鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド

雪車町地蔵

鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド

 鶴が一羽、死にかけていた。

 街から隠れ家へと続く、山道の真ん中でだ。


 腹は割け、臓物が溢れ出し、白かっただろう羽は、血にまみれ汚れている。

 〝やつら〟にやられたのだろうか。


 普段ならやり過ごすところ、俺はどうしてだか足を止めてしまった。

 瀕死の鳥に、情けをかけてやる余裕など無いのに。


「でもさ、それって後味最悪だろ?」


 誰に聞かせるでもない、自分を偽るための独白。

 俺は鶴へと歩み寄り、服が汚れることも構わず抱き上げた。

 見た目よりも、鳥の体は細く頼りなかった。


 内臓を腹に押し戻し、強く押さえて止血する。

 それが苦しかったのだろう、ばたつかせた羽が、俺の顔に当たった。

 気にしない。


 もはや鳴き声を上げる力もない鳥が、明日の自分のように思えてならなかったから。


「……とっておきだったんだがなぁ」


 背嚢からペットボトルを取り出す。

 中に入っているのは、泡立った茶色いアルコール。

 街で見つけた酒類の残りかすを、片っ端から詰め込んできた、最後の酒だ。


 ほんの少し躊躇して。

 俺は、鶴にアルコールを与えた。

 昔、テレビで鯉に酒を与えて酔わせるという行事を見たことがある。

 酒精が回れば、少しは痛みがなくなるかと思ったのだ。

 ついでに、傷口も洗っておく。


 そうして、〝やつら〟や他の野生動物に襲われないよう、できるだけ目立たない場所を見繕い、細い鶴の身体を横たえてやった。

 ……解っている、これはエゴだ。

 餌になるほうが、絶対に自然だろう。

 でも、同情してしまったのだから仕方が無い。

 孤独によって肥大化した自意識さびしさが、気の迷いを起こさせていた。


「せめて、楽に旅立てよ」


 手を合わせ、立ち去ろうとする俺を。

 鶴は最後まで、光の消えゆく瞳で、ジッと見詰めていた。



§§



 その夜のことである。

 隠れ家として、山奥にぽつんと建っていた民家を勝手に拝借し、夕飯の準備をしていたときの頃。

 唐突に、入り口の戸を叩く者があった。


 反射的に、立てかけていたボーガンをひっつかむ。

 猟銃のひとつでもあれば心強いのだが、そんなものが都合よく手に入るわけもないし、そもそも俺は扱い方を知らない。

 だから、街で見つけたこのボーガンと、腰のナイフだけが命綱だ。


 ノックの音は続いている。

 〝やつら〟に礼儀などあるとは思えないが、罠という可能性もあった。

 ボーガンを構えながら、玄関へと向かう。


 コンコン。

 控えめな戸を叩く音。

 ゴクリと生唾を飲み、ポケットから取りだしたLEDライトを入り口へと照射する。


 黒々とした闇の中に、人影が切り抜かれる。

 ガラスの引き戸の向こうに、確かに何者かがいた。


「誰だ」


 返事があるとは思わない。

 それでも、一縷の望み賭けて訊ねた。

 返答は――


「……申し訳ない。道に迷ってしまって、ここを開けてもらえませんか?」


 応えは、あった。

 美しい声で。



§§



真鶴まなづる紅恋くれんと申します。助けていただいて、感謝感激雨あられ」

「……沖魚おきなだ」

「オキナ殿?」

「変な前だろう? なにを思って親はつけたのか」

「いえ、素敵滅法だと思います!」

「あんた……不思議な人だな……」


 屈託無く笑うのは、白い女性だった。

 真っ白なブルゾンに、黒いスキニージーンズを履いた、ラフな格好のひと

 顔色には血色というものがなく、透き通るように白い。

 なので、少なくとも〝やつら〟とは違う。

 〝やつら〟は青白いのだから。


 ……などと。

 冷静に分析しているようでいて、俺は随分と喜びに支配されていた。


 なにせ、生きている人間と出会うのは数ヶ月ぶりだ。

 話ができると言うだけで、舞い上がってしまう。

 それがこれほどの美女となれば、多少変人だろうがあばたもえくぼである。


「よかったら、飯を食っていかないか?」

「ご飯があるので?」

「ああ、街まで降りてな、かき集めてきた缶詰とかカロリースティックがある。あ、いや、その……味気ないかも……知れないが……」

「まさか! 御馳走ではありませぬか」


 そう言ってもらえると、こちらとしても有り難い。

 俺は早速、少ない備蓄から、それでもできるだけ味が良さそうなものを奮発し、紅恋さんへと差し出す。

 そうして、合掌。


「「いただきます」」


 一緒に卓を囲んで食事をする。

 それだけで、涙が溢れてきそうなほど嬉しく、噛みしめた保存食はこれまで食べたどんな料理よりも美味かった。


 餓えていたのだろう。

 腹がではなく、心が。

 人とのふれあいに。


「紅恋さん、どこか、行くあてはあるのかい?」

「ありませんね。どこへ行くにも、羽がもげ――いえ、足が棒で」

「だったら、しばらくここにいたらいいさ」

「……まさか、私の身体が目当てで?」

「ち――違う!」


 断じて違う!

 そりゃあ紅恋さんは美しいが、純粋に人恋しさから来る親切だ。

 打算はあるけれど、下心など決して無い。


「沖魚さんは、正直な人だ。私、いたく気に入りました」

「そりゃあ、ドーモ」

「奥の部屋を、お借りしても?」

「え?」

「しばらく住まわせて貰ってもよいかと、訊ねたつもりでしたが」

「――もちろん!」


 飛び上がらんばかりに喜んで。

 俺はすぐさま、部屋の片付けへと向かった。

 この日はそのまま、就寝する運びとなった。何せ夜も遅かったからだ。


「沖魚殿、お願いが、ひとつだけ」

「なんだ?」

「……決して、私の部屋の中を、覗かぬように」

「そんなに俺、デリカシーがないように見えるかい?」

「――はっはっは。やはり、正直な人だ。絶対ですよ……?」


 最後は冗談めかしたようにウインクをして、彼女は部屋へと入っていった。


「…………」


 しばらく、まんじりともせずその場にいてから、ため息を大きくひとつ。

 緊張したが、どうやら上手く話せたらしい。


 俺はクロスボウを手に取ると、玄関の方へと向かう。

 今夜は寝ずの番だ。

 客人を、危険に遭わせるわけにはいかないのだから。



§§



 ――などと思っていたのだが。

 悲鳴で俺は目を覚ました。

 どうやら、うたた寝をしてしまっていたらしい。人に出会えたことのへの安堵が、悪いように作用した。


「紅恋さん!?」


 叫びながら立ち上がる。

 だが、次の瞬間玄関を蹴破り、押し入ってくる影がひとつ。


『――――!』


 〝やつら〟だ。

 青白い体色に、ボロボロの服。

 鋭利に尖った鉤爪と乱ぐい歯。

 そして、虚ろな眼窩。


 〝ゾンビやつら〟。

 ある日突然、それは発生した。

 人間、動物を問わず、それに傷つけられたものは一度死に――そして甦る。

 甦った果てに、命は無い。


 ゾンビとしての、バケモノとしての本能があるのみ。


 〝やつら〟は生けとし生きる者すべてを襲い、殺し、仲間を増やす。

 ただそれだけの存在。


『――――!』


 生理的嫌悪感を覚える吠え声。

 反射的にクロスボウを抜き打ちにする。

 命中。

 だが、痛覚など無いゾンビは、意にも介さず襲いかかってくる。


 基本的に、〝やつら〟と戦っても勝ち目はない。

 俺はこれまで、逃げ回ることで生き延びてきた。

 いまだって、本当は逃げたい。

 でも……。


「見捨てていくなんて、後味最悪だからなっ!」


 ナイフを抜き放ち、飛びかかってきたゾンビを切りつける。

 迎撃には成功したが、勢いまで防げるわけではない。

 俺は突き飛ばされ、家屋の奥へと転がる。


 否――いまはこれでいい。

 まずは、紅恋さんの無事を確かめないと……!


 走り出そうとしたとき、足下を突き破ってなにかが現れた。

 新手のゾンビ!

 つんのめる。

 さらに背後からゾンビが迫る。

 気合いで起き上がり、奥を目指す。


 紅恋さん。無事でいてくれ。

 さっきの悲鳴は、なにかの間違いであってくれ。

 そんな願いは。


 たやすく踏みにじられた。


 彼女が寝ていたはずの部屋から絶叫。

 血の気が引く。

 絶望が、心を支配する。

 それでも、まだ間に合うかも知れないと言い聞かせ、扉を開けて――


「――ですから、決して覗かないでくださいと言ったではないですか。こんな姿を見られるなんて……恥ずかしいのですが?」


 唖然とした。

 呆然となった。

 言葉を失った。

 なぜなら。

 そこで繰り広げられていた光景は――


「他国では、私をと呼ぶのだとか」


 赤黒い血を間歇泉のように吹きだし、今まさに倒れ伏す無数の〝やつら〟。

 その中央に立つのは、ゾッとするほど美しい女性。


 純白の衣装は、血によって斑模様に染め上げられ。

 目が離せなくなるほどに、艶やかで。


「これ、紅恋さんが――」

「はい。そして、どうかそのまま一歩横へ移動してください」


 疑問に思うよりも、彼女が右手を閃かせる方が早かった。

 突き飛ばされた俺の横を、二体のゾンビが吠え立てながら通過。

 紅恋さんへと襲いかかり、


「必殺・鶴嘴千本かくしせんぼんノック」


 振りかぶられたツルハシが、〝やつら〟の喉笛を貫通し、そのまま首を千切り飛ばす。

 どこからツルハシを取りだしたのか。

 その膂力はなに?

 千本ノックとは。

 疑問は尽きること無く、俺の脳髄をぐるぐると回る。

 混乱の極地の中で。

 ようやっと絞り出せた問いかけは、


「あんた、いったいなんなんだ?」


 そんな、凡庸極まりないものだった。

 執拗にツルハシを叩きつけ、ゾンビを全て屠った彼女は。

 こちらを向くと、怖気が走るほど美しく微笑み。


「私は真鶴紅恋」


 こう、告げるのだった。


「昼間、あなたに助けられた〝鶴〟です!」


 ……これが、俺と彼女のなれそめ。

 終わりゆく世界を旅しながら、俺たちはゾンビとは何者か、どうして紅恋さんは人になったのか、その謎へと挑んでいくことになる。

 なのだが。


 それは、また。

 別のお話である――





鶴の恩返し・オブ・ザ・デッド――未完!


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