第五章 自からの手で

三月十六日。新留と飯田は今日も捜査のため、署に出向いていた。今日の予定は昨日絞った行動範囲を徹底調査することと、遺族に話を聞くこと、また、麻里の脅迫事件も調査することだった。新留は引き続き、ショッピングモール周辺の聞き込みに出かけて行った。飯田は署に遺族を迎え入れる。


「おはようございます。お待ちしておりました。わざわざ足を運んで頂きありがとうございます。すみませんが早速、こちらへどうぞ。」


由美子の遺族のうち、来たのは父は仕事のため、母と姉だった。少し話してから本題に入る。


「以前お聞きしたかもしれませんが、由美子さんが誰かに妬まれるような機会はありませんでしたか?」


「いえ、無かったと思います。私が言えることでもないですが、由美子は本当に誰から見てもいい子で、そんな人に傷つけられるような心当たりは一切ありません。」


「では、最近、悩んでいたとか、そういったこともありませんでしたか?」


「はい、特には聞いていません。一番最後にした電話では、仕事の方も順調でプライベートも充実していたらしく、毎日が楽しいと言っていました。」


「分かりました。では、事件前日、由美子さんは外出していたそうなのですが、思い当たる場所はありますか?」


「事件前日は話していないので、分からないです。」


「そうですか。一旦質問の系統が変わりますが、由美子さんの趣味は何でしたか?」


「趣味、ですか。ええと、最近は園芸と映画を見ることにはまっていたようです。あ、あと、趣味と言えるか分かりませんが、小学生の頃から地元の近くの山で定期的に自然保護活動をしていました。東京に来てからも帰ってきた時は、手伝っていたようです。」


「園芸と映画と慈善活動ですね。」


飯田はペンを走らせる。次に由美子の姉が口を開いた。


「現時点では、何が分かっているんですか?」


「ああ、事件前日に仕事終わりに一人でショッピングモールへ行った後、近くのレストラン&バーへ行ったということです。」


「そうですか。今後もよろしくお願いします。」


「ええ。ご協力大変助かりました。今日はありがとうございました。また、何かありましたら連絡をして頂ければ、と思います。」


飯田は村上親子を外まで見送りに行った。今回の話では有力と思える情報はやはり無かった。しかし、趣味がわかったことで捜査範囲が広がった。次に時間が出来たら、通っていた園芸教室に調査しに行くことを決めた。飯田は軽く休憩を挟んだあと、まずは沖縄のファミリーレストランに電話をかけた。アルバイトの定員が出たが事情を説明し、メモを受け取った定員に電話を代わってもらった。


「お仕事中にすみません。聞いたかと思いますが、東京で刑事をしている飯田です。三月十日の日の夕方頃、"このメモを十代ぐらいの女性に渡してほしい"と誰かに頼まれませんでしたか?」


「あ、ええ、頼まれました。」


「その人は女性でしたか?男性でしたか?」


「黒い服でマスク、フードをしっかり被っていたので顔は分かりませんが、声からして明らかに女性だったと思います。」


「黒い服と仰ってましたが、全身の服装は何を着ていましたか?」


「上は黒いフード付きのウインドブレーカー、下はジーンズのズボン、手には手袋、マスク、眼鏡という格好だったと思います。」


「ちなみに、メモを渡される時は何と言ってたんですか?」


「ええと、カウンターに来て、"これをこの子に渡して欲しい"と言ってメモが差し出されて、写真を見せられました。」


「その写真はどんな写真でしたか?背景でも、角度でも、表情でも、何でも構いません。」


「そうですねぇ、髪型はロングで下ろしていて普通にカメラ目線で笑ってて、背景は覚えてないですけど、その、盗撮とかそういう感じじゃないと思いますよ。あ、あとその写真は元の写真から切り取られていました。」


「といいますと?」


「集合写真ってほどでも無いとは思いますけど、数人写っていたんでしょうね。切り取ってありました。歪な形だったので多分そうだと思います。」


「ああ、なるほど。次に声について伺いたいのですが、あなたより高かったですか?低かったですか?」


「私より、ですか。ええと、まあ、私よりは低かったと思います。」


「体格はどうでしたか?」


「私が百六十センチなのですが、私よりは高かったと思います。高いとは言っても数センチ程度でしょうが。あと、普通体型というか、太ってもなく痩せてもなく、という感じでした。」


「年齢は何歳ぐらいに見えましたか?」


「顔が見れてないので分からないですが、まあ、成人女性だと思いますし、老人ではなさそうなので、二十代後半から五十代前半ぐらいまでだと思います。確信は持てませんけど。」


「他に気になる点とかありましたか?どんな些細なことでもいいので、教えてください。」


「特には無いです。」


「そうですか。大変助かりました。ご協力ありがとうございました。では、失礼します。」


電話を切ると飯田はすぐに麻里の父の取引先の工場へ向かった。


「こんにちは。刑事の飯田と申します。突然すみませんがお話を伺いたくて、お邪魔しました。一度ここにいる従業員全員、この施設から出ないでもらえますか?」


「ああ、はい。何か事件でもあったのですか?」


工場の取締役らしき男が出てきた。話によると今いる従業員数は十七人らしい。


「ええ、少し調査したいことがありまして。別に長居はしません。一人ずつお話を伺わせてもらえますか?」


取締役が従業員全員に説明してくれたようだ。手前にいた従業員から順に工場の中にある小さなオフィスに来てもらった。勤務年数を初めに聞き、該当しないものはすぐに職場に戻ってもらった。十年前からここにいる人は七人で、他はもう辞めたという。男性は六人、女性は一人であった。残っている七人には三月十日、十一日の予定を話してもらった。丁度、麻里が脅迫を受けた前後の日付けである。


「急にすみません。簡単なお話なのですぐに済みます。十日と十一日の日は何をしていましたか?」


「二日ともいつも通り九時に出社して、いつも通り十八時に退勤して十九時頃には家に着いて家族とご飯食べて、寝ました。」


唯一の女性は体格も声も推定の容疑者には似ても似つかず、予定もしっかりあった。他の男性従業員もみな、この日は勤務しており、アリバイは充実していた。現在も働いている従業員に共犯がいるか、辞めた従業員か。はたまた、辞めた従業員に共犯がいるか、全く別人か。飯田には検討がつかなくなってしまった。飯田は取締役に辞めた従業員も教えてもらった。男性三人、女性二人であった。いずれもコンタクトを取ったが、連日アリバイがあり、共犯説、別人説の二択が残った。困ったことに、例え共犯がいたとしてもこのような事件の場合、見つけにくい事だ。どうやって共犯者を洗い出すか。沖縄にいる共犯者に電話で連絡を取っていたとしたら、証拠は残らないし、電話番号だけでは容疑者は特定できない。そもそも、まだ沖縄に滞在しているのかも分からない。完全に脅迫の捜査は行き詰まってしまった。


飯田は新留が今、署に戻ったと聞いて、自分も向かい合流することにした。お互い今日調べたことを報告し合った。


「由美子さんは、退勤したあと、ショッピングモールに午後七時までいて、レストラン&バーには午後九時半頃までいた。その後は家の近くのコンビニに寄って、アパートに戻った。ほんで、アパートに着いたんは午後十時過ぎ。」


「なるほど。その間に誰かに接触はしてなかったんですか?」


「そうやねん。ずっと一人やったみたいや。中々、手掛かりがなくて、やっと前日の行動は把握したが、どうもあんまり役に立ちそうやないなぁ。」


「こっちもですよ。麻里さんの件。沖縄のファミレスに電話して、犯人の特徴は分かったんですけど、工場で働いていた人には当日アリバイがあるし、共犯だったとしても、誰か特定なんて…とてもじゃないですけど無謀に感じます。」


「そうやなぁ…。ほんで、特徴はどうやったん?」


「身長百六十センチ以上、普通体型の成人女性で、声は少し低め、服装は黒とジーンズ、手袋をはめていたそうです。年齢は老人ではなさそうなので、二十代後半から五十代前半ぐらいかと。」


「特定には時間がかかりそうやな。」


新留の表情がほんの微かに暗くなったような印象を受けた。飯田はそれを見て、口を開いた。


「もしよければ、一緒に少し飲みませんか?」


「おう、いこか。」


二人は近くの老舗の居酒屋まで歩いた。最近は事件の捜査続きで、その他の話題について全然話していなかったので、気晴らしにもなった。


「最近、忙しけど寝れてる?」


「ええ、まあ、早く切り上げた日は早く寝るようにしてますよ。新留刑事も寝れてますか?」


「ぼちぼちやな。もっと寝れたら嬉しいは嬉しいけど。」


「新留刑事もちゃんと休んでくださいよ。」


「うん、そうやな。飯田って何が趣味なん?」


「僕は、結構映画見たり、本読んだりしますね。仕事が休みの日は一日中映画なんてこともあります。」


「おお、そうか。楽しそうでええやん。俺も映画よく見るわ。洋画派?邦画派?」


「圧倒的、洋画派ですね。」


「そうか、俺は邦画もええと思うねんけどなあ。」


「今度見てみます。」


「そういえば、飯田が刑事になった理由ってなんやったんや?」


「ああ、僕は父が消防士で小さい頃から人を救う姿を見てきてたんです。それで人助けできる仕事に就きたいと思いました。でも、僕は体力が無いので、消防士は向いてないなと思い、刑事を目指しました。」


「そうなんや。いい理由やな。けど、じゃあ、警察なる前の訓練とか厳しくてえらいびっくりしたんちゃう?」


「いやぁ、本当にそうですよ!体力も凄くいるし、教官が噂になるぐらい厳しい人だったので実は何度も辞めようと思ってたんですけどね。気付いたら今です。」


「ははっ、ちゃんと続いてるやん、偉い。」


「そういう、新留刑事は、どうだったんです?」


「俺は、何でか、人一倍犯罪が許せなくて、未解決事件とか見てたら自分なら解決できそうやのになぁとか思ったりして。あとは、被害者がちょっとでも報われるように、って思ってるかな。まあ、実際のところ、自分は何もできてへんねんけどなあ。」


「そんな事ないですよ!僕は尊敬してますし。新留刑事がいると、安心します。」


新留はどこか遠いところを見ているようだった。


「そうや、こんな楽しい時間に申し訳ないんやけど、今調べなあかんこと思い出したから、そろそろお開きにしよか。」


「明日も早いですしね。飲みすぎなくて丁度いいです。けど、先輩、無理は禁物ですよ。先輩も早く帰ったらゆっくり休んでください。」


新留は笑いながら、おう、と言って、二人は解散した。今回は新留の奢りだった。


新留は自宅に着くや否や、書斎へ向かった。絶対に確認しておきたいことがあった。今までつけていた日記を一冊目から取り出して、順に読んでいく。二冊目、三冊目、四冊目。初めての事件。二つ目の事件。未解決になってしまった事件。井原と組んだ事件。容疑者が自殺してしまった事件。不起訴になった事件。自分が先輩側になった事件。


……今回の事件。沢山の事件の記録が書き連ねられていた。その時の自分の心情、私生活についての日記も所々書いてある。あるページを開いた時新留は、あっ、と声を漏らした。飯田の話を聞いてもやもやしていた部分が取り除かれた。急いでペンを取り出し、無我夢中で塗りつぶしていく。何かに取り憑かれたかのように。その後、デスクの引き出しから紙を取りだして、飯田に手紙を書いた。封筒に入れ、"飯田へ"と。


三月十七日。事件発生から一週間後。午後一時前。署にて。


「飯田、新留刑事は?」


「ああ、それが、今日まだ来てないんですよ。いつもは遅刻なんてなさらないんですけどね。昨日飲んだせいかな。」


飯田が一人で作業しているところを見かけた沖田が話しかける。


「へー、珍しいな。電話してみたら?」


「既に三回はかけたんですけどね、メールも来ないし。本当にどうしちゃったんでしょう。」


「なんでだろうね。とりあえず、今からお昼休憩だから、飯食っても来なかったら新留刑事の家行こうか。」


「そうですね。僕もお昼、一緒に行ってもいいですか?」


「おう、行こう。」


結局、沖田と飯田が帰ってきても新留の姿は見当たらなかった。新留のデスクは綺麗に片付けられており、来た痕跡が無かった。もう一度、電話をかけてみるも繋がらなかった。


「前に新留刑事がバディ組んでた井原刑事にも聞いてみるか。」


沖田が井原に確認を取りに行ったが、普段から遅刻はなく、何かある時も連絡をくれていた、との事だった。また、今日の件についても何も聞いていないらしい。


「そうなんですか。新留刑事、どうしたんでしょうね。これは家に伺った方が良さそうですね。」


「そうだね。俺もついて行きます。ちなみに住所は知ってる?」


「ええ、確か。新年に送ってもらった年賀状に書いていたはずです。」


沖田と飯田は新留の自宅へ向かった。インターフォンを鳴らすが案の定出ない。


「新留刑事ー!飯田と沖田です。どうされたんですかー?」


玄関扉越しに声をかけるが応答はない。鍵がないので、沖田が扉をこじ開けようとした。


「何してるんですか。そんなことしたら…。」


「あの新留刑事が連絡をよこさないってことは良くない状況の可能性が大いにある。何もなかったとして、後で怒られた方が早い。」


「…そうですね。沖田さん、ピン持ってますか?」


「ピン?ヘアピンのことか?ない。」


「そうです。僕コンビニで買ってきます。ピンで鍵開けれるので。」


飯田はすぐに戻ってきた。膝立ちになり、ピンを折り曲げ、器用に動かす。五分程で開いた。玄関に入ると綺麗に整えられた廊下にぴんと張り詰められた空気が漂っていた。


「お邪魔します。新留刑事、飯田と沖田です。返事がないので入りますよ。」


しんと静まり帰っている。リビングの扉を開けた。奥にある金魚の水槽の音だけがする。少し進むと、左手に扉がある。開けるとキッチンだった。目線の先に、新留が横たわっていた。飯田は状況を飲み込めず、立ちすくんでいると、沖田が後ろから声をかけた。


「俺は救急車を呼ぶ。飯田は署に連絡しろ。急げ。」


警察の応援がきたのは救急車が到着して間もなくのときだった。救急隊員が新留を担架に乗せ、病院に搬送された。刑事たちは他の部屋を調べに向かった。飯田はキッチンのカウンターの上に自分宛ての手紙が置いてあることに気付き、急いで封を切って読み始めた。


"飯田へ


急に驚かしてすまない。手紙と私を見つけてくれたことに感謝する。この手紙は昨日の晩書いたものだ。最後まで読んでくれると嬉しい。



私は今回の事件を担当することが決まった時、いつもと同じような気持ちで取り組んでいた。被害者が、被害者の家族が少しでも報われるように、そのお手伝いをする。今回の由美子さんの事件も必ず私が解決しよう。


そう思って仕事に取り掛かった。遺体を発見してから、今日で一週間経つ。動機がわからなかったり、容疑者が見つからなかったり、中々捜査が進んでいないこともあるが、それでも少しずつ手掛かりが見つかっていて、手応えを感じ始めていた。飯田もそう思っただろう。



しかし、同時にもう一つの事件が起こった。由美子さんの遺体が発見された次の日に、由美子さんの住んでいたアパートの大家の娘さんが失踪した件だ。脅迫を受けた麻里さんは、失踪した一日後には無事に沖縄から帰ってくることができたが、きっと、帰ってくるまでは怖くて辛くて苦しかっただろうと思う。ここまで来て最大の疑問が浮かぶ。この件でも容疑者の動機が全く分からないという点だ。


何故、一日だけ滞在期間を伸ばしたのか。それから、どうして麻里さんの父親の件を知っていたのか。沖縄に滞在していることを知っていた理由は?私はその事について何度か考えていた。何となくずっともやもやして、薄々気付いていたが、昨日確信を持ったことがある。麻里さんの脅迫事件が起こったのは、この私のせいである、と。


私は十年前に麻里さんの父親の事故を解決できなかった。それも大きな要因の一つではあるが、もっと違う面で容疑者にこの犯行を企てさせてしまった。最も、大事な動機は今も分からない。しかし、刑事として、被害者を救う側であるはずの私が逆に被害者を作り出してしまったことに変わりはなかった。



この一週間、君は気付かなかったかもしれないが、実は私はずっと葛藤していた。昨日漸く答えがでた気がする。ここまで読んで気付いただろうが、今日で私はこの世界にさようならを告げようと思う。私が、どちらの事件も解決することが最善策なのかもしれないが、私は私が一番大事にしている自分の信条に反してしまった。飯田からしたら私がこのようにする意味が理解できないかもしれない。大したことないと思うかもしれない。まだ挽回できると思うかもしれない。


けれども、私は人生の中で自分のモットーを何よりも大事にして生きてきた。それが崩れるときは、私も終わりを迎える。被害者には、どうぞよろしく伝えてください。



長い文章を読んでくれてありがとう。この手紙はある意味遺書として受け取ってくれたらいい。昨日は本当に楽しかったよ。最後に大事な後輩が飲みに誘ってくれて嬉しかった。飯田と事件解決までを共に出来なくて残念に思うが、どうか許してくれ。一緒に仕事をした期間はとても充実していたよ。ありがとう。飯田がこれから大きく成長することを願う。では、またどこかで。


追記

私の書斎にある十三冊の日記(ノート)を持っていくといい。今までの事件の記録や私の私生活などが書かれている。何かヒントになるかも知れない。麻里さんの脅迫の犯人もそれを見れば飯田ならきっと分かるだろう。


また、これは三月十七日に読まれることを想定しているから、昨日や今日と書いてあるが、別の日に読んでいるならすまない。


三月十六日 新留 和彦"


飯田は最後まで読んで泣き崩れた。手紙が涙で滲む。自分がいる場所、状況、立場、全てを忘れて、枯れるまで泣いた。飯田にとっての新留はお兄ちゃんのようであり、先輩であり、少し友達っぽくて、関西弁でフレンドリーで、優しくて、一緒に組んだその日からずっと尊敬している大事な刑事だった。

心が引き裂かれるような苦しみを抱えながら、これから生きていくという絶望を味わった。沖田はそんな飯田の姿を悲しげに後ろから見つめていた。他の刑事たちも、新留が自殺をはかったことに気付いたようだ。新留の家が悲しみに包まれた。



新留は搬送先の病院でまもなく死亡が確認された。死因は睡眠薬の過剰摂取だった。オーバードーズ。摂取したのは、昨日の晩の事だったため、もう既に通報を受けた時には亡くなっていたらしい。警察は連絡を受け、手紙の内容含め、事件性がないと判断した。沖田は飯田に確認を取り、手紙を読ませてもらった。飯田のことを気の毒に思った。


そして、自分自身もお世話になった先輩が亡くなり、ただただ悔しく、悲しかった。二人は深い悲しみに覆われつつも、追記を見て、新留の書斎へ向かう。書斎の本棚にはぎっしりと本やノートが詰まっていた。探していた日記は、デスクの上に十三冊とも積まれていた。それを取ると部屋を後にしようとしたが、一冊気になるノートが本棚に置いてあるのを見つけた。分厚く黒いアルバムのようなノートだ。さっと取って新留の家から帰った。



署に戻ると、警視長から新しいバディは飯田と沖田で組むようにと言い渡された。署全体が新留の件で一時的にバタバタしていたが、通夜と葬式の日程も決まり、またいつもの落ち着きを取り戻していた。飯田は何をする気も起きなかった。新留の日記を読む心の準備はできていない。かといって、外へ出向いて捜査をする気にもならなかった。ただ呆然と新留がいつも座っていたデスクを眺めていた。



手紙を何度も読み返す。悔しかった。自分の力じゃ何ともできなかったかもしれない。でも、相談されていたら違ったかもしれない。自分が新留の生前何をしていれば正解だったのか分からなかった。飯田は思い出していた。初めて新留に会った日を。初めて一緒に仕事をした日を。初めて飲みに行った日を。どれも記憶の中では鮮明なのに、現実にはもうない。それもいつかは薄れてしまう儚い記憶。飯田の頬にはまた大粒の雫が伝う。新留の存在は飯田にとって家族に近いものだった。新留の最後の願い____被害者を救うこと。これを叶えるために飯田は前も向かざる得なかった。日記帳を読む決心をした。

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三◯一号室の冥闇 しゅがあー @nightmare_14

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