6-3

 ぎしぎし鳴る階段を下りて俺たちは一階に戻り、暗い中にさらに地獄の入り口みたいにぽっかりあいている、地下への階段を下りていった。ケータイのバッテリーがそろそろヤバそうだから、電気が止められてるんでない限り、ブレーカーを探すか、なにか明かりになるものを見つける必要がある。あの胸糞悪い部屋のロウソクを使うのはまっぴらだけど。

 階段を下りた先も、やっぱり真っ暗だったが、天井近くを照らしてみると階段のすぐ右上にブレーカーとスイッチがあるのが目に入った。

 落ちていたブレーカーを全部上げてスイッチを押すと、ぼんやりした白熱電球がコンクリート造りの地下室を照らし出した。

 なにかの工作に使われているのか、大きな木の作業台や、ベニヤ板、端材なんかが壁ぎわに積み上げられている。電動の釘打ち機やドリルもボードに吊ってあったが、赤錆がういていて、長いこと手入れがされていない様子がわかった。ついでに、椅子に座っている人物も。

「――ダニエル!」

 俺たちは彼に駆け寄った。

 ダニーは木の椅子に座って――というか座った格好で、背もたれのうしろで両手を縛られていた。血まみれとかじゃなかったが、頭ががっくりと前に倒れていて、俺は一瞬、もうダメなんじゃないかと思った。

 クリスが急いでダニーの縄をほどいて、首で脈をとった。

「……生きてる」

「よかった――!」

 俺の大声が反響したのか、クリスの呼びかけになのか、ダニエルはうっすらと目を開けた。

「…………」

 なにか言いたそうに口をぱくぱくさせているが、声が出ないみたいだ。

「キッチンは無事だったね? ディーン、水を持ってきてくれないか。それから、911に通報を」

「わかった」

 俺は階段を一足飛びに駆け上がり、キッチンに飛び込んだ。水を入れたコップを持って廊下に出たところで、左手で電話をかけようとした瞬間に携帯がふるえ出したもんだから、思わず焦ってケータイを落っことしてしまった。

「うわっ……」

 べたべたした廊下のくせに、ケータイは勢いよくすっ飛んでいった。

 取りに行ってもいいけど、優先なのはダニーだよな。あとで拾いに行こうと俺は地下室へ急いだ。

 水を飲ませるとダニーはようやくしゃべれるようになった。といってもひどいしゃがれ声だったが。

 切れ切れに聞き取れたところによれば、ダニーをこんなふうにしたのは親父さんだった。

 それを聞いても俺たちは驚かなかった。

 クリスと俺が両側から支える格好でダニーを一階のリビングへ連れていった。ソファに座らせてもう一杯水を飲ませる。記憶がはっきりしないらしいが、二、三日は飯も食わせてもらえていないそうだ。

 俺も兄貴に同じようなお仕置きをされたことがあるけど、あれはつらい。最初のうちは兄貴を殺してやろうと思う気力があるけど、最後のほうになるともう許してもらえるならどうでもいいって気持ちになるんだよな。

「ディーン、救急車は?」クリスが聞いた。

 いっけね、ダニーが無事だったんで安心して、うっかりしてたよ!

「さっき戻る途中でケータイ落としちゃって。拾ってくるよ」

 リビングから出ようとしたときだった。家の前の砂利道に入ってくるタイヤのきしむ音。

 それと同時にあの、冷たい手に首根っこをつかまれたような冷気がまた襲ってきて、俺はそこに立ちつくした。

「クリス、やばいよ……邪悪ななにかがこっちに来る」

 俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、クリスが玄関のほうへ向かおうとした。

「……行っちゃだめだ……」ダニエルが弱々しい声でつぶやいた。

 ポーチの階段を上がってきたやつは、カギを開けようとしてガチャガチャやっていたが、かかっていないのに気づいたのか、そのままドアを開けた。

「おやおや」

 入ってきたのはダニーによく似た(体型以外は)……ダニーの親父だった。仕事から帰ってきたばかりみたいな、つなぎの作業着姿だ。

「ブラウンさん、私たちは息子さんの……」

「あんたのことなら知ってるぞ、エセ神父。そっちのクソガキも。よくも恥知らずに俺の息子をたぶらかしてくれたもんだ。おまけに今度は、家の主が留守のあいだに盗みに入ろうってわけか?」

 ――クリスに向かってなにをぬかしやがるこのくそ親父が!と俺が牙をむく前に、クリスが手を伸ばして俺を止めた。

「それは誤解です。お留守のあいだに勝手に入ったことは謝罪しますが、私はあくまで息子さんの様子が心配だっただけです。彼がカウンセリングに来たことはご存知ですか?」

 クリスの口調はおだやかだったが、声は固い。

「あんなものに頼るからおかしくなるんだ」クソ親父は馬鹿にしたように鼻息を吹き出した。

「ゆがんだ根性は叩きなおしてやるのが一番だ」

「だからといってあんな……あれは明らかに行きすぎです。悪くすれば脱水症状で命の危険があったかもしれないんですよ」

「若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても死ぬことはない。鞭打てば彼の魂を陰府よみから救うことになる、だろう?」

 俺にはなんのことかサッパリだったが、クリスははっとした顔になった。

「――あんたら不信心者もな!」

 親父がうしろ手に持っていたなにかをふりかざした。

 俺はとっさに、ぼけっとしてるクリスをタックルの要領で横っ飛びに突き飛ばした。

「あっぶねえな、なにすんだよ!」

 ふりむきざま俺の目に映ったのは、ぴかぴかの片刃のこぎりだった。

 おいおい、それでなにするつもりなんだよ……。

「父親には息子を神の御心にかなう人間に育てる義務がある。あのふしだら女が生んだ息子でも、半分は俺の血が入ってるんだからな……神が愛するひとり息子を犠牲の祭壇に捧げたように……」

 さっきから冷気を感じてはいたが、それとは違う意味で背筋がぞっとした。マジでイカレてる。ダニーとクリスを連れて、この狂った家から早く逃げねえと。

「――去れ、悪魔よ!」親父が叫んでのこぎりをふりかぶった――クリスはまだ俺の下にいるから動けない。

「父さん、やめて!」

 ダニーが父親の腕にしがみついた。けど、ほとんど飲まず食わずじゃ、五フィート十インチ〔180㎝〕あってもなんの足しにもならない。親父が腕をひとふりしただけでダニーはふっとばされて、廊下の壁にぶつかった。

「ダニエル!」

 起き上がったクリスがダニーのもとに駆け寄る。

 俺はちょっと呆気にとられていた。いくら大人の男の力だとしても、腕一本で、ガタイのいい男子高校生を数フィートもブッ飛ばせるものだろうか?

 親父はくるりと向きを変えた。今度の標的は明らかにクリスとダニーだ。

 クソジジイ、俺は無視かよ。のこぎりで切られたらたしかに痛いだろうが、俺は死にはしない――たぶん。だけど間に合わない。ぎざぎざの刃が街灯の光を反射してぎらりと光る。ちくしょう、こんなときだってのに、なんで変身できないんだよ!

 情けなくも固まっている俺の目の前でスクリーン・ドアが吹っ飛んだ。飛び込んできた灰色の塊が、ダニーの親父の突き出た腹にぶつかった。

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