第三章 事情聴取
三月十四日。由美子の遺体が三〇一号室で発見されてから四日経ったが、正直、事件に進展は全くなかった。由美子の遺体はようやく遺族に引き渡された。検視の結果としてはやはり、他殺だろうという見解だった。
検視が済んだため、事件に関する資料も増え、新留と飯田は朝から確認作業に追われていた。また、麻里の事情聴取に関しても、同時に行っていかなければならず、二人は朝から多忙であった。
飯田は、麻里の担当にあたり、新留が書類の整理をすることにした。新留はコーヒーを片手に資料にざっと目を通した。昨日鑑識からもらったメモの通り、由美子は前日の夜に泥酔状態になるほどのかなりの量のアルコールを摂取していた。血中アルコール濃度から、飲んだのはおよそ殺害される七〜四時間前だと考えられる。
種類はワインとブランデー、キュラソー、ウォッカなど複数であろうと推測された。しかし、それぞれで飲んだ場合とカクテルとして飲んだ場合、ハシゴした場合があるため店舗の推測に困った。また、最後に食べたものも判明した。胃からはミートスパゲティとピザらしきものが検出されたため、新留はイタリアンレストランとバーを調査することに決めた。
*
飯田は取り調べ室に入室した。コーヒーカップを机に置く。ノートとペンを持ち、録音機のスイッチを入れた。
「おはようございます。昨日も申し上げましたが、刑事の飯田です。今日は色々お話を伺いたいのでよろしくお願いします。」
「…はい。」
昨日同様、麻里は焦点があっていない。どこか違う世界にいるような異様な空気をまとっていた。
「今回、旅行中連絡がつかないと百合子さんがかなり心配されていましたが、沖縄で何かありましたか?」
「……あ、いや。」
明らかに動揺している。麻里は目線が泳いでいた。
「沖縄の旅行について話してもらえますか?」
「え、ええ。まず、三人の友人と一緒に九日の日から二泊三日で十二日の早朝に帰ってくる予定で行きました。一日目は観光をして、二日目と三日目は…。」
麻里は言葉につまった。口をぱくぱくさせている。
「すみません。私、思い出すと、その、怖いんです。」
飯田は落ち着かせるため、飲み物を持ってきた。先程より、ややスローペースで語気を弱めながら話しかける。
「これでも飲んでください。ゆっくりでいいので話せるところから話してもらえますか?何かある際には私どもが守りますから、安心してお話ください。」
麻里は大きく息を吐いた。コップの中の飲み物を勢い良く飲み干す。そして、自分に言い聞かせるように言った。
「ええ、そうよね。この刑事さんならお母さんもお世話になったし、大丈夫。」
机の上に置かれた両手は固く握り締められている。それからゆっくりと口を開いた。
「まず、二日目の朝は一日目と同様に観光していました。夕方頃になると、一件の電話がかかってきました。非通知だったから無視していましたが、同じ番号から何十件もかかってきたので、ただ事では無いと思い、電話に出ました。そしたら、知らない男がでて、夜に駅の近くのファミレスに来いと言ったんです。もちろん、行かない方がいいのは分かっているので電話を切ろうとしました。でも、切る直前に"来なければ母も父と同じようになるぞ、所在地は分かっているんだからな。"って言われたんです。」
麻里は自分を落ち着かせるためか、また大きく息を吐いた。飯田は百合子からもご主人のことは聞いていなかったので、何かがあるのだろうと思った。
「それで、私の父のことを知ってるのはある程度限られているんです。私の父は、十年前に表向きは事故で亡くなりました。けど、不審な点が多く、誰かによって意図的に殺されたと言っても過言ではないんです。でも、これといった確証を持てる証拠が一つも出てきませんでした。母も、もし…そうなると思うと私が行くしかないと思いました。電話の男は"もちろんだが、誰かに口外しても同じ目に遭う、いいな?"と言ってきたので、友人には適当に誤魔化して、ホテルを出てきました。」
麻里は俯く。飯田は麻里が父と今回の脅迫の件で精神的に疲弊し切っていることに気付いていた。しかし、話を聞かなければ進まないので、心が傷んだ。
「ファミリーレストランに着くと、定員さんに"先程、このようなメモを預かりました。あなたのような若い女性が来たら匿名で渡してくれ、と。"と、声をかけられました。聞いた話では、私の写真を見せられていたから分かったそうです。そのメモには、"十三日の夜に帰れ、帰るまでに誰とも連絡を取るな。従わなければ佐藤 百合子を殺す。"という二点が書いてありました。小さなメモでしたが手書きではなくて印刷された文字でした。それから私は怖くてたまらなくて…携帯の電源を落としていました。その後は言われた通りに、十三日の夜に帰りました。電話がかかってきてから家に着くまで正直生きた心地がしませんでした。」
飯田は、麻里が東京へ帰ってきた日に母の前で話ができなかった理由が分かり、余計に心の奥が締め付けられた。実質的には、麻里は脅迫犯には会っていないが、居場所や家族構成がばれている以上、常に恐怖が付きまとっていただろう。
「話して下さり、ありがとうございます。これは、明らかな脅迫ですので、早急に容疑者逮捕に尽くしていきます。」
「分かりました。あの、実は電話の声は変声機か何かで声変えていたと思います。機械的な音声でした。今まで気にしていませんでしたがもしかしたら、女性の声だったのかも知れません。」
「そうですか。では、性別は絞らずに調査しましょう。ご協力ありがとうございます。それと、もし、差支えがなければお父様の話も聞いてもいいですか?」
「ええ。…忘れもしません。十年前の九月十七日のことでした。朝はいつものように家族みんなで朝食を食べて、それからいつものように、私は小学校へ、父と母はそれぞれの仕事場へと家を出ました。父は普通の会社の普通のサラリーマンでした。
その日はちょうど、契約中の工場に契約の更新と変更のため出向いていました。所謂、出張というものです。私は当時小学校三年生、九歳でした。四時間目の算数の授業の時に深刻そうな顔をした教頭先生が私を呼びに来ました。父が怪我をして状態があまり良くないから、お母さんと一緒に病院に行ってきなさいというものでした。
まず母が母の仕事場で連絡を受けたようで、すぐさま学校に連絡したそうです。学校に既に迎えに来ていた母に連れられ、都立病院まで駆けつけました。しかし、着いた時にはもう、父は息を引き取っていました。身体はかなりの重症だったらしく、私は顔しか見せてもらえませんでした。私は父の変わり果てた姿に言葉を失いました。
そのとき、誰かに母だけ、廊下に呼び出されました。…"出張先の工場の機械に巻き込まれて亡くなりました。"というのが、壁を挟んだ向こう側から確かに聞こえました。母は私の所へ戻ってくるなり泣き崩れました。三年生の私に難しいことは分かりませんでしたが、今、父が亡くなって二度と会えなくなったことはしっかりと分かりました。
何時間泣いたのか覚えていません。気が付けば、三年は経っていました。毎日泣いていたのでしょう。小学校の頃の記憶が何も無いのです。いくら歳月が過ぎようと胸の中に空いた穴は塞がりませんでした。そうして私はこう考えるようになりました。あの父が不慮の事故になんか巻き込まれることなんて無い、と。
まず、契約の話をするのには、わざわざ工場の機械があるところに行かなくてもいいのではないかという点に引っかかりました。基本、父は工場内のオフィスのソファにでも座って話せば良いような内容の話をする仕事でしたから、機械に近づくことなんて無いはずなのです。
そして、もう一つ、これはあとから聞いた話ですが、工場の社長は父の会社との契約に不満を持っておられたそうなのです。工場との取り引きへは毎度父が行っていました。噂ではありますが、父とは話が通じない、案が通らないと裏で沢山陰口を言われていたようでした。どうしても父の会社の方が大手だったため、契約内容は父の会社に有利な条件が多かったと思います。
その後、工場はあくまで不慮の事故だったことを主張し、遺族である私と母には担当の社員に損害賠償を払ってもらう形で責任がとられましたが、有罪になるどころか裁判さえされませんでした。もちろん本当に事故だったのであれば、妥当な展開ですし、ある程度の納得はできます。
しかし、この日の監視カメラは何故か故障し、データが全て見れなくなっていたり、普段は作動させない機械が動いていたり…極めつけは、事故が起こったと予想されている時間から119番の通報に至るまで空白の一時間が存在している、など不審な点がどんどん見つかってきました。
警察の方も、これは事件の可能性も視野に入れるべきだと思って捜査してくださったとは思いますが、結局、物的証拠も的確な状況証拠も何も見つからず、工場側は不起訴になりました。
工場の社長も担当社員も今でものうのうと働いて幸せに暮らしているわけです。私は許せませんでした。ここまで、不可解であるのに警察からは何の対処もできない、この状況が不愉快極まりなかったです。
別に警察のせいだとは思いません。しかし、未成年で片親の非力な少女に何ができるのでしょうか。私には何も出来ませんでした。ここにきて私はうつ病とパニック障害を引き起こしてしまいました。当時中学二年生でした。そこからは毎週心療内科に通い、カウンセリングをしてもらう日々が続きました。十九になって、やっと当時の話ができるようになりました。」
飯田は麻里の話をここまで聞いて、ぐっと心を握られたような感覚になった。自分より十歳程若い少女が、人生にこんなにも葛藤を抱いて、毎日を苦しんで生きてきたと思うと、自然と耳を塞いでしまいたくなる。
飯田は自分はこういう人を一人でも救えるような刑事になりたい、と思った。刑事という立場の義務を感じた。また、今回、麻里は脅迫されていたため、百合子のクレジットカードを使った件に関しては罪に問う必要がないと判断した。
「…大変お辛い経験でしたでしょうね。私ども、刑事という立場の人間がもっと被害者やその家族を守っていかなければならないということを再認識しました。麻里さんの今回の脅迫の件も絶対に解決します。それと、先程、父の件を知っている人は少ないと仰ってましたよね。どなたか聞いてもいいですか?」
「ありがとうございます。是非お願いします。父の件を知っている人ですか。ええと、確か、身内と心療内科のカウンセラー、担当だった刑事さんと、取引先の工場の人 、父の会社の人、父の友達数人です。まだ他にもいるかもしれませんが。ですが、父の友達や、風の噂を聞きつけた人なんかは事件の可能性があることを知らなかったと思います。
みんな、"小さな子供を残して不慮の事故だなんて可哀想に。"と言っていましたから。ああ、それと、担当だった刑事さんの内一人は名前が印象的だったので覚えています。新留刑事でした。今回も、私はお世話になるようですね。もう一人はうろ覚えですが、井…原?刑事だったような気がします。」
飯田は動機は不明だが、麻里を脅迫した犯人は当時の工場の人の誰かであろうと考えた。また、二人の刑事の名前を聞いて言葉にはできない感情になった。当時の状況があまり分からない上、どこまでが事実なのかも知らないが、心のどこかで嫌悪を覚えた。十年前だとはいえ、飯田にとって偉大で、尊敬に値する刑事二人が解決に至らなかった事件に十年越しに自分が携わる。果たして自分に何ができるのだろうか。飯田は強い不安感に襲われた。
「なるほど。確かに少ないですね。ここの署にまだ、新留と井原もいます。二人と情報共有しながら、今度こそ必ず逮捕、起訴しましょう。お約束します。」
飯田は空気感を変えるため、仕切り直して言った。
「ええと、その、話が変わりますが、百合子さんが管理しているアパートで事件があったのはご存知ですか?」
「はい、母から聞きました。三〇一号室に住んでいらっしゃった村上由美子さんが亡くなられたらしいですね。」
「そうです。今、こちらは他殺という方向で捜査をしています。容疑者は管理室から鍵を借りて部屋に侵入したと見られています。そこで、鍵の貸し出し管理記録を百合子さんに見せてもらいました。しかし、抜けている日が数日あるようで、容疑者を絞ることができませんでした。百合子さんが別の用事でおられないときは麻里さんが、代わりに合鍵を貸し出しをしていると聞いています。そこで聞きたいのですが、何かご存知なことはありませんか?」
麻里は、あっ、と小さな声を漏らした。
「すみません。その通りで、母が居ない時は私が大家の仕事を手伝っていました。でも、こんなことに大事なるなんて思っていなくて、記録をあまりつけていませんでした。記憶の限りでは全員すぐに返してもらったと思います。」
「そうですか。いつからお母さんの手伝いをしていましたか?」
「二年前の夏、私が高校三年生の時にはじめました。本当にすみません。その、誰が何号室を借りたとかいつ借りたとか覚えていなくて…。」
飯田は麻里がまだ若いため、鍵の管理を軽い認識で捉えていたのだろうと思った。悪意があり、わざと記録していなかったようには聞こえなかった。
「分かりました。無いものは仕方がないですから、別方面で調査していきます。また何かお伺いすると思いますが、ご協力お願いします。脅迫の件など何か困ったことあればすぐに連絡してください。今日はありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございました。捜査の方、よろしくお願いします。」
飯田は録音を止め、取り調べ室から出た。視線の先には新留が座っていた。
「お疲れ様です。今、取り調べが終わりました。」
「おう、お疲れ様。どうやった?」
「それがですね、失踪の件に関しては脅迫されていたそうで帰れなかったようです。証拠も一応押さえてはいます。それから、鍵の件は記録の書き忘れだそうです。あまり、重大なこととは捉えていなかったようです。」
飯田は新留に取り調べた内容に関して詳しく話し、録音を渡した。新留はずっと真剣に聞いていた。麻里の父の話になった時に顔が少し曇った。
「あの時、俺は何もしてやれんかった…。」
新留は静かにそう呟いた。いつもよりワントーン声が低かった。少し間を置いて続けた。
「…とりあえず、今は村上さんの事件が先や。」
新留は解剖の結果を飯田に伝えた。
「分かりました。バーとレストランを調査しましょう。」
由美子はワインを飲んでいたことと、仕事を切り上げた時間とで計算したところ、車で行くような遠いところへは食事に行っていないと判断し、アパートから半径三キロメートル圏内のバーとレストランを回った。しかし、今回も参考になるような話や物は見つからなかった。何の成果も得られるず、二人は少しばかりの焦るを感じ始めていた。今日は最近多忙だったため、早めに捜査を切りあげ、二人は家に帰った。明日からはもう一度、由美子が生前親しくしていた人たちに話を聞くことにした。
*
新留は帰宅後、湯船に浸かりながら、昼間に飯田に言われたことを頭の中で反芻していた。記憶が少しずつ思い起こされた。当時、三十二歳だった。漸く、刑事の仕事をこなせるようになってきたが、まだまだ新人だった。
ここの部署に派遣されて、先輩の井原刑事と初めて組んだ仕事が麻里の父の事故だった。通報が遅かった点や、緊急停止装置が作動しなかった点、恨みなどの殺害の動機が考えられる点などから、殺人事件を視野に入れて、家宅捜索に踏み切った。しかし、証拠は見つからず、押収できたものは監視カメラと死因である機械の部品だけだった。監視カメラは壊れていたようで参考となる映像は一つも無かった上、部品も他殺である証拠にはならなかった。
結局、捜査報告書を提出したが、証拠不十分で不起訴になった。かなり怪しい事故という位置付けになってしまっただけだった。遺族である、佐藤さん親子は刑事に何か言ってくることはなかったが、不起訴になったことを告げると静かに泣いていた。法に抗うことのできない無力な遺族を目の前にした新留はただただ悔しかった。それからの十年間、新留は少しでも遺族に心残りがないように徹底した捜査を心がけてきた。思い出してやるせない気持ちになった。
…しかし、どうして今頃、この事故を脅しに麻里の沖縄滞在を一日延期したのであろうか。全く容疑者の動機が見えてこなかった。そもそも、容疑者は誰なのだろうか。考えたくは無いが、麻里の自作自演もありうる。父親の事故の件では罪を償わせられなくても、自分が脅迫されたことにすれば、もしかしたら脅迫罪で_____。新留は思考を止めた。元はと言えば、解決出来なかった自分が悪い。今回こそはどちらの事件でも、被害者がこれ以上悲しまないように。
新留は改めて自分が刑事になった理由を考えながら、シャワーで体を軽く流した。風呂から上がってからは暖かいお茶を片手に書斎の椅子に座った。
デスクの上には刑事になったばかりの時から基本毎日書いている日記帳があった。これで十三冊目になる。事件のメモも記入するため、すぐに埋まってしまう。日記帳とは言いつつも、普段から持ち歩いている五ミリ方眼の普通のノートである。
思わず、最初のページから振り返っていく。四ページ目に書いていた若々しくやる気に満ちている字で書かれている言葉が目に止まった。"犯罪が許せない、被害者とか遺族とか弱い立場の人間の代わりに自分が必ず捕まえる!"この言葉に我ながら背筋がピンと伸びる。
その数ページ先には初めて担当した事件についても事細かに書かれていた。自分のその時の感情も甦る。更に数ページ先には、麻里の父の事故についても書いていた。飛ばし飛ばしではあるが一冊目から振り返っていたため、あっという間に時間が過ぎていた。ノートを閉じ、明かりを消した。明日に備えて新留は眠りについた。
*
飯田は帰宅後、麻里の取り調べ中に書いたメモを見ながら、録音を聞き直していた。メモに使ったノートは新留がくれたものだ。新留は普段からノートになんでも書き込むようにしているらしく、飯田も書いてみるといいと勧められた。
録音を聞き返していて疑問に思ったのは、何故今になって麻里を脅す必要があるのか、何故麻里を一日遅く帰らせる必要があったのか、という点だ。お金を請求されたり、直接的なにかに働きかけさせたりするのではなく滞在日数を増やさせたのか。全く検討がつかないので飯田はもやもやした。
また、麻里が以前父の事故が原因でうつ病とパニック障害を発症しているということで今回の脅迫事件で再発しないか心配であった。過去のトラウマにつけ込み、恐怖の感情を引き出させる…卑怯な手口である。飯田は自分のことでは無いが、感情を逆撫でされた気分になった。その後は録音を何度か聞き返し、メモに足りない部分を書き足していった。明日も朝が早いので作業が終わるとすぐに寝ることにした。
*
三月十五日。午前九時半。昨日、新留が川本と金岡に話を聞きたいから署まで来て欲しいという旨の連絡をしていた。川本は午前中なら相手いるとの事だったため、署に足を運んでもらった。
「おはようございます。わざわざ来て頂くことになってすみません。こちらへどうぞ。」
飯田が川本を取り調べ室に案内した。川本は事件当日よりは生気を感じられたが決して顔色が良いとは言えなかった。しかし、由美子のためを思うと協力したいと自ら進んで警察署に出向いた。入室すると、昨日同様、飯田は録音機のスイッチを押した。
「今日も以前とあまり変わらないことを聞くかも知れません。答えられる範囲でいいので教えてください。では早速、質問させていただきますね。」
飯田は川本に配慮して、まずは当たり障りの無い雑談に近いような内容から話し始めた。
「最近、眠れていますか?」
「…はい。ここ二、三日はやっと寝れるようになってきました。でも、夢で思い出してしまうので、夜中に何度も起きてしまいます。」
「そうですよね…。お仕事の方は行けていますか?」
「今週はずっと休んでいます。行く気にもならないし、眠れていないので…。正直、仕事なんてどうでもいいです。」
「もし、仕事場の人から何か言われたら、私も連絡を差し上げますので、困ったらいつでも言ってください。やはり、社会には他人のことだと軽く捉えてしまう人もいますから。」
「ありがとうございます。」
飯田はなるべく優しく丁寧な口調でゆっくりと喋った。そろそろ、本題に入っても良いところだろう。
「事件前についてもお聞きしますね。由美子さんに最後にお会いしたのはいつでしたか?」
「事件が起こるちょうど一週間前です。その日は、休日だったのに僕の方が仕事があったので、仕事終わりに一緒に食事をしに行きました。」
「その時は何か悩んでいたり、困っていたりしていませんでしたか?」
「ありませんでした。」
「過去に誰かに恨まれるようなことがありそうでしたか?何か聞いたり…?」
「それもありませんでした。家族や友人にも評判が良かったので、考えられません。」
「そうですか。由美子さんが事件前日に外出していたそうなのですが、どこか検討はつきますか?」
「分からないです。アパートの近くのショッピングモールにはよく行ってましたけど…。」
「そうだったんですね。ちなみに事件当日由美子さんは泥酔状態だったのですが、もともとお酒には強かったですか?」
「いや、そんなに強くなかったと思います。でも、飲むのは好きでした。」
「行きつけの飲み屋とかはありましたか?」
「飲み屋ではないんですけどバーにはよく行っていました。けど、行きつけとかではなく、いつもいろんなところに行ってましたね。」
この後も、飯田は川本から日常について聞いた。由美子の生活習慣が分かったのでかなり川本の情報が役に立ちそうだ。もしかしたら、由美子が事件前日に行っていた場所が特定できるかもしれない。
「大変参考になりました。お話を伺えて良かったです。ご協力ありがとうございました。」
「いいえ。由美子のためですから。こちらこそありがとうございます。捜査、引き続きよろしくお願いいたします。」
飯田は録音を止めた。川本が退出した後、丁度お昼頃だったので新留と一緒にお昼ご飯を食べに出かけた。金岡は午後に署に来てもらうことになっていた。
「先程の川本さんの話によると、由美子さんは近所のショッピングモールやバーによく行っていたようです。」
「そうか。なら、飯田が金岡さんの話を聞いてる間に、俺はショッピングモールにでも行ってくるわ。」
二人は昼食を済ませた後、署に戻った。新留はショッピングモールに向かうために再び出かけて行った。暫くすると、金岡が飯田のもとにやって来た。少し、元気はなさそうなものの、顔色はわるくなかった。
「こんにちは。お待ちしておりました。わざわざ来てくださってすみません。こちらへどうぞ。」
川本が来た時と同様に取り調べ室に案内した。今回も録音をし、初めは雑談に近い話から始めた。その後は事件のことについて聞いていく。
「由美子さんは生前、何かに悩んでいる素振りはありましたか?」
「いいえ、なかったと思います。」
「誰かに恨まれているような印象を受けたことはありましたか?」
「最近はなかったと思います。地元で小学生や中学生のころは恨まれるほどではないですけど、同級生の女の子たちの多少のいざこざとかには巻き込まれていたかもしれないです。」
「ほう。恨まれるほどではないと仰ってますが、どの程度のものですか?」
「その、なんというか、ある女子グループの中で仲間割れが起きて、由美子はどっちとも仲が良かったのでどっちにつくか、みたいな感じだったので、当事者も忘れているぐらいのことだと思います。」
「なるほど。あまり事件には発展しなさそうですね。他になんかありましたか?」
「いや、無いと思います。」
「では、少し違う質問になりますが、由美子さんの行きつけのお店とかありましたか?どんなジャンルでもいいです。」
「ありました。アパートから徒歩七分の所にあるショッピングモール、二駅先にあるアパレルショップ、職場の近くの居酒屋とかですかね。あ、あと、バー巡りもよくしてました。」
飯田は急いでメモにとる。この後も話は続いたが、大した情報は得られなっかた。
「ご協力ありがとうございました。また何か思い出したときなどは連絡ください。」
「はい、こちらこそお世話になりました。」
金岡も署を後にした。飯田は二人分の録音を聞き直していた。由美子の普段の行動範囲が分かったので、今日は収穫があった。メモと照らし合わせ、行動範囲を絞った。地図に書き入れていく。少し経ったころに新留が帰ってきた。ショッピングモールの監視カメラの映像を確認してきたらしい。
「事件前日の監視カメラに由美子さんが写っててん。」
「本当ですか!誰かと一緒に写ってましたか?」
「いや、一人やった。でも、この映像のおかげで、事件前日にどこで飲み食いしたか特定できたんや。」
「やりましたね!新留刑事、流石です。」
「バーとレストランが一緒になってる飲食店があって、ショッピングモールから徒歩三分、アパートから九分のところにある。店主によると、いつもよく来てくれる子っていうてたから日頃から行ってたみたいや。事件前日も一人で行ってたらしい。いつもよりはかなり飲んでいたらしけど、もともとよく飲む子やったって。」
「そうなんですね。見つけれたことは本当に大きな発見ですね。ですが、一人だったとなると、容疑者に直結しないから、まだ捜査は難航しそうですね。」
「そうやねんなあ。まあ、明日はその周辺からアパートまでを重点的に調べようか。」
「そうですね。あ、これ、川本さんと金岡さんの録音です。」
二人は事件発生から五日目にして漸く、由美子の足取りをつかむことができた。明日からの捜査でより解決に向けて成果を出せることに期待しつつ、署を後にした。
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