誰にでも分け隔てない完璧美少女の秘密を知ってしまった結果

ヨルノソラ/朝陽千早

秘密を知った結果

「今日この後って、予定空いてるかな? もしよかったら、一緒にどこか遊びに行きたいなって思ってて。できれば二人きりがいいな、なんて」

「この後、予定があるんだ。他の人を誘ってくれるか?」

「よ、予定ってなにかなぁ。あ、私とデートしてるって思われるの危惧してる? 大丈夫だって。二人きりで出かけたくらいで、一々噂立ったりしないよ。だからね、私と一緒に──」

「…………」

「って、うぉおおい!! どうしてこのタイミングで帰っちゃうの!? まだ、話の途中なんだけどな!? え、ま、待って! 待ってってば! うぅ……なんでこの私がこんな目に……」


 背後から耳鳴りがしそうなほど甲高い声が飛んでくる。


 ただ、それでも俺は歩みを止めない。


 綾瀬天音あやせあまね

 ウチの学校で、その名前を知らない人は少ないだろう。


 ルックスがよく、愛想もよく、性格は明るい。

 三拍子揃った、非の打ちどころが見つからない美少女。


 男女問わず人気がある、学園ものの作品に出てきそうなほど、見た目も中身も完璧な女の子だ。


 そんな生粋の美少女たる綾瀬さんは、俺のようなパッとしない男子に付き纏っていたりする。


 まぁ、俺が彼女の秘密を知ってしまったからなのだけど。


 以降、綾瀬さんは俺の周りをうろちょろと徘徊しては、突っかかってくるようになった。


 その都度、俺は冷めた対応をしているのだけれど、今のところ効果はない。それどころか、日々、悪化の一途を辿っている気がする……。


「──待って! 待ってってば! 先に行くなんてひどいよ!」

「いや、だから予定が」

栗平くりひらくんがまっすぐ家に帰ってるのは知ってるよ。嘘つかないで欲しいなっ」

「……用件があるならこの場で済ませてくれないか」


 俺はピタリと足を止めると、綾瀬さんと目を合わせる。


 彼女はぎこちない笑顔を携えながら、ヒクヒクと頬を揺らした。


「こ、ここだと話しにくい内容なのが分からないかなぁ」

「前にも言ったけど、他言する気はないって言ってるだろ」

「し、信用ならないから。とにかく、二人きりになれる場所に──」

「断る」


 ぴしゃりと断言すると、綾瀬さんはキュッと唇を引き締める。


 目尻に涙を浮かべて、


「うぐっ……。どうしてそんなに、私のことを雑に扱うの? そんなに私と一緒じゃ嫌かな。もっと私のこと見てほしいな。ね?」

「だから断る」

「なぁんでよおおおおおおおおおおお!?」


 その場で崩れ落ちる綾瀬さん。

 俺はその隙に、彼女を振り払い、駆け足で昇降口を目指していく。


 偶然居合わせた周囲の人が、綾瀬さんの変容に当惑していた。


 関係者だと思われたくないので、俺は何食わぬ顔で昇降口を目指していく。


 はぁ。

 どうすればこの由々しき事態を打開できるだろうか。




 ★




 突然だけれど、私、綾瀬天音あやせあまねは可愛いと思う。

 自我が芽生える以前から『可愛い』と幾度となく称賛されてきたし、可愛くあるために数多の努力を行ってきた。


 人当たりのいい性格を維持できるように気をつけ、誰にでも分け隔てなく笑顔で接することを心掛けてきた。


 でも。

 こうして良い子を続けていると、どうしても付き纏ってくるものがある。


 それは『ストレス』といって、私を蝕み、心をすり減らしていった。


 だから、私にはストレス解消が必要だった。


 必要だったんだ。



 私のストレス解消には色々あるけれど、最たるは同人誌作りだった。


 同人誌。

 自分のことながら、どうかしているとは思うのだけど、好きな漫画の女の子のキャラクターが可哀想な目に合う同人誌を書いている。もちろん、18禁指定。


 知り合いの同人作家はBLものを書いてる人が多いから、私は少し珍しいタイプかもしれない。まぁ、そんなことはどうでもよくて、とにかく私には同人誌というストレス解消があった。


 当然、学校の人には誰にも言ってない。言う予定もない。


 同人誌は校内における私のイメージからかけ離れているし、おいそれと人に言える趣味じゃないからだ。


 だからその日。

 私の人生は幕を閉じたのだと悟った。


 夕陽が差し込み、オレンジ色に輝く教室。

 床に散らばっているのは、制作途中の同人誌。


 間違ってバッグに入れたままにしていたものを、転んだ拍子にぶちまけてしまった。


 そしてあろうことか、日直当番で居残り作業をしていた男子に目撃されてしまった。


 時計の針が止まったような、不思議な静寂。


 私は正気を取り戻すと、くノ一のように、素早く原稿を回収する。……教科書取りに戻るんじゃなかった!


「あ、え、えっと、こ、これは、その、な、なんていうか」


 動揺しすぎて言葉が出てこない。


 間を埋めるように、とりあえず声を上げていた。


「……絵、上手なんだな」

「へ?」


 栗平くんは原稿を一枚持ち上げると、何食わぬ顔でポツリとこぼした。


「はいこれ」

「あ、ありがと」

「じゃ、俺はもう行くから」


 栗平くんはバッグを肩にかける。

 私は咄嗟に、彼の手を掴んで。


「ま、待って!」

「……?」


 特に表情を変えないまま、栗平くんは小首をかしげる。


「引かないの?」

「多少驚きはしたけど、別に引いたりしない」

「……え、えっと、じゃなくて! これは私のじゃなくて、えっと、その、お、弟のやつで!」

「そうなんだ。じゃ、俺はこれで」


 栗平くんは我先にと、教室を出て行こうとする。


 なんで引かないの? 

 もしかして栗平くんも同人誌書いてるとか? 


 いや、てか、まずい! 

 まずいまずいまずいよ! 


 知られちゃいけないこと、知られた! 


 私の秘密、知られちゃった⁉︎


 同人誌なんて、普段の私のイメージからかけ離れている。

 誰にでも優しい天使みたいな存在──それが、綾瀬天音なのだ。


 綾瀬天音は、人様に言えない趣味をもっている女の子じゃない! 


 清楚で可憐な女の子なんだ。じ、自分で言うのもアレだけど。

 とにかく、知られてしまった以上、看過はできない。


「だ、誰にも、言わないで」


 私は、今にも消え入りそうな声で、栗平くんに懇願する。


 今の私にできることはお願いすることだけだ。


「ん? うん、わかった」

「わ、わかったって、いや、交換条件出してきたりしないの?」

「交換条件?」

「秘密にする代わりに、え、えっちなことさせろ的な……」


 頭が真っ白になりすぎて、変なことを言い出す私。


 けど、もし栗平くんが望むなら、私は従うしかない。

 私の秘密を、クラスのみんなに知られたら私が作り上げてきたイメージが瓦解する。


 好感度が高い人ほど、粗が出るとアウト。一瞬で転落してしまう


「気軽にそう言うこと言わない方がいいと思うぞ」

「……っ。で、でもそうしないとバラすんでしょ?」

「だから言うつもりないって。てか、弟さんのやつなんじゃなかった?」

「あ、そ、そうなんだけどね!」


 栗平くんは、バッグを背負い直すと。


「じゃ、俺、行くから。誰にも言わないから安心して」

「……あ、うん。ばいばい」


 栗平くんは、軽やかな足取りで教室を出ていく。


 私は彼の後ろ姿を目で追うことしかできなかった。




 翌日から、私は栗平くんへの接触を開始した。

 やはり、彼が誰かに言いふらす危険を拭い切れなかった。


 根本的に、私は他人を信用していない。


 みんな裏の顔を持っていて、都合が悪くなれば平気で嘘を吐いてくる。


 栗平くんだってきっとそうだ。

 面白話として、誰彼構わず言いふらして回るかもしれない。


 あるいは、急に気が変わって、私のことを脅してくるかも……。


 だとすれば、早いうちに手を打っておいた方がいい。

 できることなら、私にも武器が欲しい。


 栗平くんの秘密を手に入れたい。


 その一心で、私は栗平くんに幾度となく接触を繰り返した。


 けど、いずれも実を結ぶことはなく、気がつけば、私はおかしくなっていた。

 寝ても覚めても、彼のことを考えるようになった。ずっと彼のことばかりを見ている。授業の合間に、彼の似顔絵を書いたりしちゃってる……。


 彼はいつだって素っ気ないけれど、わずかなコミュニケーションで私の気持ちは高まって、息をするのも苦しくなってしまう。


 全部……全部、全部、栗平くんのせい! 


 もう訳わかんない! 


 栗平くんが、私の秘密を知らなければよかったのに!!! 




 ★




 高校二年生になってから、早いもので三ヶ月が経った。


 今のところ、席替えをする気配はなく、初期配置のまま。

 俺の席は、窓際から二番目の最前列だ。


 昼休み。

 購買が空くまでの時間をスマホをいじって潰していると、物凄い棒読みが隣から聞こえてきた。


「わ、私、今日、間違えてお弁当を二つ作ってきちゃった。ど、どーしよー」


 チラチラと、視線を感じる。


 明らかに俺を見ているが、ここは気にしない方が吉だろう。


「ど、どうしたらいいかな。栗平くん」

「誰かにあげたらいいんじゃないか?」


 名指しされた以上、無視はできなかった。


 そっけなく返事をする。


「そ、そうだよね。あ、栗平くんは、お昼ご飯食べないの?」

「あとで購買でなにか買う予定」

「じゃあ、栗平くんにあげようかなっ」

「本当か?」


 俺は、食費込みで毎月親からお小遣いをもらっている。


 日々の昼食代は、可能な限り削りたいと考えていた。


 タダで弁当がもらえるなら、乗らないわけにはいかない。


「あ、うん! あげるよ!」

「じゃあ、遠慮なく」


 綾瀬さんから弁当をもらおうと、手を伸ばす。

 が、綾瀬さんは弁当箱から手を離してはくれない。


「で、でも、一緒に中庭で食べることが条件だよ?」

「……わかった」

「今、タメがあった! 一瞬やめようかなって考える時間あったよね!?」

「そんなことは考えてない」

「私の目を見て言おっか!」


 あさっての方に視線を逸らすと、その一瞬の隙を逃すまいと指摘してくる。


 綾瀬さんと一緒だと目立つんだよな……。

 注目されず、平穏に、そつなく学園生活を送りたいと考えている俺にとって、綾瀬さんは天敵。


 距離を置きたいところだが、食費には変えられない。


「じゃ、行くか?」

「う、うん! 行こっ」


 綾瀬さんはなぜだか嬉しそうに返事をくれる。


 彼女の目的はおおかた想像がついている。

 あの日、俺が知ってしまった秘密に対する口封じだろう。


 俺は誰にも伝えていないし、今後も伝えるつもりはない。


 だが、どうにも信用されていないようだ。ここらでキチンと話をしておく必要があるな。



 中庭に移動した。

 比較的、夏でも涼しい方の地域ではあるが、七月ともなれば相応に蒸し暑くなってくる。


 こんな日に、中庭で昼食をとる生徒はおらず、閑古鳥が鳴く勢いだった。


 ベンチに腰を据え、俺と綾瀬さんは横並びで座る。


 弁当箱を受け取り、早速、中を開いた。


「あ、男の子は揚げ物が好きかと思って、唐揚げを入れてみたんだ。あと、卵焼きも作ってみたんだけど失敗しちゃって、ちょっと形は不恰好だけど、味は大丈夫だと思う! それから──」

「えっと、間違えて二個作ったんじゃないの?」


 その言い方だと、俺のために作ったように聞こえるんだけど。


 綾瀬さんはかぁぁっと頬を赤らめると、


「お、弟のためにね! 弟のために作ってたの! ただ、弟に渡しそびれちゃって」

「なるほど、そういうことか」

「……っ。べ、別に、私が栗平君のために作ったって誤解してくれてもいいけど」

「え?」

「な、なんでもない!」


 綾瀬さんはあたふたと両手を振りながら、俺から視線を外す。


「そ、そうか」


 俺は怪訝に思いつつも、早速、唐揚げをパクリと口の中に放り込むことにした。


 綾瀬さんは少し不安そうに俺を眺め。


「お、おいしい?」

「ああ、うん。美味しい」

「ほんとっ! よかったぁ!」


 満面の笑みを咲かせて、無邪気に喜ぶ綾瀬さん。


 綾瀬さんは一安心すると、自分の弁当箱を開ける。

 俺は弁当を食べ進みながら。


「──で、なにが目的なの?」


 わざわざ人気のない場所まで移動させられた。


 誰にも聞かれたくない話があるのだろう。


「い、いきなりだね。あはは」

「先に言っとくけど、俺は誰にも言ってない。今後も、言うつもりはないよ」


 これが俺の本心だ。


 綾瀬さんが同人誌を書いていたとか、俺にしてみればどうでもいいこと。けっこう過激な内容を書いていたが、それをネタにしようとは思っていない。


 人間誰しも、人には言えないことの一つや二つあるだろうしな。


 むしろ、学校での綾瀬さんは完璧すぎたから、ああいう一面があって少し安心したくらいだ。


「あ、うんっ。信用してるよ、栗平くんは言いふらしたりする人じゃないって」

「え、は?」

「私、変なこと言った?」

「いや、信用してるのか? 俺のこと」

「うん。最初はちょっと心配だったけど、誰にも言う感じなかったし、もちろん噂として広まってもなかった」

「そう、だけど。じゃあどうして」


 ここ一ヶ月程度の行動で、少なからずの信用は勝ち取れていたようだ。


 しかしそうなると、綾瀬さんの目的がわからない。


 釘を刺すのが目的じゃなかったのか? 


「あ、あのね……栗平くん」

「お、おう」


 綾瀬さんはいつになく大人しく、慎重に顔色を窺いながら切り出してくる。


 そのいつもと異なる雰囲気に呑まれ、俺の身体に緊張が走る。

 箸を弁当箱の上に置き、綾瀬さんの言葉をジッと待つ。


 そうしてしばしの沈黙を経てから、


「私と、付き合ってください!」


 全く予想していなかったお願いを、ぶつけてきたのだった。



 ★



 綾瀬さんは、俺が周囲に同人誌の件を言いふらさないか見張っていた。

 都度、接触を図ってきたが、俺は常に塩対応を続けていた。


 その結果、俺に”かまって欲しい”という感情が綾瀬さんの中で生まれ、気がつけば好きになっていたらしい。


 ちょっと理解に苦しむ展開である。


 俺は綾瀬さんに好意を抱かれる行動はしていない。


 なんなら嫌われてもおかしくないレベルだった。


 何はともあれ、綾瀬さんから告白された翌日。


 教室に入ると、放心状態の綾瀬さんがいた。

 漫画的な表現をするなら、口からぽわぽわと魂が抜け出している状態。


 全財産を失ったかのような、哀愁に満ちている。


 奇しくも俺は綾瀬さんの隣の席だったりするので、おそるおそる隣に座る。

 と、綾瀬さんは唐突に正気を取り戻し、居住まいを正した。


「お、おはよっ。栗平くん」

「おはよう」


 いつもと変わらない明るい声色。


 けれど、いつになくぎこちないのは昨日のことがあったからだろうか。


 彼女はチラチラと俺を見てくるくせに、目が合うとソッポを向いてしまう。


 お察しかと思うが、俺は昨日、綾瀬さんからの告白を断った。

 綾瀬さんは「私が同人誌を書くような人間だからダメなの⁉︎」と言っていたが、それが理由ではない。


 単に、綾瀬さんと付き合うことが想像できなかった。


 しかしだ。

 一晩考えてみて、少しばかり考えが変わった。


「その、……友達からでいいなら」

「え?」


 黒板の方を見ながら、ポツリと切り出す俺。


 綾瀬さんはパチパチとまぶたを開け閉めしながら、呆けた声を上げる。


「い、いきなり付き合うとかは難しいから、友達から始めるってことなら」

「え、そ、それって、その、ええええええええええええええ!?」


 校舎を揺らす勢いで、大声を上げる綾瀬さん。


 クラスメイトからえらく注目を集めてしまった。


 くっ……。

 目立ちたくないのに、綾瀬さんが近くにいると目立ってしまう。


 やっぱり綾瀬さんには近づかない方が、いや、でも、理由はどうあれ俺のことを好きだって言ってくれる女の子を無下にもできないし……。


 俺は席を立ち上がると、


「こっちきて」

「は、はい」


 クラスメイトの視線から逃げるように、綾瀬さんを連れて教室を出る。


 あとで質問攻めにあいそうだが、今は考えないようにしておこう。


 人気のない階段の踊り場に移動する。


「し、静かにしてもらえるか。いきなり叫ばないでくれ」

「ご、ごめんね。驚いちゃって。完全に、脈なしだと思ったから……」


 綾瀬さんはポツリと呟く。


「や、別に、そんなことはねぇけど」

「ほ、ほんと?」

「ああ、まぁ嫌なら断ってくれても」

「ううん! 友達から、友達からお願いします!」


 首を揉みながら、俺は投げやりに言う。

 綾瀬さんは顔を真っ赤にしながらも、笑みを咲かせていた。改めて見ると、やっぱり可愛いな……。


 綾瀬さんは一歩、俺との距離を詰めると。


「と、友達なんだから、これからは私のこと少しはかまってくれるよね?」

「あ、あぁ、たまになら」

「えへへ、じゃあ早速だけど、今日の放課後どこか遊びに行こ」

「い、いいけど」


 たじろぎながら、小さく首を縦に振る。


 綾瀬さんはふわりと微笑むと、俺の小指に、自分の小指をそっと絡ませてきた。


「うん。約束」

「……っ。お、おう」


 まさか、綾瀬さんの秘密を知った結果、こうなるとはな。


 些細なことで学園生活は大きく変わるようだ。


 綾瀬さんは至福の表情を浮かべると、照れ臭そうに小さくつぶやいた。


「……と、友達なら、同人誌作りの協力お願いしてもいいのかな。やっぱり、想像だけじゃなくて経験値あったほうが幅も広がるし……でも、そういうのはちゃんと付き合い始めてから……」


 俺、地獄耳だからこういうの聞こえちゃうんだよな……。


 どうしよう、綾瀬さんと友達になって大丈夫だったんだろうか。


 不安要素は多々あるけれど、あれこれ考えるのは未来の自分に任せるとしよう……。

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