第二百九十八話 ビンカス
「なんで一番端の席に座るんですか? 人もまだいないんですから、カウンターに近い席にしませんか?」
「嫌だね。あんたから一番遠いここが、この店で一番いい席さ」
「随分な言い様ですね。まあ、無理強いはするつもりありません。ご注文の方は何に致しますか?」
「ワタシは珈琲。ルインはどうする?」
「お茶でお願いします」
「ここは一応バーなのですが……」
「ないなら水でいいよ」
「ありますよ。珈琲とお茶ですね。只今お持ち致します」
ちょび髭のマスターは、深く一礼するとカウンターへと戻って行った。
おばあさんはというと、近くから去ったことで深くため息を吐いている。
尋ねる前から渋っていたため分かっていたが、おばあさんはここのマスターをかなり苦手としているんだな。
会話の端々にも毒を感じられたし、まともに目を合わせようともしていない。
おばあさんが嫌う人ということで、頭の中では様々な嫌な奴を想像していたが、会話を聞いていた限りでは紳士的な人だなとしか俺は感じられなかったけども。
「あの、なんでおばあさんはここのマスターを嫌っているんですか? 嫌な人には見えなかったんですけど」
「軽く話しただけでは分からないさね。分かりやすく言うなら、人への配慮や気遣いが著しく欠落しているんだ。ああやって猫被っているが根はドス黒い悪だしね」
「そうなんですか……」
「まあ、関わっていたらいずれ分かる日が来る。だから、ルインは深く関わったら駄目だよ」
マスターに聞こえないよう、俺は小さな声で理由について尋ねた。
帰ってきた返答は、人への配慮が欠落していて、根はドス黒い悪。
生まれてこの方、ブランドンぐらいにしかそんなこと感じたことなかったが故、少しだけあのマスターが怖く見えてきた。
おばあさん自身も、ブランドンとここのマスターだけが苦手と言っていたしな。
それからしばらくの間、おばあさんと何気ない談笑を楽しんでいると、仕事を片付け終えたシャーロットさんが『ビンカス』に姿を見せた。
「待たせたわね。ハロルド、ウイスキーをロックで頼むわ」
「なんだい。これから話し合いなのに酒飲むのか」
「仕事終わりだし当たり前じゃない。それにこの店、一応バーよ?」
「シャーロットさんもっと言ってあげてください。アイリーンさん、珈琲しか頼まないんですよ」
「ハロルド盗み聞きしないでくれる? 気持ち悪い」
カウンターから話に入ってきたマスターだったが、シャーロットさんは棘のある言葉を返した。
やはりおばあさん同様、シャーロットさんもここのマスターを好いてはいない様子。
「お待たせしました。ウイスキーのロックです。……シャーロットさん、流石の私でも傷つきますよ?」
「いいから、もう向こう行って」
ウイスキーを運んできたマスターを片手で掃うように追い出してから、両手を合わせるように話し合いの体勢を整えた二人。
懐かしい昔話をするような雰囲気ではなく、戦闘前のような妙な緊張感が漂い始めた。
「さっきの話の続きをしましょう。アイリーン、話してくれる?」
「ああ。シャーロットに頼みがあってね。…………アーサーの居所を教えてほしい」
「アーサー……。あなたが真剣な顔つきになったから察してたけど、やっぱりアーサーについてのことだったのね。なんで急にアーサーに会いたいなんて言い出したの?」
「ちょっとあいつに聞きたいことがあるんだ。ルインが知りたがってることが、アーサーなら知ってるかもと思ってね」
「ふふっ、自分のことにしか興味がなかったアイリーンが人のため――ね。アーサーがそのこと聞いたら嫉妬するんじゃない?」
「爺と婆が嫉妬だどうだとか気持ち悪い。いいから居場所を知っていたら教えてくれないか?」
おばあさんの口から出たアーサーという名前。
このアーサーという人がおばあさん、そしてシャーロットさんと昔パーティを組んでいて、伝説の物や未知の物にも詳しいという人物なのだろう。
「最後に会ったのは王都だけど、噂では帝国のウィルリングって村にいるって聞いたよ。アイリーンは少しも情報を持っていないの?」
「ああ。ワタシはパーティを解散して以来、一度も会っていないし調べたこともなかったからね。……それにしてもウィルリングかい。また厄介なところにいるね」
「『竜の谷』の先だからね。帝国ですら行くのが億劫なのに、『竜の谷』を超えなきゃ会えないって私なら絶対に行かないわよ。ましてやあのアーサーのためになんてね」
「全くの同意見さ。ワタシも嫌だね。……ということでルイン。直接の紹介は出来ないけど、居場所は分かっ――」
「ちょっといいですか? アーサーさんは今、ウィルリングにいませんよ?」
話に割り込んできたのは、またしてもちょび髭のマスター。
おばあさんもシャーロットさんもギロリと睨んだが、誤情報を訂正してくれたということで追い払おうとはしていない。
「また盗み聞きして、更に嘘までつかないでくれるかしら?」
「嘘じゃありませんよ? 私の情報は最新のものですから」
「なら居場所を教えな。ワタシはあんたに騙されたこと忘れていないからね」
「私も忘れてないから」
「まだあの時のことを言いますか……。分かりました。アイリーンさんからは、前回多めに頂きましたしお教えしますよ。アーサーさんは今、この王国のランダウストにいます」
マスターのその言葉を聞き、俺は一人の人物が頭を過った。
アーサー。
その名前を聞いたときから薄っすらと思い浮かんでいたが、ランダウストにいるとすれば一人しかいない。
ただ、まさかおばあさんの知り合いで、それも一緒にパーティを組んでいたとは思いもしなかった。
けれど、持っていたあの武器を考えれば、今なら全て合点がいく。
「あの……その方って、『鷲の爪』という武器屋を営んでいませんか?」
俺はマスターにそう尋ねたのだった。
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