24人目の人質
牛尾 仁成
24人目の人質
当局からの一報を受けた幕僚総監部の動きは迅速だった。幕僚総監の指示のもとただちに対策本部を発足させ、陸軍より一個中隊を現地へ派遣。対策班長として、当時総監部の参事官であった郭哲直を任命した。
班長となった郭は派遣された陸軍の中隊長と、事件発生当初の警備責任及び初期対応を行っていた当局の管理官と会合し、情報の共有と今後の対応を話し合った。郭が管理官より受けた報告としては以下のとおりである。
事件は3月13日18時半に発生。大ホールにて開催されていた劇の第二幕が開始された直後であった。幕が開き、主役が登壇するはずがいきなり武装した男が登場し天井に向けて短銃を発砲、劇場を支配下に置くと宣言した。最初観客は劇の新しい展開かと思い信じなかったが、突如ホールの出入り口に同じように武装した集団が現れたため、大人しく従わざるを得なかった。
会場警備に当たっていた当局はホールの異変を察知し、劇場内を警備していた者と連絡を取ろうと試みたが、何も通じず当初何が起きたか把握ができなかったが、たまたま観客の中にいた当局の関係者が当局側に連絡を入れたため、事態を把握。武装勢力の排除に乗り出したが、劇場内に配置されていた人員が全て殺害もしくは排除されていたことがこの時に発覚した。敵の動きに無駄が無く、当局の行動の裏をとりつづけていることを悟った管理官はこの事件を自分たちだけの力で解決するのは困難と判断し、本部へと連絡。結果として、国軍の運営を司る部署の人員まで出てくる事態となったのである。
最初の会合が劇場向かいのホテルで始まったのは19時50分。省をまたぐ横断的な動きだったことを加味すれば充分早いと言える動きだった。行動も早ければ判断も早い郭班長は事態の把握と、情報収集に努めると同時に劇場を囲むよう部隊に指示を出した。
郭班長はを対策班の拠点としたホテルの大広間に劇場の支配人を召喚し、今夜の客すなわち人質の顔ぶれと劇場内の設備や構造を細かく確認した。支配人が提出した名簿や設計図を睨んでいると、対策班内に設けた電話が鳴り響いた。
結論から言うと、この電話こそ事件の第一報を知らせた内部の当局関係者からの電話であった。関係者はホールの丁度舞台袖付近におり、かろうじて武装勢力の監視から隠れられていたのが功を奏したのである。
協力者の情報から敵の正体が対策班にもたらされた。敵は反帝国武装組織である自由民族連盟(FNU)であることが判り、同時に敵の目的も察せられた。このほど、連盟への圧力を強めていた軍部は治安維持のためこの組織の幹部を数名捕えていたのである。彼らの狙いはその解放であろうことは想像に難くない。はたして、その後敵側から伝えられた要求はその幹部の18時間以内の解放と安全の保障であった。この手の過激派に見られる暴力性も表れており、要求が通らない場合は人質を殺害するという内容も忘れてはいなかった。
それらの情報を集めている間に、今回の実働部隊である帝国第一師団ケトリング地区第52番部隊、通称フィラー中隊は劇場の包囲を完成させ、突入経路の確保を急いでいた。フィラー少佐の指示もまた迅速かつ果断であり、少佐の下に次の指令が来るまでの間で既に突入部隊、救出部隊、狙撃手などの編成を行いいつでも配置が可能な状態で準備を済ませていたのである。
敵から突き付けられた要求に対して郭班長は柔軟に答えて見せている。まず、幹部の解放を受け合い、実際に23時40分には一人の幹部を開放している。当然、この幹部には徹底的なマークがされており、この世界のどこに隠れたとしても必ず見つけて捕らえられるようにぴったりと公安部隊が張り付いてはいたが。これに気を良くしたのか、連盟はホールに監禁していた人質のうち、半数以上の約400名を開放した。
段階的に人質解放は進んでいき、最終的にこの人質は帝国政府の高官、外国の貴賓、貴族23人にまで絞られることになった。この交渉の間に稼いだ時間によって、対策班は劇場内を占拠する実行犯の具体的な位置やその素性についても、集めることに成功している。
これ以上の交渉は難しいと判断した郭班長は事件発生から16時間が経過した翌14日10時30分にフィラー少佐へホールへの突入を命令。内部に留まっていた当局関係者と連携をしつつ、突入が始まる。
閃光弾で敵の目を潰してから発煙筒を投げ込み、視界を塞いだところを暗視スコープを装備した突入部隊が速やかに敵を排除していった。
11時20分、フィラー少佐の下に突入部隊から連絡が入った。
全人質の無事と敵の排除を確認。部隊被害、負傷4名、死者0名。
事件の全容として、劇場の警備に当たっていた当局の人員12名が死亡、劇場のスタッフや劇団の演者が5名負傷、そして実行犯である自由民族連盟18名の死亡及び主犯格の逮捕が報告された。人質となった政府高官や外国の要人たちも無事に解放となり、帝国としても決定的な外交破綻などは回避できた形であった。また、既に解放されていた幹部たちも公安部のマークからは完全には逃れられず、後日全員再逮捕されている。
考え得る限り、最高のスピード解決となり帝国中の耳目を集めた事件は終息した、と思われていた。
それは、半日程度で事件が解決し解散となった対策班の責任者が事件の人質から労いの言葉をかけられている場面で起こった。
今回の人質となった公爵と郭班長の近くを実行犯である連盟の主犯格が連行されていく時、主犯格が一瞬の隙を突いて両脇を固めていた部隊員たちの拘束から抜け出したのである。
逃れた主犯格は段差を飛び越え、今回のターゲットであった公爵目掛けて隠し持っていた小さな筒を投げつけた。
まさに一瞬の犯行であり、誰もその咄嗟の行動に対応できるものはいなかった。ただ一人、公爵と会話をしつつ連行されていく犯人を視界の端で捕えていた班長を除いては。
郭哲直少将は現場たたき上げの歴戦の軍人でもある。その軍人としての経験は彼に一瞬の躊躇や空白も許さなかった。地面を蹴り上げて人二人分の高さに飛び上がると、股を大きく割るほどの高い蹴り上げを筒へと打ち込んだのである。蹴られた短筒は白煙を上げながら、投げ入れられた初速の軽く倍以上の速さで打ち上げられ、爆発した。
大惨事となる蛮行は、郭班長の超人的な対応によって防がれた。そして、この衝撃的な光景は帝都全土にリアルタイムで中継されており誰もがその勇気ある行動と的確な采配に快哉を叫んだのだった。
以上が、世に伝わる『イルコフスカー劇場襲撃事件』の記録である。冷静な判断と的確な指示、組織を率いる統率力。そして英雄的な行動から一躍国民の人気者となった郭少将はその功績から、中将に昇進した。「護国の士」とも称され順風満帆な軍人生活を進む郭中将であったが、実はその裏である噂がひそやかに語られている。
それは郭中将の家庭の話であった。
郭中将は看護師である妻との間に2人の男の子がいた。
しかし、弟は小さい時に病を得て、ほどなくして亡くなり、残った兄と3人で暮らしていたとされる。この残された息子について、ある情報筋から俄かには信じがたい情報が弊社にもたらされた。
それは郭中将の子息が反帝国武装組織、自由民族連盟の一員だった、という情報である。言わずもがな、連盟は帝国に反旗を翻すテロリスト集団であり、数々の恐ろしい事件を引き起こしてきた。流血を厭わぬその姿勢は国民の恐怖の象徴でもある。郭中将は元々移民の出身だ。子息が帝国の民族政策にたいして何の不満も持たなかったと断言できるだろうか。
更にその消息は、この『イルコフスカー劇場襲撃事件』の後に、ふっつりと途切れている。この頃中将は妻と離婚したため、郭家の家庭は事実上、崩壊してしまった。弊社が入手した情報によると家庭内の不和が原因だとされている。その不和の原因が、渦中の子息にあるのだとしたらこの噂についても無視はできないだろう。国民的英雄であるからこそ、郭中将をはじめとする幕僚総監部には身の潔白を国民に証明する義務があるはずだ。
幕僚総監部の一室にその男の姿はあった。
長机の前に据えられた椅子に軍人らしく定規をあてられたかのように姿勢よく座っている。机の上には、今朝発行されたタブロイド紙が広げられ、一面には『護国の士に疑惑、軍部は説明を』という見出しが踊っていた。郭中将と向かい合うように据えられた机に二人の人物がいる。
「中将、率直に尋ねるがこの新聞に掲載されていることは真実なのかね?」
郭中将の向かって右側に座る男は、中将と同じ軍服を纏った男だ。今回の事態は軍政の次席を拝する者として見逃すことのできない事案であった。
「小官の家庭事情が、何故副長殿の職責に関わるのか些か理解に苦しみますが」
「この際、職責云々はそれほど問題では無い。真実なのか、違うのか、どちらなんだ?」
郭とてそこまで朴念仁のつもりはない。というよりも、政治に疎い者がこの幕僚総監部で生き残ることは難しいから、結論として総監部の誰も彼もがこういう風聞に敏感になるのだ。軍内部での動きについてはある程度のことは制御できる。しかしながら、軍の外からの圧力には慎重に対応しなくてはならない。郭は自分の知りうる限りの真実を話すことにした。
「小官の家庭については、この新聞に書かれている通りです。妻とは4か月前に離婚しました」
「それで、君の息子は?」
口を開いたのは副長の隣に座る人物だった。
はっきり言って、郭にとってこの左の人物は不快だった。というのも、ここは帝国軍の運営を司る最高機関、統合幕僚総監部だ。軍政と軍令の主要な決定がここでなされる以上、機密事項が山のようにある。そこに、軍人でもなければ軍属ですらない貴族が、将官同士の政治的会話にしゃしゃり出てくるのが気に食わなかったのだ。ただ、さらに郭の気分を悪くさせるのがこの左の人物が、自分に向ける嫌悪を分かった上で、完璧に上位者としての余裕と態度で話しかけてくることであった。
郭は抗議の目線を副長に送ったが、副長はゆっくりと首を振るだけだった。内心反吐が出る気持ちで、郭は続ける。
「小官の息子は既に死亡しました。今から2年前のあの事件で」
「何? ではまさか、君の息子は連盟の一員だっただけでなく、あの日死んだテロリストの一員でもあったというのか」
「いえ、本当にそうだったのか、ということは小官は確認できておりません。ただ、息子が連盟の人物と繋がりがあったという情報は小官の手元にありました。正式な一員であったのか、正体も知らずに繋がっていただけだったのか。あるいは正体を知っていながらも関係を断てなかった、もしくはあえて関係を持ち続けたのか、それは確認のしようがありません」
郭は何一つ隠し立てをすることなく、自分の持つ情報を全て公開した。あの日、公安部から上がってきたリストの中に息子の名前が入っているのを見て、生涯で初めてと断言できるほどの絶望を彼は味わった。どうしてお前が、と口から出そうになるのを舌を嚙み潰してやり過ごしたくらいだ。前々から息子が連盟と繋がりがあることは分かっていた。自分たちで動くのではなく向こう見ずで無知な若者に付け込んで、行動させるのはああいう輩の常套手段でもある。下手に息子に手を切るように迫ると、裏にいる奴らが息子を人質に取る可能性もあった。だから、息子が組織のどのくらいの深さに位置しているのか確認してから、行動に移したかった。
だが、その考えは見透かされていたようにあの春の夜に打ち砕かれたのだった。
動揺はしつつも直感した。連盟は自分の息子を人質に取っている、と。24人目の人質として班長の息子を盾としている。それも表向きはただのテロリストとして。
実に巧妙で狡猾な罠だった。
だから、郭は出来る限り時間を稼いだ。時間を稼ぐ間に、中隊長から内部の情報を聞き出し、ホール内にいるテロリストの位置とその容姿を徹底的に洗い出した。その結果、郭は息子と思しき人物を見つけ出し、中隊長にその旨を伝えて救出者としてその人物を確保するよう命令したのである。
「フィラー中佐は小官の士官学校時代の三つ下の後輩でした。他の者では言えるはずもありません」
突入部隊員たちも驚いたはずだ。少佐自らが前線に出てくるようなことは本来ならあり得ない。何故なら、郭の息子の件は郭の個人的な問題だからだ。いくら危機的な状況であろうと、個人の問題が軍務に支障を来すことなどあってはならない。
今すぐにでも本部を飛び出して、息子の下へと駆け付けたい。その衝動を鋼の自制心で抑え込み、郭はフィラーに懇願した。
どうか、息子を助けてくれ。
フィラーはそれがどれほど危険な行為か分かっていた。フィラーが憲兵隊に通報すればその時点で郭は軍法会議にかけられてもおかしくないことを言ったのだから。だが、フィラーは善処いたします、と請け合った。親として子を想う気持ちはフィラーにも分かったからだ。
正直、郭は事件解決後の爆弾騒ぎなど、何の印象も残っていなかった。あれはほとんど無意識の動きだったのだ。何だったら、人質たちの顔もほとんど覚えてはいない。
覚えているのは、ぐにゃぐにゃと力なく額にぽっかりと穴をあけた息子が舞台袖で倒れている光景だけだった。
突入部隊は最善を尽くした。郭はそう思っている。息子の行動を事前に把握していなかった自分に落ち度がある。責めに帰されるべきは自分であり、他の誰も恨みようがなかった。
だから、それからの2年間はどれだけ周りから持て囃されようと、空虚だった。妻は息子の死に泣き崩れた。どうして、あの子を助けてやれなかったの、と責められたが何も返すことはできなかった。すまない、というその一言さえ郭の口からは出てこなかった。
どれほど絶望に打ちひしがれたとしても、郭という男はどこまでも自身を客観視できる男でもあった。まず、息子の死についてこれはそのうち世間に判明してしまうだろうということ。そして、その死について連盟の影がまとわりつくことだ。その捜査となり憲兵隊が出てくれば、ことによっては軍法会議となるかもしれない。もしかすると、このことさえも連盟や反帝国組織による陰謀の可能性もある。うまくその事態を切り抜けたとしても、奴らがそのまま黙っているとは思えなかった。そうなれば次に狙われるのは誰か、郭には簡単に想像できたのだ。
だから、郭は自分から妻に離縁を申し入れた。なるべく自分から離れていて欲しい。しかも妻には多くのことを知らせるわけにはいかなかった。敵方にかぎつけられたら、彼女さえ失ってしまうのではないか、と郭は思ったのだ。そうなったら今度こそ、耐えられない。
離縁を切り出した夜、妻はただ静かに頷いた。それがあなたの望みならば、と消え入りそうな声で答え、肩を震わせていた。
「家庭内の不和というのは小官が流した情報です。多少は誤魔化せると思ったので」
自分の身がどうなろうとも、自分に家族との幸せをくれた妻だけは守り抜きたかった。ただそれだけを考え、準備をして行動に移した。ここまでやれば郭は自分がどのような目にあわされたとしても何の文句も無かったのである。むしろ、この時期の彼はそれを望んでいた。息子を助けられなかった自分を誰よりも許せなかったのは自分自身だったのだ。
全てを話し終えた郭は初めて軍人でありながら完全に脱力した自分を自覚した。いついかなる時においても、軍服を纏う限りその節度と実直さを手放さかった彼にとってそれはある種新鮮な感覚であった。
左の人物を見据える。この貴族はきっと自分の弱みに付け込もうとしている、と郭は計算していた。そう、帝国最大の影響力を誇るこの公爵であれば。
公爵は郭が話し終えると、しばし沈黙した。類稀な弁舌家である公爵にしては不気味なほどの静寂が部屋を支配していた。
そして、公爵が口を開く。
「よく話してくれた、郭中将。まずは
その声は普段、議場やサロンで響かせる威厳に溢れた声ではなく、むしろ静かで朴訥とした言い方だった。だが、そうであるがために、その声にはかけられる相手へ公爵の普段とは違う様子を伝える充分な力があった。公爵はその不思議な温度のある声で続ける。
「……さて、吾輩ははっきりと認識した。この真の帝国軍人を失うわけにはいかない。根も葉もない噂や醜聞ごときで、断頭台の露に消えることなどあってはならない。郭中将、卿は実に素晴らしい。卿のような人物を登用できたことがこの帝国にとっては大きな財産だ。吾輩もその働きに命を救われた一人の人間として、卿を尊敬する。だから、今度は吾輩が卿に力を貸す番ということだ」
そう言って、公爵はいつもの不敵な笑みを浮かべた。だが、それは相手を威圧したり牽制するような攻撃的な意味は含まれていない。かけがえのない同胞を守るために見せる、帝国随一と謳われる女傑の名に懸けた安心への担保であった。
24人目の人質 牛尾 仁成 @hitonariushio
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