第9話 ね? 見てのとおり
そのころの
その結生子のおじいさんは、区長さんとかではなかったけど「村の有力者」だったらしい。それで、それ以後、瑠姫や幸織は結生子の家に入れてもらえなくなった。
当時はそんな事情は知らなかった。それを知ったのは、瑠姫が高校生のころ、瑠姫の一家がこの村から東京に引っ越してからのことだ。お母さんが、ふと、東京でのご近所さんに
「小さいころからこの子はやんちゃでね、お友だちの家の大きいお屋敷に遊びに行って大暴れして、二度とうちに入れるな、って言われたことがあるの」
と言ったので、ああ、それがあの結生子の家のことか、と思い当たったのだ。
そのころは、
「だって、結生子ちゃんのお屋敷に行ったら、瑠姫、迷子になっちゃうでしょ?」
というお母さんの説明に、不満は不満だったけど、納得していた。そのときには
「じゃあ、大きくなって迷わなくなったら、ユキちゃんのところに行ってもいい?」
と言った覚えがある。でも、そのあと、そんな願いは忘れてしまっていた。
子ども心にも、結生子のお屋敷には行かないほうがいいと感じていたのだろうか。
それからは、外で遊ぶか、結生子が瑠姫か幸織の家に来て遊んでいた。
結生子の家は、その「御殿」の隣の家を民宿にして貸していた。「御殿」ほど立派で大きくはないが、同じように堂々とした構えの家だった。しかも、瑠姫が甲峰を出るときには、その民宿のほうにさらに新しい建物を新築しているところだった。
その結生子の一家が村を出てしまうなんて。
何かあったのだろう? でも、瑠姫はきかなかった。
ずっとなだらかな下り坂だ。いまもせみの声は響いている。でも昔はもっとせみがたくさん鳴いていたと思う。
左側の崖が低くなって道からも海が見えるようになる。背の高い松が何本も植わっていて、海が見えるのはその向こうだ。右側には大きい空き地が見えてきた。
「あ……」
「ね?」
瑠姫は「あ」のあとに何も言わなかったのに、幸織にはその意味が伝わったようだ。
「見てのとおり」
大きいロータリーの跡だ。
瑠姫がいたころには、そのロータリーの右手にバスの停留所、その向こうにはタクシー乗り場があった。ロータリーのまんなかにはバスとタクシーが何台かずつ停まっていた。奥には駐車場に下っていく道が続いていた。まわりには、待合室や事務所が入ったバス会社のビルがあり、みやげ物店や軽食のスタンドが並んでいた。
ここの軽食屋さんの「ルーローファン」という豚角煮と豚挽肉と固ゆでたまごのどんぶりを中学校の帰りにみんなで食べるのが楽しみだった。みんな、というのは、主に瑠姫と幸織と結生子だったが、ほかの子が混じることもあった。
あるとき、ばれて、お母さんに怒られ、あきれられた。帰りに買い食いしてくるだけでもよくないのに、よくあんな大きい丼物を食べて晩ご飯が入るわね、と。それでもやめなかった。いま考えれば、よく結生子が家の外での買い食いを許してもらえていたものだと思うが、あのころはそんなことまで考えもしなかった。
それに、いまでは、あんなに食べてよく太らなかったな、と思う。それが太らなかったからふしぎだ。それが中学生ってもんだろう、というのなら、中学生という時期そのものがふしぎな年ごろだ。
その停留所がもう跡形もない。いや、跡形だけが残っていた。
入り口には黄色と黒のロープが張ってある。ロープはその色がいまもあざやかなのに、そのロープを通している杭はもう錆びている。ロータリーの店はどれも閉まって、茶色い板が打ちつけてある。「とうもろこし」という黄色い看板だけが、
あのルーローファンの店がどこだったか、いまでは見分けもつかない。待合室のあった建物は取り壊されていて、コンクリートの上に不自然に柱の跡だけが残っていた。
駐車場へ下っていく道の上には木の橋がかかっていた。上でルーローファンを食べたりドーナツを食べたりじゃがバターを食べたりしていると、ときたまその下を頑丈そうな車が勢いよく走って行った。
いま、その駐車場への坂には柵が置かれ、橋のところには赤いコーンが置いてある。もう木が腐っていて歩いて渡れないのかも知れない。
近くで鳴いているのはせみが一匹だけだ。
あのホテルはほんとうになくなったんだ……。
瑠姫は、何も言わず、できるだけそちらも振り向きもせず、そのターミナルを横に見ながら通り過ぎた。
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