マネさん家に帰る

増田朋美

マネさん家に帰る

暑い日であった。本当に暑い。夏なのであたり前なのかもしれないが、本当に暑かった。今日も、白石萌子、杉ちゃんたちはマネさんと呼んでいるが、そのマネさんは、製鉄所にやってきて、杉ちゃんと一緒に和裁の勉強をやっていた。だいぶ二部式着物作りに慣れてきていて、利用者の着物を二部式に作り直してあげているくらいに上達していた。

すると、玄関の引き戸が、ガラッとあいた。

「失礼ですけど、こちらに、白石萌子という女性はいらっしゃいますでしょうか?」

中年女性の、声である。

「はい、ここにいますけど?」

杉ちゃんが、答えると、

「失礼ですけど、すぐに返していただけませんか?私、萌子の母親で、白石幹子ともうします。」

という声がして、マネさんは思わずてにミシン針が刺さるところだった。

「いま、手が離せないだよ。上がってきてくれる?」

杉ちゃんがいうと、幹子さんは、わかりました、といって、製鉄所の中に入ってきた。

「ああ、ここにいたのね。実は、萌子に縁談が来ておりまして、それで、こちらには、退出させていただくことにいたしました。萌子、帰りましょう。」

「ちょっと待て待て。マネさんに縁談って、相手は誰だよ?」

幹子さんが、強引に言ったため、杉ちゃんが代わりに返答した。

「主人、つまり萌子にとっては、父親になるんですが、その父親が勤めている会社の社長の息子さんです。」

「はあ、」

と、幹子さんの言葉に杉ちゃんはびっくりした。

「はあ、つまり、社長さんは、女というわけか。」

「お母さん、私、何回も言いました。私、助川さんの崇さんとは結婚しません。手紙にも書きましたよね?私は、二部式着物をつくる仕事が、得られたから、もう、崇さんとは、結婚しないって。」

マネさんがそう言うと、

「でもあなたは働いていないのに変わりはないでしょう?だったら、崇さんに、生活を助けてもらうのが一番いいのよ。どうせ、うつ病があって、働けないんだし、それならせめて、家庭の主婦になって、社会の一部にいるようにしなさい。」

と、幹子さんはいった。

「だからこそいまここで着物仕立てたりしてるんじゃないですか。それで私はやっていくつもりです。二部式着物作って、いまであれば、店を建てなくても販売することだってできるわ。そのために今やっているんだから。」

「時間がないのよ。」

マネさんが、そう言うと、幹子さんはきっぱりといった。

「あなたももうとうの昔に、30は超えてしまったんだし、はやく生活の基盤を作らなきゃ。障害年金とか、そういうものは通らないんだし、だったら、助川さんの家庭に収まるのがいちばんよ。」

「ちょっとまてまて。」

と、杉ちゃんがいった。

「その助川さんって誰なんだよ。どんな人物なんだ?」

「助川さんは、助川商事の社長です。亡くなった父がそこで働いていました。父が亡くなったあと、母がその社長さんと友達になり、同じく夫を、なくした妻同士助け合おうということになっていたようなんです。そこの崇さんも、決して悪い人ではないんですが、私はどうしても母の提案に乗り気になれなくて。」

マネさんがそう言うと、幹子さんは、マネさんにがなりたてるようにいった。

「もう8まる5マル問題にも直面しなきゃならないのよ。それを回避するにも、助川さんの提案どおりにするのが一番いいの。あんたもわがままばかり言ってないで、ちゃんと言うことを聞きなさい。崇さんは助川さんの立派な後継者だし、人としても文句はないわ。それをどうして断るの?こんな良い話は他にないと思うけど!」

「お前さんも素直に言っちゃったらどうだ?助川さんの話が嫌な理由をさ。」

と杉ちゃんに言われてマネさんは、

「はい、お母さん、一週間だけ待って。その間に私、ちゃんと考えるから。」

と、細い声でいった。

「ほんとに、親の言うことを聞かない、しょうがない子ね。」

幹子さんは、呆れたようにいった。

「それでは、来週またくるわ。そのときにはちゃんと、結論を出してもらうわよ。」

「はいどうぞ。また来てください。」

ここでいつもと変わらずに返事ができるのは、杉ちゃんだけであった。

「必ず、結論を出してもらうからね。言い訳はしないでよ。」

幹子さんは、マネさんをギッとにらみつけるような感じでみて、部屋から出ていった。杉ちゃんが、また来てなあと間延びした声で、彼女を見送った。

「杉ちゃんすごいわね。母に対抗できるなんて。」

マネさんがこっそり感心していうと、

「お前さんが反抗しないで誰が反抗するんだよ。」

と、杉ちゃんに言われてしまった。

「あ、そうか、、、。」

マネさんはちょっと感慨深そうに言った。

「人間誰でも、自分を持って生きなくちゃだめってことだ。」

「そうね。」

杉ちゃんにそう言われて、マネさんは、そうだったわと考え直した。

「まあ、誰でも人間意思があるものだし、それに従って、どう思うかも違ってくるよ。」

「わかったわ。」

それは、非常に難しいものだったが、そうするしか、結局人間に出来ることも無いのだった。隣の部屋で、水穂さんが咳き込んで居るのが聞こえてくる。杉ちゃんは、ああちょっと行ってくるわ、と言って四畳半に言った。マネさんもそれに続いた。四畳半を開けると、水穂さんが、布団に横向きに寝たまま咳き込んで居るのが見えたので、すぐに枕元にあった水のみの中身を飲ませてそれを止めた。本来、この役は杉ちゃんの担当であったが、今回はマネさんが担当した。それも、だいぶ手際良くなっていて、背中を擦ってやったりするのも、かなり頼りになれそうになっている。

「只今戻りました。」

と言って、絽の着物に身を包んだジョチさんが製鉄所に戻ってきた。やっぱり、身分の高い人物であるためか、真夏だというのに、絽の羽織を着ている。

「おかえり。」

「おかえりなさい。」

杉ちゃんも、水穂さんも彼に挨拶した。ジョチさんは、部屋の中に居る人達を見渡して、

「あれ、白石さんどうされたんですか?なにか、悩んでいるようですけど。」

と聞いた。杉ちゃんが、彼女の腕をつついて、

「ほら、何でも、話して、頭をスッキリさせちまえよ。」

と、言ったので、マネさんは、もうバレてしまったかと思ったが、やっぱり誰かに話さなければ解決しないと思ったので、

「はい。実は、理事長さんが帰ってくる前に、私の母が来訪して。」

と言って、今までにあったことを全部話してしまった。ジョチさんは、はあ、お母様が見えたんですかと、驚いている様子であったが、それからの、彼女の話をちゃんと聞いて、

「なるほど。つまり、あなたの意思に反するわけではなく、結婚しろと言われたのですね。」

と言った。

「まあ、そういうことだよな。なんでも相手は、助川商事っていう、大物企業の御曹司で、助川崇っていうやつらしいぜ。」

杉ちゃんがそう付け加えた。

「助川商事ですか、、、。」

「はい、母の白石幹子が助川商事の社長さんとお友達で、結構親しくしていたらしいのです。私も、幼いときに父をなくして、助川商事の社長さんも、ご主人を亡くしたらしくて、そこが、共通点みたいで、すごく仲が良かったって。」

マネさんは、つらそうに言った。

「そうですか、助川さんね。確かに、彼女は経営者としてはすごく成功したと思うんですけど、人を育てるとかそういうことは不得手かもしれませんね。僕も、聞いたことありますよ。パワーハラスメントを受けて、精神疾患にかかった従業員が何人も居るって。」

と、ジョチさんは言った。杉ちゃんが、一体助川さんとは、どんな人物なんですかと聞くと、

「ええ、一度、助川さんが、新しい店を富士市に作りたいというので、フィールド調査のときに同行した事があったんですが、結構強引で、いろんなところに連れ回すので、タクシーの運転手さんも困っていました。ちなみに、助川商事は、静岡県東部で、洋服店を開催している企業ですが、前社長の助川信夫さんが急逝して以来、ずっとその奥さんの助川極子さんが経営している企業です。その間に生まれたのが、一人息子の助川崇さんと言うわけですが、まさか、そんな取り決めが行われていたとは、僕も知りませんでしたよ。」

と、ジョチさんは答えた。

「助川極子。すごい名前だな。どっかの源氏名みたい。」

杉ちゃんがカラカラと笑うと、

「はい、彼女の名は本名です。」

と、ジョチさんは言った。

「で、その助川極子さんと、マネさんのお母さんの白石幹子さんの間で、なにかあったら、息子さんの崇さんと娘さんのマネさんを結婚させるという約束をしていたんだって。まあ、いい迷惑だよな。マネさんはこれから、二部式着物を作って販売する事業を始めようと言うところだったのによ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「誰か他に好きな人でも居るんですか?それしか、お母様に対抗するすべは無いと思いますよ。」

と、ジョチさんが言った。マネさんは、申し訳無さそうに水穂さんを見た。水穂さんは、先程の薬が効いてしまったのか、布団に横になったまま、ちょっとうとうとしていた。マネさんが、自分を見つめているのに気がついた水穂さんは、

「あ、はい。」

とだけ言った。その前後の言葉を理解しているのかどうか、は、極めて不明だった。

「そうだねえ。こんな言い方はまずいけど、普通の男だったら、もうちょっと説得力が出ると思うが、、、。」

と、杉ちゃんが思わずいう。確かに、別の男を用意して説得するという作戦は、良くやる有効な作戦ではあるのだが、水穂さんではちょっと、役不足というか、そんな気がするのだった。

「あと一週間で結論を出さなければならないんです。あたしは、そのままだと、崇さんと結婚しなければならなくなります。」

マネさんが言うと、水穂さんが弱々しく、

「その崇さんという人物はどういう方なんですか?」

と聞いた。

「直接あって話をしたことはあまりありませんが、とにかくお母さんの影響を受けて、働き者で、穏やかな性格をしているそうです。それは、お母さんの助川極子さんが、一生懸命育てたから優しいんだって皆言ってます。」

と、マネさんは答えた。

「はあなるほど。つまり、申し分ない、安全路線ってことか。」

と、杉ちゃんが言うと、マネさんはハイと言って頷いた。

「ま、まあ、とにかくね。先程も言ったけど、お母ちゃんに反抗できるのはお前さんだけだ。僕らがいくら助け舟を出したって、結局はお前さんの意思だ。それを忘れないでいてくれよ。」

「そうですね。結論から先に言えば、そうなってしまいますよね。きっと親御さんの方も、後継者が欲しくて、必死なんだと思いますよ。助川商事は、かなり力のある企業ですから。」

杉ちゃんとジョチさんは相次いで、そういった。マネさんは、勇気は出ないし、議論すれば母に負けてしまうと思われたが、とりあえず、すみませんと言うしかなかった。

そして一週間後。

杉ちゃんたちが、四畳半で水穂さんにご飯を食べさせていたところ、

「こんにちは。」

と声がして、幹子さんが来たことがわかった。

「はいどうぞ、入れ。」

と杉ちゃんが言う前に、幹子さんはどんどん靴を脱いで、足早に四畳半にやってきた。上がり框の無い玄関は、すぐに入れるようになってしまうので、すぐに到着してしまうような気がする。

「今日は、結論を聞きに来たわ。萌子が、崇さんの花嫁になるかどうか。」

幹子さんは、マネさんに言った。

「お母さん、私、やっぱり崇さんとは、結婚しません。私は、やはり私の人生を歩みたいのです。」

マネさんはしどろもどろであるが、そういった。幹子さんは、はあという顔をして、マネさんをじっと見た。

「そうなの。こんなところで、いつまでも弱々しい男と一緒にいて、それが嬉しいなんて。」

「でも、私は、崇さんのことは、人間として嫌いとかそういうことは無いですけど、私はやっぱり、水穂さんが。」

と、マネさんは言いかけて黙ってしまった。もしかしたら、これがマネさんにとって、初めての反抗なのかもしれなかった。マネさんはそれくらい、お母さんに対して従順だったのだろう。製鉄所を利用していた人たちはそうなっている場合が多い。反抗しないで、自分を殺して親に従ってきた。でも、それは多分、人間として生きるのには限界があるのだと思う。多少親に反抗しないと、突然あれたり、閉じこもったりする原因になってしまう。だから泣かない子供なのであるよりも、自己主張ばかりして、わがままな印象を与える子供であるほうが、よほど健康的なのかもしれない。

「萌子、その好きな人とは誰なのよ?まあ、萌子が好きになるくらいだから、くだらない相手では無いと思うけど、その人とあって話して見たいものだわね。あの、好青年と言われる崇さんにまさるくらいの人なんでしょうからね!」

幹子さんは、ちょっと怒りを込めていった。つまり、崇さんという人も、またいい子すぎるほど、いい子なのかもしれなかった。扱いやすい、従順、おとなしい、そんな言葉で作られているいい子は、どこかでガス抜きをしないと、やっていくのが難しいと思われるが、多くの大人は、そのガス抜きをさせない事が多いのだ。

「申し訳ありません。」

と、水穂さんが、布団から起きて、幹子さんの前で手をついて座礼した。幹子さんは、紙よりも白い顔をして、げっそりと痩せ、まるで衣紋抜きをしているような感じで、銘仙の着物を着ている、水穂さんを大変驚いた顔で見た。

「じゃあ、萌子をたぶらかしたのは、」

「はい、間違いありません。僕が、萌子さんに、なにかやりたいことを手につけて、好きなように生きたらいいとたぶらかしました。」

水穂さんは弱々しく言った。幹子さんは、そんな水穂さんをみた。多分、幹子さんのような人は、銘仙の着物のもつ意味を知っている。それを示す証拠に、大変彼のことを馬鹿にしているような、そんな表情であった。

「ああそうですか。つまり、あなたがうちの子に、おかしな事を言って、おかしな人生を歩いていくように吹き込んだんですね。あなた、その格好で、生活していらっしゃるんだったら、よほど口がうまいんでしょうね。だって、本来であれば、私達に近づいて仲良くすることもないでしょうからね!」

「お母さん!」

マネさんは、偏見の目でそういう母に涙でそう訴えるが、

「ええそうです。吹き込んだのは僕です。お母様同士でそんな取り決めがあったなんて知らなかったから、萌子さんにも、自分なりの人生を歩いていくようにと言いました。でも、萌子さんに、安全な路線が用意されているんだったら、そのほうがいいですよね。やっぱり幸せっていうのは、周りの人の援助が得られる環境にあることも一つの要因ですから、僕は、すべてを捨てて思いっきり好きな道に人生をかけてみろとか、そのようなことはいいません。萌子さんには、お母様同士の取り決めを守って、そのとおりに生きてくださればそれでいいです。僕も、萌子さんが幸せになってほしいからおかしなことを吹聴したまでのことで。でも安全な進路が用意されているんだったら、僕もそのことに反対する気はありません。娘さんをたぶらかしてしまって、申し訳ありませんでした。」

水穂さんはもう一度、マネさんのお母さんである、幹子さんに一礼した。

「み、水穂さん、どうしてそんな事。」

と、マネさんはそういうのであるが、

「いいえ、そのくらい言ってもらわないと、うちの子の進路を妨害したことで訴えてやろうと思っていました。あなた、今回は、あなたが申し入れてくれたから、慰謝料は請求しませんが、もし、萌子が、なにか傷害を負うような事がありましたら、ちゃんとそれなりの賠償をしていただきますからね。着ているものでわかりますよ。あなたは、そういうことをしなければならない身分だってことは!」

と、幹子さんはそういった。マネさんは、幹子さんだけでなく、弱気な水穂さんにも殴ってあげたいほど怒りがこみ上げてきたが、

「いえ、大丈夫です。僕はそういう身分だと言うことはちゃんと知っています。」

と、水穂さんは小さい声で答えた。

「そういう身分の人間がいて、萌子さんのような、普通の方々の幸せが成り立っていることもちゃんとわかりますから、気にしないでください。」

「水穂さん、、、。」

マネさんは、水穂さんが可哀想というか、そうしなければならない身分であるということを考えて、辛い思いをした。

「大丈夫です。萌子さんは、崇さんと結婚して、幸せな家庭を築くことが出来ると思います。そのじゃまになるようなことは、何もしませんから。」

「まあ、そういうことだよな。それでは、マネさん、いや、萌子さんが幸せになってくれるように、僕達は、ちゃんと応援するからね。まあ、結婚するからにはしっかり式典やってほしいものだね。そうすれば、離婚する可能性も低くなるからね。ハハハは。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。マネさん、いや白石萌子さんは、杉ちゃんもかなり無理して言っているのがわかったので、それはしっかり受け入れなければ行けないなと思ったのだった。

「わかりました。私、崇さんのところに行きます。」

萌子さんは、小さい声で言った。

「声が小さい!もう一回。」

杉ちゃんが試験官みたいにそう言うと、

「はい!お母さんと一緒に帰ります!」

と、マネさんは言った。

「色々あると思うけど、自分のやりたいことは捨てないで置いてね。今はできなくてもそのうちきっとやれるときもあるよ。そこまで捨てちまわないように。それは忘れないでね。」

と、杉ちゃんが、試験官みたいな口調とは全然違う喋り方で言った。その目つきは、どこか優しそうで、萌子さんのことを思ってそう言ってくれているのだということがはっきりわかった。杉ちゃんが、まだ座礼したままの水穂さんに、もう横にならせてやってもいいだろうか、と聞いた。萌子さんは、水穂さんの顔を見て、

「大丈夫です。水穂さん、ありがとうございました。」

と、にこやかに笑った。












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