ふとした時に思い出す人がいる。陽なたを歩くKの姿が眩しくて、本当は近付いてみたい気もするが、そっと距離を置く。けれどKに対して抱く思いは、淡い恋心という訳でもなく。現代日本においてひとつのトレンドともいえる「推し」という存在に近いのかもしれない。
淡々と語られる思い出は色褪せることなく、僕のなかで息づいている。虚しさだけを募らせながら中学校生活をやり過ごしていた日々に、明かりを射すような存在。それが、Kだった。
Kと僕の間に共通点を見出せたことの高揚感と、刹那の優越感はその記憶を確かなものにする。弧度法が、二人にだけ通じる合言葉のようなものだった。
互いに別の道を歩き始めたとき、Kに対して何を思うのか。変わってしまったという落胆なのか、それとも僕自身の寂しさを反転させるのか。いずれにしろ、そこに僕の知っているKはいないのかもしれない。それでも、眩しくて、僕の胸をしめつける不在の証明。