第11話 背中の傷跡

ハリスのおっさんが部屋から出て行った瞬間、誰かのため息と笑い声が混ざって聞こえてくる。


皆どうしたんだろう?

アイリスとマルティンさんは何故か頭を抱えているし。

ルナは無言で固まっているし。

一緒にここへ来た白衣を着た黒髪の女性はお腹を抱えて爆笑しているし。

俺、なんかしたっけ?


「皆。どうしたんだ?」

「どうしたんだ? じゃないわよ。バカ! パパだから許してくれたけど、魔術師って短気で攻撃的な人が多いんだからね。もしかしたら殺されてるかもしれないのよ」

アイリスが俺の胸ぐらを掴んでぶんぶんと振り回す。


「アイリスさん。ごめんって」

「はあ。とにかく気をつけてね。後、私のことはアリスでいいわ。アイリスさんじゃ長いでしょ?」

「あ、うん。そうだね」

「じゃ、これから仲間としてよろしく」

アイリス。いや、アリスは右胸にポンと拳を当ててニッと笑った後、部屋から出て行こうとして転んだ。


声にならない悲鳴が聞こえてくるが、皆見て見ぬふりをしている時点で突っ込んではいけないのだろう。

かっこよく決めて去ろうとしたのにこけるのかぁ。

残念美少女ここにありって感じなのかなぁ。


「痛っ! 誰よ! ここに罠仕掛けたのは」

おでこを赤く染めて涙目になっているアリス残念美少女が吠える。


うん。痛そう…。

まあ、受け身取れずにガッツリぶつかってたもんな。

結果的に考えたらそうなるのか。


「アリス。罠は……」

罠はない。そう口にしようとしたその時、部屋の中でパソコンをいじっていたスタッフさん(名前は知らない)がバナナの皮を持って急に現れる。


「アリス様すみません。そこにバナナの皮が落ちていました」

スタッフさんはそう言って謝ると、どこからか杖を持ってきてアリスに渡す。


いや、そんなわけないよね。

バナナの皮ってありえないでしょ!

え、スタッフさん。何?

突っ込むなって?

あ、はい。わかりました。


こそっと静かにしろと訴えてくるスタッフさんに口を開きたくなるも必死でこらえる。

「ありがとう。ふふっ。見苦しいところを見せたわね。じゃあね。玄野君」

「あ、うん。じゃあね」


作り笑顔で杖をつきながら部屋から出て行くアリスを見送っていると、先程まで笑っていた白衣を着た黒髪の女性が近づいてくる。

「君。玄野君だっけ? 君が会長に啖呵切る姿は最高だったよ。いやー。本当、久しぶりに笑った。あ、やばい。思い出したら……。ぷっ。あはははは!」

「あの。あなたは……」

そんなにも面白かったのか、再び笑い始める女性に質問するが答えは返って来ない。


どんだけツボってんだよ。


「マルティンさん。この人は」

「この人か……」

マルティンさんが何故か苦笑いしている。


どうかしたのだろうか?

あ、指さしたのがダメだったのかなぁ。

うーん。わからん。


「えーとね。この人…じゃなかった。このお方はね。薬師寺典子やくしじのりこさん。君が入院していた病院の院長でこの精霊協会の幹部、“導師”の称号を授かっているお方だよ」

「あ、自己紹介してなかったけど、まあ、いっか。アンドレイ君が代わりにしてくれたし。とりあえず、追加で言うなら……絶賛、被検体募集中。気が向いたら来てね」

薬師寺さんはそう言うと、バチンっとウインクを決めた。


うっ、美人なのに。かわいい系の美人なのに……。

スタイルもいいのに……。

絶対モテそうな女性なのに……。

残念だ。


「あの、マルティンさん。精霊協会って残念な人多すぎませんか?」

「玄野君。気にしちゃダメだよ」

マルティンさんは苦笑しながら、頭を押さえている。


本当、苦労してんだろうな。

マルティンさん。


「あ、マルティンさん。俺とルナはこれからどうしたらいいんだ?」

「そうだなぁ。僕も何も言われて無いから今日はもう帰っていいと思うよ。って、そうか。帰り方がわからないよね」

マルティンさんはため息を吐きながら、「ホントあの人はもうっ!」と独り言を呟く。


マルティンさん。苦労してんだな。

今度、胃腸薬でも持っていこう。


「じゃあ、案内するからついて来て」

「わかりました。ルナ。行こうぜ」

「……うん」

ルナと共にマルティンさんの後ろをついて行き、部屋を後にした。


・・・


『アガルタ』の近未来的な内観の通路をマルティンさんに案内されながら歩いていると、何故かエレベーターの前で立ち止まった。


「着いたよ」

「エレベーター?」


なんで、エレベーター?


「そう。基本的にこのエレベーターがこの『アガルタ』の入り口となっていてね。今からここへの行き方と注意事項を説明するからよく聞いておいてね」

マルティンさんはそう言っていると、エレベーターが到着し、扉が開く。


「さあ、乗って」

「あ、はい」

促されるままにエレベーターに乗ると、マルティンさんは室内の壁に触れた。

すると、触れた場所から魔法陣らしきものが出現したかと思うと、エレベーターの到着音が鳴り響く。


エレベーターの扉が開くとそこはさっきまでいた『アガルタ』の光景とは違っており、普通の病院といった感じであった。

「今のは?」

「今のが基本的な『アガルタ』への入り方さ。ただ、一般人とエレベーターに乗るときは使っちゃダメだよ。いいね」

「わかりました。マルティン先生」

「せっ、いや、どうせそういう風に言われてるから突っ込んでも意味ないか」

マルティンさんは何かを言いかけて、ため息を吐いた。


先生呼びはダメだったかな?

でも、先生っぽいからいいよね。


「そうだ。最後に言っておかないといけないことが1つあった。玄野君。ルナちゃんに感謝しておくんだよ」

「へ? あ、はい」

「じゃあね」

マルティンさんはニッコリと笑うと何処かへ行ってしまった。


最後の言葉……どういう意味なのだろうか?

まあ、後でルナに聞いてみるか。

それよりも今は……早く帰ろう!


「ルナ。俺らも帰ろうか」

「……」

「ルナ?」

声をかけても反応が無い。

「ルナ。帰ろう?」

「……あ、うん。帰ろうか」

ルナは歯切れの悪い返事を返すと、先に病院から出て行った。

「ルナ?」


どうしたのだろうか?

いつものルナらしくない。

いつもなら何かしらでからかってくるのに……。

そういえば、さっき、ハリスのおっさんに啖呵切った後も黙ったまんまだったなぁ。

なんかあるのだろうか?


ルナを追って病院の外に出ると、外は夜のとばりが落ちて暗くなっていた。


ルナはどこに?


辺りを探していると、病院の駐車場の端で座り込んでいるルナの姿があった。

「ルナ?」

「……」

「どうしたんだよ。さっきから様子がおかしいぞ」

ルナは俺の言葉にビクッと反応を示すとゆっくりとこちらに視線を向ける。

「……ごめん。零」

「どうして謝るんだ?」

「だって、零が私を庇ったせいで……背中が」

ルナはそう言うと、今まで堰き止めていたものが崩壊してしまったのか、涙を流し始めた。


……そういうことか。

ルナの悩みが判明したことで、モヤモヤしていたのが晴れた気がした。


あ、でも。俺。泣いている女の子の慰め方なんてわからねえ。

こういう時はどうすればいいんだ?

うーん。思いつかない。

なんかイライラする!

もういいや。


ルナに近づいて行って、彼女の両肩を掴む。

「零?」

「いいか。ルナ。俺は泣いている女子の慰め方なんて知らない。だから、正直どうすればいいのか分からない。だけどな。これだけは言わせてくれ。俺の背中の傷は名誉の傷なんだ。ルナを守った名誉の傷なんだ。だから、悲しむんじゃねえ。お前が悲しんだら、この傷はただの傷になっちまう」

「……ぷっ。あはっ! あはは」

「ルナ⁉」


え、なんで、笑うの?

俺、そんなに面白い事言った?


「零、ありがと。元気出た」

「え、え?」

「じゃあ、帰ろうか」

「あ、うん」

ルナの後を追うように、俺は家に帰って行った。


・・・


家に帰り着き、自分の部屋に入って、自分のベッドに倒れ込む。


ベッド最高!

マイルーム最高!

俺は帰って来たぞー!


ベッドでゴロゴロしながら、今日の事を振り返っていると、ふと疑問を覚える。

そういえば、マルティン先生が何か言ってたなぁ。

ベッドのわきに座って足をぶらつかせているルナを見る。

「そういや、ルナ。マルティン先生がルナに感謝しとけって言っていたけど、ルナは一体何をしたの?」

俺がそれを口にした瞬間、何故かルナの足が止まった。

「な、何の事?」

ルナはギギギっと機械のように動いて上半身をこちらへ向けると、目を泳がせながら、「ワタシ。ワカラナイナ」と言って顔を背ける。


うん。絶対、何か隠しているよね。

せめて、カタコトで喋るのをやめようか。

めちゃくちゃわかりやすい。


「ルナ。お前が喋らないのならこうしてやる」

ルナの頬に手を伸ばし、引っ張る。

ふぇい⁉ ふぁにするほ何するの⁉」

「どうだ。痛いか。ルナ。なら、吐け。吐かないと放さんぞ」


フフフ。これで吐く気に……。

あ、ルナの頬っぺた。めっちゃ柔らかい。


地味に痛いのか、目から少し涙が出ているルナだったが、俺に放す気が無いと悟るや否や、やり返しのごとく俺の頬を掴んで引っ張ってきた。


「ふぉあ⁉ ふなルナ⁉」

ふぇいやふぃふぁふぇしやり返しふふぁふぇ喰らえ


痛い痛い痛い痛い!

頬っぺたが千切れそう。

ギブ! ギブアップ!

放して!


ふなルナふぉうはん降参

両手を上げて降参のポーズをとるが、ルナは放さない。

若干、ルナの表情がぴくぴくと動いている事からして、遊んでいるのだろう。


ルナめ。楽しんでやがる。

クソッ! 無抵抗の人に何かをするなんて……。

お前に人の心はないのか!


ブーメランで返ってきそうな発言を心の中で言いながら、ルナの拘束から逃げ出そうと暴れていたその時、俺が着ている服から紙切れが床へと落ちていく。


紙切れ?

服にゴミがついていたのか?

ルナの拘束を強引に振りほどいて、床に落ちた紙切れを拾おうとしゃがんだ瞬間、紙切れが勝手に開き、中身を露にした。


これは……手紙?

一応読んでみるか。


手紙を手に取って、中の内容を見る。


『玄野君へ


君が今この手紙を見ているということは、君が家に帰りついたということでしょう。

これから、魔術師の道具の一式を君とルナちゃんの2人分転送しようと思います。

だから、驚かないように。


補足、今から5秒後、紙が燃えるので手に持っている場合は離しておくように


ハリス=イグナートより』


そこで手紙の内容は終わっていた。


ふーん。今から5秒後か。って、5秒⁉

驚く暇もなく、手紙が燃え始める。


「え、ちょっ!」

慌てて手を離すと、紙は燃えながらユラユラと落ちていき、床に当たった瞬間、床に魔法陣らしきものが出現して、何かが出てくる。


なんだ。これ?

あのおっさんの罠かな?


「スーツケース?」

目の前にあるどう見てもスーツケースな物体を恐る恐る開けると、中にはアリスがこの前着ていたスーツと手紙らしきものが入っていた。


また、手紙か。

絶対ろくなこと書いてないな。

まあ、読まないといけないだろうし。

仕方ない。読むか。


手紙を広げて中の内容を読む。


『玄野君へ


どう? 驚いた?

手紙が急に燃えて驚いた?

ねえねえ。どう?

びっくりした。ねえ。


……』


ぐしゃり。

読まない方が良かった。

あのクソ魔術師。いつかぶん殴ってやる。


こうして、俺は精霊協会所属の魔術師になったのだが、この決断によって世界の運命がまた一つ奇妙な方向へとねじれてしまうことをこの時の俺はまだ知る由もなかった。



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