第15話 罠

「うぷっ!」

周囲の空間の歪みが戻っていくと、激しい吐き気に襲われる。


やべぇ!

俺、転移魔術に弱いんだった。

忘れてた。


手で口元を押さえて四つん這いになる。


おえ~。気持ち悪い。

涙目でグロッキー状態になっていると、ルナが近づいてくる。

「『Refreshリフレッシュ』零、大丈夫?」

「た、助かった。ありがとう。ルナ」


やっぱ、あの魔術を早く覚えないと。

俺が死ぬな。


ルナの魔術のおかげで吐き気が消え、すぐに立ち上がると、マルティン先生が近づいてくる。


「調子は戻ったかい。玄野君」

「はい」

「なら、行こうか」

マルティン先生はそう言うと、古びて今にも壊れそうなボロボロの扉に視線を向ける。

「「はい」」


いよいよ試験か。

テストとは違った緊張感があるな。


「すー。ふうー」

深呼吸をして、緊張をほぐしていると、ルナが心配そうにこちらを見ていることに気づいた。

「ルナ?」

「……零、大丈夫?」

「うん? ああ。大丈夫だ」

俺がニッと笑って見せると、ルナは少し懐疑的な視線を向けてくるが、どうにもならないとわかるとため息をついていた。


「それじゃあ、開けるよ」

マルティン先生が古びた扉の取っ手に手をかける。


すると、ギギギッ! といった黒板に傷をつけた時と同じくらい嫌な音を立てながら扉が開いていく。


「気味が悪いなぁ」

廃墟と化した病院の中はここ数年、誰も出入りした気配がないくらい汚れているせいか、途轍もなく嫌な雰囲気を宿していた。


「本当にここにいるんですかね。その……」

「……糸田」

「あ、そうそう。糸田って人が」

「いるよ。絶対」

マルティン先生はそう言うと、病院の中に入っていく。


「本当かなぁ~」

あのおっさん噓つきそうだしなぁ。

ハリスのおっさんを疑いつつマルティン先生の後を追うようにしてルナと一緒に病院の中に入っていく。


電気が通ってないのもあって暗いなぁ。

先頭に立って病院の中を歩いて進むマルティン先生の後をついて行っていると、顔に何かが当たり、絡みついてくる。


「ひょあ⁉」

「玄野君?」

「零?」


え? 何に当たった?

マルティン先生とルナの心配する声が聴こえる中、顔をペタペタと触っていると、手に蜘蛛の巣が絡みつく。


なんだ、蜘蛛の巣か。

「すみません。蜘蛛の巣に当たってしまって……」

俺がそう言うと、2人はなんだ、そんな事か。といった感じでため息をついていた。


ごめんなさい。

心の中で謝罪しつつポケットからスマホを取り出して灯りをつけ、周囲を照らす。


これで危なくはないな。

それにしても……ここ数年、誰も出入りしてないただの廃墟にしては蜘蛛の巣が多すぎないか?

気のせいかな?


・・・


その後、病院の中を探索して回り続け、未探索の部屋はあと一つといった段階まできていた。


「ここが最後の一部屋。“院長室”だったところか」

今にも壊れそうな扉の前でマルティン先生はそう言った。


「これで……最後ですか」

「……早く帰りたい」


何も起きなきゃいいが……。

目の前で古びた扉を開けようとしているマルティン先生を見ながらそんなことを考えていると、ギギギッといった音が鳴り響き、扉が開く。


「さあ、はや……」

早く終わらせましょう。そう言いかけて止まってしまった。


扉を開けたその先……。

そこには……ミイラと化した人間だったモノが数体、人間サイズの巨大な蜘蛛の巣に絡まっていた。

腐敗が進んでいるのか、ミイラから異臭が漂ってくる。


うわっ! なんだよ。これ……。

なんで、こんな……ものが……。


「はあ。はあ。はあ」

ドクン! ドクン! ドクン!

心臓の音がいつもより大きく聞こえてくる。


ダメだ。覚悟してたはずなのに……怖い。


「はあ。はあ。はあ。はあ」

ダメだ。冷静にならなきゃ。

冷静に……。


「零! しっかりして」

両頬にじんわりと痛みが走り、ルナの声が耳に届く。


「……ルナ?」

「零。よく聞いて。この状況で冷静さを保つことがどれだけ難しいか、私は知っている」

「……」

「でもね。零。この状況で冷静さを失って行動すれば、もっと危険だということも私は知っている」

「……ルナ」

「それに……初めて会った時に言ったでしょ。あなたの事は私が必ず守るって。だから、安心して?」

「うん。わかった。ありがとう。ルナ」

ルナの言葉のおかげか、大分冷静さを取り戻せた気がする。


「ふうー。それでどうしますか。マルティン先生」

マルティン先生の方に視線を向けると、マルティン先生は顎に手を当てて何か考え事をしていた。


「この状況から考えて、今回のミッションは完全に合成怪物キメラが関わっていると思う。だから、いったん本部に撤退して……」

マルティン先生がこれからの動きを話していたその時、ルナが急に天井に視線を向けた。


「ルナ?」

「……零。早く逃げて」

「……え?」

その声と共に天井の暗闇からソレは姿を現した。


なんだよ。あれは……。

蜘蛛なのか?

いや、蜘蛛にしてはデカすぎる。

それに……額についてるあれはなんだ?

人間の…顔?


「……っ! 『神器召喚 ロンギヌス』」

ルナは虚空から槍を取り出すと、蜘蛛のバケモノに向かって鋭い突きをいれ、刺し殺した。

刺された蜘蛛のバケモノはルナが槍の矛先を抜くと同時に天井から地面へと落ちてゆく。


「た、倒したのか?」

「うん。倒したよ」

そう口にするルナの視線は未だに蜘蛛のバケモノの死体にくぎ付けであった。


「ルナ?」

どうかしたのだろうか?


ルナの視線の先にある蜘蛛のバケモノの死体をじっと眺めていると、その死体の下にある地面から白煙が昇り始める。


な、なんだ⁉

白煙が急に……。


「酸性系の毒だね」

「……うん。そうみたい」

白煙が立ち上っていくのを見ながら、マルティン先生とルナの2人はそう口にする。


毒って……。

それってやばくないか?


死体から距離を取っていると、マルティン先生の表情が次第に険しくなっていく。

「マルティン先生?」

「……ルナちゃん。気づいたかい」

「うん。囲まれてるね」

「ざっと数十体くらいかな? 気配が小さくてあまりわからないや」

「そう……だね。私もここに来るまで廃墟に住み着いた虫や小動物の反応かと思って見逃してきたけど……。これは……もはや。誘い出されたといってもいいのかもしれない」

“袋のネズミ”そう小声で呟くルナはとても焦っているように見える。


「ルナ!」

「何? 零」

「俺は。俺はどうしたらいい?」

「零は……私たちの後ろにいて。奴らは私と先生で相手する。だから、先生。サポートよろしく」

ルナはマルティン先生が頷いたのを確認すると、槍を構えて前に出ていく。


「玄野君。危ないから君は僕の傍に居てね」

「は、はい。わかりました」

そんなことを話していると、全方位から囲い込むようにして先程よりも小さい蜘蛛のバケモノが迫ってきた。


「予想はしてたけど……まさかこんなに出るとは……。仕方ない。先生。作戦変更。私が退路を切り開いていくから先生はその後をついて来ながら、うち漏らしとバックの方の援護をお願い」

「まあ、さすがにこの数を相手し続けるのはジリ貧だね。わかった。了解」

ルナとマルティン先生はバケモノの集団を見て、お互いにうんと頷く。


「玄野君。後ろは見ないように! じゃあ、行くよ!」

「は、はい」

槍を振り回してバケモノどもを蹴散らして退路を切り開いているルナを追いかけるようにただひたすらに走る。


「ごめん。一匹うち漏らした」

「了解。『Stone bullet石弾』」

マルティン先生が呪文を唱えると、石の塊が銃弾のごとく飛んでいき、バケモノを貫いていく。


2人ともすげえ。

こころの中で感激していると、向こうの方に明るい場所があることに気づいた。

もうすぐ。もうすぐ外だ!

乳酸が溜まってきたのか、少し疲れてきた脚に鞭を打って走る。

ラストスパートだ。


そう思った時、目の前を走るルナの足が止まった。

「うそっ……」

絶望に染まったようなルナの声が聴こえてくる。


「ルナ?」

「……」

呼びかけても応答しないので、ルナの視線の先を追っていくと、一番最初にルナが倒した蜘蛛のバケモノよりもひときわ大きな蜘蛛のバケモノが天井からこちらを見下ろしていた。


「噓だろ」

よりも寄って、入口近くで大ボスとの戦闘とかふざけんじゃねえぞ。


見る限り目の前にいるバケモノは先程まで追いかけてきていた奴らとは格が違うのだろう。

今までのは人の顔っぽい何かが額についているのに対して、目の前のバケモノは人間の女性の上半身らしきものが蜘蛛の背中辺りから生えていた。


「アラクネってやつか?」

何処かの神話で出てきたような気がする。

何処の神話だっけ?

いや、今はそんなことはどうでもいいだろ。

今すべきことは……俺が奴に捕まらないようにすることだ。


恐怖と疲れで震える脚を叩いていつでも逃げられる準備をしていると、ルナが単身でバケモノに突っ込んでいった。


「ルナ⁉」

「そこを退け!」

ルナはバケモノの腹に鋭い突きをいれようとするが蜘蛛の前足に邪魔をされてはじき返されてしまった。


「……硬い」

ルナが顔を歪ませながらそう呟いた瞬間、後ろの方からカサカサとおぞましい音が聴こえてきた。


「やべえ。後ろからも来てる」

「先生! 後ろ全部任せる」

「わ、わかった。じゃあ、デカいのは君に任せるよ」

そう答えるマルティン先生の額には一筋の汗が垂れてきていた。


どうする?

目の前でバケモノども相手に激戦を繰り広げている2人を目にしていると、長くはもたないことが嫌でも認識できる。

このままじゃ全滅するな。

ははっ。ははははは。

くそったれ! もう、どうにでもなってしまえ!


「『Strengthening the身体強化 body』マルティン先生。俺も手伝う」

自身に身体強化をかけて、バケモノどもを蹴り飛ばす。


「玄野君⁉」

「零⁉」

2人の驚く声が聴こえてくるが気にしない。


今なら何体でも倒せる。

「さあ、どんどん来い。俺が相手してやる」


・・・

何体いや、何十、百体倒しただろうか?

一向に減らない敵、一向に倒せない敵に俺達は限界を迎えていた。


「マルティン先生。あとどのくらい保つ?」

「あと数発くらいが限度かな。玄野君は?」

「一分保てればいいと思う。ただ……」

「ただ……?」

「相手が雑魚のままなら。って言う条件が付くけどね」

「そうだね」

お互いにすでに笑う気力も無く、喋りながら、ただひたすらに小型のバケモノを倒し続ける。


やばいなぁ。

意識が朦朧としてきた。

視界が歪み、今にもこけそうになっていると、変な匂いが鼻についた。

なんだ。この匂い。毒か?

疲労で朦朧としている頭の中を動かそうとしていたその時、ルナのいる方から慌てている声が聴こえてくる。


ルナ?

どうした?


迫ってきているバケモノを蹴り飛ばし、ルナの方に視線を向けると、糸で動きを封じられたルナがそこにいた。

「マルティン先生! ルナが!」

「わかった。助けに入る。玄野君は僕の後ろをお願い」

「了解」

あれ?

返事をしたのはいいけど……。

なんか嫌な予感がする。

何か見落としてないか?

何とも言えない不安が頭をよぎり、バッとマルティン先生の方に視線を向ける。


「蜘蛛の糸はたんぱく質で出来ているから熱に弱いはず」

マルティン先生はそう口にしながら、ルナを拘束している糸に手を近づけていく。


まさか……。

この匂い。まさか……。


「『Flame火炎

「先生! 火はやめろおおぉぉぉぉぉぉ!」

マルティン先生が指先から小さな炎出した瞬間、辺り一帯がオレンジ色に染まった。


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