青春観測

 青春とは何やらん、なんてことを素面でのたまう人間がこの世にどれだけいるのか私は知らない。それでもきっと、口にしなくとも、心に覚えずとも、そのことを意識せざるを得ない時期は誰しも必ずあって、だから目の前の彼女はまさしくその渦中にあるのだろう。

「青春とは! 何だと思いますか!」

 四時十分の太陽を背負って、ジャングルジムの頂上に直立したまま、彼女は叫んだ。ジャージでも羽織っていれば画になったに違いない。しかしながら、いま彼女が身に付けているのはシンプルなセーラー服と膝下まで届く長いスカートであり、仮にいまジャージをはためかせるべき風が吹いたとしたら、きっと私は目を逸らすのだろう。

 私は止めていた足を車止めの間に進めて、公園の中に入っていく。彼女はまだ目を輝かせながら私の答えを待っていた。

「いま君がやってるようなことじゃないのか? 少なくとも私に聞くべきことじゃない。私はおそらく、君の望むところから最も遠い種類の人間だ」

「そんなことはない! なにせ君は、そう、セーラー服とスカートを身につけてた、現役の学生なのだから!」

「お前もだ、間抜け」

「お? 本当だー!」

 細い足場の上で器用に身体をひねり、自らのスカートをぱたつかせる彼女は、やはりというか、私が知り合う女の例に漏れず変人であるらしい。いや、まあ、第一声の時点で半ば判ずるべきことではあったが。

「だがしかし、わたしにはなにもわからない! 青春とは何なのか! なぜわたしが青春を追い求めるのか! そしてそもそも、わたしはどこの誰なのか!」

「おいおい……」

 誤謬を正そう。彼女は私が出会った中でも、頭ひとつ抜けて困った人間らしかった。

「とりあえず、降りてこい。喪失少女」

「喪失少女とはなんだ喪失少女とは!」

「じゃあ青春少女でもいい。とにかく降りろ。落ち着いて話もできないだろう」

「おぉ、それはなんだかとってもいい響き。そう、わたしは青春少女、とうっ!」

 あろうことか、青春少女は既に二メートルはあろうかという、このご時世にはやや珍しいジャングルジムからさらに全力で飛び上がり、しかし私の目の前に鮮やかな着地を決めた。それはもう、砂煙ひとつも立たないような、極めて鮮やかな着地であった。

「おかしいだろう……」

「え、なにが?」

「まぁ……目の前で骨を折られるよりはいい。それで、なにか覚えていることはないのか? 青春以前に、まず自分の住処を確かめたまえよ」

「んー、いや、別にいいや! わたしは青春とは何かさえ知られれば、それで!」

「よかないと言っているんだよこの阿呆めが。一体全体、何故にそうまで青春を求めるのかね」

「さあ。でも、それさえ見つければ、わたしは満足かなあって、そんな感じがするのだよ」

 青春少女は、ふっと寂しげな笑みを立てた人差し指の横に湛えながら、小首を傾げる。

「……今日私に予定が無かったことを幸運だと思いたまえよ」

「ラッキー! え、なんで?」

「手伝ってやると言っているんだ。さっさと行くぞ。君の青春とやらを見つけに」

「おお! ありがとう、親切少女!」

「親切少女はやめたまえ。私は、あー……、私は、文学少女だ。多分な」

「ありがとう、文学少女!」

「構わない。行くぞ」歩きだした私を、「どこへ?」の声が呼び止める。

「……さあ。君の青春レーダーに何か反応はないのかね?」

「わ、わたしにそんな機能が搭載されていたなんて……」

「ないならいい。学校でも行くか? 一番青春っぽいだろう」

「じゃあそれで!」

「ああ」

 青春少女が私の隣まで駆けてきて、同じペースで歩きだす。幸いというか、私の高校はすぐそこだ。徒歩十分だ。その十分も、彼女と話すのに十分だ。

「文学少女さんは、青春してる?」

「どうだかね。他人のものならともかく、自分の青春を認識できるのは、青春を終えてしまった人間だと私は思うよ。つまり、私の認識において、その問いに対する答えは、『よくわからない』と『かつてしていた』の二つだけだと思うのさ」

「よくわかんない……」

「フ。きっと私もだ。とはいえ、少なくとも、楽しい日々だとは思っているよ。出会う先々どいつもこいつも変人ばかりで、困惑は絶えんがね。ああ、きっと、思うに、彼女らは青春をしているのだろう。そう、他人の青春は、多少であればそれと認識できる。観測できる、そう、天体少女は言うかもしれない。己の世界に生き続けている彼女らは、私とは別の星に生きる人間だ。見上げた先で輝いている」

「あ、これが学校! 学校でしょう!」

 なんだかんだ、私の話を聞かないやつは初めてかもしれないな。聞いた上で馬鹿を返す馬鹿ばかりだったから、少し新鮮だ。そう思っておく。

 正門を入ってすぐの所で、見慣れた顔に出会った。風紀少女だ。腕に風紀委員章を巻いていることを見ると、その本懐を果たしている最中らしい。時間帯的に、おそらくはトイレ設備の点検だろう。

「え、どうしたの、忘れ物?」

「そうらしい。私のものではないがね」

「ふうん。一応、私も私で見ておこうか? 何を忘れたの?」

「青春らしいよ。あと、自分の名前もだ」

「はあ? 人が親切に言ってやったらこれ? だいたい、あなたはいつもいつもいっつも、こうして私をからかって!」

「残念ながら、今回は冗談ではないのだよ。なあ?」

「うん!」

「もう、知らない! ばか!」

 視線を合わせて答えた私たちからくるっと踵を返し、風紀少女は来た方に戻っていってしまった。点検の途中ではなかったのか?

「いつもならもう少し付き合ってくれるのだがな。生真面目に足が生えているような、生粋の風紀少女なんだ」

「へえ。青春だね!」

「フ、そうかもしれないな。生真面目でいられるのは、大人の不真面目さに染まらないうちだけだからな。しかし、彼女を見ていると、彼女は生涯あれで通してしまいそうに思えるから面白いよ」

「……ほかにも、友達、いる?」

「ああ。不思議なことに、私はこれで友人が多いんだ。そうさな、グラウンドに行けば一人確実に出会えるだろう。行ってみるかい?」

「行ってみよう!」

「了解だ」

 校舎をぐるりと回ってグラウンドに出ると、予想通り、ウィンドブレーカー姿で身体を動かしている陸上少女の姿があった。

 目が合ったので軽く手を上げると、タッタッと小気味よい踏み切りであっという間に彼女は私たちの前にやってくる。

「珍しいね、キミがここにいるの。何かあった?」

「ああ。少し青春の行方を追っていてね」

「あはっ、何それ。それで、尻尾は掴めそうかな?」

「青春には尻尾があるの!?」

「いや、あー……それで、もしかすると私の知る中では一番青春っぽい青春を送っているかもしれない君に話を聞けたらと思ってね。もちろん時間さえ良ければだが」

「え、全然いいよ。だって、キミもアタシの青春だから!」

 キラリと歯を覗かせて笑う。彼女の十八番だ。

「文学少女さんが、青春そのもの……?」

「はいはい。それで?」

「ちょっとは照れてくれよ、自信無くすなぁ。でも、うーん。改めて考えてみると、青春ってなんなんだろうねぇ。振り向かないこと?」

「ある意味陸上少女らしい答えだがね」

「いや、それだったら駆け抜けることでしょ!」

 そりゃそうだ。

「振り向かない……駆け抜ける……」

「ま、アタシにとっての青春は、やっぱり部活なのかな。遮二無二努力できる先があるって、いつでも出来ることに見えて、案外この時期、この時間だけなんじゃないかなって思うんだ。ま、キミもたまには身体動かしなよ。なんだったら週末一緒に走ろうよ」

「ああ、気が向いたらな」

「キミの気がアタシに向く週末なんてあるのかなー」

「さあ。とにかく、ありがとう。参考になった」

「このくらい、お礼言われることじゃないって。じゃ、またいつでもどうぞ!」

「……駆け抜ける、部活、振り向かない……」

「もしや君はプログラムで動いてるのかい?」

「ハッ。少しわかった、気がする!」

「シンギュラリティを越えてくれて何よりだ。次に行こう。もっとも、ここからはインドアな面子だがね。あ、スリッパ持ってるかい?」

「持ってない」

「仕方ないね。来客用のものを拝借しよう。なに、少しの間借りるだけだ、ひとつ減っていたところでバレはしまい」

 ということで、正面玄関に寄ってスリッパを青春少女にあてがってから、昇降口で自分の靴を履き替える。ここからだと、近いのは数学少女か。

 しかし、歩きだしてすぐに、私は別の知り合いに出会った。

「えっ、あ、えっ!?」

「うん? ああ、やあ。君もいたか。もう帰ったのかと思っていたよ」

「あ、あの、えっとっ、その、それっ」

 あたふたと取るべきアクションに迷っていた少女、占術少女は、しかし、最終的に、慌てふためいたまま昇降口へと走り去っていってしまった。

 何だったんだと呆れる間もなく、スマホに彼女からメッセージが届く。写真だ。彼女がよく使うタロット占いの結果らしい。端のほうに下足箱が写っているところを見ると、たったいま行ったもののようだ。ピラミッド型に並べられた六枚のカードは、下段左から、死神、審判の逆位置、月。中段、愚者、隠者。そして上段が悪魔の逆位置だ。まあ、多分いい結果なのだろう。悪魔の逆位置がいい結果なのは覚えているから。

 というか、いつものように解釈まで伝えてほしい。

 スマホをスカートにしまって、改めて私はコンピューター室に向かった。扉を叩いて中に入ると、デジタル研究部面々の視線が一瞬私に集まり、すぐ霧散する。軽いホラーだ。その中で私に視線を向け続けている人間のデスクに向かい、ちょうどその隣に空いていた二つの席に私たちは腰かけた。

「何の用ですか?」

「いやね、少し君に青春の定義を聞きたくて」

「定義、ですか。ふむ、そうですね。青春とは。恋、ですね」

「は?」

「恋?」

 青春少女と共に、二人して唖然としてしまった。

「なんですか。そう予想しがたい答えではないのではありませんか?」

「ああ、君の口から出るのでなければね」

「何故。私にも恋の存在は予想できています。証明こそできていませんが……いつかは、完璧に示し上げてみせましょう。貴女の驚く顔が楽しみです」

「はあ……、まあ、既にいま驚いたが。期待しておくよ。それで、何の話だっけ?」

「青春の話!」

「ああ、そうだそうだ。青春の話だ。青春イコール恋らしい。まあ、発言者こそ意外ではあったが、確かにといったところだな」

「何なのですか。真意が分かりかねますが、用は済んだのですね?」

「ああ、ありがとう。それでは、邪魔したね」

「いつものことです。お気になさらず」

 数学少女に見送られてコンピューター室を後にする。ふと改めてスマホを確認すると、願った通り占術少女からの解釈が添えられていた。

「お連れさんを占いました。そのまま進んでください。たぶん、きっと、大丈夫なはず、です。だってさ。だいぶ大雑把だねえ。知りすぎるといけないのかな。とはいえ、そのまま進めと言われても、多い友人のうちちゃんと部活をしている人間はもう他にいないんだなこれが。天文少女がいるか屋上に行ってみるかい?」

「……うん。もうすぐ、日が暮れるからね」

 少し、いや、だいぶ声に張りがない。あの能天気さは急に家出してしまったのだろうか。

「ああ、本当だ。仮に天文少女がいなくとも、夕暮れを見るくらいはできそうだね。しかし、日没も随分早くなったよ。冬になりつつあるのだなあ」

「うん……」

 見れば、彼女は声だけではなく顔も同じように淀んでいるようだった。

「なんだい? 何か思い出したのかい?」

「ちょっとだけ。わたし、タロット少し読めるんだ。周りで流行ってたから」

「一歩前進じゃないか。まあ、十年で流行はひとまわりすると言うからね。そろそろ再ブームでもおかしくはないな」

「うん」

「……悪い結果なのかい、これ?」

「ううん、いい結果。とても」

「なら、そんな顔しなくてもいいじゃないか。ほら、せっかくなら夕暮れの時間に立ち会うぞ」

 階段を昇る。四階分と、更に屋上に続く一階分よりも少し長い階段。私と青春少女の足音は寸分違わず同じペースで、まるでひとつのもののように響いている。

 屋上への扉を開く。

 天文少女は、そこにはいなかった。元から気まぐれなやつだ。青春というより浪漫なやつだ。いや、それも含めて青春なのだろうか。私には、やはりよくわからない。

 沈み行く陽が最後の言葉を投げ掛けるのを眺めながら、隣の青春少女に向けて口を開く。

「君は、何かわかったかい。青春とは、何なのか」

「うん。それは……きっと、いま、あなたがわたしに見せてくれたこと」

「かもしれないな。だが、そうじゃないかもしれない。まあ、気長に探したまえ。私もまた暇なら手伝って……」

「幸せなこと! ……充実していること。それはきっと、ひとつひとつではとても幸せとは認識できないような、連続し続ける、小さく満ち足りた而今じこんの時。それが、青春なんだよ、親切少女」

「文学少女だ。いや文学少女でもないが……」

「ありがと。わたしが欲しかったものをくれて」

「……なんだい、この空気は? まるで──」

「短い時間だったけど、おかげでちゃんと幸せだったよ」

「おい!」

 肩を掴む。掴んだはずだ。しかし、私の手は彼女の身体をすり抜けて、そのまま下まで落ちてしまう。

「…………幽霊少女じゃないか。青春少女じゃなく」

「ううん、青春少女だよ! 幽霊少女じゃなく!」

「気にするな。どちらにせよ、私の友人に漏れず、立派な変人だ」

 おかしいな、と俯いて目元を覆う。私の隙を見つけたというように、彼女は出会ってから一番明るい声で笑った。

「そりゃ、あなたが変人だもの!」

「類は友を呼ぶって?」

 しかし、そんなささやかなツッコミのために顔を上げたとき、そこに彼女はもういなかった。ただ来客用のスリッパが、少し乱れて落ちているだけだ。

「まったく、とんだ青春だな」

 スマホを取り出して、夕陽を受けて白橙に輝くスリッパを写真に納める。プッシュ通知で保存完了が表示されたのを見届けて、スマホを握る手をそっと下ろす。

 四時五十分。夕陽は死んで、星の降る夜が目覚める。

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文学少女シリーズ 郡冷蔵 @icestick

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