竹砕物語

野原せいあ

竹砕物語

「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり」


   *


「もはやがまんなりませぬ!」

 房子の声は御簾みす越しであっても鋭く、竹取の翁の屋敷中に響かんばかりであった。

「仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠のかわごろも、龍の首の珠、燕の子安貝!」

 叫ぶうちに張り裂けそうな痛みに胸をつかれる。房子は十二単のすそを払った。そして紅の袴ごと床を踏み叩いた。

「かような世にも珍しい珍品、貴品を御前に取り寄せよと申されるならば、まだしも!」

 目頭の熱さに耐えかねて、再びどん、と床を踏む。

「デカイ上腕二頭筋、バルキーな僧帽筋、板チョコの腹筋、キレてる臀筋群、仕上がった大腿四頭筋を要求するなど……!」

 寝殿を取り巻く廊下の床を踏みしめて、両手を広げ、怒りをあらわにした。

「見なさい、この公達きんだちたちを! あなたのお望みを叶えんと、日々努力を積み上げた者たちの輝きを!」

 簀子縁すのこえんに仁王立ちになった房子の背後、玉砂利を敷き詰めた庭先で、五人の男たちがポージングをしていた。

 石作の皇子は両腕を持ち上げたダブルバイセップス・フロント、上腕二頭筋を見せつけるためだ。

 車持の皇子はダブルバイセップス・バックで、背中の凹凸を強調している。

 右大臣である阿倍御主人は、 アドミナブル・アンド・サイ。シックスパックが美しい。

 大納言、大伴御行はラットスプレッド・バック。臀部の筋肉で一輪の可憐な花を挟み持っている。

 中納言の石上麻呂足はサイドチェストで脚の厚みを自慢する。

 いずれも高位に許されたひの装束を脱ぎ捨て、黒いビキニを着用。御簾をへだてていても彼らの熱烈な愛が届かぬはずがない。

 ゆえにこそ、房子はくやしい。

「あなたが己の欲のままに生半なまなかな要請をしたがため! 彼らはこのような姿になったのです!」

 公達たちは、美しさに比類なきと言われた「なよたけの姫」の言に踊らされたのだ。

 おのおの、要求された筋肉を極めに極め、他の筋肉をおろそかにし、あまりにもアンバランスな肉体を作ってしまった。

 鍛え抜かれた筋肉も、アウトラインが整っていなければ台無しである。

 デカイ上腕二頭筋もふくれた腹の上では提灯に釣鐘。

 キレてる臀筋群もたるんだ背筋の下では木に竹をいだよう。

 なんという屈辱!

 なんたる不名誉!

主上おかみの再三の参内要請をお断り続けていることは善しといたしましょう。あなたなど内裏だいりに半歩も踏み入る資格はございませぬ!」

 ぎょっと身を引いたのは公達たちである。

 房子の言いようは主上をないがしろにする一言を含んでおり、謀反とそしられてもおかしくないものだ。

「ふ、房子どの、気をお静めなされ」

「さよう、我々はなよたけの姫に鍛えた筋肉を愛でられるだけで……」

「だまらっしゃい!」

 房子の張り声は公達を吹き飛ばし、御簾を吹き飛ばした。

 脇息きょうそくが飛び、几帳きちょうが飛んだ。

 比喩ではない、物理である。

 さえぎる物を奪われた寝殿は内があらわになり、朝焼けの黄金がこぼれ、あたりはまばゆい光を浴びた。

 ひときわ輝かしい場所にて、すい、と人の動く気配があった。

 房子の前ににじり出たのは、雪を冠に、可憐に、強かに咲き誇る、紅梅のような娘であった。

 まろき肌、ぬばたまの髪、花の唇、そして雀のように愛らしい瞳。

「おおぉ……!」

 男たちが感嘆の息を洩らす。

 さて房子は生来の長身を以て、頭一つ分下がる娘をしげしげと観察した。

 なるほど、男たちがこぞって身を養い、研鑽と鍛錬を怠らぬわけである。

 主上もけして噂に踊らされただけではないと言えよう。

 したが房子は得心せず、意気をさらに荒げた。

(かような小娘にみな踊らされて……!)

 一方、なよたけの娘は房子を見上げ、にこりと微笑みを返し、剛眼の通じぬ胆力を示した。

命婦みょうぶどののご忠言、しかと耳にいたしました。ゆえにわたくし、どうしても気になることがございます」

 不敵に笑った娘は、可憐な指先をそっと房子の女房装束に触れた。

 かと思ったら、白魚しらうおの指先をぐっと唐衣からぎぬに食い込ませた。

「!?」

 なんという指力。

 凶変を察知し房子は身を引こうとした。が、腕はびくともしない。

 この時の房子は一瞬だけ、万物を見通す透視の神通力を得たのだ。

(見える……!)

 姫のまとううちぎに隠された、筋肉と筋肉の境目ディフィニションに優れた前腕筋群を!

「そ、そなたは……!?」

「わたくしの目はごまかせません。神風のごときその声量、肺活量……。さあ、本当の姿を見せるのです!」

 抵抗むなしく、房子の十二ひとえはあっさりと払われた。

 そして現れる、――金剛力士!

「うおおおおぉぉぉ!?」

 男たちは歓喜した。

「泣く子も黙る上腕二頭筋!」

「僧帽筋が歌ってる!」

「腹筋が手榴弾!」

「グレートプリケツ!」

「土台がちがうよ! 土台が!」

「お、おやめなさい! ……ああ、体が勝手に!」

 ポージングをしてしまう。掛け声に合わせて、ファンを鼓舞するように。そして熱量の暴走とともに、自らもさらなる高みへとのぼってゆく。

「赤が似合ってるよ!」

「筋肉の徳が高すぎる! 前世で仏でも救ったんかーい!」

 房子の筋線維は房子の制御下にあった。

 筋肉の鮮明な稜線、血管の分布は歯脈のよう。

 大自然の優美、調和と均整は、まさに霊峰、富士の山。

 フロントがV型の赤いツーピース水着を着用した房子に、誰もかれも膝をつき、ひれ伏し、むせび泣く。

「なんてすばらしいの……!」

 最も近いところで房子の肉体美を目撃した姫は、感涙をこぼして声を恍惚と震わせた。

「厚い十二単ヴェールに隠された真実の美……! これぞまさに、わたくしの理想!」

 おのが袿を引きはがし、姫もまた真の姿をさらけ出す。

「ぬおおおおおお!」

 屋敷のボルテージは最高位に達した。

 可憐な常態とは裏腹な、ひとたび見せた本性は暴威の極み。見せる二面性は鴨川のごとし!

 すらりと伸びた手足はまさに竹のよう。それでいて、要所にはカットの映える良質な筋肉がついている。

「かくが姫、かわいい!」

「かぐや姫、ちゅき!」

 呼吸困難に陥るほど熱の入った観客の掛け声は、しかしかぐや姫の耳には今上きんじょうのおわす京の都とそちが派遣される大宰府ほどに遠かった。

「お姉さま、教えてくださいませ。なぜあなたはお姉さまなのですか? あなたがお姉さまでなければ、わたくしはあなたへの愛を貫き通しましたのに!」

「なよたけさま、それはちがいます」

 房子は姫の肩にそっと触れた。

「男か女かなど些細なこと。筋肉を美しいと感じる心は、性によって区別される世界の架け橋となるのです……! 真の筋肉は世界を救う! そう!」

 ぐっと拳を強くにぎり、房子は渾身のモスト・マスキュラーを披露した。

「美しいは正義! すなわち! 筋肉は正義!!」

「うおおおおおおお!!」

 一同の闘志が最高潮に達した。

 みなの心は一つになった。

「さ、そうと決まれば参りましょう」

 背を向けた房子が、脱ぎ捨てた十二単を颯爽と着直す。

 肉厚の背中には圧倒的な威がそなわり、見た者を浮足立たせたが、なよたけはおのが筋肉でわれを保ち、二人の未来を案じた。

「一体どちらへ……?」

「無論、内裏だいりです」

 なよたけは主上おかみ入内にゅうだいを望まれている身である。尊身に乞われては、いなやは通用しない。房子はもともと、なよたけを説得(脅迫)し、色良い返事を持ち帰るために派遣されたのである。

「お姉さま……どうなさられるおつもりなのですか……?」

「わたくしに任せなさい」

 その和顔施わがんせは陶酔の世界への御使みつかいであった。

「清き筋肉を語ればおのずと活路みちは開けるでしょう……!」


   *


 牛車にて御所へとあがった房子たちは、さして間を置かず清涼殿せいりょうでんに通された。

 声がかりがあり、まず房子が、続いてなよたけがおもてをあげる。

 随伴した五人の公達きんだちは、なよたけの姫の輝きに隠れてしまい、影薄いあつかいを受けた。

主上おかみ、お待ちかねの者、まかり越しましてございます」

「おお、そなたが――」

「つきましては今一度、恐れ多いことではありますが、主上に申し上げたき儀がありますよし

 御帳台の中におさまった貴人は、言葉を遮られて気を悪くした。しかし、なよたけの姫が評判以上に可憐な顔立ちであったことに舞い上がり、房子の強い物言いを許して追言も許可した。

「よいぞ、申してみよ」

 房子は隣に座する姫の腕をとり、高らかに宣言した。

「わたしたち、幸せになります!」

 主上は硬直した!

 五人囃子は歓喜した!

 主上は呪縛から解放された!

「んな……!」

「そもそも! 下司げすの身分すら持たぬ家門の姫を宮中に召し抱えようなどと、姫がおかわいそうだとは思わないのですか!」

 房子はつつましい宮仕えの女官の皮をはぎとり、活力のまま声を上げた。

「主上にはすでに皇后、女御にょうご更衣こうい尚侍ないしのかみと、とおを越す女人にょしょうに囲まれておいでなのですよ! いずれも身分、美貌に陰りのない佳人ばかり!」

 このときの房子の言に、常日頃の鬱憤が混じっていたことは言うまでもない。

「至高の華燭たる御殿であれど、無手に等しい地位しか与えられず、殿上人に囲まれるわびしさをお考えあそばしたもうか!?」

「い、いや、むろん……能う限りの冠は与えるつもり……」

「笑死!」

 房子は勢いに任せて床を踏んだ。

 床はなんとか暴威に耐えた。

「身にそぐわぬ位を与えられること、これにつけて姫憎しと給う者もおりましょうぞ!」

「えーっと、じゃあそのまま……」

「無位無冠の娘に昇殿を許さば、天下万人、主上あやしとおぼしましょう!」

「ええー? じゃあどうすればいいんだよー……ヒッ!」

 火花散る眼光に射られて、今上は身を縮こまらせた。

「ゆえに申し上げておりまする。姫はわたくしが幸せにいたします」

「いやそりゃ理屈は分かるけどさぁ」

 半分べそをかいた主上の声は、宮廷の真実の力関係図を如実に示していた。

 脇の甘い主上をさとし、いさかいの耐えない妃嬪ひひんに睨みをきかせていたのがこの房子である。

 平易へいいに言い換えれば、主上は房子にめっぽう弱かった。

 ゆえに気心を知る仲として、未練がましくも泣き言で甘える。

「なよたけの翁の屋敷に使者を立てたことはみんな知ってるから、これで逃げられたら帝としての体裁が……」

「では姫は月に行ったとでも言えばよいでしょう」

「月かぁ……。――百合の園じゃなくて?」

「では筋肉の園と」

「……もう月でいいよぉ」


 かくして話はまとまり、かぐや姫を「月へ帰った」とするため、房子と旅に出ることになった。

 筋肉修練の旅である。

 姫に求婚をした五人の公達の手伝いもあり、二人の旅支度はこの世のものとは思えないほど絢爛であったという。かぐや姫を見た市井の民は「まるで天女のようだった」と語り継いだそうな。


「姫」

 御殿を去る折に、主上がかぐやを呼び止めた。

 振り仰いだ彼女が御簾みす越しに幻視したのは、照れ笑いのような、ちょっとさみしそうな中年男の顔だった。

「振り回してすまなんだ。達者で、幸せにな」



 ――――さて時を経て。

 藤の花房を下げた枝に添えて、今上のもとへふみが届いた。

 

 ふしの身と思へど色は散りぬるを

 きみをしのびて かしらをおろす


 詠み手の名は記されておらずとも、男にはすぐに思い浮かぶ顔があった。美貌を馳せた、なよ竹の君である。よってこの歌に登場する「きみ」には、二人の人物が当てはめられた。一人は彼女の思い人、一人は文を読む彼自身である。

 よってこの歌には二つの意味が重ねられていた。


一つ、「死ぬとは思えぬほど強靭なお方でしたが、人はいずれ死ぬものでした。あの方を思って、私は仏門に入り尼になりました」


一つ、「帝とは不死と通じる尊き御方ですが、人はいずれ死ぬもの。仏門に入り、今上のご健康をお祈り申し上げます」



「そうか、房子は逝ったか……」

 急な便りに胸をつかれ、声に出さずにはいられなかった。

 人のはかなさを思い、気丈で快活だった彼女を想う。

 いで、彼女を慕った美しい姫を思った。

 姫は房子の供養のために尼になるらしい。仏門は月よりも身近であるが、世俗に生きる帝とは一線を画した世界である。本当に遠い存在になってしまった。

 供養のついでに主上の健康も祈ってくれるらしい。ありがたいことである。

 房子がいなければ、姫はきっと、強引に嫁入りさせようとした主上の健康など祈りもしなかっただろう。そう思うと、人と人を結ぶえにしの深さに感慨が湧いた。

 項垂うなだれる主上の様子を見計らい、文の使者が「それからこちらを」と土産を差し出した。

 房子が定めた後任の手を介し、手元に届いたのは、壷紐でしっかりと蓋が封印された壷である。大きさは両手で包めるほどで、側面に大きく「ぷろていん」と書かれていた。

主上うえさまのご健康をお助けするでしょう、とことづかっております」

 使者がうやうやしく平伏した。

 今上はなんだか微妙な心地になった。

 健康長寿の妙薬もしょせんただの薬、努力の上に花を咲かせる霊薬である。

 努力なきものに花は咲かぬ。

 そして今上の知る努力とは、房子のような日々の鍛錬トレーニングを示していた。

 あれを真似しろと?

「いや、無理じゃろ……」

 主上はますます肩を落とし、そば近くに控える女房(侍女)に申しつけた。

「気持ちはありがたいが、霊薬など意味のないもの……。だが捨てたと知られればあとが怖い。ゆえにこの世から一番遠いところ、一番天に近いところで火をつけてこい」

「せやかて主上うえさま。粉物こなもんに火ぃ点けたら粉塵爆発を起こしゃりますえ。まして天に一番近いところうたら、酸素足りんのちゃいますやろか」

 さすが房子の後任である。しっかりしている。

 酸素が足りなかったら爆発も起こりえないのではないかという素人の浅知恵もよぎったが、女房の本旨は、指図を受けた者の安全を考えよという点にある。反論すれば本意をくどくどと説明されて「かようなこともお分かりにならしゃりませんか」と嫌味でとどめをさされることは分かり切っていたので、口をつぐむしかなかった。

「…………もう任せるよ」

 投げやりであったが帝の勅命である。

 すぐに使いがたてられて霊薬「ぷろていん」は富士の山へと運ばれた。文も共に持ち出されたのは、万が一、事が姫の耳に届いたときに「手紙も贈り物も届いていない」と言い張るためである。

 どのような手段を用いて処分されたかは不明であるが、尼となったかつての姫が鉄槌(物理)を下したとの記録は残っていないため、無事お役目は果たされたのだろう。

 やがて天女のごとき姫君の噂話が断片的に残り、かけらをつなぎあわせ、後世に美しい物語が誕生するが、それはまた「別の話」である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竹砕物語 野原せいあ @noharaseia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ