2-2

「ディーン、いるかい? お客さまだよ」

 クリスの声が聞こえたとき、俺はキッチンにいて、こっそりつまみ食いしたチョコレートチャンク・クッキーのかけらを喉につまらせた。

「――ディーン?」

「……ハイハイ」

 俺は急いでクッキーポッドを食器棚カップボードの一番上に押し込んで、口のまわりをTシャツの裾でぬぐった。

(こんな時間に客って誰だ? ダニーかなあ、スミスのバアさんだったらなにか手土産でも持ってきてくれるはずだし……)

 廊下に出たときに妙な感じがした。風邪でもひいたみたいな、ぞくっとくる感じ。

(クッキーが腐ってた、なんてことないよなあ……?)

 居間に入ってみたら、知らない男がクリスの向かいに立っていた。

 そいつを見たとたん、静電気でも走ったみたいに全身がピリピリした――ヤバい、なんだかわからないがコイツはヤバい。

「ノーランさん」とクリスはそいつを呼んだ。

「彼が先ほどお話しした、助手のディーンです」

「はじめまして」

 やつはにっこりしたが、俺の背中のゾクゾクはもっとひどくなっただけだった。

 ぱっと見、おかしなところはなにもない――『フォーブス』の表紙にでも載っていそうな顔だ。四十代後半か五十代ってとこだろう、嫌味キザったらしくうしろに撫でつけた、いやに色の薄い金髪には白髪が混じっている。こんな陽気だってのに、〈メイシーズ〉で買ったようなスリーピースのスーツをカッチリ着込んでいるってのも気に食わない。セレブみたいなをしてるくせに、ジムで焼くのは嫌いなのか、顔色は妙に生っちろい。口が耳まで裂けてるわけでも角や尻尾が生えてるわけでもない。爪だって鉤爪じゃない――マニキュアはしてるけど。硫黄のにおいがしてるわけでも――硫黄のにおい?

「ディーン、どうかしたのかい?」

 俺があいさつもしないでつっ立っているのでクリスが聞いた。

「すみません、初対面のかたには慣れていないのかも……」

「お気になさらず」

 俺は黙ってクリスの袖をひっぱった。

「ディーン、ここはいいからお茶を淹れてきてくれないか? しばらくノーランさんとふたりでお話があるから」

 冗談じゃない。クリスをこんなヤバいやつとふたりっきりにさせておけるもんか。俺はクリスをぐいぐいひっぱった。

「――ああ、すみません、ちょっと失礼」

 そのまま廊下に出てキッチンまでひっぱりこんでドアを閉める。

「一体どうしたっていうんだ?」クリスは呆れたようにため息をついた。

「人見知りをするような年じゃないだろうに――ひょっとして、家の知り合いかい?」

 俺は首を横に振った。俺の知る限り、一族クランにあんなへんてこな知り合いはいない。俺に向かって笑いかけたとき、青っちろい口元と目尻にほんの少ししわが寄ったが、グレーの目は氷みたいだった。

「……まあとにかく、お客さまなんだし、あんまり放っておくわけにもいかない……こら、いいかげん放しなさい」

 俺の手はクリスの黒い法衣をつかんだままだった。離すもんかと握りしめて、俺は必死に訴えた。

「ねえ――あいつ、なんか変だ」

「変って、どこが」

「なにか臭うんだよ。古い土みたいなにおいがするんだ。なんていったらいいのかなあ――墓場とか、納骨堂みたいなにおい」

「失礼なことを言うんじゃない。私には男性用オーデコロンの匂いしかしないよ」

「そりゃ、クリスは俺たちほど鼻がきかないから――でもあいつは本当におかしいよ。ふつうじゃない。少なくともふつうの人間じゃない。あんたにだってわかるはずだよ。俺の首のうしろの毛が逆立ってぞくぞくしてるんだ、ほら――」

「いいかげんにしなさい!」

 めずらしくクリスに本気で怒られて、俺は首のうしろどころか全身の毛が逆立った。変身してたら足のあいだに尻尾を挟んでいただろう。

「次は指名手配犯だなんて言い出すんじゃないだろうね、あんなに礼儀正しい人を」

「で、でも、クリス――」

「いいから、ミスター・ノーランにお茶を持っていきなさい」

「……はい」

 俺はしぶしぶうなずいた。クリスは俺の“ボスアルファ”だから、命令されたら従うしかないんだ。

 ゴキブリ駆除剤でも入れたろか、と思いながらティーポットに三倍の茶葉をぶち込んで(飲めないほど苦くしてやる)、熱湯を注いでいるあいだに(舌をヤケドすればいい)、クリスは居間に戻ってしまった。

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