫は対抗していっそうテンションを低める。

 「まだこんな寒いのにわざわざ海出て泳がなくていいじゃない? 雨も降ってるっていうのに」

 「何言ってるのっ!」

 幸織は言い返した。

 「これで晴れちゃったりしたらよそからいっぱいお客さんが来ちゃうでしょ? あのホテルのお客さんがみんな海に下りてくるんだよ! だったら海を独り占めできないじゃない? こんな天気だから海を独り占めできるんだよ。うみうみうみうみうみうみうみーっ!」

 後ろからグリーンのビニール傘をさして行く瑠姫と、こんなときにも背筋を伸ばして、何も言わずに大人びた微笑を浮かべ、紺色に赤の縁取りのある木の柄のおしゃれな傘をさして行く結生子ゆきこと……。

 梅雨のまっさなか、いま知っていることばで言えば「梅雨寒」の雨の日の教室で

「海開きしたから、海行こうっ!」

と宣言した幸織についてきたのはけっきょくこの二人だけだった。

 いや、最初はだれも反応せず、幸織がもう一度

「海開きしたんだから、海行こうっ!」

っと繰り返し、それでもだれも反応せず、しかし幸織は

「せっかく海開きしたんだから、海行こうよっ!」

と大声で言ったので、瑠姫と結生子が顔を見合わせ、小さい声で

「じゃ、行こうか」

と答えたのだ。答えてくれたのが二人というのが幸織には不満のようだった。でも

「よーし、決まりいっ!」

と大声で言って、放課後、二人を海に引っぱってきた。

 その二人を引き離しては先に行き、引き離したことに気づいて戻って来て、でもまた引き離して先に行ってしまう。

 幽霊松の向かい、馬塚うまづかの横の急な坂を、雨が降っているのにいっさんに駆け下りる。幸織は小学生が履くような赤いゴムの長靴、瑠姫は学校指定の革靴、そして結生子は大人びた黒のショートブーツだったと思う。幸織が坂の下まで走り下りたときにはまだ瑠姫も結生子も坂のまんなかあたりだった。幸織は、待ちきれないで、いちど戻って来てまた二人を引き離して駆け下りるというむだなことをやった。

 雨のなか、二本の長い三つ編みを頭の後ろにひるがえして。

 それで、結生子は「いわし御殿」に戻り、瑠姫は二人の家からは少し離れたところに住んでいたのでその家に戻り、それぞれ水着をとってきて、幸織の家の前に集合した。

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