第三十三話 アングリーウルフ


 時間に猶予はない。頭を全力で回せ。

 アングリーウルフを倒す手段を、順序立てて必死に考える。

  

 心臓は一回一回の鼓動が聞こえるほど激しく跳ねているのだが、パニックにまでは陥っていない。

 それどころかいつもなら見えていない周囲の地形、敵までの位置、敵の状態まで完璧に見えているほど、頭は働いている。


 もしかしたら、この状態でならアングリーウルフにも対応できるかもしれない。

 そう考えつき俺がダガーを腰から引き抜いたと同時に、俺の周りをゆっくりと回っていたアングリーウルフが足を止めた。

 瞬間、大気が震えるほどの咆哮。


 空気が唸りを上げながら周囲の木々を揺らし、耳をつんざくような咆哮が俺の下まで届いた。

 そのアングリーウルフのたけりに、まるで心臓の動きを止められたように全身が硬直する。

 体の芯から震えあがり、体中の水分が蒸発したかのように、口の中が一瞬で乾いた。


 月明かりに当てられた銀色の毛を輝かせて、陸に君臨する圧倒的強者。

 自分が如何に矮小な生物なのかを一瞬で自覚させられた。


 ‟この魔物には勝てない”。‟ここで死ぬ”。‟この魔物に食べられるんだ”。

 

 捕食者と被捕食者。

 その立場を分かってしまったが故、先ほどまで正常に動いていた思考は停止し、悲観的な考えだけがとめどなく脳内へと流れ込んでくる。

 その悲観的な思考のせいで、徐々に体が震え始め、先ほど抜いたダガーがポトリと地面へと落ちた。

 

 もう本当に駄目かもしれない。

 本格的にそう思い始めたとき、何故か一つの言葉が俺の頭に何度も駆け巡る。


 

「……ほ、しょく、しゃ…………? ――捕食者!!」


 

 そう、捕食者だ!

 このアングリーウルフは俺を殺すことが目的なのではなく、俺を捕食しようとしているのだ。

 その事実により、恐慌状態に陥っていた思考が正常に回り始め、対抗しうる手段が見えてきた。

 

 食べると言う行為が素晴らしいことであると同時に、苦痛を伴うことであることは、あの苦行を耐えた俺が一番知っている。

 圧倒的強者であるアングリーウルフを倒すことは、俺には難しいことかもしれない。

 ただ、俺を‟食べたくない”。そう思わせることなら出来るはずだ。


 すぐに俺は右手に魔力草とボム草を生成する。

 生成できたと同時に思い切り握りしめ、衝撃を起こしたことで俺の手の中でボム草が起爆した。

 右手に激痛が走るが、この程度の痛さ食われるよりか100倍マシ。

 

 それよりも……よし。

 ボム草と一緒に握っていた魔力草に着火させることに成功した。

 俺が一体何をしたかったのかと言うと……。


「……おえっ! お゛うえ゛っ!」


 そう。この通り、魔力草は熱を加えると酷い臭いを発するのだ。

 これで——アングリーウルフも……。


「お゛う゛えっ! ぼぉえ゛っ!」

 

 この臭いを嗅ぐと魔力草ステーキの味を思い出してしまい、条件反射で俺もえずいてしまうが、風下に立っているアングリーウルフも身悶えている。

 先ほどのような威圧感ある咆哮ではなく、甲高い悲鳴に近い鳴き声も上げているほど。

 やはりこの臭いが嫌なのは生物問わずなんだな。


 ただ臭いには嫌がっている様子を見せても、流石に逃げ出すとまでは行っていない。

 このまま立っていても魔力草が燃え尽き、効果がなくなってしまうだけだ。

 ボム草の生成魔力が不明なため、次なる魔力草とボム草を生成することが出来るかどうかが分からない。

 ジリ貧の現状に追撃をかけるため、俺は燃えている魔力草をアングリーウルフに突きだしながら、鞄からスライムの液体が入った瓶を引っ張り出した。


 これは昨日買ったスライムの液体に、エンジェル草を漬け込んでおいたもの。

 回復用の塗り薬としてしか俺は使ったことがなかったため、これは一つの実験としてやったものなのだが、もし毒草の効能も抽出できるならこの液体は猛毒の液体となっているはず。


 俺から少しだけ離れて甲高い悲鳴を上げながら、頭を振っているアングリーウルフにエンジェル草入りスライム瓶を投げつける。

 狙って投げた瓶はアングリーウルフの額に命中し、勢いよく割れた。


 ドロッとした液体がアングリーウルフの顔へと流れていったのだが……特に何の反応も見せない。

 失敗か? そう思いかけたところでアングリーウルフに異変が起こった。


 顔を先ほど以上に激しく振り、地面に顔を擦りつけるように暴れ始めたのだ。

 なにやら焦げくさい臭いも漂ってきて、このことからエンジェル草入りスライム瓶がしっかりと毒薬になっていることが分かった。


 かなり効いている様子だし、トドメを刺すならばここしかない。

 逃げることも考えたが、俺は落としたダガーを拾い上げて一気に距離を詰める。

 

 俺は地面に顔を擦りつけながら、悶絶しているアングリーウルフの首元目掛けてダガーを突き立てた。

 刃が刺さるか心配だったのだが、問題なく皮膚を突き抜け首元に刺さり、ガリッと骨に当たったような感触がしたところで、アングリーウルフは更に激しく暴れ始めた。

 

 喉に突き刺さったダガーのせいで鳴き声にはなっておらず、ヒューヒューと言う掠れた悲鳴だけが聞こえる。

 更に魔力草のせいで鼻が利かず、毒薬のせいで目が見えていないせいか、たどたどしい歩き方でしばらく周囲をうろうろとしたあと、事切れたのかアングリーウルフはゆっくりと地面へと倒れた。

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