第六章:二度目の再会

いつの間にか、辺りはすっかり暗く、しんとした静けさが漂っていた。町明かりから離れたその場所は、普段目にする暗闇よりもずっと黒が深い。淳也は、丈の伸びた草と、転がっている石に足を取られそうになりながら、野原の一角を目指した。そこに散らばっている大きな石の一つには、予想通り、一つの影が腰を下ろしていた。

「ここにいると思ったよ」

声をかけるが、振り向きはしなかった。その背中に向かって、ややためらいながらも問いかける。

「記憶が、戻ったんじゃないのか」

直繋は、ゆっくりと振り返った。暗闇の中でかすかに見えたその表情には、わずかな笑みが浮かんでいた。

「なんだか、皮肉だと思わない、淳也。中学時代に、ぼくがクラスからいじめを受けていたことと重なって、記憶が戻るだなんて」

淳也は直繋の隣に腰かけた。それには答えない。まずは、次に会ったとき、絶対に伝えようと思っていたことを。たとえ記憶が戻っても、これを言わなければ、今の自分に直繋と話をする資格はない。

「直繋、ごめん。あの日、プレゼントまで持ってきてくれたのに、ひどいことを言って。きっと、いろいろ気が滅入っていたんだ。学校でのことも、直繋の変化も。あのころは、いじめも酷くなってきていたし。それで、ちょっと心が弱くなっていたのかもしれない……。それと、今日はありがとな。直繋がああいうことをするなんて、ちょっと驚いた。あんな姿を見せてしまって、恥ずかしいけれど」

その言葉に、直繋は乾いた笑い声をあげた。

「何を言っているの。中学校でいじめられていたぼくを助けてくれたのは、淳也だったじゃないか。初めて淳也がいじめを目にしたとき、あんな風に体格差なんて無視して、相手を投げ飛ばしてくれたよね。本当に、あの瞬間、希望が見えたんだ。記憶をなくしたときだって、頼りにできたのは淳也だけだった。感謝しているのは、ぼくのほうだよ」

「……そうか」

ひとたび口をつぐむと、辺りは闇と静寂に包まれる。だんだんと寒さも増し、冷気が服の間を縫って、肌に刺さる。淳也は、もぞっと体を動かしながら、語りかけた。

「まあ、それでも辛くなったときは、二人でここに来たんだよな」

「そうそう、放課後、暗くなるのを待って!」

直繋は、懐かしむように眼を瞑った。

「淳也がこの場所を見つけて、初めて連れてきてくれたときは、本当に嬉しかったんだよ。それに、感動した。こんな満天の星、今まで見たことがなかった」

そう言って、ふっと顔を上げる。淳也もそれに倣うと、あの日々と同じ景色が、視界いっぱいに広がった。幾多の光り輝く珠を、黒のビロードにちりばめたような、一枚の芸術。星々はかすかに瞬きながら、かつての思い出を、二人の脳裏に映し出しているようだった。

その光景を見つめながら、淳也はふと口を開いた。

「そういえば、直繋は記憶がなくなっていたときのことも、覚えているんだよな?」

やや唐突な振りに、直繋は驚いたように上げていた顔を元に戻す。

「うん。覚えているけど」

「いや、今年の正月に、年賀状をくれたじゃないか。あれを思い出して。随分馬鹿丁寧だったけど、今思えば、あの手書きの字は直繋のだったなって。直繋ってさ、いつも年賀状は手書きのを送ってくれるよな。LINEとかで済ます人もいるからさ、まめだなあって思ってたんだよね」

それを聞いた直繋は、しばらく考え込むように押し黙ってしまった。

「ああ……。それはね、実はぼくの名前と関係があるんだ」

「名前?」

予想外の返答に、オウム返しをしてしまう。うん、と頷き、直繋はためらうように語り出した。

「直繋って名前は、人と人の繋がり、交流を大切にして、直接の関わりを持ってほしいっていう願いが込められているんだ。だから、小さい頃から、それは意識してる。年賀状も、直接ではないけれど、手書きのほうが心がこもると思ってね。……この名前、お父さんがつけてくれたんだ。うちの両親、ちょっと古めかしいところがあって。機械を通したやり取りとか、あんまり好きじゃないんだよ」

「――あ」

そういえば、今の今まで忘れてしまっていた。直繋の両親が、もういないことを。それもそのはず、記憶がなかったときの直繋は、事故のことを重く受け止められていなかった。……けれど、今は。

「ぼく、もう、これからずっと、お父さんとお母さんに会えないんだね」

小さく開かれた口から零れ出たその言葉は、今まで直繋から聞いたどの言葉よりも、重く淳也の心にのしかかった。今、初めてその事実を受け入れ、直繋の心にぽっかりと開いた暗い穴の大きさは、淳也には測り知れなかった。

再び空を仰いだ直繋の顔には、なんの感情も見られない。中学時代、淳也が知らぬまま、毎日のようにいじめを受けていたときも、そうだった。

でも……。淳也は、きらめく星が揺れるその目を見つめながら、ゆっくりと口を開く。

おれが、感情に任せて助けようとしたあの日から、直繋はまた、笑うようになったんだ。

「なあ、」

なんと声をかけていいのか分からないまま、口からぽろりと零れて、消えそうになるその言葉を、繋ぎとめる。

「あのな、別に泣いたって、いいんじゃないか。つらいときは、二人で歩こうって、決めただろ。一人で受け止めきれないことも、あるんだから」

それを聞いた直繋は、一瞬目を見開き、口元でふっと笑った。

「何言ってるの。急にそんなこと言われたって、泣く訳ないじゃん……」

しかし、潤んだその瞳から、一筋の涙が頬を伝った。次々とあふれ出るそれを止めようと、直繋は目をこする。だが、口元からは抑えきれない嗚咽がもれていた。一瞬の間の後、急に泣きついてきた直繋を、淳也は慌てて受けとめた。

胸の中で泣きじゃくる直繋は、まるで幼い子供のようだった。しかし、この親友のおかげで、今日も、いままでだって、間違いなく淳也は救われてきたのだ。

乱れた髪をさらに押しつける直繋を、淳也はぎゅっと抱きかかえた。

満天の夜空の下、胸の内に秘めた想いを互いにさらけ出す二人。きっとその関係は、多少の隔たりがあろうとも、ずっと前から変わっていなかった。


小一時間はしただろうか。あの野原から、二人は家路へとついていた。

道すがら、淳也は直繋と今後のことについて話し合った。直繋は、これからまた高校へ通い始めるそうだ。

担任の釜村の言っていたとおり、高校の生活に問題はなかったらしい。過去のいじめの経験が、学校に負のイメージを植え付けてしまったのかもしれないが、今の高校で問題が起きていないのなら、きっと心配はないだろう。淳也は、その点については安心することができた。

淳也の高校でのいじめについても、もちろん話題が上がった。直繋からは、この問題について、親や先生に相談をするべきだと言われた。正直、淳也は誰にも相談しようとは思っていなかったが、二人だけで戦い続けた過去を思い返して頷いた。

今のいじめは、中学の時のように、クラス全体を巻き込んだものではない。証拠がないのは不安ではあるが、直繋が証言をしてくれる。それだけでも、淳也は心強かった。

今までのいじめが、これですっぱりと消えるとは限らないかもしれない。

しかし――。淳也は、わかっていた。きっと大丈夫だろうと。

昔から、二人は互いを支えあって生きてきた。いじめのことだけではない。幼稚園のころから今に至るまで、数えきれないほどの困難を、二人で経験してきた。人と比べてみても、過酷な状況を乗り越えてきた自負はある。

その過程で培われてきた二人の絆は、わずかな隔たりをもってして切れてしまうようなものではない。

きっと、大丈夫。おれが、ぼくが、ついているから。

そう、その関係が、今日という日に再確認されただけのことなんだ。

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星空を繋ぐ日 宇佐見凪 @usaming

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