笠地蔵~異世界編~

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笠地蔵~異世界編~

 売れ残りの笠をかぶせてもらっただけだった。

 ただ1枚の手ぬぐいを巻いてもらっただけだった。

 その徳に報いるべく、雪の中を進んでいた6つの小さな人影は、はてと迷ったように足を止めた。


(雪がやんでいる? いや、積もっていた雪すらない)


 先頭を行く、手ぬぐいをかぶった人影は首を傾げた。

 いまは年の瀬も押し迫った師走しわすの暮れ。

 陸奥むつの山奥にあるこのあたりでは、晴れた日でもかんじきなしでは歩けぬ季節だ。

 それがどうしたことか、いつの間にか陽光が燦々と降り注ぎ、枯れて凍りついていたはずの木々も緑の葉を盛んに茂らせているのである。


(山の神の戯れか? しかし、なぜ我らにこんなことを)


 しかし、彼らは動じずにしずしずと山道を進む。

 笠と手ぬぐいの徳に報いねばならぬのだ。

 その一行の前に、小汚い身なりをした小男の集団が突如として現れた。


「ゲギャギャギャギャ! こりゃ珍しい、石像が歩いてやがったゴブ!」

「ゴギャギャギャギャ! こりゃゴーレムってやつに違いないゴブ! 親分に持って帰ったらきっと喜ぶゴブ!」


 小男たちはたいそう醜い面相をしていて、出来物だらけの緑色の皮膚に、極端な猫背。乱杭歯をむき出しにしてそこからだらだらとよだれを垂れ流していた。


 小男たちは一行に群がるとどうにかこうにかその身体を持ち上げようとした。

 一行は、じっと身を固めてなされるがままにしている。

 しかし、重い。5人、6人で力を合わせてもさっぱり動かせない。


「ゲギギギギギ! こりゃ重すぎるゴブ! 持って帰れないゴブ!」

「ゴギギギギギ! こうなったら砕いてバラバラにして持ち帰るゴブ!」

「ガギギギギギ! そりゃ名案ゴブ!」


 小男たちは腰に挿していた石斧を振りかぶると、彼らに叩きつけようとした。


「お待ちなさい! 汚らわしいゴブリンたちめ!」

「てめぇらがこのへんを荒らしてるゴブリンどもだな! とっちめてやる!」


 石斧が手ぬぐいの人影に振り下ろされる直前に、二人の女の声がした。

 彼らがそちらを見やると、白くゆったりとした服装をした女と、硬くなめした革鎧を身にまとった長身の女とが駆けてくるところだった。


(天竺よりさらに西、大秦ローマ風の服装だな。一人は僧、一人は護衛の剣士だろうか?)


「ゲギャギャギャギャ! こっちは9、お前たちは2! 5も少なくて勝てると思うのかゴブ!」

「ゴギャギャギャギャ! 10倍も違うゴブよ! 人間女は親分の好物だゴブ! お前らも土産にしてやるゴブよ!」

「数もまともに数えられねえバカどもめ! てめぇらは8匹だ。3倍ぽっちのゴブリンに負けるかよ!」

「ええと、カレンさん? 申し上げづらいのですが、4倍です……」

「関係ねぇっ!」


 カレンと呼ばれた長身の女は背中から大剣を抜き放つと、横薙ぎに一閃する!

 醜い小男の首はふたつ、鮮血を吹きながらぽんっと宙を舞った。


「ほらよ、プリステ様。これで勘定があっただろ?」

「油断は禁物ですよ!」


 白い服の女の両手が輝くと、そこから白銀の弾丸のようなものが放たれる!

 弾丸はカレンの背中に躍りかかっていた小男の頭に命中し、柘榴ざくろのように四散させた。


「ひゅうっ、相変わらずえぐい威力だぜ」

「連発はできません! 残敵の掃討を!」

「あいあいさー」


 剣風が吹き荒れ、時折白い光条が走る。

 ほどなくして、8人の小男たちは、それと同じ重さの肉塊へと変わっていた。


「これで討伐完了かな? ちょろいクエストだったぜ」

「カレンさんは気を緩めるのが早すぎます。これですべてとは限りません。依頼主の村に行って状況を確認しましょう」

「へいへい、プリステ様はいつも慎重で真面目でございますねえ」

「もう、冗談ではないのですよ!」


 笑いながら大剣の血を拭うカレンを、プリステが腰に手を当てて叱る。


「ああ、それにしてもこんなに汚してしまって……」

「そういや何なんだ、このおんぼろな石像は?」

「わかりませんが、このあたりで信仰されていた古き神をかたどったものでしょう。清めて差し上げなければ……」

「あっ、それこの前の報酬で買ったばかりの新しいタオルじゃねえか!」


 カレンの文句を聞き流しながら、プリステは真新しい布で石像についたゴブリンの血肉を拭った。

 黙ってそれを見ていたカレンだが、やがて無言の圧力に負けて手伝いはじめる。

 最後に水筒の水をかけ汚れを流すと、ふたりは静かに両手を合わせてすっと立ち上がった。


「では参りましょう、カレンさん」

「余計な道草を食っちまったなあ」


 6体の石像は、二人の女が山道の先に消えるのを見てから、ぼそぼそと話しはじめた。


(どこだここは? 花泉はないずみの村ではないのか?)

(雪もない、風も暖かい。よく見れば草木の景色もまるで異なる)

(ごぶりんなどという化生けしょうもいたな)

(傲武林……さしずめ、武におごった未熟者が餓鬼道か修羅道に堕ちたものであろう)

(するとここは餓鬼道界か、修羅道界か?)

(宝珠、持地じじ、なにかわからぬか?)

(我らにもわからぬな。花泉とは様子が違うが、人道界であることに違いはないと思うが)

(うむ、先ほどの二人の女は悪道に堕ちたものには見えなかった)

(おお、そうだ。先の女たちは徳を成したぞ)

(そうだ、そうだ、徳には報いねば)

(因果応報、善因善果ぜんいんぜんか。徳に報いねば釈迦如来から託された使命が果たせぬ)

弥勒みろくの小僧が得度とくどに至るその日まで、この世を守るのは我らの使命)

(左様、左様)


 こうして、6体の地蔵は女たちの後を追って山道を進んだ。


 * * *


「百匹超えの群れだってえ!?」

「へ、へい……」

「ギルドの説明では、10匹前後のハグレだと聞いていましたが」

「あまり数が多いと、引き受けてくださる冒険者様がいねえと思ったんで……」

「それで戦力が足りなきゃ元も子もねえだろうよ!」

「す、すいやせん……」

「これだから素人の浅知恵はイヤになるんだよ!」

「おやめなさい、カレンさん」

「でもよぉ……」


 ふたりの女、神官のプリステと剣士のカレンは目的地の村で村長と話をしていた。

 道中で8匹のゴブリンを退治したことを報告し、冒険者ギルドへの依頼のとおりであればほぼ全滅で、すぐに引き上げてよいはずだった。だが、様子のおかしい村長を問い詰めると、実際には10倍以上のゴブリンがいるらしいことを白状したのだ。


「雑魚ゴブリンだけなら百匹だろうが二百匹だろうが問題にもならねえが……」

「ええ、その規模の群れなら、確実に上位種が統率していますね」


 ゴブリンという魔物は弱い。腕力も知力も平均的な人間の男に劣る。

 繁殖力と成長の速さによって勢力を保っている弱小種族にすぎない。


 しかし、上位種となると事情が異なるのだ。

 腕力に優れたゴブリン・ウォーリア、魔法を操るゴブリン・シャーマン、そしてそれらの能力を併せ持つゴブリン・ロードとなると、1流の冒険者であっても苦戦する強敵となる。


「ちっ、ギルドに援軍を頼むしか手はねえなあ」

「ええ、私たち二人の手には余りますね」

「そ、そんな。お二人に出ていかれたら村はどう守れと!?」


 村長によれば、村の若者達を交代で見張りに立てて警戒していたのだが、遠くから弓矢を射掛けられたり、投石によって怪我を負い、まともに戦えるものはもう何人も残っていないと言うのだった。


「じりじり守りを削って、抵抗できなくなったところで押しつぶそうって寸法か。知恵の回るゴブリンっていうのは厄介だぜ」

「本格的に攻めてくるまで、もう何日も猶予はなさそうですね」

「そ、そうなんです……。おふたりが出て行かれたところで襲われたらもうひとたまりも……」

「数をごまかした、てめぇの自業自得じゃねえか!」

「ひっ、ひぃ」

「おやめなさい! カレンさん!」


 青筋を立てるカレンを、プリステが厳しい口調で止める。


「動ける若者を何人か使いに立ててください。彼らが援軍を連れてくるまで、私たちでなんとか持ちこたえてみましょう」

「あ、ありがとうございます……!」

「まったく、プリステ様はお人好しがすぎるぜ」

「何か言いましたか?」

「いえいえ、何も言ってやしませんよー」


 翌早朝、村からは3人の若者が街に向けて旅立った。万が一、ゴブリンに見つかっても誰かは街にたどり着けるよう、3人はそれぞれ違う道を行く。決死の道行きである。


 * * *


 襲撃は、その晩に起こった。

 群れを率いるゴブリン・ロードは、3人の若者が村を出たのを確認して、もはや村にはまともに抵抗できる戦力は残っていないと判断したのである。


 前日から何匹かのゴブリンが戻ってきていないことが多少引っかかってはいたが、ゴブリンは弱く、意気地がない。猪や狼にやられたかもしれないし、怖気づいて逃げたのかもしれない。


 群れの数が減るのは日常茶飯事なので、そんなことを気にしていたら何もできないのだ。

 減った数は、人間の村からさらった女に産ませて補えばいい。

 ゴブリンとは、そういう思考の生き物だった。


 しかし、蹂躙できるはずの村から思いの外手強い抵抗を受けた。

 大剣を振るう長身の女と、見るのも怖気が走る神聖術を使う神官の女が立ちはだかったのだ。

 下っ端のゴブリンたちでは相手にならず、打ち掛かるたびに数が減らされる。


 多少の数が減るのはいい。だが減りすぎるのはよくない。

 決着は早めなければならない。


 ゴブリン・ロードは側近のゴブリン・ウォーリア5匹に矢をつがえさせ、ゴブリン・シャーマンに大規模魔法の準備をさせる。

 前線でぶつかっているゴブリンたちには、武器を捨てて敵にしがみつくように命じる。


「げっ、何しやがんだ!? 離しやがれ!」

「手を離しなさい! 汚らわしい魔物たちめ!」


 ゴブリンたちにまとわりつかれて動きがにぶった隙をみて、ゴブリン・ロードは側近たちに一斉攻撃を命じた。下っ端のゴブリンもろとも、矢で射抜き、魔法で爆殺しようとしたのである。


「くそっ、汚えぞ!」

「神よ! この身をお守りください!」


 ふたりの身に矢が殺到する!

 ゴブリン・シャーマンが発した魔法の火球が膨張し、爆炎に包まれる!!


 ゴブリン・ロードは満足気に顎を撫で、戦いの様子を見守っていた村人たちはもはやこれまでかと膝を折った。

 村には老人、子ども、怪我人しか残されておらず、もはや抵抗の術はなかったのだ。


 ――おん かかか びさんまえい そわか


 勝ち誇るゴブリンたちの耳と、諦めかけた村人たちの耳に、聞き慣れぬ呪文のような声が聞こえた。


 ――おん かかか びさんまえい そわか


 じょじょに薄れていく爆煙の中に、6つの小さな人影が映った。


 ――おん かかか びさんまえい そわか


 そこから現れたのは、カレンとプリステを優しく抱きかかえる6体の石像だったのである!


「い、いったい何者だゴブ!?」


 予想だにしない闖入者に、ゴブリン・ロードは狼狽うろたえた。

 しかし、返答はない。代わりとばかりにそれぞれの手から、金色に輝く何かが放たれ、ゴブリン・ウォーリアとゴブリン・シャーマンの額を正確に貫いた!


 ゴブリン・ロードには知る由もないが、石像たちが放ったのは金剛杵コンゴウショである。

 短い柄の両端に刃を持つそれは、古代インドの武器バジュラであり、転じて密教において外道悪魔を粉砕する破魔の法具とされたものだ。


 ものの一投で側近たちを難なく屠った石像たちは、シャン――シャン――と鈴のついた杖を突きながらゴブリン・ロードへと迫ってくる。

 得体の知れぬ恐ろしさに襲われたゴブリン・ロードは、拠点の巣穴に一直線に逃げ出した。


「な、なんだあの化け物は!? あんなものがいるなんて聞いていないゴブ!」


 木の根につまずき、枝に引っかかれ、泥だらけ、傷だらけになりながらゴブリン・ロードはようやく巣穴に戻った。逃げ足には自信がある。ゴブリンとは、そうやって生き延びてきた生き物なのだ。


 ――シャン

   ――シャン

     ――シャン

       ――シャン


 だが、鈴の音は止まない。

 それどころか、じょじょに近づいてくる。

 ゴブリン・ロードは巣穴の一番奥にこもり、頭を抱えてうずくまった。


        ――シャン

          ――シャン

            ――シャン

              ――シャン


 音が近づいてくるほどに、体の震えが大きくなる。

 心臓が止まりそうな気分なのに、心臓がうるさくて鼓膜が破れそうだった。


 そうして目をつぶり、耳をふさいでじっとしている間にどれだけの時が過ぎただろうか。

 気がつけば、鈴の音がしない。

 両耳を塞いでいた手を離し、聞き耳を立てるが、やはり音はしない。

 目を開き、恐る恐る顔を上げると――


 6つの石の顔が、見下ろしていた。


 * * *


(それにしても、なんとも歪な魂だ)

(悪道を何度輪廻してもこのような怪物にはなるまいて)

魔羅マーラにしては格が低い。天狗にしては知恵がない。なんとも奇怪な有り様よ)

(ひとまずは地獄道にでも閉じ込めておくか。のう、檀陀だんだよ)

(致し方あるまいの。弥勒の救いが先か、悪業あくごうみそぐのが先かはわからぬが、地獄で罪を償わせるしかあるまい)

悪人正機あくにんしょうきじゃ。下手に力があったようだからの。無力を思い知れば御仏みほとけにすがる気持ちも生まれ、やがては他者を思いやる気持ちにも目覚めるじゃろう)

(そう願いたいものだ)


 錫杖で打ち据えられ、血濡れた肉塊と化したゴブリン・ロードの横で、6つの石像――お地蔵様が声ならぬ声で相談をしていた。


(これで、あの女たちの徳には報いただろうか)

(報いただろう。善因善果も、悪因悪果も無事に成された)

(では、そろそろ帰ろうか)

(待て、その前に笠と手ぬぐいをくれた老爺ろうやへの報いを決めておらなんだ)

(それならばほれ、そこに溜め込んであったものでよいのではないか?)


 お地蔵様たちの目の前には、ゴブリンたちがこれまでに奪い、溜め込んだ財貨が山ほど積まれていた。

 お地蔵様たちは、七福神に頼んで宝船にこれを積み込むと、雪深い東北へと帰っていった。


 お地蔵様――地蔵菩薩は釈尊入滅から弥勒菩薩の下生までの56億7千万年間、仏に代わって六道を守る使命を負った菩薩の一尊である。六道とは天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道を指し、いわゆる三千世界――今風に言えば、あらゆる異世界を見守る神仏なのだ。


 何しろ担当範囲が広いため、今回のような想定外にもしばしば見舞われるが、慌てるほどのことはない。

 そんなわけで、雪をかぶったお地蔵様に笠と手ぬぐいを供えた心優しい老夫婦のもとには、異世界産の金銀財宝が届けられ、たいそう幸せに暮らしたということである。


 一方、お地蔵様が去った異世界では、村を救った6体の神像の噂が駆け巡り、やがて街道の辻々に小さなお地蔵様が並ぶことになるのだが、それはまた別の話である。


(了)

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