第二百二十三話 鬼荒蜘蛛


 ひっくり返っていた鬼荒蜘蛛だったが、ダメージはさほど入っていなかった様子で、すぐに体勢を立て直した。

 ……近くで見ると、迫力が凄い。


 ビッシリと生えている体毛に体の何倍もあり細長く先端の尖った八足と、人間ぐらいならば造作もなく噛み千切れるハサミのような形状の顎。

 見た目では分からないがあの強靭な顎からは猛毒も分泌でき、噛まれたら命はないと言われている。

 

 そして一番気を付けなくてはいけないのが、お尻の部分から噴射される糸。

 フロアに張り巡らせていた糸同様、その糸で捕捉されたら最後。

 逃げる暇もなく、凶悪な顎によって捕食されてしまう。


 もちろん、糸はグレイスライムの液体で解かすことはできるが、戦闘中ではそんな暇はない。

 かといって、あらかじめ体中に塗っておくことも支障を来すためできないし、対処法は絡めとられないように気をつけることだけなのだ。


 ただ予備動作に関しては、トビアスさんの情報と映像でしっかり頭の中に入っている。

 首を機械的にキョロキョロと傾げるだけで、一切その場から動かない鬼荒蜘蛛を見ながら、現在の状況を整理した。


 この緊迫した状況の中で、ただ動かずに待つという行為が一番もどかしく辛いのだが、鬼荒蜘蛛相手には先に動いてはいけない。

 壁に擬態している体色、そしてフロア内に張り巡らされていた糸。


 これらから分かる通り、おぞましい見た目とは反して、相手の出方を伺う非常に慎重且つ狡猾な魔物なのである。

 そんな相手に、こちらから動けば正に思う壺。

 

 嫌な間を我慢し、相手が動くのをジッと待っていると……。

 ようやく痺れを切らしたのか、一番前の二本の足を持ち上げると勢いよくこちらに向かってきた。

 俺はそのタイミングでアルナさんに攻撃開始の合図を送り、片手で剣を構えるとホルダーに手を入れる。


「【パワーアロー】【ヘイスト】」


 俺の合図と共に放たれた【パワーアロー】だったが、鬼荒蜘蛛は悠々と矢を躱し、アルナさんとの射線を俺で切るような位置取りを取ってきた。

 その位置は俺が壁となり、アルナさんの矢を防げる唯一の位置なのだが、そこに位置取ることは読んでいる。

 

 鬼荒蜘蛛が避けるよりも少し先に、俺がその位置へと投げたパンの材料の入ったボールが、鬼荒蜘蛛に命中した。

 パンの材料である白い粉が舞い散り、ビッシリと生えた体毛にも付着。

 更にバックステップで距離を取ってから、続け様にボム草ボールを投げつける。


 その瞬間、ボム草ボールによる爆発が、鬼荒蜘蛛の付近に舞ったパンの材料にも引火。

 目の前には大きな火柱が立ち昇り、鬼荒蜘蛛が顎を擦り合わせているのか、甲高い音がフロアに響き渡る。


 試合早々に、狙っていた粉塵爆発が完璧に決まった。

 このまま決着も着いたのではとも思ったが、残念ながら火柱の中から鬼荒蜘蛛が這い出てきたのが見える。

 ……流石にそう簡単には勝たせてくれないか。


 ただ交戦前、睨み合っていた時のような落ち着きは一切なく、足を激しく動かしながら非常に荒ぶっている様子。

 距離も詰められているしスピードも速いが、冷静さは欠いているようで動きが直線的だ。

 

 俺目掛けて一直線に振り下ろされる二本の前足を避けつつ、正面から懐に潜り込んで最小の動きで足を斬りつけながら、距離を取られないように鬼荒蜘蛛の側面を取るようにピッタリと張り付く。

 鋭利な長い足を武器のように使われるのは、リーチもあって非常に厄介ではあるのだが、突っ込みながらの攻撃ではそこまでの恐怖を感じない。


 “長物相手と戦うときは、相手は小回りが効かないため近接戦に持ち込むのが基本”。 


 これはキルティさんから耳にタコができるほど聞いた、戦いの基本の一つだ。

 魔物であろうと、そんな基本すらも出来なくなっている相手には、絶対に遅れを取ってはならない。

 

 一撃の威力は追い求めずに最小限の動きで攻撃を行い、ピッタリと側面を取り続ける立ち回りを行っていく。

 必死に八足を動かして、俺にダメージを与えようと試みている鬼荒蜘蛛だが、クイック草に加えてアルナさんからの【ヘイスト】をかけて貰っている俺に、攻撃を当てることは出来ない。


 せめて距離を取ろうとする動きを取れば、こっちは糸への警戒もしなくてはいけないし、鬼荒蜘蛛にもまだチャンスはあったとは思うが……勝負はほぼ決した。

 俺は戦況が断然有利でも油断せずに戦い、次第に一本、そしてまた一本と鬼荒蜘蛛の足が機能を停止させていく。


 粉塵爆発が直撃した段階でかなりのダメージを負っていた鬼荒蜘蛛は、五本目の足を斬り飛ばした段階で地面へと伏せ、とうとう起き上がらなくなった。

 ただ強靭で凶悪なその顎は、毒なのか黒い液体を滴らせながら、パクパクと俺を殺そうと動いている。


「……とどめを刺さないとな」


 ぽつりとそう呟いた俺は、剣を振り上げて鬼荒蜘蛛の胴体を斬り裂いてから、苦しみの少ないように即座に首を跳ね飛ばす。

 首を跳ね飛ばした後もしばらくの間、頭の無くなった体がワキワキと蠢いていたが、次第にその動きはゆっくりとなり、灰となってダンジョンへと吸われていった。


 まだ十五階層のボスだからか、予想以上に楽に倒すことが出来たな。

 初っ端の粉塵爆発が完璧に決まり優位を取れたお陰で、準備していたアイテムや植物をほとんど使わないまま勝ててしまった。

 一番の脅威でもある糸を使わせる場面すらなかったし、まさしく完全勝利と言えるな。

 

 双ミノに続き、この鬼荒蜘蛛も余裕で勝てないといけないボスの一匹となるため、この結果は上々の結果だったと思う。

 俺は確実なる手ごたえを感じつつ、後衛で待機している二人の下に戻ろうとした時、鬼荒蜘蛛が死んだ位置に何かが光っていることに気が付いた。


「……ん? 鬼荒蜘蛛の顎……か?」


 近くまで行って確認してみると、そこには先ほどまで注視していたハサミのような顎の片割れが落ちていた。

 毒も付着していたし拾うのに抵抗があったのだが、見た感じこの顎には毒が付いていなそうだな。


 手を切らないように慎重に拾い、布切れに包んでホルダーに入れる。

 サイズ的に短剣くらいにしか使い道はなさそうだが、ボスのドロップ品だからもしかしたら良い値段で売れるかもしれない。


 それにアルナさんか、ロザリーさんが欲しがる可能性もあるしな。

 初めてのボスドロップ品を回収した俺は、改めて二人の下へと戻ったのだった。


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