第四章 遺体の生前

わたしは××に殺される前は、とても平和で穏やかな日々を過ごしていました。生まれた時から高校生までは、地方の田舎にある実家で暮らしていました。実家では祖父母と両親と二個上の姉と一緒に住んでいました。


小学生の頃はわたしは特にやんちゃでした。同級生の中でも男の子に混じって外で遊ぶような子でした。よく家の近くの浅い川で姉と遊んでいた記憶があります。姉とは仲がかなり良い方だったと思います。喧嘩も滅多にしたことがなく、子供の少ない田舎ではまるで親友のような存在でした。何をするときでも姉と一緒でした。通学も習い事も遊びも。


姉妹とも揃って活発で外で遊ぶことが多かったのですが、わたしは中学生に上がると新しい趣味ができました。それは読書でした。特に、ミステリー小説にのめり込みました。文字だけなのに予想外でスリリングな展開で毎度わたしをどきどきさせる、とても魅力的でした。毎週二キロ先の図書館まで通うほどでした。また、家の本棚も本でいっぱいになるぐらいで、お小遣いの使い道は全て本でした。


一方、姉はというと、高校生になる頃には、よく隣町の友達の家に遊びに行っていました。そのまま泊まることも多いのし、部活や学業も忙しかったらしく、一緒に過ごす時間はだんだんと減っていきました。もちろんまだ仲はとても良く、久しぶりに二人で遊ぶとなると時間を忘れてしまいます。



しかし、わたしが高校生になる頃には、姉は大学生でした。遠い大学に通うため、家を出て下宿することになりました。大阪の方で一人暮らしをしていたようです。その事が決まった時はわたしは少し寂しさを覚えました。元々、年齢とともに一緒に過ごす時間は減っていて、大して関わることもなかったのですが、やはり姉のことは大好きでしたので、正直実家に残って欲しかったです。


しかし、いざ姉が大阪に行くと連絡は月に一度程のメールをする程度でした。わたしは連絡を取ることが苦手だったので用事がない時は、わざわざこちらからは連絡することはありませんでした。姉も連絡をくれるのはいつも気が向いたときだけです。そのぐらいから徐々に、仲は良いものの、話すことが極端に減っていきました。


わたしも高校生活がかなり充実していて、忙しさのあまり忘れることもしばしばありました。そうしている内にわたしも東京の大学に進学することが決まって、実家を出ることになりました。


けれど、年末になると姉もわたしも実家に帰ってくるので毎年お正月は必ず顔は合わせていました。わたしが最後に姉にあったのは今年の一月。二ヶ月前のことでした。


この時はお正月も会いましたが、たまたま姉がわたしの住んでいるアパートに来てくれていました。姉は年に一回、最近では二、三回程、わたしのところに泊まりに来てくれます。会える回数が増えたのは嬉しかったです。


しかし、それ以降は連絡もほとんど取っておらず、最後に連絡したのは一ヶ月以上前のことでした。内容も忘れてしまうほど大したことありません。最期に大好きな姉とゆっくり話せなかったのが心残りではあります。


わたしの実家は田舎だから質素で閑静な町でした。しかし、それと同時に近所の人や地域の繋がりが深く愛情深い街でもありました。よく、近所の人には畑で取れた野菜をおすそ分けしてもらったり、家に呼んでもらいご馳走してもらうこともありました。わたしの実家に近所の人が沢山集まったこともあります。みんなで大皿を囲むと賑やかで笑顔の溢れる食卓になります。そんなひとときがわたしは好きでした。


しかしそんな中、都会への憧れも少なからずありました。田舎はコンビニすらなく、買い物へ行くにも車を出さなければ行けないため、正直なところ不便さをひしひしと感じていました。年頃になると、やはり雑誌で見た洋服が欲しくなったり、放課後にショッピングやカフェに行ったりしたい、という願望もありました。


そのため、大学生になると上京することにしました。両親も賛成したため、一人暮らしを始めることになりました。それが先日わたしが亡くなったあの、小さな古いアパートの三◯一号室です。


物件決めは意外とすんなりと決まりました。大学は都内の二十三区内にあるので、交通の便を考えて二十三区内のアパートを探していました。


けれども、あまりに家賃が高いので、郊外のアパートも検討することにしました。これは両親の意見でした。下見をした時に大家さんの人柄も好印象に感じられたし、家賃的にも申し分がなかったこの小さな古いアパートに決まりました。


ツーエルディーケイで六畳間、お風呂とトイレは別れていたし、一人で暮らす分には充分過ぎる程でした。外見は古く小さいですが、その分部屋数も少なく、一部屋一部屋は充実していました。内装も割と綺麗な方だと思います。


このアパートは最寄り駅まで徒歩七分で、比較的駅には近かったです。駅と逆方面には、アパートから徒歩五分程の所に大きな公園がありました。池の周りをぐるっと囲うような形の公園で端には遊具も充実していました。池の周りを走る人や遊具で遊ぶ子供など常に誰かは公園にいて、子供から大人まで楽しめる憩いの場でした。



さらにそこから三分程進むと小中高校時代の親友の瞳が住んでいるアパートがありました。瞳も大学生になることを機にあの田舎から上京してきました。瞳とは大学は違うところに通っていましたが、同じ理由から郊外に住んでいました。


わたしよりは駅から遠いのですが、その分家賃がほぼ変わらないのに部屋数が多かったです。確か、サンエルディーケイだったと思います。内装も綺麗でした。お互いが住み始めてから、家が近いことを知ったのでその時は本当に驚きました。大学時代はよくお互いの家に遊びに行きました。わたしの家は狭いので、瞳の家に行くことの方が随分多かった気がします。


大体いつも泊まって映画をレンタルして見たり、徹夜でレポートを仕上げたりしていました。大学が違うので似たようなテーマの時はレポートをお互い写しあってもばれませんでした。難しい課題も二人で一緒に取り組みました。映画も在学中に二人で百本は見たと思います。今となってはとてもいい思い出です。


しかし、大学を卒業すると、わたしと瞳は全く違う職業に就きました。わたしは、自然関係の仕事に就きたかったので、動植物専門の博物館の案内係として務めることになりました。


一方、瞳は美容系が好きだったので、ビューティーアドバイザーとして働き始めました。勤務地や勤務時間、出勤日も合わず、そこからはだんだんお互いの家に行く回数は減り、いつしか疎遠になってしまいました。


普段からお互い連絡を取り合うことが苦手なので、基本用事がない時の中身のない連絡はしていませんでした。今思うと、連絡しておけば良かったのかなとも思います。瞳と最後に話したのは4ヶ月も前のことでした。



ちょうどその頃、わたしに初めての恋人が出来ました。それは、川本 純平でした。大学二年生になった夏、サークルが一緒だった彼に惹かれてお付き合いすることになりました。


家は離れていましたが、デートの時は彼がいつもわたしの家の前まで迎えに来てくれました。申し訳ないなと思いながらも、わたしは車を持っておりませんでしたので、彼のお言葉に甘えていつも乗せてもらっていました。


大学を卒業してからは、彼はエンジニアになったのでかなり多忙で会える日も減っていきました。しかし、二人の休みが会うと近場でも出かけたり、家でゆったり過ごしたり、楽しい時間を過ごしました。事件当日も昼から一緒に出かける約束をしていました。わたしはかなり楽しみにしていたのにとても残念です。



そうして、社会人になったわたしですが、気付けば、三ヶ月に一度は実家に帰るようになっていました。学生の頃は都会に憧れて、田舎の良さを理解しようとしませんでした。


けれども、社会人になる頃には人が多いことに疲れてしまって、実家が恋しくなっていました。遅めのホームシックとでもいうのでしょうか。


実家に帰った時のあのあたたかさは何とも言えません。近所の人たちも久しぶりだねと沢山声をかけてくれます。わたしはいつも帰省すると必ずと言っていい程、桑原さんのお宅に向かいます。小学生の頃にとてもお世話になっていた近隣に住むおばさんです。今回の帰省した時も桑原さんのお宅に向かいました。


「こんにちは、桑原さん。今日もまた帰ってきましたよ。あ、これ、東京のお土産です。是非ご家族の皆さんと一緒に食べてくださいね。」


「こんにちは。ありがとうね。由美子ちゃん、また大きくなったんじゃないの。そういえば、もう働いているんだったわよね。」


「ええ、もう社会人になりましたね。ご縁あって、博物館で展示品の説明係をしてます。」


「あら、かっこいいお仕事じゃない!都会にはやっぱり、博物館も多いもんね。そういえば、最近は活動の方はどう?」


「ああ、それは…。最近はあまりしていませんね。また機会があればお邪魔したいです。」


わたしと桑原さんが何故、昔から交流があるのか。それは、共通点があったからです。


桑原さんは山や林などで自然保護活動の仕事をしていました。わたしが小学生の時に、自然体験学習という授業があり、そこで桑原さんはボランティアをしていました。


この授業では、年に三回、裏山へ行き、木を植えたり、植物の観察をしていました。桑原さんとは、元々家が近く、挨拶をする中でしたが、授業で教えて貰ってからはより親しくなりました。


小学生の頃のわたしは好奇心がかなり旺盛な子供でしたので、授業以外でもよく、桑原さんの活動を手伝いに行っていました。そこから上京するまでの間は基本毎週土日になると裏山に行きました。


桑原さんには、植物の育て方や見分け方、採集の仕方からロープの結び方、鋸などの工具の使い方まで、本当に沢山のことを教わりました。わたしが大学に推薦で入れたのもこの活動のおかげだと思います。面接では、自然保護活動について話しました。そのため無事、環境学部に入学することができました。


現在も、帰省する度に桑原さんの所を訪れて、手伝える日は一緒に裏山に行きます。一番最近に帰省した時は、お正月頃でしたが、その時も桑原さんのところを訪れました。もちろん、新年の挨拶という意味も兼ねてです。一月だったのでとても寒かったのを覚えています。


今年は積雪は五十センチを超えていました。地域的にここまで積もるのは珍しいです。このままだと、管理していた山の植物たちは枯れてしまうので桑原さんとわたしは裏山に向かいました。


凍えるような寒さなので、ウインドブレーカーの上からさらにダウンジャケットを羽織っていたような気がします。持ち物は、融雪剤、シャベル、スコップを持っていきました。融雪剤は植物への影響は少ないと言われているので意外と使っても大丈夫なのです。裏山には縦二十メートル掛ける横二十メートルのロープで囲まれた正方形のエリアがあり、そこでは沢山の苗木を植えていました。


近年の異常気象で山の植物たちの多様性が減ってきていたからです。再生すべく、二年前から少しずつこの取り組みが始まりました。苗木はまだ幼く、か細いので、雪の重みで折れてしまうかもしれません。


融雪剤を桑原さんと二人で端から撒いていきました。かなりの広範囲なのでとても時間がかかりました。融雪剤も沢山は無いので、シャベルで雪掻きもします。苗木が見えてきたら根本を傷付けないよう、小回りの効くスコップで、雪を掬っていきました。


途中、囲ってあったロープをまたごうとした時に躓いてしまい、ロープが解けてしまいました。四箇所の丸太で止めていたので、もう一度丸太に結びつけます。丸太にぐるぐると何周か巻き付け最後に端を入れこみます。ぎゅっと引っ張ると締まります。


これは桑原さんから教えてもらいました。桑原さんはとてもロープワークが得意なのです。その後も色々助けてもらいながら、無事全ての雪を溶かすことができました。


作業が終わってから桑原さんからの誘いで、桑原さんの家でお茶をいただくことになりました。ここで、棚の上に置いてある小さなアルバムが目に留まりました。思わず、手に取りました。中の写真には見た事のある顔が沢山並んでいました。桑原さんの話によると十六年前に、自治体のお祭りで撮った写真ということでした。


言われてみれば、写っている近所の人はみんな若々しかったです。わたしと父と母と姉も写っていました。私は当時七歳でした。横には私より一回りほど小さな子供が立っていました。昔、隣の家に住んでいた二歳年下の男の子です。小学生の半ばぐらいまでは、とても仲が良かったのですが、ある事故をきっかけに引っ越してしまいました。


それからはずっと疎遠だったので、写真を見るまですっかり忘れていましたし、名前も思い出せません。引っ越すことが決まった時は寂しくて泣いたような気もします。そういえば、引越しの原因だと思われるある事故に、わたしは居合わせていました。


小学校が終わって放課後に近所の公園で私とその男の子とでボール遊びをしていました。冬が近かったのですぐ暗くなってしまいました。当時公園周辺は街灯が少なく、かなり目を凝らさないと遠くまでは見えません。


そんなときにボールが道路に転がっていってしまいました。わたしたちは一緒に探しに行こうと思いましたが、急に男の子だけが走って道路に飛び出して行ってしまいました。夕方はよく公園付近の道路を配送トラックが通ります。


わたしは急いで追いかけました。しかし、…間に合いませんでした。急ブレーキの音と共に車体に小さな体がぶつかりました。小学生のころはあの音とあの光景は何度忘れようとしても、ふとした時にフラッシュバックしていました。一瞬何が起こったか理解出来ず固まっていましたが、トラックからでてきた運転手が男の子に声をかけた後、一〇〇番と一一九番に通報しているところを見て、漸く事故だということに気が付きました。


わたしは慌てて頭が真っ白になり、男の子を置いて家に帰ってきてしまいました。お母さんに事情を説明すると、すぐに男の子のお母さんに連絡を入れてくれました。その後、わたしのお母さんはを出て公園まで向かい、男の子と一緒に救急車と男の子のお母さんを待っていました。


無事に救急車に運ばれ病院へ行きましたが、下半身が麻痺してしまったそうです。それからはずっと車椅子でした。わたしはその話を聞いて、可哀想だと思いました。わたしが男の子を止めて置けばよかったとも思いました。小学生ながらにとても後悔しました。母には"由美子が悪かったんじゃないよ"と毎日言われました。


そのせいか、わたしは自分をどんどん正当化していきました。そして自己防衛のためか、全てを忘れるために男の子が引っ越してからは、男の子のことについて一切話題にも出さず、手紙のやり取りもせず、思い出そうともしませんでした。


結果として名前を忘れてしまったのですが。この事故で下半身麻痺という大きな障がいを持つことになってしまった男の子は、普通の学校では不便ということで、特別支援学校に通うことになりました。多分これが引っ越した理由だと思います。



回想に浸っていたら、桑原さんがお菓子を持ってきてくれました。わたしの大好きな桑原さん手作りのクッキーとマドレーヌです。食べながら少し話して、わたしは帰路につきました。


実家に帰ると、父と母と姉が待っていました。残念ながら祖父母は五年前と三年前に亡くなってしまっていました。仏壇にお供え物と線香をあげ、居間の炬燵に戻ってきました。わたしは三賀日の間はずっと実家で過ごす予定で帰って来ていました。


桑原さんのお宅に行ったのが、二日ことだったので、あと実家で過ごせる期間は一日です。初詣も済ましていたので、特にすることも無く、家でゆったり過ごしていました。おせち料理の残りを食べながら、家族団欒をしていた時、わたしは桑原さんの家で見た写真について話しました。


すると、母が家にも懐かしい写真が沢山あるから、と、アルバムを取ってきてくれました。姉が生まれた時の写真、わたしが生まれた時の写真、二人の七五三の写真、近所の子供で撮った写真、旅行先での家族写真、思い出が甦ってきました。


男の子と一緒に撮った写真も何枚か出てきましたが、全て事故が起こる前の写真でした。楽しそうに公園で遊んでいる写真や、学校で遊んでいる写真、海に行った時の写真などが出てきました。


どれも十年以上も前の写真なので、もし今町ですれ違っても気付かないだろうと思いました。母はこの写真を見て、"この子と本当に仲良かったね"と笑っていました。


その時にわたしは忘れていた名前を聞きました。ゆうき君というそうです。そういえばそんな名前だった気がします。母は続けてこう言いました。あの時はあんたのせじゃなかったよ、と。わたしも忘れているほどでしたから、今はもうそこまで気にしていませんでした。ただ、久しぶりに会ってみたい気もします。



それから実家で一日ゆっくりし、東京のアパートに戻りました。そのうち、新年一発目の仕事の日になり、また仕事に追われる日々が始まりました。あっという間に、一月、二月と過ぎていき、気付けば三月でした。三月もいつも通り仕事をして、休みになれば出かけたりして充実した日を送っていました。


そうして迎えた三月九日。金曜日だったので、自分にささやかなご褒美としてショッピングモールで買い物した後にたまに行くレストラン&バーに行きました。今週は日曜日から六連勤で出張もあったためかなりしんどく、沢山飲むぞと決めていました。


早速ワインベースのカクテルを頼みました。その後もブランデーベースのカクテル、ウォッカのカクテルなど、どんどん頼みました。一人で来たので遠慮せず、赴くままに飲むと飲みすぎてしまいました。明日、純平とのデートがあることをその時は忘れており、帰るころには泥酔状態でした。二日酔い間違いなしです。


帰りは千鳥足になりながらも、無事に家につきました。着替えてから、沢山水を飲んですぐに寝ました。そして、寝ている間に日付が変わり、十日になりました。


午前三時、わたしの身にカタストロフィが起こりました。わたしは泥酔していたため、もしかしたら鍵を閉め忘れていたのかもしれません。××が家に入ってきました。寝ていたのでいつ死んだのかも正確には分かりませんが、首にロープをまかれ、つるされたようです。


もともと眠りが深いうえ、絞首だったため直ぐに気絶し、わたしは抗う間もなく帰らぬ人になりました。今思えば最近、背後から誰かつけてきているような気もしましたが、あまり気にしていなかったので顔は見ていませんでした。


もしかしたら、××だったのかもしれません。我ながら他人事のようですが、××がわたしを殺すとは思ってもみなかったので、驚きました。速く刑事さんたちが、××を見つけることを祈るばかりです。

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