荒涼たる原野のゴルゴーン

 思っても見ない問題が生じました。体育から戻ってきたらなんと大切な物がなくなっています。


 私が裏図書室から借りた本が無くなっています。


 これは本当に由々しき事態です。何せ、返却期限が過ぎたら超過分は寿命で調整されてしまうのです。

 困りました。途方に暮れるとはこのことを言うのでしょうか。


 青ざめながらアタフタとリュックの中身をひっくり返している私に蛇塚さんが、近寄ってきました。


「何か探し物? 例えば、白い本とか?」

「そうです。それです」

 咄嗟に返答してしまいました。私の返事に満足したのか、蛇塚さんはニィタァと不吉な笑みを浮かべます。

 

 ちょっと引いてしまいました。


「その本なら、廊下の窓から落ちるのを見たわぁ。きっと裏庭に落ちてるんじゃなぁい?」

「ありがとうございます」

 お礼を言ってすぐに拾いに向かおうとしたところ、蛇塚さんに呼び止められてしまいました。

「終学活が終わってからじゃないと、怒られるわぁ」

「重ね重ねありがとうございます」

 確かに私の足では拾って戻ってきた頃にはみんなが下校しているでしょう。

 蛇塚さんは実はいい人なのでしょうか。


  


「さようなら」の挨拶を終えると私はリュックを背負い、学習用タブレットを手に持ち教室を後にしました。

 

 西日を校舎が遮り、濃い黒色の陰影の中を必死に探しましたが、本が見つかりません。蛇塚さんに騙されたのでしょうか。


「探し物はこれかしらぁ」

 陰湿な声につたれて顔を上げました。

 日陰の中からぬるりと蛇塚さんが現れました。 

 本は蛇塚さんのおかげで見つかりました。


 問題は、蛇塚さんが右手に鋏を持ち、左手に本を持っていることです。

 

「それです。その本です。ありがとうございます」

 返してもらえる可能性に賭けて、受け取ろうとしますが、サッと。身を引かれてしまいました。

 やはり、ただでは返してくれないようです。


「返して欲しければぁ。ここで全裸で土下座してお願いしてぇ」

「はっ?」

 思いもよらない要求をされてしまいました。 

 私の思考が現実についていかずに石化していると、だんだん蛇塚さんが苛立ってきました。


「嫌ならぁ、この本を切るわぁ」

 

 ちょきん。

 ちょきん。


 と音を立てながら大袈裟に鋏を動かし、ゆっくりと本へ近づけていきます。


「やめてください」

「ふーん。やめてほしいんだぁ。ならぁ、どうすればいいか分かるわよねぇ」

「全裸で、土下座ですか?」

「わかっているじゃなぁい」


 陰湿にニタニタしながら勝ち誇っているようです。


 けれども、私は攻略本のおかげで蛇塚さん対策もバッチリです。


 ずっとカメラアプリを起動状態で持っていた学習用タブレットを蛇塚さんへ突きつけます。

「ここに鏡に写された真実があります。悪行の全ては白日の元に」

「はぁっ。ちょっと、何なのよそれ!? まさかずっと隠し撮りしていたの?! サイテーシンジランないんだけど」

 地団駄を踏みながら取り乱しています。まさか、ここまで効果的面だったなんて考えても見ませんでした。


 恐るべし、本の力です。


 ただ、私は油断して失念していました。ゴルゴーンを倒すのは勇者でなければいけないということを。


 私ではダメだったのです。


 私はあっさりと蛇塚さんにタブレットを奪い取られて砂利の上に叩きつけられてしまいました。

 物語を参考に啖呵まで切ったのに実に無念です。


「そこまでよ」

 凛とした夏海さんの声が裏庭に響きます。

「私が一部始終を撮影したわ」

 夏海さんは、学習用タブレットを印籠のように突き出していました。

 片手で持ったせいでしょうか。タブレットの重さに耐えきれず、腕がプルプルしています。


「返すわこんなのぉ」

 蛇塚さんは本を投げ捨てて、夏海さんと逆の方向へと走り去っていきました。


 私と夏海さんの連携の勝利です。


 

 蛇塚さんが逃げ出したのを確認したら、急に膝がガクガクと震え出しました。


「怖かったです。本当に恐かったのです」

「いいこいいこ。雪菜さんはちゃんと頑張れたよ。えらい、えらい。」


 膝が笑い、立っていられない私を夏海さんが支えるように抱きしめてくれます。

 以前、私が夏海さんにしてあげたように背中をポンポンと優しくたたいてくれています。

 震える心が次第に平静を取り戻していきます。

 拍動が落ち着いてくると夏海さんの体温を意識してしまいます。確かに、夏場はあついかもしれません。


「あっ」

 夏海さんがやったように私もあついと言って離れようとした矢先に、私の口を夏海さんの唇で塞がれてしまいました。

 顎をくいっと細く綺麗な指で持ち上げらえたかと思うと、朱が差しているであろう私の頬に左手が添えられます。

 驚きで私は大きく目を白黒させました。けれども、離れようとも逃げようとも思いはしませんでした。例え逃げようとしても夏海さんは逃がしてくれる気はないと思いますが。


 どのくらいそうしていたでしょうか。

 一瞬だったかもしれませんし、永遠にそうしていたのかもしれません。

 

 夏海さんも私とお揃いで赤くなっています。

 どこまでも澄んだ瞳には茫然としている私が映っています。

 

 何て綺麗な目なのでしょう。人の目というのはこんなにも美しいものだったのですね。

 人の目を見て話せない私は初めて知りました。


「ごめんね。でも、これが最後だから許してね」

 そう告げるや否や夏海さんは走り去ってしまいました。


 ぽつねんと誰もいない裏庭に1人立ちすくみます。

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