第11話 ああ、ヴァンセンヌだったか

 道は「幽霊松」と書いた木の看板のところで大きく曲がっている。まっすぐ行く道もあるが、その道はすぐにガードレールに突き当たり、行き止まりになっている。その手前に何台か自動車が停めてあった。

 その看板の後ろの松の木が「幽霊松」らしい。でも何本か同じくらいの高さの松があって、どれがその「幽霊松」なのかはわからない。その看板も古び、まんなかでひび割れていて、かろうじて「文字が書いてある」のがわかる程度だ。瑠姫るきがその字が読めるのはあらかじめ何が書いてあるか知っているからで、いまはじめて見たのだったらとうてい読めないだろう。

 幽霊松の向かいに「馬塚うまづか」と書いた小さい「塚」もある。まわりをコンクリートで固めてあって、コンクリートの階段を二十段以上も登らないとその「塚」の前まで行けない。しかもその階段の入り口は鉄の扉があって、鍵をかけて閉ざしてある。

 鉄の扉といっても膝ぐらいの高さしかないので、中学生のころ、村の外の子も含めて何人かでその扉を乗り越えて「塚」まで上ってみた。上ってみると、たしかに村は一望できるし、海も見えるのだが、道から見るのとたいして変わらない。「塚」の上は狭い芝生になっていて、そこにはさっきの看板以上に古びたほこらがあった。供えてあるさかきが枯れてひからびていて、とてもだいじにおまつりされているようには見えなかった。芝生だって、ところどころ枯れて剥げていたり、逆に背の高い雑草が伸びていたりで、みすぼらしかった。その芝生の縁のところで、幸織とか、あの結生子とかといっしょに並んで座ろうとしたのだけど、足の下がコンクリートの急な崖で、落ちるとたいへんなので、やめた。なんだ、こんなところか、などと言いながら、さっさと戻ったのを覚えている。

 なぜ「幽霊松」という不吉な名まえの松があり、その向かいに「馬塚」という塚があってほこらが祭られているのか、瑠姫は知らない。塚というからにはお墓なんだろうけど、馬をまつっているにしては大きなお墓だ。名馬のお墓なのか、それとも馬にちなむだれか人間のお墓なんだろうか。親は何かいわれを知っているらしかったが、お母さんは「ただのつまらない言い伝えよ」と言って話してくれなかった。瑠姫がしつこくきけば教えてくれたのかも知れないが、瑠姫もそこまでの興味はなかった。

 いまも、ない。ただ、あのころ、もう一回ぐらいきいておけばよかったかな、とは思った。

 この幽霊松と馬塚から、道は、これまでと違って急な坂になり、狭くなり、舗装もコンクリートになる。この坂のおかげで、車は小さいサイズの車しか村には入れない。また自転車で上ろうとしたらたいへんで、乗ったまま上るのはまず無理、押して上っても上に着いたころには息が切れている。さっきすれ違った大きい乗用車などとてもここの坂を上り下りすることはできないから、坂の上のガードレールの手前に置いていたのだろう。

 その坂を半分ぐらい下ると、斜め上に大型のホテルの残骸ざんがいが見えてくる。

 屋上の大きな看板がまた残っていた。青地に星をいくつもあしらったデザインは、いま見ると派手すぎてラブホテルのようだ。そこに「ホテル・ヴァンセンヌ」という字が読める。見上げて瑠姫が

「ああ、ヴァンセンヌだったか」

とひとりごとで言うと、幸織さちおがすかさず

「そう。ホテル・ヴァンセンヌ」

と答える。

 五階建てで、幅は客室十室分ちょっとぐらいだろうか。市街地に立っていれば目立つこともない建物で、ちょっと小ぎれいでこじんまりしたマンションという程度だ。しかしこの海辺の村にこの大きさは目立つ。

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