第12話 大場
「どうしてあなたが――」
私は殺人鬼の顔を凝視していた。
黒い服を着て、黒い手袋をはめ、黒いフードをかぶっている。顔に血しぶきが飛んでいるから、白井美里を殺した人間であることは間違いない。
それは、私のよく知っている顔だった。
「――桜庭さん」
桜庭さんは悲しそうな顔で私のことを見ていた。私は混乱する。
「何か言ってください。これは、どういうことなんですか。何で――」
「調査した島でね」
静かな声。桜庭さんは正気だった。私の知っている、誰よりも洞窟のことをよく知っていいて、誰よりも優れた判断力をもつ桜庭さんその人だった。
落胆が私の胸をよぎる。彼が正気を失っていたら、少しは気が楽だったかもしれない。
「ある秘密を聞いたんだ」
「秘密ですか」
「うん。本当は、権蔵って人が教えてくれようとしていた。でも、彼は僕の目の前で死んでしまった。だから、無理を言って、院長に聞いたんだ」
要領を得ない。院長とは誰なのだろう。権蔵と院長は、桜庭さんとどんな関係なのだろう。しかし桜庭さんには、その辺りを説明する気がなさそうだった。
「その島にも、洞窟があってね。たまにいたずら目的で悪ガキどもが入り込む。それを救うための対応班があり、誰かが『ミズカラ』に入り込まれた時のためのサポート体制も充実していた。島ぐるみでね」
「ええ」
何と言えばよいのだろう。そんな島があるなんて、とでも反応すればよいのだろうか。残念ながら、白井美里を殺された私に、そんな心の余裕はなかった。
「でも、高い生存率を維持できるのは、それだけが理由じゃない。自分から入り込んだわけではない、『呼ばれ』てしまった若者たちを救うための、一つの裏技があるんだ」
「裏技?」
「若者が『呼ばれ』ていることを知った対応班は、洞窟で待ち構えて、若者たちを殺す。そして縄梯子――僕らで言うエレベーターまで運ぶ」
「殺すって……」
「ここへ『呼ばれ』た人たちは、エレベーターに乗り込むと、光に包まれて消えるだろう? そして、ベッドの上で目を覚ます。島でも同じだよ。縄梯子を上っていると、『呼ばれ』た若者たちは消える」
「殺したら元も子もない」
「違うんだ。この洞窟で死んだ人は『ミズカラ』に入り込まれて、目を覚ませば凶行に走る。でも、『ミズカラ』に入り込まれる前にゴールまで運ばれたなら、ベッドの上で生き返るんだ」
私の頭は真っ白になった。なんて恐ろしいことを、と思った。しかし同時に、これまで救えなかった人間の顔がよぎる。錯乱した人、ドッキリだと信じて疑わなかった人……。
この方法を使えば、確かにすべての人間を無事にクリアさせることができる。
「だから僕はこの洞窟に住み着いて、参加者を一人ずつ殺した。殺した人間は、エレベーターまで運んだ。だから、一回につき一人が限界だったのだけれど」
「だから『ミズカラ』たちを排除していたんですね。予定外の死者が出ないように」
「それと、僕の背負った死体に入り込まれないためにね」
しかし、桜庭さんのやり方には大きな問題がある。きっと白井美里も、その被害を受けるに違いない。
「殺された人間には、殺された記憶が残ります。きっと、鮮烈に。今後、トラウマに苦しめられる」
「命の方が大事だよ」
白井美里との会話が蘇る。施設長が彼女の不安を取り除き、彼女の抱える課題を具体化し、薄皮を重ねるようにして成長を導いてきた。白井美里もそれに応えようとしていた。
しかし、ここで新たなトラウマを背負ってしまえば、彼女の回復は大幅に遅れるだろう。もしくは、他の要因と結びついてさらに複雑化するかもしれない。
「命の価値について話しているんじゃありません。先輩が後輩を導いてクリアする。そのやり方がすでに確立されています。そんな過激な方法を取らなくても」
「これまでのやり方では、全員を救えない。僕は全員を救うためにやっている」
知っている。私たちのやり方では、生存率を高くキープするのが関の山だ。しかし、私はどうしても彼の主張を肯定できない。それで生存した人間は『ミズカラ』との闘い方も、洞窟の仕組みも知らないままだ。彼らに残るのは、殺人鬼に追い回された恐怖と、ひどく生々しい痛みだけ。先輩が後輩を導く体制は崩壊し、殺人鬼役だけが洞窟に縛られる。
「どうしてその方法に固執するんですか」
私の知っている桜庭さんならば、このやり口に否定的な態度をとるはずだった。そのことが少なからず私を混乱させている。何をもって、彼が今ここにたどり着いたのか、知る必要があった。
桜庭さんは黙った。視線を泳がせて、何かに思いを巡らせているように見える。今まで、自分がここまで頑なになっている理由を考えたことが無かったのかもしれない。
長い沈黙の後、彼は深い息を吐いた。そしてつぶやく。
「君野梨歩だ」
「彼女に、何の関係があるっていうんですか」
「彼女は今も昔も、僕の行動原理のほとんどを占めている。いいかい?」
きわめて理性的に、桜庭さんは言葉をつなぐ。
「先輩後輩の体制を続けるのならば、導き手は必ず必要になる。世代が変わったとしても、ややこしい事態が起きると、さらにその前の世代が頼られる」
私にも彼の言いたいことの予想がつき始めた。彼は、君野梨歩のためだけに、洞窟に潜んで殺人を繰り返してきたのだ。
「君野梨歩だって呼ばれるかもしれない。彼女が大きなけがを負ったのは知っているだろう。僕は恐怖を感じたよ。自分の世界のほとんどを占める人が、僕の前からいなくなろうとしている。しかも、二度も」
彼が言っているのは、君野梨歩と、その母親のことだろう。大切な人を失い、その娘を守ることにすべてをささげてきた桜庭さん。君野梨歩まで失えば、彼は生きるよすがを失うに違いなかった。
私たちは平行線だった。彼は君野梨歩のために。私は施設長と白井美里のために。守るものが違うのだ。私たちの考えが交わるわけはなかった。
「ひとまず、彼女をエレベーターに運ぼう。ぐずぐずしていて終わりの時間を迎え、彼女が再びここに『呼ばれ』るのは嫌だろう?」
それに関しては異論無かった。桜庭さんは慣れた手つきでナイフを引き抜き、白井美里の遺体を担ぐ。私はできるだけ彼女の方を見ないようにした。
はしごを降り、橋へと向かう。『ミズカラ』はまだ復活していなかった。松井と梶少年は、無事に現実世界へ戻ることができたようだ。滝がいつにも増して大きな音を立てている。無数の『ミズカラ』の腕が、しぶきの隙間に見える。
桜庭さんはエレベーターの中で白井美里を降ろし、ボタンを押した。そうして、エレベーターの外へと出てくる。
「安心するといい。彼女はエレベーターが降下する途中で消えて、施設のベッドで目覚める。恐怖心は刻まれているだろうが、刃物を持ち出すこともなければ施設の人間を襲うこともない」
合理的というのだろうか。それとも、人間性を欠いているというのだろうか。もはや、私には分からない。
「君はどうする?」
桜庭さんが問いかける。
「このまま君がエレベーターに乗って帰れば、僕が全てを引き受ける。一人の犠牲も出さないし、誰にも迷惑をかけない。悪意だって、すべて僕が背負う。それでも君が僕を止めたければ、受けて立とう」
「受けて立とうなんて、昔の桜庭さんなら言いませんでした。『ミズカラ』を抑え込めるだけの精神力がある人なのに、どうして――」
「精神力?」
桜庭さんは首をひねった。
「ああ、そうか」
手を打つと、古ぼけた手帳を差し出した。
「僕の研究成果がまとめられている。もう必要ないから、あげるよ。後でゆっくり読んでほしい」
「研究成果って」
「まだ仮説段階だけれど、調べて分かったことがあるんだ。僕たち、『戻ってきた者』について」
「『戻ってきた者』?」
「君の言う、『ミズカラ』を抑え込めた人間のことだよ」
それから桜庭さんは、これまでの調査の様子を語り始めた。
洞窟に呼ばれ、命を落としたと思しき患者たちは、以前のことを覚えていないこと。言語の運用能力に、著しい欠落が見られること。そのうち一名は、「コトバ、オボエタ」と嬉しそうに報告したこと。
「それと、権蔵さん――僕らと同じ『戻ってきた者』だよ――の最期を見て、すべてが分かった。彼は二匹目の『ミズカラ』に入り込まれ、僕と闘うことになったんだ。とどめを刺した後、彼の内側から二匹の『ミズカラ』が現れた。そのうちの一匹が、手間かけたな、って僕に言ったんだよ」
「どういうこと?」
「権蔵さんが言ったんじゃない、彼の内側から出てきた『ミズカラ』が言ったんだよ。これで僕の仮説は決定的になった」
桜庭さんが何を言おうとしているのか、私にはまだ分からない。ただ、胸の辺りがざわざわとし始めた。
「『ミズカラ』たちにはきっと言語能力がないのだろう。あるのは、凶行を引き起こすとんでもない衝動だけ。だけど、僕たちは違った」
「ええ」
私はうなずく。
私たちは違ったのだ。施設長の力で、私は『ミズカラ』を抑え込んだ。桜庭さんだって、大切な人の死を目の当たりにして『ミズカラ』を抑え込んだ。
「でも、それは『ミズカラ』を抑えたわけじゃない」
桜庭さんは視線を落とした。暗さのせいだろうか、彼が何倍にもやつれて見える。私の胸のざわつきは、まだ収まらない。
それを言ってはならない、と思った。まだ見当もつかないが、きっと私にとっても、よい結果をもたらすものではないことが感じられた。
「桜庭という人間はもうここにはいない。僕は、桜庭の記憶と言語能力を受け継いでしまった『ミズカラ』なんだよ。もちろん、君もね」
滝の音が消えた。
何も聞こえない。桜庭さんの言葉が私の中をぐるぐると駆け巡っている。それとともに、胸のざわつきがピークに達する。
だとしたら。
だとしたら。
――私は何だっていうのか。
私を抱きしめた施設長の顔がよぎる。
施設長の愛で『ミズカラ』を抑え込めたというのは、ただの妄想だったのだろうか。施設長の抱擁に、『ミズカラ』に受け継がれた大場スミの記憶が反応して、誤作動を起こしただけだったのだろうか。
私と桜庭さんは、『ミズカラ』たちにとっての失敗作だったのかもしれない。
桜庭さんは私を見つめた。どこまでも優しい目をしていた。そんなふうに見ないでほしい。もう何も言わないでほしい。
「本物の僕たちは、死んだんだ」
怒りに任せて、私はバッグから水のペットボトルを引き出した。キャップを取るのももどかしく、上部をねじり切って、頭上から水を振りかける。
一方で、私のどこかは、努めて冷静に話をしようとしていた。これは仮説。まだ決まったことではないし、証明されたわけでもない。それに本題を忘れてはならない。
「桜庭さん、すみません。今の話を鵜吞みにするつもりがないことは分かっていますよね」
「うん。今のは、勝手な僕の推測だ。動揺させてしまってごめん」
「本題に戻りましょう。私は、桜庭さんを止めます。桜庭さんの考えは理解できました。ただ、やはり納得はできない」
「うん。それでいいんだよ」
彼はエレベーターの前に立ちはだかった。
「向かっておいで。僕も遠慮なく、反撃させてもらう」
拳を握る。
水をかぶった状態で戦闘に入るのは初めてだった。どこまでの力が発揮できるのか、何もわからない。
橋の上を走った。
桜庭さんもこちらに向かってくる。
私の突き出した拳と、桜庭さんの構えた腕が激しくぶつかった。
呼ばれた者たち2 葉島航 @hajima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。