鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド
雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞
鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド
鶴が一羽、死にかけていた。
街から隠れ家へと続く、山道の真ん中でだ。
腹は割け、臓物が溢れ出し、白かっただろう羽は、血にまみれ汚れている。
〝やつら〟にやられたのだろうか。
普段ならやり過ごすところ、俺はどうしてだか足を止めてしまった。
瀕死の鳥に、情けをかけてやる余裕など無いのに。
「でもさ、それって後味最悪だろ?」
誰に聞かせるでもない、自分を偽るための独白。
俺は鶴へと歩み寄り、服が汚れることも構わず抱き上げた。
見た目よりも、鳥の体は細く頼りなかった。
内臓を腹に押し戻し、強く押さえて止血する。
それが苦しかったのだろう、ばたつかせた羽が、俺の顔に当たった。
気にしない。
もはや鳴き声を上げる力もない鳥が、明日の自分のように思えてならなかったから。
「……とっておきだったんだがなぁ」
背嚢からペットボトルを取り出す。
中に入っているのは、泡立った茶色いアルコール。
街で見つけた酒類の残りかすを、片っ端から詰め込んできた、最後の酒だ。
ほんの少し躊躇して。
俺は、鶴にアルコールを与えた。
昔、テレビで鯉に酒を与えて酔わせるという行事を見たことがある。
酒精が回れば、少しは痛みがなくなるかと思ったのだ。
ついでに、傷口も洗っておく。
そうして、〝やつら〟や他の野生動物に襲われないよう、できるだけ目立たない場所を見繕い、細い鶴の身体を横たえてやった。
……解っている、これはエゴだ。
餌になるほうが、絶対に自然だろう。
でも、同情してしまったのだから仕方が無い。
孤独によって肥大化した
「せめて、楽に旅立てよ」
手を合わせ、立ち去ろうとする俺を。
鶴は最後まで、光の消えゆく瞳で、ジッと見詰めていた。
§§
その夜のことである。
隠れ家として、山奥にぽつんと建っていた民家を勝手に拝借し、夕飯の準備をしていたときの頃。
唐突に、入り口の戸を叩く者があった。
反射的に、立てかけていたボーガンをひっつかむ。
猟銃のひとつでもあれば心強いのだが、そんなものが都合よく手に入るわけもないし、そもそも俺は扱い方を知らない。
だから、街で見つけたこのボーガンと、腰のナイフだけが命綱だ。
ノックの音は続いている。
〝やつら〟に礼儀などあるとは思えないが、罠という可能性もあった。
ボーガンを構えながら、玄関へと向かう。
コンコン。
控えめな戸を叩く音。
ゴクリと生唾を飲み、ポケットから取りだしたLEDライトを入り口へと照射する。
黒々とした闇の中に、人影が切り抜かれる。
ガラスの引き戸の向こうに、確かに何者かがいた。
「誰だ」
返事があるとは思わない。
それでも、一縷の望み賭けて訊ねた。
返答は――
「……申し訳ない。道に迷ってしまって、ここを開けてもらえませんか?」
応えは、あった。
美しい声で。
§§
「
「……
「オキナ殿?」
「変な前だろう? なにを思って親はつけたのか」
「いえ、素敵滅法だと思います!」
「あんた……不思議な人だな……」
屈託無く笑うのは、白い女性だった。
真っ白なブルゾンに、黒いスキニージーンズを履いた、ラフな格好の
顔色には血色というものがなく、透き通るように白い。
なので、少なくとも〝やつら〟とは違う。
〝やつら〟は青白いのだから。
……などと。
冷静に分析しているようでいて、俺は随分と喜びに支配されていた。
なにせ、生きている人間と出会うのは数ヶ月ぶりだ。
話ができると言うだけで、舞い上がってしまう。
それがこれほどの美女となれば、多少変人だろうがあばたもえくぼである。
「よかったら、飯を食っていかないか?」
「ご飯があるので?」
「ああ、街まで降りてな、かき集めてきた缶詰とかカロリースティックがある。あ、いや、その……味気ないかも……知れないが……」
「まさか! 御馳走ではありませぬか」
そう言ってもらえると、こちらとしても有り難い。
俺は早速、少ない備蓄から、それでもできるだけ味が良さそうなものを奮発し、紅恋さんへと差し出す。
そうして、合掌。
「「いただきます」」
一緒に卓を囲んで食事をする。
それだけで、涙が溢れてきそうなほど嬉しく、噛みしめた保存食はこれまで食べたどんな料理よりも美味かった。
餓えていたのだろう。
腹がではなく、心が。
人とのふれあいに。
「紅恋さん、どこか、行くあてはあるのかい?」
「ありませんね。どこへ行くにも、羽がもげ――いえ、足が棒で」
「だったら、しばらくここにいたらいいさ」
「……まさか、私の身体が目当てで?」
「ち――違う!」
断じて違う!
そりゃあ紅恋さんは美しいが、純粋に人恋しさから来る親切だ。
打算はあるけれど、下心など決して無い。
「沖魚さんは、正直な人だ。私、いたく気に入りました」
「そりゃあ、ドーモ」
「奥の部屋を、お借りしても?」
「え?」
「しばらく住まわせて貰ってもよいかと、訊ねたつもりでしたが」
「――もちろん!」
飛び上がらんばかりに喜んで。
俺はすぐさま、部屋の片付けへと向かった。
この日はそのまま、就寝する運びとなった。何せ夜も遅かったからだ。
「沖魚殿、お願いが、ひとつだけ」
「なんだ?」
「……決して、私の部屋の中を、覗かぬように」
「そんなに俺、デリカシーがないように見えるかい?」
「――はっはっは。やはり、正直な人だ。絶対ですよ……?」
最後は冗談めかしたようにウインクをして、彼女は部屋へと入っていった。
「…………」
しばらく、まんじりともせずその場にいてから、ため息を大きくひとつ。
緊張したが、どうやら上手く話せたらしい。
俺はクロスボウを手に取ると、玄関の方へと向かう。
今夜は寝ずの番だ。
客人を、危険に遭わせるわけにはいかないのだから。
§§
――などと思っていたのだが。
悲鳴で俺は目を覚ました。
どうやら、うたた寝をしてしまっていたらしい。人に出会えたことのへの安堵が、悪いように作用した。
「紅恋さん!?」
叫びながら立ち上がる。
だが、次の瞬間玄関を蹴破り、押し入ってくる影がひとつ。
『――――!』
〝やつら〟だ。
青白い体色に、ボロボロの服。
鋭利に尖った鉤爪と乱ぐい歯。
そして、虚ろな眼窩。
〝
ある日突然、それは発生した。
人間、動物を問わず、それに傷つけられたものは一度死に――そして甦る。
甦った果てに、命は無い。
ゾンビとしての、バケモノとしての本能があるのみ。
〝やつら〟は生けとし生きる者すべてを襲い、殺し、仲間を増やす。
ただそれだけの存在。
『――――!』
生理的嫌悪感を覚える吠え声。
反射的にクロスボウを抜き打ちにする。
命中。
だが、痛覚など無いゾンビは、意にも介さず襲いかかってくる。
基本的に、〝やつら〟と戦っても勝ち目はない。
俺はこれまで、逃げ回ることで生き延びてきた。
いまだって、本当は逃げたい。
でも……。
「見捨てていくなんて、後味最悪だからなっ!」
ナイフを抜き放ち、飛びかかってきたゾンビを切りつける。
迎撃には成功したが、勢いまで防げるわけではない。
俺は突き飛ばされ、家屋の奥へと転がる。
否――いまはこれでいい。
まずは、紅恋さんの無事を確かめないと……!
走り出そうとしたとき、足下を突き破ってなにかが現れた。
新手のゾンビ!
つんのめる。
さらに背後からゾンビが迫る。
気合いで起き上がり、奥を目指す。
紅恋さん。無事でいてくれ。
さっきの悲鳴は、なにかの間違いであってくれ。
そんな願いは。
たやすく踏みにじられた。
彼女が寝ていたはずの部屋から絶叫。
血の気が引く。
絶望が、心を支配する。
それでも、まだ間に合うかも知れないと言い聞かせ、扉を開けて――
「――ですから、決して覗かないでくださいと言ったではないですか。こんな姿を見られるなんて……恥ずかしいのですが?」
唖然とした。
呆然となった。
言葉を失った。
なぜなら。
そこで繰り広げられていた光景は――
「他国では、私を死の象徴と呼ぶのだとか」
赤黒い血を間歇泉のように吹きだし、今まさに倒れ伏す無数の〝やつら〟。
その中央に立つのは、ゾッとするほど美しい女性。
純白の衣装は、血によって斑模様に染め上げられ。
目が離せなくなるほどに、艶やかで。
「これ、紅恋さんが――」
「はい。そして、どうかそのまま一歩横へ移動してください」
疑問に思うよりも、彼女が右手を閃かせる方が早かった。
突き飛ばされた俺の横を、二体のゾンビが吠え立てながら通過。
紅恋さんへと襲いかかり、
「必殺・
振りかぶられたツルハシが、〝やつら〟の喉笛を貫通し、そのまま首を千切り飛ばす。
どこからツルハシを取りだしたのか。
その膂力はなに?
千本ノックとは。
疑問は尽きること無く、俺の脳髄をぐるぐると回る。
混乱の極地の中で。
ようやっと絞り出せた問いかけは、
「あんた、いったいなんなんだ?」
そんな、凡庸極まりないものだった。
執拗にツルハシを叩きつけ、ゾンビを全て屠った彼女は。
こちらを向くと、怖気が走るほど美しく微笑み。
「私は真鶴紅恋」
こう、告げるのだった。
「昼間、あなたに助けられた〝鶴〟です!」
……これが、俺と彼女のなれそめ。
終わりゆく世界を旅しながら、俺たちはゾンビとは何者か、どうして紅恋さんは人になったのか、その謎へと挑んでいくことになる。
なのだが。
それは、また。
別のお話である――
鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド――未完!
鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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