第3話 メロス、破死霊となる

「待て」

「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。止めるな」

「いや、駄目だ。この付近で目撃された悪霊を浄化する使命があるのだ」

「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな」


 メロスの一番嫌いなものは、人を疑う事であるが、これは推察なのでメロス的にはセーフである。

 プリーストたちは、ものも言わず一斉に杖を上げた。メロスはひょいと、霊体を急上昇させ、ハヤブサの如く身近の一人の頭上をすり抜けた。「浄化!」「浄化!」と杖を掲げるプリーストたちを尻目に、さっさと飛んで峠を下った。

 一気に峠道を飛翔したが、浄化の魔法を多少喰らったのか、流石に疲労し、午後の灼熱の太陽が聖属性の光で、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ日陰へと避難し、ついに、ぐったりと地面に倒れた。浮き上がる事が出来ぬのだ。

 メロスは天を仰いで、悔しく泣き出した。


(ああ、濁流をスルーして、プリーストの一団からヘルメスのように逃げ切り、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情けない。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて浄化されなければならぬ。お前は、稀代の嘘つき幽霊、まさしく王の思う壺だぞ)


 そう自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進がかなわない。彼は鬱蒼とした林にごろりと寝ころがった。霊力疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。


(私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、微塵も無かった。神も見ていただろう、私は精一杯に努めてきたのだ。動けなくなるまで飛んできたのだ。私は不誠実な幽霊では無い。ああ、できる事なら私の胸を引き裂いて、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と誠実の血液だけで動いている心臓を見せてやりたい)


 幽霊メロスは疲労のあまり、自分に心臓が無いことをすっかり忘れていた。


(だけど私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺いた。途中で倒れるのは、最初から何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定まった運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、赦してくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当によい友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。今だって、君は私をひたすらに待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の誠実は、この世で最も誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は飛んだのだ。君を欺くつもりは、微塵も無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ)


 途中で呑気にフワフワしながらボイスパーカッションならぬラップ音パーカッションしてたじゃねぇかとツッコミを入れる者など、そこにはいなかった。


(濁流をするりと抜けた。プリーストの包囲からも、するりと抜けて、一気に峠をするりと抜けて来たのだ。幽霊の私だから、するりと出来たのだよ。ああ、これ以上、私にするりを望まないでくれ。放っておいてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっと遅れて来い、と耳打ちした。遅れたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、遅れて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉なアンデッドだ。セリヌンティウスよ、私も浄化してもらうぞ。君と一緒に天へと還らせてくれ。君だけは私を信じてくれるに違いない。いや、それも私の、独りよがりか?)


 メロスの一番嫌いなものは、人を疑う事であるが、これはセリヌンティウスではなく自分を疑っているのでセーフである。


(ああ、もういっそ、悪霊として生き延びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、誠実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。自分が死んだら幽霊として第二の人生を歩む。それが人間世界の決まり事ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとでも、勝手にするがよい。もう、おしまいだ)


 ――全身を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

 ふと耳に、さらさらと、霊気エーテルの流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。幽体のすぐ下で、霊気エーテルが流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂け目からシューシューと、何か小さく囁きながら霊気エーテルが湧き出ているのである。龍脈の吹き出し口であった。

 その吹き出し口に吸い込まれるように、メロスは身をかがめた。霊気エーテルを両手ですくって、一口飲んだ。ほう、と長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。

 飛べる。行こう。

 霊体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生まれた。義務遂行の希望である。我が身をさらに殺して、名誉を守る希望である。

 斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。


(私を、待っているゾンビがいるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれているアンデッドがいるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいいことはアンデッドにはあり得ない。私は、信頼に報いなければならぬ。その思いこそが、完全なる死者とアンデッドを分ける、死を打ち破る心なのだ。私は、死を打ち破る幽霊にならなければ)


 言うなれば、そう、破死霊。

 破死霊! メロス!

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