第二章 序章に過ぎない

三月十二日、午前二時過ぎ。新留、飯田の順にアパートに着いた。百合子は疲れきった顔で管理室に二人を招き入れた。


「こんな時間に本当にすみません。娘は今日の朝一で帰る予定なので、夜の時点ではまだホテルにいるはずなんですが、一緒に沖縄に行っていた友人の方から急に電話がかかってきて…。詳しい経緯は分からないですが、もう七時間もホテルに帰ってきてないとのことなんです。しかも音信不通で連絡もつかないんです。」


百合子は通話履歴を二人にみせた。佐藤 麻里という名前が十件並んでいる。全て通話時間は零になっている。


「ほう、そうですか。航空機の予約は何時にされてたんです?」


「六時台の便です。かなり空港から遠いホテルに泊まってるので、四時頃にはホテルを出ないといけないそうです。」


「とりあえず、今はあと二時間待つしかなさそうですね。帰ってくる可能性もありますし。出発時間になったら麻里さんとそのご友人にもう一度、連絡とってみましょう。」


新留も飯田も、百合子はかなり切羽詰まった様子で話をしていたので、アパートまで急いで来たが、説明を聞くと少し肩を落とした。まだ二時間あるのだから、失踪というには大袈裟な気がした。が、仕事なので周辺で二時間待つことにした。新留は意外と元気だったため外に軽く散歩に出た。飯田は管理室で仮眠をとることにした。


「刑事さん、寝ているところ、すみません。今連絡があったんですが、やはり娘は出ないし、空港にも現れなかったんですって。」


冷や汗を書いた百合子が口早に言う。飯田が気付いたときにはもう時計の針は四を指し、あたりも薄明るくなってきていた。新留もいつの間にか隣に座っていた。


「これは困りましたね。しかし、我々もすぐには介入が難しいんですわ。まず、今できることは捜索願を本部に出してもろて、それから現地の警察に任せるしかない。但し、事件性が認められた場合のみですけど。」


新留は物憂げな顔をした。新留も飯田も刑事だから大体わかる。こういう件に関しては受理はされにくい。民事不介入の原則というものだ。しかも、麻里側が不受理届を先に出している可能性もある。確かに突然姿を消したが、百合子に詳しく話を聞いていると、どうやら友人達に知り合いと会う用事が出来て同じ便で帰れないかもしれないという連絡が失踪する前に来ていたそうだ。話や状況から察するに事件性も薄いだろう。


「ただ、行方が分からなくなってから一度も連絡が着いていないんです。もう九時間になります。やっぱり、誘拐されてる可能性も考えてしまうんです。犯人が脅してメールを送らされていたり、今は携帯を取り上げていたり、とか…。」


百合子は涙目で二人の刑事に訴えかける。新留は確かにその可能性は否定できない、と思った。警察が動かないのであれば、こちらが個人的に動くしかなくなる。


「そうやね。さっきもいうたけど、とりあえずは捜索願をだすことやな。ほんで、受理されるのを待つしかないですわ。されなかったら、こちらで個人的に捜索のサポートはさせてもらいます。」


「…そうですね。分かりました。」


百合子は少し不満が残ったが、新留の言ったことが今できる最善であることはよく理解していた。飯田は署に戻り、書類を届けに行った。新留は一度家に帰り、仮眠をとった。


飯田は署で別事件を担当している沖田に会った。沖田は年齢としては飯田の四個上ではあるが、同じ部署に配属されている同僚だ。


「あ、沖田さんじゃないですか。お疲れ様です。

今日はなんでこんな朝早くから?」


「おう、飯田。それがさ、まあなんと、被害者のお兄さんが失踪しちゃってさ。朝から大変だよ、本当。」


「それは、奇遇ですね。僕のとこも有力な情報持ってそうな人が失踪しちゃって。それで、捜索願書いてもらうために書類を取りに来たんですよ。」


「お互い様だね。今日も一日頑張るかー。」


こんな偶然要らないのにと呟いてから沖田はオフィスの一角にある休憩所に向かって行った。飯田は書類をまとめ、オフィスを出た。アパートに向かっているときに新留から電話がかかってきた。


「急に悪いな。今どこにおる?」


「アパートに向かってます。」


「そうか。行き先変更や。隣町の穴場釣りスポットに向かってほしい。」


「はい?」


「まあ、説明は後や。とりあえず来てや。待ってるで。」


飯田は新留に促されるがまま、隣町の釣り場に向かった。まだ朝の六時のことだった。


「おう。来たか。今から急いで聞き込みするぞ。」


飯田は訳も分からず、少し動揺した。


「聞き込みって…どうしたんですか?」


「話は後や。今ここにおるなるべく多くの人に三月十日に怪しい人がおらんかったかを聞くで。」


飯田は目の前で座って釣りをしていた、六十代ぐらいの男性に声をかけた。慣れた手つきで警察手帳を出す。


「すみません。警察のものですが、少しお話を伺ってもいいですか?別に大したことではありません。」


「え、ええ、いいですけど…。」


「ありがとうございます。急に手帳出して驚かしてしまってどうもすみません。早速聞きますが、いつもここの釣り場にいらっしゃるんですか?」


「あぁ。そうですねぇ。ほとんど毎日来てます。」


「なるほど。では、一昨日、十日の日も来られてましたか?」


「はい。ここにいる連中はかなりの釣り好きなので、みんなほぼ毎日来てますよ。」


「そうですか。皆さん顔見知りということで?…十日の日に怪しい人、見ませんでしたか?」


「そりゃあ、みんな顔も知っていますよ。十日の日ねぇ。いつものメンバーしか、ここには来てないと思うけど、でも、何せ、釣りは静かにするものだから、すぅっと誰かが来てすぅっと誰かが帰っていたとしても気づかないかもしれないです。時間にしても暗いしねぇ。」


男性の話によると、ここに来る人達は午前三時前頃から続々と集まって、六時頃には帰るらしいということだ。新留が急いでいた理由が分かった。ある程度の聞き込みを終えたがほとんど情報は得られなかった。自販機で缶コーヒーを買ってから、飯田は新留に話しかけた。


「お疲れ様です。みんな帰っちゃうから急いでいたんですね。でも何故ここに辿り着いたんですか?」


「そうや。それが、ハングマンズノットって釣りの中でも使われる結び方ってこと知っとったか?」


「いえ、知りませんでした。そうなんですか。」


「それで、鑑識の調査によると被害者に使われたナイロン製のロープは釣り道具店で購入されたものって考えられることが分かったんや。」


「なるほど。容疑者は少なくとも釣りをある程度知っている人だということですね。」


「まあ、そう考えるのが妥当やろうね。」


「けど、それなら何故ここなんですか?」


「死亡推定時刻から考えた時にここの釣り場ぐらいしか行けないと思うねん。犯行前に来たとしても、犯行後に来たとしてもありうる時間帯って訳や。」


「確かにそうですね。けど結局、何も情報は得られませんでしたね。」


新留は苦笑した。飯田は睡眠不足のせいか、思わず口に出した言葉を悔やんだ。


「…すみません。今日のこれからの予定はどうしますか?」


「いや、ええよ。そうやなぁ、釣具店回りでもしようか。」


新留と飯田はアパートと釣り場周辺の釣具店を中心に聞きこみ調査をしたが、有力な情報は特に得られなかった。ちょうどかかってきた署からの電話で捜索願が受理されなかったことが分かった。


「やっぱり受理されませんでしたね。佐藤さんにどう連絡しましょう?」


「やっぱりな。しゃーないけど、こちらが個人的に人員を手配するから、暫く待っといてもらうような主旨を伝えといてほしい。」


「はい、了解です。」


「この後、俺は署に戻って鑑識の書類をまとめておくから、飯田は家にでも帰って休憩しとき。」


「それは申し訳ないです。新留刑事もお疲れでしょうし、お供します。その方が速く終わると思いますし。」


「お気持ちはありがたいが、慣れてるからすぐ済むし、これは長期戦になるから体力もいるねん。。やから飯田は休める時に休んどき。」


飯田は百合子に連絡した後、新留の言葉に甘えて家に帰ることにした。家に着いたのは午後二時半頃であった。


一方、新留は書類に目を通していた。気になる点を見つけたらコピーし、自宅へ持ち帰り、それに色々書き込んでいく。これが新留のやり方だ。新留はコピーを終え、自宅に向かった。今回の事件も気がかりな点が多く、随分時間がかかってしまった。


家に着いたのは午後四時前の事だった。帰宅後、コップにインスタントコーヒーをセットし、お湯を注いだ。香りを少し楽しんでから、一気に飲み干す。新留は寝不足だった。書斎のデスクには付箋とペンと書類が乱雑に置かれている。


「はぁ…。やるか。」


ため息と入れ替わりに士気が高まった。袖を軽くまくりあげ、書類を揃えた。ホッチキスで止め、ペンを握った。まず最初に確認したのは、遺体発見時の現場の状態だ。


書類では、寝室でベッドから九十二センチ離れた場所に遺体はうつ伏せで発見されたと書かれている。脚部は床に着いており、胸部から頭部にかけては二十センチ浮いていた。


頸部には、ロープが軽く食い込んでいた。ロープはナイロン製で、先端は天井に付いている照明に括りつけてあり、パロマーノットという結び方、首周りはハングマンズノットという結び方であった。どちらも釣りでよく使われる糸の結び方の為、釣りをしている人の可能性が高い、もしくはロープワークに精通していると考えられた。


また、ロープからは指紋が検出されず、シーツ、掛け布団とも綺麗に整えられていた。寝室のドアは閉められていたと第一発見者である川本さんが証言している。


死亡推定時刻は、午前二時〜六時頃と考えられている。また、鑑識が先に特別に教えてくれた情報では、死体解剖の結果より、アルコールが検出され、存命中に酒類を摂取していたと思われるらしい。



ここまで読んで新留は凶器であるロープに着目した。どこで購入されたものかは特定されていないが、一つも指紋が検出されていないことに疑問を持った。通常であれば、購入までの間に不特定多数が触るはずである。容疑者はわざわざそれを落としたとは考えにくい。


普通、沢山の指紋が付いているのであれば、捜査対象が広がり、犯人にとって有利になるはずであるからだ。新留は付箋を貼った。ページをめくる。次に目に止まったのは、シーツや布団等、部屋の中がとても綺麗な状態であったことだ。貴重品はそのままの状態で残っており、部屋も荒らされていないことから強盗でないことは確実であるが、意図的に部屋が整えられていることに違和感を覚えた。


どういう目的で、わざわざ整えたのか。基本容疑者は犯行現場には少しでも居る時間を短くしようと考える。そして、そもそも自殺か他殺かという点だ。自殺にしてはかなり特殊なケースになり、他殺と考えるのが相応しい。


しかし、他殺にしても全く証拠がないため犯人像すら掴めていない。現在の状態では、他殺と断言できない。頭を抱えたが、やはり他殺の線で考えていく必要がありそうだ。ページをめくった。アルコールが検出されたことも引っかかった。


争った形跡がなく、遺体も綺麗な状態であったことから、眠っている時に殺害されたであろうと推測された。酒を飲んでいることから眠りが深かったと思う。新留は次のページをめくろうと思ったが、その手を止めた。気付けば辺りが暗くなっていた。時計を見ると午後七時になっていた。寝不足で疲労が溜まっていたので、早めに食事と入浴を済ませ、早く寝ることにした。


飯田が目を覚ましたのは午後六時の事だった。思ったより、寝てしまったことに驚いた。この後、特に予定がないので、もう少しゆっくりすることも考えたが、新留の事が気にかかったため、とりあえず署に向かうことにした。だが、署には新留の姿は無かった。代わりに、また沖田と会った。


「お疲れ様です。また会いましたね。そっちの失踪の件はどうでした?」


「お疲れ様。ほんとですね。それが、全然見つかってないんだよ。捜索願は受理されたんだけどね。飯田の方はどう?」


「そうですか。それは大変ですね。こっちは、捜査願は受理されませんでしたよ。しかも、沖縄で行方不明になってしまってて。途方がなさそうです。」


飯田はバツの悪い顔をした。沖田も眉をひそめた。


「…それは残念だったね。早く見つかるといいんだけど。」


「本当に。それで事件の方はどんな感じなんですか?」


「あぁ。一応、容疑者は逮捕されたよ。今から取り調べってとこかな。意外とすぐ見つかってね。なんなら今の問題は、兄の失踪の方だよ。」


「お!逮捕されたんですね。それは良かった。」


「そうそう。しかも、取り調べ担当は、かの有名な井原刑事だからね。」


井原刑事は経歴もそこそこ凄いが、何と言っても話術がたくみで、容疑者はポロッと何でもこぼしてしまう、と刑事課では有名な人だ。


「それなら安心ですね。捜索の方、頑張ってください。」


「ありがとう。なんかそっちは忙しそうだな。自殺か他殺かも曖昧なんでしょう?」


「本当ですよ。困ったもんで現場から何も証拠が見つからないし、有力な証言もない。けど、自殺にしてはあまりにも不自然すぎるんですよね。」


「かなり計画的な犯行みたいだね。なかなか大変そうだ。頑張れ。はい、コーヒー。」


沖田との軽い会話を終えて、自分のデスクに座った。机上には飴と共に飯田刑事へと書かれたメモが貼られた書類が置いてあった。


"新留です この捜査書類をコピーして目を通しておいてください"


飯田は書類をコピーし、ホッチキスで留めた。家に帰ってからゆっくり見ることにした。


三月十三日、午前八時。新留と飯田はオフィスで話し合っていた。


「昨日、メモ見てくれてたようで良かった。昨日書類を見て気になったとこがあるから、今から説明するわ。」


「ええ、昨日はありがとうございました。書類持ってきますね。」


新留は昨日思ったことを全て飯田に伝えた。


「確かに気になる点が多くありますね。ちなみにロープの指紋についてなのですが、容疑者がわざわざ指紋を拭き取るのには、購入店舗を知られたくないとか入手経路を分からなくするためという意図があるんじゃないかと思いました。」


「なるほど。それは思いつかなかった。そうなると、本当に容疑者は隙がないなあ。えらい計画的な犯行や。」


「入念に準備したんでしょうね。物的証拠も今は何一つ見つかりませんし。けど、肝心な動機がどうも見えてきませんね。」


「そうやねんな。そこが一番大事なのになあ。由美子さんの人間関係も良好やったみたいやし。やっぱり、もっと詳しく聞き込む必要はありそうやな。」


話し合いを終え、アパートの百合子の所へ向かうことになった。


「どうも、連日すみません。娘さんの方はどうでしょうか?」


「それが、まだ連絡がついてなくて…もう、どうしていいか。」


「そうですか。昨日お伝えした通り、警察としては動けませんけど、二人で最善のサポートはしていくつもりですので。こちらで、沖縄で捜索活動を手伝っていただける方を手配しています。佐藤さん、今は定期的に麻里さんに電話をかけておいてください。」


「…分かりました。」


百合子は涙目になりながら携帯を握りしめた。大きな進展がない中、新留と飯田はロープのメーカーの特定ができたという鑑識の連絡を受けた。幸いなことに大手メーカーではなかったため、販売されている店舗も限られていた。オンラインでの販売もないらしい。

また、ロープは新品同様であり、商品販売開始時期から考えても、事件一週間前から事件発生までの間に購入したと推測された。地道ではあるが全ての店舗を回ることにした。初めに向かったのはアパートから二キロ程の所にあるホームセンターだ。店長にロープの売り上げ本数を確認した。事件前々日の八日には二、九日は零本、週全体でみると十三本売れていた。


「これでは、特定するのはずいぶん難しそうですね。そもそもいつ買ったかも分からないですし。購入時は怪しい恰好ではないでしょうし。」


「困ったな。指紋を落としたとなると、水につけて洗った可能性が高いから、多少の期間がいる。前日に購入するとは、考えにくいと思うねん。前日を除いた一週間前までの間の記録を確認して回るぞ。」


案の定ホームセンターの定員は全員怪しい人の目撃はなかったようだ。売り上げ記録のデータと監視カメラの映像をもらい、他の店舗に行くことにした。次の店はアパートから六キロ先の釣り道具専門店だ。


ここでも店長に売り上げ記録と目撃情報について聞き込みをした。数は少ないもののやはりロープは複数本売れていた。監視カメラを確認しても、特に気になる点はなく、先ほどと同様にデータと映像を持ち帰った。他店舗へ向かおうとしているときに、新留の携帯に着信があった。


「…ほんまですか?今すぐ向かいます。」


通話相手は百合子だった。娘の麻里に連絡がについたという内容だった。新留と飯田は急いで引き返した。


事態は好転したにもかかわらず、百合子の表情は曇っていた。何か腑に落ちない点があったようだ。


「どんな内容の連絡だったんですか?」


「連絡が付いたのは、午前十一時頃です。私が麻里に電話を掛けたら出て、"お母さん、心配かけてごめん、すぐに帰るから。"とだけ言ってすぐに切れたんです。全然私が話す隙がなくて、元気かどうかも聞けてないですし、いつ帰ってくるのかも…。」


「そうだったんですか。困りましたね。何とか居場所が分かればいいですけど。」


「それなら、佐藤さん。往復路の航空券は、誰が購入したんです?クレジットカードの明細って見れますの?」


「私ですけど。…クレジットカードですか?私の物なら見れますよ。」


「確認してもらってもいいですか。」


新留は心の中でガッツポーズをした。クレジットカードの明細は本人しか見れないので、麻里が自分のを使っていた場合見れないが、運良く百合子に買ってもらっていたようだ。


「確認してきました。昨日の昼頃にショッピングモールでの買い物と今日の夜の分の航空券を購入していました。」


百合子の語気が強まった。今日帰ってくることを知り、安堵の笑みが漏れる。新留はやっぱりと思った。往復の航空券を百合子のカードで購入したのであれば、使われていることも充分考えられた。ヤマが当たった。


「そうですか。それは本当に良かった。…こんな時に、言うのも申し訳ないのですが、今回の失踪が事件性が無いか、アパートの鍵の貸し出しリストについて、他人のクレジットカードを使ったことについて、お話を伺いたいので、一度帰宅されてからでいいですから署に同行願います、と伝えてもらえませんか。もちろんこちらからもご本人には説明させてもらいますけど。」


「ええ。伝えておきます。その、クレジットカードの件ですが、娘は罪に問われたりって…」


新留と飯田はこの質問に眉をひそめた。他名義のカードを使うことは、例え本人の承諾があっても禁止されている行為だ。初めに買った航空券は百合子が買ったので何も問題はないが、今回の件は流石に見逃せない。


「まあ、そういうことになりますね。」


「…そうですか。」


百合子は、連日の騒動で明らかに疲弊しきっていた。


「佐藤さんはお疲れでしょうから、少し休んでください。麻里さんから、また連絡が来たら私たちにも連絡してください。」


「ええ、そうするわ。」


麻里のことは現状、待つしかない。新留と飯田はアパートではすることもないので、ロープの販売店の調査に戻った。午後一時のことだった。


「やっぱり売り上げ記録の確認と監視カメラの映像では、中々特定には至りませんね。」


「今回は、特定というよりかは資料集めがメインや。動機や犯人像を改めて考えて絞っていく必要がありそうや。」


全ての販売店の記録が集まったため、新留と飯田は署に持ち帰った。記録は、合計十三店舗、売上本数にして百四十七本、監視カメラより推定購入者数百二十一人という数にのぼった。数にしては多くはないがここから絞っていかなければならないことを考えると気が引けた。もう一度、事件当時の状況を調べ、確認する必要がある。


「やっと全店舗回りましたね。お疲れ様です。」


「お疲れ。今回の調査で、一つ大きな発見があるで。由美子さんの自殺の可能性が極めて低くなったことや。監視カメラに由美子さんの姿がなかった上、オンラインでは、売っていないからな。自殺は他の購入者から、もらうか奪うか以外有り得ないことやしな。」


「本当ですね。頑張った甲斐がありました。」


一段落つき、新留は事件の記録が書かれている書類を確認しようとした。しかし、時計の針は午後六時を指していたことに気付いた。そろそろ麻里が帰ってくるころだろう。こちらも備える必要がある。


「俺は家に戻るわ。飯田も休憩しとき。多分そろそろ佐藤さんから連絡くるんちゃうかと思うから、準備してくるわ。」


新留は、書類とデータをまとめ足早に署を後にした。飯田も帰宅し、再集合したのは午後八時、百合子の連絡を受け、空港でのことだった。


「先程、麻里から、メッセージアプリで八時半に到着する便に乗ったと連絡がありました。予定であればもうすぐ着くと思います。」


そのとき、百合子は、あっと声を漏らした。一人の女性がこちらに向かって歩いてくる。百合子はすぐさま駆け寄った。


「もう、麻里、心配したんだから。大丈夫?何があったの?」


百合子の目には涙が溜まっていた。しかし、反対に麻里は虚ろな目をしていた。焦点が合っていない。相反する状況に新留は違和感を覚えた。


「…お母さん、心配かけてごめん。」


麻里は家に帰るまでこの一言以外は発さなかった。新留と飯田は明日警察署に来るように伝えてから、その場を後にした。


新留は帰宅後、書類の続きを確認した。アルコールに関しては、正式な書類はまだ出ておらず、鑑識からのメモであったため詳しい結果は後日にならないと分からない。


しかし、すでに出ている資料では、家からは酒類のごみなど飲んだ形跡についての記述はなかった。となると、事件前日の夜は外出して飲んでいたと思われる。明日以降、由美子の外出先を調べる必要があると思った。他にも、アパートの間取りや、人間関係、着ていた服などを詳細に確認したが、途中から記憶がない。新留は疲労のせいか、寝落ちしてしまっていた。次に気が付いたのは翌朝だった。

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