真夏のよるのおはなし

一之森 一悟朗

単話 真夏のよるのおはなし

 山あいの小さな村に暮らす村人が深夜にひとり、田んぼのあぜ道を歩いていた。

その日はうだるような暑い夏の夜だったので、なかなか眠りにつくことができなかったのだ。家の外に出て、少しでも涼を求めようと夜の道をとぼとぼと歩いていた。


 カエルの鳴き声の大合唱が聞こえ、月明かりが照らす田んぼのあぜ道を歩きながら、ふと近くの山を見上げると、それまで真っ黒だった山の中腹に、ぽっと灯かりがともったのが見えた。その灯かりは上下に揺れたり、左右に行ったり来たりするような奇妙な動きを見せる。

こんな夜中に山道を歩く人もいないだろうと思って、目を凝らして見ていると、急にポツ、ポツ、と灯かりの数が山の中腹に増えていき、山肌をなぞるようにものすごい勢いで移動したかと思うと、やがてふっと消えてしまった。


 気味が悪くなった村人は、正体をつきとめてやろうと翌日の夜中もまた同じ場所から山の方を見張ることにした。深夜になると、先日とは違う方向にある山の山麓付近に5つの灯かりが現れた。空中に浮遊し、飛び回っているような不規則な動きを見せながら、山頂付近の方向へと移動していく。

「こりゃ灯かりを持った人間の動きでねぇわ」

村人は恐ろしくなり、急いで家へ帰った。


 翌日の村の集会で、昨晩見たことを皆に話した。

大正生まれの茂吉じいさんが口を開いた。

「そりゃあ、狐火だなぁ。うちのじいさんも昔からこの辺りでよく見かけたって言うとったよ。ほっておけば何もわりいことはしねぇし、狐火がでた年の秋は豊作になるっていうんで、皆で喜んでたよなあ」

「うちの婆さんは、ありゃお狐様たちが山の中で遊びよる姿やっちゃゆうとったよなあ」


 悪いものでないなら怖くないだろう。どうしても狐火の正体を知りたくなった村人はある日、狐火を最初にみた山の中腹付近まで登り、なだらかな斜面に生える大きな杉の木の根元に身をひそめるようにして夜を待った。


 その日の深夜、誰もいないはずの山の中で、遠くの方から赤ん坊がきゃっきゃ、きゃっきゃと喜んでいるような声が聞こえてきた。じっとりと汗ばんだ手のひらを握りしめながら、村人は声のする方向に目を凝らす。真っ暗な空間が広がっているばかりで、何も見ることはできなかったが、遠かった赤ん坊の声が徐々に自分のいる方向に向かって近づいてきていることは分かった。真っ暗な山の中で逃げることもできない村人は、姿勢を低くして杉の木の根元に身を隠して息をひそめた。


 こちらに近づいてきた赤ん坊の声が急に聞こえなくなったかと思うと、今度は落ち葉の上をがさがさと動物が走り回るような音がすぐ近くの山道から聞こえてきた。木の根元からそっと顔を出し、音のする方向を見たが、そこには何も見えなかった。うなだれた村人の背中を急に何かが強く押したので、村人はそのまま斜面を5メートルほど転がり落ちた。幸い、傾斜が緩やかな斜面だったので大事には至らなかったが、真っ暗な斜面では身動きもままならず、はやる気持ちをグッとこらえ、その場から動かずに夜が明けるのを待って下山した。


 早朝の村へ戻ってくると、朝の散歩をしていた茂吉じいさんと出会った。

村人が昨晩の山の中で、聞こえるはずのない赤ん坊の声が聞こえたことや姿のみえない足音が自分の近くで聞こえたことなどを話し終わると、じっと聞いていた茂吉じいさんが言った。

「お前の背中に小さな子供の手形がついとる」

「泥だらけの手でさわったのだろうなぁ」

村人はぞっとして腕に鳥肌が立った。

あの時、確かに姿のみえない何かが村人の近くにいたのだ。

茂吉じいさんからは、静けさを好むお狐様のくらしを興味本位でさわがしちゃあいかん、といって軽率な行動と夜の山は危ない、と心配されてこっぴどく叱られた。

 家に帰って脱いだ着物の背中には、くっきりと小さな子供の手の形に泥がこびりついており、村人の背中にも皮膚が赤く腫れ上がった領域が手の形となってくっきりと浮かび上がっていた。


 数日後、村人は村のお稲荷様にお参りをして、先日は騒がせてしまい大変申し訳ありませんでした、と心の中で謝った。

 その後は背中にあった手形も跡形もなく消え、村人は元気にすごしている。

今でもたまに遠くの山の中でふっと灯かりがともるのを見ることがあるが、きっとお狐様が遊んでいらっしゃるのだろうと思い、山に向かって手を合わせる。もう山の中に分け入って、狐火を待ち伏せすることはない。

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真夏のよるのおはなし 一之森 一悟朗 @obake_dr

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