別世界の同じ青

ねむるこ

別世界の同じ青

 誰にも話したことないけど、私には世界がパステルカラーに見える。

 何もかも淡い色をしていてはっきりとしない。私の目の前にはいつも、ぼんやりとした世界が広がっているのだ。


「どう?この洋服!」


 そう言って友達がワンピースのすそをひらめかせても私にはよく分からない。淡いピンク色に見える。

 少しを開けてから「形が可愛い」と答えた。


「でしょー?この赤いワンピいいよね」


 可愛いという言葉に満足した友達はそれ以上私の発言に追求してくることはない。

 私は長年の勘……といってもせいぜい十七年だが、理解していた。その人が欲しい言葉を言ってやればその場を収めることができることを。そして私が『変な奴』だということもバレない。

 あのワンピース赤色だったのか。私は作り笑いを浮かべる。


 自分が見ている風景がどうやら人とは違っていると気が付いたのは幼稚園の時だ。確かお絵描きの時間だったと思う。


「どうして海がピンクなの?」

「夕焼けだからだよ」

「夕焼けだったらもっとオレンジか赤でしょ?それに本当は青いんだよ」


 私はその言葉に衝撃を受けた。夕焼けに染まる海は私にとって淡い桃色に見えていたからだ。


「私にはこう見えたもん」

「嘘つけ!青だよ!夕焼けじゃないときはもっと薄い水色だよ!」


 私はその子と口論になった。大声で泣いて話しても誰にも信じてもらえなかった。大人達にも「海はね、青いものなのよ」とさとされる。


 この日をさかいに私は自分の見えている世界について話すのを辞めた。


 もしその人と違ったものが見えていたとしたら否定される。最悪の場合、喧嘩になり、私は「変な奴」扱いされてしまうのだ。喧嘩するのは嫌だったし、仲間外れにされるのはもっと嫌だった。

 私は幼くして「皆と同じ人」を演じるすべを身に付けた。皆が良いというものを持ち、皆が良いという方へ進む。皆が望む言葉を話した。

 それでも私が見える世界は変わらない。ずっと淡い色の世界のままだった。

 どうして私だけ見ている世界がこんなに違うんだろう。

 皆にはどんな風に見えてるの?

 私は大きなため息を吐いて目をこする。


 ああ。誰にも分かってもらえないってどうしてこんなに怖くて、不安なんだろう。

 私は淡い、白色に近い空を睨んだ。


「ねえねえ。あの子、いつも屋上にがる階段にいるみたいよ」

「友達いないんだね。かわいそー」

「あの子さ、なんかダサくない?」


 淡い紫色の女子生徒達がそんな噂話をする。くすくす口元に手を当てて笑っていた。淡いピンクの唇はその可愛さとは裏腹にどす黒い色の悪口をつむぐ。


「あの子可笑しいんだよ。髪を染めているのかって聞いたらさ。色が分からないとか言い出して……」


 私はその言葉に大きく反応する。色が分からない?それって私みたいに世界がパステルカラーに見えてるってことなのかな?

 気が付くと私は屋上へと続く階段の踊り場に向かって駆け出していた。


 あの子は屋上へと続く階段に腰かけていた。


 私とあの子とは一切面識がない。第一印象は大人しい子。制服を規則通りに着こなしているが髪色は淡い茶色をしている。他の女子生徒達から見れば派手な髪色に見えたのかもしれない。


 私は一目で見抜いた。


 この子は私と同じ。「皆と同じ人」のふりをしている。何となくだけど私と同じ、自分を押さえつけている雰囲気があるように思えた。

 あの子の憂鬱そうな瞳と目が合うと、私は胸を高鳴らせる。


 やっと……。やっと私のことを理解してくれそうな人が現れた!


「ねえ、貴方も世界が違って見えるの?」

「……?」


 あの子が私の発言に驚いたように目を見開く。

 本当は自分の見えている風景を話すのに抵抗があった。だけど今はそんなこと恐れている場合じゃない。


「目の前の風景がパステルカラーとかに見えたりしない?」


 一瞬の沈黙の後、あの子は小さく首を振った。私はショックで肩を落とした。

 折角勇気を振り絞って声を掛けたのに……。しおれる私を気の毒に思ったのか、あの子が慌てて言葉を続けた。


「私は……世界がモノクロに見える」


 私はあの子の言葉に顔を上げた。


「じゃあ色が分からないの?」

「今はね。昔は分かったんだけどだんだん色が無くなっていった」

「ふーん。私はずっとパステルカラーに見えるの。ぼやっとした世界」


 あの子は階段の上の方、私は階段の下の方に腰を下ろして話し始めた。


「どうして私の目、可笑しいんだろう」


 私の小さな独り言にもあの子はため息を吐きながら答えた。


「人によって見える世界が違うのは当然のことじゃない?」

「え……?」


 あの子の言葉に私は衝撃を受ける。皆、違う世界が見えてるの?そうしたらパステルカラーに見えててもいいの?


「同じ風景を見ていると思ったら大間違い。空を見ている人もいれば雲を見ている人もいる。鳥を見ている人がいるかもしれないし、その人によって色だって形だって違うかもしれない。

全く同じ風景を見ている人間なんてこの世に誰一人いないと思うよ」


 私はあの子の大人びたろんに疑いの目を向ける。


「でも皆、海は青いって言うじゃん」

「それは先入観。多くの人が海は青いものだって言ってるからそう見えるの。

物の色っていうのは本当は一色じゃない。複雑に色んな色が混ざってるんだけど、大体の人は大まかな部分しか感じ取らない。海だって本当は青色じゃなくてもっと色んな色が混ざってるんだから」

「そういうもんかな……」

「そういうもんでしょ」


 私はあの子の論に半分は納得し、半分は納得できなかった。でも気持ちは少し軽くなった。


「嬉しいな。私と同じ、世界が違って見える人がいて!」


 私が伸びをしながら少し上の段に座るあの子を見上げた。


「あなたと私は同じじゃない。パステルカラーとモノクロ。全然違う世界が見えてる」


 あの子の突き放すような冷たい言葉に私は少しがっかりする。同時にあの子の寂しそうな表情が気になった。




「そういえば、進路どうするの?私は一応大学には行こうと思ってるんだけど……」


 気づけば私はあの子と階段で話すのが日課となっていた。お互い示し合わせているわけではなく、私がふらっと階段にるだけだ。あの子がいれば話すし、いなければ教室に戻る。

 私達が交わす会話はくだらないことばかりだった。今日はこんな風に世界が見えたとか、次の授業の小テストが面倒とか。

 だけど今日は少し違った。


「……私に自由な未来なんてない」

「え?」


 私は隣に座るあの子を見た。


「私の兄妹……。病気なんだ」

「……?」


 その一瞬。あの子を含めた周りの風景がモノクロに見えた。私は慌てて目をこする。


「私が面倒見ないといけないから。小さい時からずっとそうなの」


 あの子は淡い茶色の瞳を曇らせる。そこからぽつぽつと事情を話してくれた。

 あの子の兄妹がどんな病気で、あの子の生活がどんなものかは分からない。多分、話したくないからえて避けているんだと思った。


「お父さんもお母さんも仕事だし、余裕もない。面倒をみるのは私しかいないんだ」

「うん」

 

 私は軽く相槌あいづちを打つだけにして、彼女から吐き出される言葉に耳を傾けた。


「しっかりしなくちゃ。私が健康な分、兄妹のこと助けなきゃ、両親には心配かけるようなことしちゃいけないって考えるようになったの」

「……うん」

「その日からなんだ。私の見てる世界がモノクロになったのは。周りの子達がカラフルで綺麗な世界を見てると思うと……悔しくて。サイテーだよね。人の幸せも願えない、病気の家族のことも思いやれない人間なんだよ。私は」


 あの子は横に腰かける私を見て弱々しく笑った。


「モノクロの世界なんてもう見たくない」


 あの子はそう言って瞳を覆い隠すように膝を抱えた腕に顔をうずめた。 

 私は少し間を開けた後で答える。


「モノクロの世界も綺麗に見える時があるんじゃない?」


 あの子がゆっくりと顔上げた。目を丸くさせて驚いている。


「私はぼやっとしたパステルカラーの世界だけど、たまに綺麗だなーと思う時があるの。夕暮れとか本当に綺麗に見えるんだよ?だけど他の人には見せられなくて勿体ないって思う。でもちょっと凄いことじゃない?私達だけにしか見えない世界があるって」

「……そんな風に考えた事なかった。確かに。モノクロの世界、星空だけは綺麗に見えるかも」

「へえ!私も見てみたいな。綺麗な星空!」


 そんな風に私が両手を広げて大袈裟に言ったら、あの子が遠慮がちに笑った。私もつられて笑みを浮かべる。


「じゃあ見に行かない?私達の世界を!」


 そう言って私はあの子の手を取って屋上に向かった。


「え?どういうこと?」

「いいから、いいから!」


 私は「立ち入り禁止」のプレートにも目もくれず、古びたドアを開けた。

 ドアを開けた瞬間、私は驚きの光景に目を見開く。


「空が……水色だ!青色?」


 そこには私が見たことのないような、くっきりとした水色の空が広がっていたのだ。正確には青色のグラデーションになっている。いつも淡い景色を見てきた私は鮮明な色の輝きに瞬きを繰り返した。


「……綺麗。向こうの方は濃い青色だ」


 あの子も驚いて空を見上げている。口が開きっぱなしになっているのを見て、私は声を上げて笑った。あの子の目にも間違いなくこの美しい世界が見えている。


 私の世界とあの子の世界。


 同じ時、同じ場所にいるはずなのに私達は異なるものを見ている。まるで別の世界に生きているみたい。だけどそれぞれの世界が繋がる瞬間がきっとあるはずなんだ。私はそう信じてる。


「口、開いてるよ!」

「そういうあんたこそ」


 私達は暫く屋上の手すりにもたれかかってどこまでも広がる青を眺めていた。

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