終章、そして、プロローグ
中央棟の奥の間。一般兵の入ることのできない軍事関係の会議の場だ。リベルタは扉を開く。中にいたのは、おなじみのアウトリタ、そして、諜報員のラパである。
ラパが口を開く。
「王都北東で動き始めた謎の団体の調査結果です」
リベルタは納得いく。軍事の話なら当然ソーリドがいるはずだ。だが、今回ここに呼び出されたのはリベルタのみ。軍部に直接関与せず、身軽に動けるリベルタ。噂程度の危険因子の排除は彼の仕事だ。
ラパが続けた内容。事の次第が読めてきた。
「つまり、大英雄であるアリシヤさんのイメージを壊さないように、彼女を守り切れってことだろ?」
「……そうだ」
アウトリタが頷いた。リベルタはにやりと笑う。
「さぁて、どう動こうかなぁ」
アリシヤの知らぬ間に事は動き始めていた。
*
アリシヤが大英雄の地位を退き、一か月が経った。
閉店後のオルキデア。タリスが机に突っ伏す。
「どうして……」
タリスはグラスを強く握る。
「来月はアリシヤちゃんの誕生日。俺とアリシヤちゃんが付き合い始めて初めての誕生日なんだ」
アリシヤは照れる。だけど、仕方ないものは仕方ない。
タリスが酒の入ったグラスを机に叩きつける。
「どうしてアリシヤちゃんは仕事なんだぁぁぁぁぁぁ!」
「グラスは大切にしなさい、愚弟」
タリスの叫びがオルキデアに響き、冷静なセレーノの声がタリスを制す。アリシヤは苦笑した。
アリシヤは大英雄の地位を退いた。だが、やはり、大英雄であることに変わりはない。一月前のリベルタの言葉。
「あんたは大英雄なんだぜ? 生誕祭をしないとなぁ」
にやついた声で言われた。リベルタの誕生日も国民の祝日。だが、リベルタの生誕祭はただの休日だ。小さな催しは行われるものの、そこまで大規模なものではない。
一方、アリシヤの生誕祭は大きな催しとなるようだ。違和感を覚える。
そのうちタリスはうつらうつらし始めた。セレーノが苦笑しながら、机に突っ伏し、寝息を立てるタリスに毛布を掛ける。
その頃には、アリシヤの仕事も終わっていた。セレーノがエプロンを脱ぐ。
「今日のお仕事は終わり! 気を付けて帰ってね」
「はい、ありがとうございます」
アリシヤは頭を下げて、エプロンを畳む。そんなアリシヤにセレーノが笑いかける。
「生誕祭、ちょっと大変だと思うけどアリシヤちゃんなら大丈夫ね」
「は、はい」
生誕祭。アリシヤは緊張している。大英雄として扱われるのはやはり慣れない。だけど、セレーノに励まされると、気分が和らぐ。
セレーノがにっこりとする。
「生誕祭が終われば、皆でパーティ! 楽しもうね!」
「はい!」
アリシヤは元気よく答えた。
セレーノに挨拶をし、オルキデアから自宅に向かう。大英雄を引退した後は、オルキデアを出て、ルーチェと別の家に住んでいる。
十一月になり、日が短くなってきた。道は暗い。だが、アリシヤの心は明るかった。一か月後のパーティを思い浮かべ、顔がほころぶ。
たくさんの大好きな人達が集まってくれる。それに去年はもう死んでしまったと思い込んでいたルーチェ。今年は彼女が自分の誕生日を祝ってくれるのだ。涙が出そうなくらい嬉しい。
ふっと悪寒を覚える。アリシヤは剣に手をかけ、振り返った。そこには誰もいない。だが、気のせいでは済まされないような、殺気を感じた。
アリシヤは足早に角を曲がる。路地から伸びて来た手。気配すら感じなかった。アリシヤは口元を押さえられる。
不味い。
自分より幾分も体格の大きな相手。力もかなり強い。もう片方の手で、腕を押さえられている。剣には手が届かない。フードをかぶった長身の男。白い髪が覗いた。アリシヤは息を呑む。
「悪いな」
聞きなれたリベルタの声。頭に衝撃が走る。アリシヤは気を失った。
*
ここはエルバの村。転がった無数の死体。己の手は真っ赤だ。誰かが斬りかかってきた。アリシヤはその剣をはじく。
気付けば囲まれていた。今まで殺した人、己のせいで死んだ人。皆が剣を持ち、アリシヤを憎悪の目で見ている。そして、アリシヤの体を四方から突き刺すのだ。
アリシヤは目を醒ます。いつもの夢だ。じっとりと汗がにじむ。罪悪感に胸が締め付けられる。だが、気絶する前に見た情景を思い出し、苦痛は緊張へと変わった。
「おっはよー! アリシヤさん! 大丈夫か? ずいぶんうなされてたぞ!」
リベルタが上機嫌に言った。軽いノリ。だが、アリシヤは恐怖を覚える。椅子に縛られている。そして、剣は取り上げられ、真正面に座るリベルタの横に置かれている。
今いるのは見たことのない部屋だ。おそらく城の中。政務室に似ている。だが、政務室より狭く、窓もない。
「これは……、どういうことですか?」
「いや、ただ付いて来て欲しかっただけだけど、俺の誘いだとあんた絶対、来ないだろ?」
「もちろんです」
アリシヤは強くリベルタを睨む。殺気も敵意も感じられない。だが、リベルタとはそういう人間なのだ。この笑顔の下に何を隠しているのか。
「そう睨まないでくれ。気絶させたのは悪いと思ってる。だけど、本当に悪意はないんだ」
「人を気絶させる人間に悪意がないとは思えません」
リベルタが言葉に詰まった。
逃げなければ。
アリシヤは静かに手を動かす。強く縛られてはいるが、縛り方は単純なものだ。これならいける。
警戒心を露わにリベルタと話しながら一分。
「そろそろ、アウトリタも来るかな?縄、隠しとかないと」
リベルタが呟いた。アリシヤは縄をほどくと、立ち上がり、駆け出した。
「え」
リベルタが声を上げる。アリシヤはリベルタの横の剣に手を伸ばす。だが、間に合わなかった。リベルタに手首を掴まれる。
「待って、アリシヤさん。縄、割ときつく縛ったんだけど」
「残念でしたね。私の特技は縄抜けです。ルーチェから教わりました」
アリシヤは冷や汗をかきながらも答える。
この状態だと出来ることは? アリシヤはリベルタのすね目掛け、蹴りを繰り出す。だが、彼はアリシヤの手を離し、華麗にかわす。しかも、アリシヤの剣を持って、だ。瞬発力も敵わない。
一つしかない扉を塞ぐように立ったリベルタ。無罪を主張するように、その両手を上げる。
「本当に誤解なんだ。あの時、アリシヤさんは後ろからつけられてた。だから、そいつに勘づかれないように、アリシヤさんを城に連れてくる必要があった」
「だから、後ろから襲ったと……?」
「つべこべ説明してる暇はなかったんだよ。気を失わせて運ぶ方が早いだろ?」
一応だが理解できる。あくまで一応だが。
「じゃあ、椅子に縛ったのは?」
「だって、こんな話してもアリシヤさん信じないに決まってるだろ? 俺だって反撃されんの嫌だし」
苦笑するリベルタ。いや、やっぱり、それでも――。
「信じません」
「だろうなぁ」
リベルタは肩を落とした。アリシヤは一歩引き下がる。何とか逃げなければならない。どうすれば、己の身を守れるか。
そして、扉が勢いよく開いた。
「痛っ⁉」
押して入る扉。当然、その前に立っていたリベルタに直撃である。
「遅くなった」
そう言ってリベルタを完全無視し、入ってきたアウトリタ。アリシヤは唖然とした。扉の前で痛みにうずくまるリベルタをアウトリタは怪訝な目で見下ろす。
「何をしている」
「あんたが開いた扉にぶつかったんだよ⁉」
「そうだな」
「謝罪なし⁉」
「ああ。待たせたな、アリシ――」
そこまで言ってアウトリタの動きが止まる。目線は先ほどアリシヤが縛られていた椅子へ。
「どういうことだ?」
「アウトリタ様。私は殺されたりは……」
アリシヤは恐る恐る聞く。アウトリタの登場で少し落ち着いたアリシヤではあったが、まだその可能性は否めない。
アウトリタはきょとんとした表情を浮かべる。
「そんなつもり全くない。何故、そんな勘違いを」
「それは……」
「待って、アリシヤさん。言わないで」
リベルタの制止を聞かず、アリシヤは事のあらましを話した。
アリシヤは席に着く。正面にはアウトリタ、その横には脳天に拳骨を食らったリベルタがいる。
「災難だったな」
「いえ……」
アリシヤは苦笑する。リベルタが拗ねたように口にする。
「だって、それが一番、効率いいだろ?」
「煩い、お前に発言権はない」
アウトリタがバッサリと切り捨てる。そして、アリシヤに向かい合う。その鋭い茶の目。場が引き締まるのが分かる。アリシヤは姿勢を正した。
アウトリタが口にする。
「大英雄の生誕祭の件だ。あれはただの祭りではない」
緊張が走る。やはり、何かがおかしいと思っていた。アウトリタが続ける。
「アリシヤ、お前には囮になってもらう」
「囮、ですか?」
「ああ、そうだ」
アウトリタは語り始めた。
最近、王都北東部で動き始めた謎の集団がある。彼らは『モルテロッソ』と名乗っている。
「モルテロッソ……」
アリシヤは呟き、ぞっとした。モルテロッソ、つまり、赤に死を。
「彼らは一つの理念を元に動いている」
「『赤を赦すな』だそうだ」
リベルタがさらりと言った。アリシヤは息を呑んだ。
その団体が活動している北東部。富裕層の多い地域。そこではまだ、物語信仰が根強い。そして――。
「ヴィータの潜伏先と言われている」
アウトリタの言葉で、問題がいかに重要かを悟った。
ヴィータ。ジオーヴェ家の元家長で、誰よりも物語を支持していた男。アリシヤを疎み、国を亡ぼす悪魔に仕立て上げようとした人間だ。彼は物語が終わった後、内部の反発を受け、辞任せざるをえなくなった。そして、姿をくらました。。
アリシヤはアウトリタを見据える。
「私はヴィータをおびき寄せるための囮なんですね」
「いや、ヴィータはきっとその場には出てこない。あの男のことだ。自身の身に危険が及ぶことはしないだろう」
「なるほど」
「ヴィータの協力者をおびき出す。一つでも多くの情報が欲しい。結果につながるか分からないが、実行する価値はあるだろう」
淡々とアウトリタは述べた。アリシヤは背筋を伸ばす。
オルキデアに勤めてからも、剣の訓練は怠ってはいない。毎日城に顔を出し、兵と共に訓練を受けている。だが、実戦となる可能性がある場に赴くのは久しぶりだ。
「『モルテロッソ』の厄介なところは住民に紛れていることだ」
「住民に?」
「お前が英雄になったとは言えども、この国の赤への偏見が消えたわけではない。赤を疑う者は多くいる。そういった人間が取り込まれているとう情報がある」
アリシヤはぐっと奥歯を噛みしめた。やはり、魔王の憎むべき赤という認識は簡単には去ってはくれない。チッタの街で覚えた恐怖を思い出す。
アウトリタがアリシヤを見据える。
「一瞬たりとも気を抜くな」
アリシヤは頷く。リベルタが口を開く。
「そして、殺すな」
「え?」
「たとえ、モルテロッソの奴だとしても、住民を殺すなんて大英雄様のすることじゃない。綺麗なイメージのままでいろよ?」
アリシヤを見下すリベルタ。その目を睨む。
「殺さない。奪わせない。それが今の私の信念です」
「へぇ、ご立派なことで」
リベルタはアリシヤの言葉を嘲った。
「アリシヤ」
アウトリタの呼びかけに視線を移す。
「赤の罪は物語が作り出したもの。お前はどこまでも堂々としていなければならない。一瞬でも奴らに隙を見せるな。決して悔いるな」
アリシヤは言葉に詰まった。
堂々としなければならないのは分かる。付け入られてはならないのだ。
だが、引っかかる。
罪は本当に物語によって作られたものか?
「そんな難しい顔すんなよ」
リベルタがにこりと笑う。
「当日は俺も控えてる。このことはルーチェやタリスにも伝えられる。あんたはただの囮だ」
蒼の瞳が鋭く光った。
「余計なことはするなよ」
「……できれば、ですけど」
「めんどくせぇなぁ」
リベルタがアリシヤをさぞ嫌そうに見る。話はそこで終わった。
その帰りはリベルタがついてきた。
「あんたはモルテロッソの奴らに監視されてる。気を抜くんじゃねぇぞ」
「分かりました」
アリシヤは頷き、リベルタと別れた。
生誕祭まであと一か月。アリシヤは冬の冷たい空気を深く吸った。
*
大英雄の生誕祭の日。
「アリシヤ。大丈夫だ。必ず守る」
「ありがとう、ルーチェ」
ルーチェの力強い言葉にアリシヤは微笑み、深呼吸をする。
今から城の前の中央広場へ赴き、設置された簡易舞台から国民に挨拶をするのだ。そして、民と共に祭りを楽しむ。
兵の配置は抜かりない。住民になりすまし、張っている者もいる。タリス、ロセの見知った仲間もいる。
逃げない。
アリシヤはまっすぐ前を見つめる。
だが、まだ一つ引っかかっていた。アウトリタの言葉。
『悔いるな』
はたしてそれでいいのだろうか。
祭りが始まる。
「本日は寒い中、お集まりいただきありがとうございます」
アリシヤは舞台の上で礼をする。話す内容はアリシヤが考え、イリオスに添削してもらい、アウトリタやフィアに目を通してもらった。皆からの感想。
『硬すぎる』
それから頭を悩ましたが、大きく変わることはなく、それがアリシヤらしいと言われそのまま通った。
アリシヤは暗記してきた内容を緊張しながら読み上げる。スピーチも終盤に差し掛かった頃。アリシヤの視界に妙な動きが映る。市民の何人かが、不安そうに振り返っている。アリシヤの耳が声を拾った。
「赤を許すな」
集まった民の中から悲鳴が上がった。
アリシヤは考えるより先に動き出していた。舞台を飛び降り、悲鳴のする方へ。向かった先では、女性が倒れていた。その女性をかばったのだろう。男性が腕に深い傷を負っていた。
そして、剣を握った女。エーヌの民のように特徴的なシンボルはない。ごく普通の女だ。
アリシヤは素早く人々を後方に回るように指示し、女の前に出る。
「モルテロッソ。あなたはその一員でお間違えないですか?」
「そうよ」
女は答えた。
後方で悲鳴が上がった。左手で悲鳴が上がった。近く、遠く。様々な場所で悲鳴が上がった。アリシヤは思わず振り返る。
「何が起こってる……?」
「赤を赦すな」
女が呟いた。アリシヤは再び女を睨み、低く呻く。
「なら、何故関係のない民を襲う……? 私だけでいいはずだ」
「彼らは赤に狂わされている」
「は?」
「赤を英雄だと信じ込んでいる。そんなはずはない。赤は悪魔だ。赤は魔王だ。彼らは赤に騙されている。我々が裁くことで救われるのだ」
アリシヤは絶句した。
「本当にそんなことを思っているのか……?」
女が剣を携え、駆けてきた。アリシヤは構えた。だが、女の剣の矛先は自分ではない。アリシヤは気づく。怯えて逃げることもできない、母子に向いている。
アリシヤは強い怒りと共に、母子の前に出て、その剣を止める。
「何故私じゃない⁉」
「狂わされた民を救うのが私たちの使命」
その声は震えている。目に怯えが浮かんでいる。遅い動き。剣を振るう躊躇い。この女は戦闘慣れしていない。モルテロッソはごく普通の住人。
まさか――。
「まさか、私に向かう勇気がないから無抵抗の人々を……?」
女は黙った。アリシヤは血の上った頭で女の剣をはじき、剣の柄をその手に叩きつけた。
「っ――」
女は簡単に剣を落とす。
許せない。アリシヤは女の腹に拳を決め込み、彼女を気絶させる。周りを見渡す。次はどこだ?
アリシヤの視界の端に剣を振り上げる男の姿が映った。
間に合わない。
瞬間的に悟ったアリシヤは己の剣を投げた。その剣は男の足を止めた。地面に叩きつけられた剣は折れた。
アリシヤは気絶した女の剣を奪い、走り出し、男の剣を払い上げ、そのみぞおちを蹴り上げた。男はせき込み地に足を付ける。アリシヤは荒い息を上げる。目の前で怯えていた少年達。
逃げて、と言いたかった。だが、今、辺りに響く阿鼻叫喚。どこに逃げろというのだ。アリシヤの考えはまとまらない。
「君達、こっちに。大丈夫、僕に付いてきて」
アリシヤははじかれたように顔を上げた。タリスの緑の目がアリシヤを見つめる。
「アリシヤちゃん、皆の避難は俺やルーチェさんがする。誰一人死なせない。守って見せる」
「はい……!」
タリスの力強い言葉にアリシヤは落ち着きを取り戻す。
「アリシヤちゃんは勇者様と一緒に。俺も必ず戻るから」
子供たちを連れてタリスは去っていく。悲鳴が止んだ。慌てふためき混乱していた民が秩序を持って動き始める。
「ったく、やっぱりあんたは余計なことをする」
嫌そうに吐き捨て、人ごみから出てきたリベルタは、アリシヤの隣に並ぶ。そして、アリシヤの手に握られた剣を見て、目を見開く。
「あんた、そんなみすぼらしい剣だったか?」
「自分の剣は折れました」
さっき、男の斬撃を止めるために投げた剣。当たり処が悪かったのだろう。石畳に弾けた。
リベルタは苦笑し、声を上げる。
「ラパ、いるんだろ?」
どこからか現れた影。
「剣、貸せ」
彼はリベルタの言葉に嫌そうに眉をしかめたが、アリシヤには丁寧に剣を差し出してくれた。
避難する住民の中で不穏な動きをする男を見つけた。ラパがアリシヤに剣を手渡す。
「行ってらっしゃいませ」
アリシヤは頷いた。剣を鞘から抜く。手にしっくりと馴染む。使い慣れた剣は、ごく一般的なロングソード。この剣はそれよりやや重いが、扱えそうだ。
悲鳴が上がる。だが、男が剣を振り下ろす前にアリシヤはその剣を受け止めた。
「こちらへ!」
住民に紛れていた兵が声を上げる。見覚えがある。ラーゴだ。彼はアリシヤを見て、深く頷くと彼らを導いていく。
中には腰が抜けてしまった人もいた。だが、そんな人を担いでいく人もいた。心強い行動にアリシヤの胸は熱くなる。
「お前ら、そいつら全員こっちに集めろ!」
リベルタの指示。アリシヤをはじめ、兵達が動き出す。
兵が住民に紛れていたのも功を奏したようだ。住民の素早い避難。そして、人々に紛れたモルテロッソ達がアリシヤとリベルタを中心に集められた。リベルタがアリシヤに言う。
「今、兵は住民の避難に全力をかけてる。ここにいるのはあんたと俺だけ」
「なるほど。兵の皆さんがやってくるまで私達でこの場を留めればいいんですね」
「正解!」
モルテロッソが二人を囲む。だが、彼らはこちらには向かってこない。震えた足。剣の軸もぶれている。誰も二人にかかってこない。そして、その剣は逃げ惑う人々に向かう。
「卑怯者共が」
リベルタが低く唸った。リベルタの怒り。アリシヤとて同感だった。リベルタはアリシヤに言う。
「あんな奴らに人を傷つけさせるな」
「もちろんです」
「行くぞ!」
「はい!」
アリシヤとリベルタは走り出す。二人が追い付いてきたのに気づくと、剣を置き、逃げまどい、許しを請うものもいた。だが、容赦はしない。その剣には血がついている。罪のない人を傷つけた証だ。
二人は致命傷を外しながらも彼らを切り倒していく。
「殺すなよ!」
「当然です!」
リベルタと背中合わせに剣を振るう。裏切られた。ひどい目に遭わされた。それでも、アリシヤの背を守るリベルタは何故だかとても頼もしかった。
二人が返り血に濡れるころには、辺りはモルテロッソ達の呻き声が溢れかえっていた。それを浴びながらアリシヤは息を整える。リベルタは呼吸一つ乱さずに言う。
「そろそろ終わりか?」
「ならいいんですがね」
アリシヤの視界に逃げ出した二人の人間が映る。向かう方向はモルテロッソの本拠地と言われる北東部。そして、警備が立ち入るのが難しい名無しの街。
「罠だな」
リベルタが言った。アリシヤは答える。
「だけど、行きます」
「だろうな」
リベルタはアリシヤと逆方向を向く。
「俺は名無しの街の罠にはまりに行く」
「では、私は北東部へ」
「手柄、上げて来いよ?」
リベルタの嫌な声を無視し、アリシヤは走り出した。
女の足は遅かった。北東部に差し掛かるまでもなく、その背にたどり着きそうだ。女は路地に入り込む。
路地を抜けた先は建物に囲まれた袋小路だった。農民・町人・身なりのいい者。様々な人間が集まっていた。だけど、皆、同じ目をしている。アリシヤを侮蔑し、憎む目だ。
最前列は剣を構える男達。見知った顔もいた。ヴィータに仕えていた者だ。多勢に無勢。ここでアリシヤを仕留めるつもりだろう。
数十人の人間に囲まれる。女がアリシヤに向かい合った。アリシヤは目を見開く。
「あなたは、エルバの村の――」
「ええ」
彼女は答えた。
二十代ほどの若い女性。剣を握る手は震えている。当然だ。彼女はエルバの村で日々を営む農村の女性。武器なんて持ったこともないだろう。
だが、その剣の先には赤い血がついている。
「どうして、罪のない人を傷つけた」
アリシヤの怒気を含んだ声に、彼女は怯む。
「私は赤を赦さない」
彼女は怯えながら言った。
「殺された。私の息子はあなたに殺された……」
建物の間に声は消える。
「エルバの村を襲ったのは、あなたに恨みがある人間だと聞いた。あなたが命を差し出さなかった、だから、私の息子は殺された!」
アリシヤの頭にエルバの村の惨劇が蘇る。
イリオスが率いたエーヌの民の軍勢は、エルバの村の子供たちを人質に取った。そして、アリシヤの身柄を求め、子供達を人質に取った。アリシヤは無事だった。多くの子供が死んだ。子供だけじゃない。多くの人がエルバで死んだ。
「いくらあなたがエーヌの民の族長を殺したとして、私の息子は、私の夫は帰らない! 帰ってこない!」
彼女の叫び。
『悔いるな』
アウトリタの言葉が耳の中で聞こえる。
無理だ。
アリシヤは苦痛に顔を歪める。一人の男が前に出てくる。
「俺はチッタの人間だ。お前がインノ様を連れていった。そのせいでエーヌが来た」
「デイリアを殺した代わりにお前は多くの人間を殺した」
「お前が殺したんだ!」
叫びが次々にアリシヤに投げかけられる。悲痛な叫びだった。ただの嫌悪や差別ではない。理由のある恨みだ。謂れのある憎しみだ。
「何故お前が生きている!」
誰かが叫んだ。
本当は知っている。自分が大英雄の地位を退き、オルキデアに勤め、穏やかに日々を送る罪深さを。
「赤を赦すな」
「赤を赦すな」
「赤を赦すな」
「赤を赦すな」
「赤を赦すな」
「赤を赦すな」
木霊のように響く。辺りがそれに満たされる。
だが、やはり納得がいかないのだ。
「私の質問に答えろ」
アリシヤの声に、呪詛のような言葉が止んだ。
「どうしてその剣を私に向けなかった? どうして罪のない人に向けた?」
誰かが答える。
「あいつらは……、お前を英雄扱いした」
「おかしい、そんなの許されるはずがない」
「裁きだ。そんな奴らへの神の裁きだ」
次々と口に出される歯切れの悪い言葉。何かが切れるのを感じた。
「裁き?」
「そうだ、裁き――」
「背負えるか?」
アリシヤは低く問う。
「神の名の元に裁いた人間の死を、あなた達は背負えるのか?」
「何を――」
「憎まれる覚悟はあるのか? 一生悪夢にうなされる覚悟はあるのか? その死を自らで背負う覚悟はあるのか?」
自分自身への言葉でもあった。
一人が口を開くと、堰を切ったように罵詈雑言が飛び交った。そんな、モルテロッソの人間達をアリシヤは睨んだ。
「あなた達の私に対する憎しみは正当だ。だけど、それを向ける相手を間違っている」
アリシヤの言葉は数十人もの声にかき消される。アリシヤは剣を持ち上げ、空を薙いだ。叫んだ人間の髪がはらりと散った。場が静まった。
「私を恨め!」
アリシヤの声が袋小路に響く。
「その恨みを晴らすために罪のない人を傷つけるのは許さない。私を恨め、自身の名の元に」
奥歯を噛みしめ、そして放つ。
「だけど、私の命は、自分の罪も背負えないような人間に奪わせる程、軽い命じゃない」
言葉を重ねる。
「神に罪を転嫁するな。あなた自身で私に剣を向けろ」
アウトリタの言葉、『悔いるな』。己の存在によって、己の手によって多くの人が死んだ。悔いないことは罪だ。
オルキデアで、日々を幸せに営む自分。それも罪だ。
物語に操られた。利用されていた。その中で人を屠った。だが、殺したのは自分だ。この手で誰かの大切な人の命を奪った。
悔いよう。後悔しよう。どこまでも、どこまでも悪夢にうなされてやろう。
アリシヤの心は決まった。遅すぎる決意。それでも、今、気づくことができた。
「私は罪を背負う。だから、あなた達も背負え、己の罪を」
モルテロッソ達は口々に何かを叫びだす。
「黙れ」
アリシヤの一言で静まり返った。
「覚悟ができた者だけ、かかって来い」
アリシヤは切っ先を向けた。何人かが震えながら、かかってきた。アリシヤはその剣を払う。戦闘慣れしていない者もいた。だが、多くはヴィータの部下。鍛えられた剣。アリシヤは体に傷を作る。彼らは叫ぶ。
「殺されろ! お前のせいだ、お前のせいなんだ!」
「死にたくない。私は死にたくない!」
アリシヤも声を張る。男が苦し気に声を上げる。その声には涙が混ざる。
「俺の家族を奪った悪魔に生きる資格があるとでも⁉」
「ないかもしれない! それでも――」
ルーチェが守ってくれた。タリスが手を差し伸べてくれた。多くの人に救われた。
そして、エレフセリアとレジーナ、父と母に愛されていた。
「私だって生きていたい!」
袋小路に一つの影が踏み込んでくる。白い髪に褐色の肌。一人一人の相手をしていたアリシヤとは違い、彼は手際よく全ての人間を戦闘不能にしていく。
誰一人立ち上がることのできなくなったその場で、リベルタはアリシヤを振り返る。
「馬鹿だなぁ、あんたは」
その言葉に何も返すことはできなかった。
*
数日後、張り詰めた城にラパから情報が入る。
「ヴィータの居場所が特定できました」
アリシヤは呼び出される。アウトリタが言う。
「今回の騒動の大本はヴィータだ。あの男は不安を持った民を煽り、その責任をお前に押し付けようとした」
アリシヤは頷く。
「殺せ」
アウトリタが言った。
「エーヌの民の長と同じく、お前が屠る必要がある」
アウトリタの隣に控えたリベルタが顔の前で人差し指を立てる。
「ルーチェとタリスには内緒な?」
「……どうして?」
「あの二人はあんたを英雄に導くような真似、絶対許さないから」
確かにそうだろう。アリシヤとて、これ以上英雄として名を上げたくない。だが、アウトリタとリベルタに囲まれている。断ることはできないだろう。
それに、ヴィータは今後も何をするか分からない。アリシヤの存在を利用し、誰かを傷つけるかもしれない。
また、殺すのか? 殺さない、奪わないの信条はどこへいった?
アリシヤの中で声がする。
ああ、そうだ。私は信条に反することをする。私はヴィータを殺す。
それはこれから傷つくかもしれない人々の為か?
いや、違う。それを見たくない。私自身のためだ。恨みを、憎しみを、死を一生背負う覚悟はできている。
アリシヤは深呼吸した。リベルタがひらりと手を上げる。
「勿論、俺もついてくぞ」
アリシヤはリベルタと共に示された場所に向かった。
警備は重厚だった。それでも、アリシヤ、リベルタ、そして、連れ立った兵は彼らを倒して前へ進み続けた。左右分かれた道。
「あんたは右へ行け。こっちは俺が終わらせる」
リベルタはアリシヤが答える前に走り出した。数人の兵とともに奥の間に向かったがそこにはヴィータの姿はなく、ヴィータと共に姿を消した者達がいた。彼らを確保し、アリシヤはリベルタの元へ駆ける。
わずかに開いた扉。濃い血の臭い。アリシヤは扉を開ける。リベルタの足元にはヴィータの首が転がっていた。リベルタが濁った眼で笑う。
「残念。もう終わったよ」
「……どうして?」
アリシヤは唖然として問う。リベルタは剣を振り、血を払う。何の感情も伴わない声で彼はアリシヤに尋ね返す。
「何が?」
「あなたは私を大英雄に引き戻したいんじゃないんですか?」
だったら、アリシヤにヴィータを殺させるのがいいだろう。そうすればアリシヤの地位は上がる。また、大英雄として求められる。
リベルタがケタケタと笑う。
「実際に殺すのは誰だっていいんだよ。あんたの手柄にするに決まってんだろ」
そう言ってリベルタは剣を鞘に納めた。そして、血まみれの手でアリシヤの頭に手を置く。
「汚れ仕事は俺のもんだ。憎しみも恨みも俺が受けてやる」
アリシヤは思わず顔を上げた。リベルタと目が合う。どこか寂し気な表情。彼は自嘲気味に笑った。
「俺と違って、あんたは絶望に染まることのなかった正しい人間なんだからさ」
アリシヤの先を行き、扉を出ようとするリベルタ。アリシヤは呟く。
「私の手は真っ赤です」
アリシヤは振り返る。リベルタは扉の方を向き、何も言わない。
「綺麗なんかじゃない。私だって、憎しみも恨みも受ける義務がある」
「……。本当にあんたは腹が立つな」
リベルタが暗い声で呟く。その言葉はこう続いた。
――昔の俺みたいでさ。
そして、彼はアリシヤに尋ねる。
「俺は何を間違ったんだろうな」
その問いにすぐ答えることはできなかった。
アリシヤも思う。何を間違ったのかと。今でも悪夢で目が覚める。あの時こうしていれば、もっと救えた命があったはずだ。
アリシヤは静かに答える。
「……。何を間違ったとして、今ここにいるのはあなただけです」
わずかな沈黙。
「あなたがここに存在することで生まれたものがある」
「悲劇か? 死体の山か?」
「喜びや救われた命も」
意地悪く尋ねてくるリベルタにアリシヤは返す。
民を傷つけるモルテロッソへの怒り。そこにリベルタの心を見た。いや、何度も見ていた。彼は罪のない人々が傷つくのを許さない。民を守る心に偽りはない。彼は勇者なのだ。
リベルタが言葉を吐く前に、アリシヤは口に出す。
「私はあなたの事が嫌いではないかもしれません」
「嘘つけ」
「分かりません。でも――」
アリシヤは放つ。
「私にとって、あなたの言う間違ったあなた、つまり、今ここにいるあなただけが、正しいあなたです」
リベルタが黙った。
「あなた以外、あなたはいないんです」
リベルタの問いに答えた。だが、自分自身に言い聞かせた言葉なのかもしれない。そう、何を間違ったとしても、今、在るのはここにいる自分だけ。
アリシヤは顔を上げる。
それを恥じてはならない。
兵達の声と足音が聞こえてくる。リベルタが振り返る。アリシヤの瞳を見て、彼は目を見開いた。
「どうして、そう、まっすぐ前を見れるんだ……」
小さな呟き。
「正しいなぁ、あんたは」
リベルタは苦し気に笑う。
「反吐が出るくらいだ」
アリシヤは何も返さなかった。
*
ヴィータの件が解決して一か月が経った。落ち着きを取り戻した王都。小さな酒場・オルキデアは本日貸し切りだ。
「では、皆さま!」
セレーノが席に着いた皆を見渡す。
「せーの!」
「誕生日おめでとう!」
皆の声にアリシヤは照れ笑いを浮かべた。
豪華な料理にたくさんのプレゼント。今いるのはセレーノ、タリス、ロセ、ルーチェ、リベルタ、イリオス、そして、アリシヤだ。あとから、まだ数人が来てくれる。
「私からのプレゼントは――」
そう言って、セレーノがカウンターから大きなケーキを運んでくる。
「じゃじゃーん! アリシヤちゃん十六歳祝い、特製ケーキです!」
皆から歓声が上がる。フルーツをふんだんに使ったケーキ。セレーノが切り分けて行く。その間にロセが勢いよくアリシヤに大きな紙袋を差し出す。
「そ、その、私から!」
ロセが差し出した可愛らしい柄の紙袋。アリシヤは礼を言い、中を覗く。
「わぁ!」
思わず声を上げた。白のひらひらとした可愛らしいチュニックワンピース。ロセが顔を真っ赤にして言う。
「私の着ている服のジャンルより、あなたには清純な服が似合うと思って。その、特別な時に使いなさい…!」
「はい! ロセさんと遊びに行く時に使わせていただきます!」
そう言うと、ロセがキュッとアリシヤを抱きしめた。最近、ロセからのスキンシップが多い。照れるが嫌ではない。その横からイリオスがずいっと顔を出す。
「ボクからはこれ!」
「これは?」
アリシヤは首をかしげる。綺麗な柄のノート。イリオスは恥ずかしそうにはにかむ。
「アリシヤ、ボクの書いた小説、読みたいって言ってたでしょう?」
「!」
アリシヤは驚く。イリオスはずっと定められた物語を記す記録師だった。彼はその立場から解放された今、自分が思うままの、つまり、小説を書いているのだ。
「ありがとう、イリオス!」
「どういたしまして」
ルーチェがさっと目立たせるように、小さな箱を掲げる。品のいい、上等そうな小箱。
「私からはこれだ」
「あ、ありがとう」
恭しくルーチェが渡してくるものだから、アリシヤも恭しく受け取る。リボンを取り、箱を開ける。
「……⁉」
アリシヤは言葉に詰まった。そこにはキラキラと輝く宝石が入っている。あまりに高級そうな品にアリシヤは慌てふためく。
「る、ルーチェ⁉」
「ペンダントだ。つけてみてくれ」
促されて恐る恐るつけてみる。透明に輝く、上品なペンダント。
「大人っぽい!」
イリオスが声を上げる。ロセがふむと頷く。
「これだと、どんなコーディネートが合うかしら」
「一緒に考えていい?」
「もちろんです」
ロセとセレーノのタッグがまた組まれている。リベルタがへぇと声を上げる。
「すげぇな、宝石って。ただの子供がそれなりの大人に見える」
皆の視線が集まる。なんだか、恥ずかしい。ルーチェがふん、と鼻を鳴らして得意げにする。
「そうだろ、そうだろ? ずっと、アリシヤにこういったものを贈りたいと思ってたんだが、何分金がなかったからな! アリシヤは可愛い! こういうものが似合わないはずがない!」
何故かルーチェがしたり顔だ。一方、タリスはどこか緊張した面持ちをしている。
「タリスさん?」
「ええっと……その……」
タリスがおずおずと出してきたのは、ルーチェのものよりさらに一回り小さな箱。
「アリシヤちゃん、受け取ってほしい」
そう言ってタリスは箱を開いた。そこには指輪が入っていた。これまた高級そうな品に、アリシヤは息を呑む。周りも息を呑むのが分かった。何だろう、この緊張感は―。皆まで緊張する意味が分からない。
タリスがアリシヤを窺う。
「いいかな?」
「えっと……。ありがとうございます?」
よく分からないながらもアリシヤは頭を下げる。そして、ルーチェが一言。
「アリシヤ、指輪を受け取る意味分かってるか?」
「え?」
ぽかんとする。
「誕生日……?」
アリシヤの言葉に皆が頭を抱えた。リベルタがルーチェを見やる。
「ルーチェ、お前教えとけよ」
「そうだな、確かにそうだ」
ロセがタリスの肩に、ぽんっと手を置いた。
「仕切り直しなさい」
「っ……! でも今回はお前の言葉が正しい!」
何が起きているのだ。全くもって謎である。
「しょうがないなぁ」
イリオスが立ち上がり、アリシヤの耳元で囁く。
「付き合ってる女の人に指輪を渡す。結婚してってことだよ」
「へ?」
「受け取れば、いいよって意味。分かる? プロポーズ」
アリシヤの顔が急激に赤くなる。
「そ、その、た、タリスさん!」
声が上ずる。
「ま、まだ早いんじゃないですか⁉ 私のことなんかよく分かってないでしょう⁉」
「でも指輪を付けてたら男払いになるんだよ! だから付けといてほしい! いや、嘘だ! 今すぐにでも結婚したい!」
「何言ってんですか⁉」
ひとしきり二人で騒いだ後、やっと息を整える。
「今日はここまでにしときましょう……」
「う、でも」
まだ引き下がろうとしないタリスの背をセレーノがはたく。
「しつこいと嫌われるよ」
「はーい……」
タリスがうなだれる。アリシヤはぼそりと言った。
「でも……嬉しかったですよ」
バッと顔を上げたタリス。ロセが舌打ちをする。何故かイリオスも顔をしかめた。
ルーチェがふっと息をつき、リベルタに顔を向ける。
「アリシヤの誕生日だ。お前も何か出せ」
「何でルーチェが強要してくんの?」
と言いつつも、リベルタは机の上にドンッと、大きな革袋を置いた。そして、その中から出てきたのは使い勝手のよさそうな剣。
リベルタがにこりと笑う。
「俺からのプレゼント。この前、剣折れたって言ってたろ?」
「ええ、まぁ……」
アリシヤは胡散臭げにリベルタを見る。何か企んでるとしか思えない。リベルタが手を広げる。
「そんな目で見んなって」
「……この剣は?」
「魔王、いや、エレフセリアの剣だ」
アリシヤは目を見開く。
「見てみろ」
リベルタが剣の柄をアリシヤに向ける。そこには、アリシヤの瞳と同じの色をした赤い宝石が埋まっていた。
「あんたが持ってた方がいいだろ?」
リベルタが笑った。アリシヤは彼を見つめる。
「いいんですか……?」
「ああ」
アリシヤは剣に手を伸ばし、そして、ぎゅっと抱え込んだ。父であるエレフセリアが手にしていた剣。顔も知らない。だけど、父が持っていたもの。それだけで、とても嬉しい。
オルキデアの扉が開く。
「こんばんは……」
声を潜めて入ってきたのはフィアとアウトリタ。
「お待ちしておりました!」
セレーノが二人のために用意していた席を引く。フィアが席に着き、たくさんのプレゼントに囲まれたアリシヤを見て笑った。だが、アリシヤの手元に目を向けると首をかしげた。
「剣?」
「はい」
「また物騒なものを」
アウトリタが眉をしかめる。だけど、アリシヤにとっては特別な剣だ。
「これはお父さんの持っていた剣だそうです……」
「え」
フィアが声を上げる。アウトリタがすかさずリベルタを睨んだ。
「これを用意したのはお前だな?」
リベルタはなにも言わずにやにやと笑う。アリシヤは顔を上げる。なんだか嫌な予感がする。
フィアが一つ咳払いした。
「アリシヤ……。その、エレフセリアの使っていた剣は……」
ごくりと息を呑む。
「当然のように燃えてしまったわ……」
アリシヤは一瞬固まり、そして、次には手に力がこもる。拳がわなわなと震える
「勇者様……?」
「あはは、魔王の持ってた剣を扱える大英雄様。最高だろ?」
そう言って嫌な笑みを浮かべた。アリシヤはそれを強く睨む。
「なるほど……? まだ、私を大英雄にするおつもりなんですね…?」
「もちろん!」
蒼い目が楽しそうに弧を描いた。
「いやぁ、もう一度あんたを絶望の淵に叩き落としたくなってな!」
怒りで顔が引きつった。
「前言撤回です。私はあなたの事が大っ嫌いです……!」
「やっと本音が出たなぁ、大英雄様?」
怒るアリシヤに、にやけ面のリベルタ。ルーチェがおもむろに立ち上がる。
「アリシヤ、私からもう一つ誕生日プレゼントをやろう」
「へ?」
「リベルタをぶっ潰す!」
ルーチェの怒号がオルキデアに響いた。
セレーノが机を避け、ルーチェに暴れる場を与えた。ルーチェはリベルタを締め上げにかかる。だが、素直にそれを食らうリベルタではない。だが、ふっと、立ち上がったアウトリタがルーチェに加勢した。さすがにリベルタも焦り始める。
それを見ながら皆で楽しくご飯を食べ、お酒を飲み、笑い合う。合流したラナンキュラスやクレデンテ、カルパ、ファッジョ。そのうち、リベルタを締め上げたルーチェとアウトリタが握手を交わし、床に這いつくばったリベルタがしぶとく起き上がってくる。
楽しい時間。
アリシヤはグラスを下ろし、己の手を見つめる。人を殺した手だ。そして、憎まれ、恨まれる義務のある存在だ。今、こうして幸せに浸ることは罪かもしれない。だが、その罪の意識を背負い、生きて行こう。幸福の中にいつも後悔を持ち、生きて行こう。
忘れない。だが、自分の命をおろそかにはしない。
アリシヤは心に刻む。
これが己の答えだ。
*
教師に呼ばれ、赤い髪の少女は目を醒ます。昼下がりの授業は眠い。それも、苦手な歴史の授業だ。六百年前のことなんか、興味を持てるはずなかろう。
いや、つまらないのは授業だけではない。
少女は無気力に教科書に目を落とす。そこには一人の英雄の名前。この国では、勇者と並ぶ人気を誇る。
赤い髪に触れる。珍しい髪色。
彼女のせいで、目立ってしまう。特別扱いされるが、自身は何の個性もないつまらない人間だ。だから、がっかりされるし、自分もがっかりする。
教師が言う。
「この時、彼女は十五歳だと言われており――」
少女は目を見開く。それは知らなかった。
十五歳で世界を救った? 己と同じ年ではないか。
同じ赤い髪に、同じ年。
なんだか気になってしまい、教師の言葉を無視し、彼女の項目を読みふける。彼女の話は当然のように映画や小説になっている。ドラゴンと戦ったり、魔王と対峙したり。なんだか、出来すぎた話で全く興味を持てなかった。だけど、教科書に載っているのは魔法もドラゴンもない世界の話だった。出典が記載されている。ある有名な小説家の本らしい。
学校帰り、少女は図書館に飛び込む。今まで本なんかに興味はなかった。歴史のコーナーに行く。
「あった」
少女は呟き、背表紙をなぞる。
『終焉の紡ぎ手』
英雄アリシヤ。救国の少女の伝記。
高名な小説家・イリオスが書いたその本を、少女は手にする。古典だ。いささかハードルが高い。それでも、その当時の人が記した彼女を見てみたかった。
イリオスが綴るのは、人間臭く、のたうち回りながら生きる少女の話。彼女の苦しみや痛み、そして、喜びが、丁寧に記されていた。華美さはない。世界を救ったとはいえ、彼女はただの少女だった。映画のような特別な力など何一つ持っていなかった。だからこそ共感できた。
少女は夢中になって本を読んだ。時に涙し、胸を熱くさせ、くすりと笑った。ふっと顔を上げると時計は図書館の閉館時間を指していた。
彼女のせいで面倒くさい思いを多くしてきた。彼女と比べられることで自分のつまらなさを思い知らされた。だけど――。
もう一度、赤い髪に触れる。彼女と同じ髪色。
大英雄の彼女も赤い髪を持ったごく普通の少女だった。イリオスはそう記していた。
だったら、私も何かできるかも?
心の中で小さく芽を出した、自身への期待。
少女は本を持って立ち上がる。大きく伸びをし、図書館を飛び出した。
今日もレシの国は平和だ。
***
アリシヤ(Αλήθεια)…ギリシャ語の『真実』のはず。そのはずなんだ。
終焉の紡ぎ手:外伝 針間有年 @harima0049
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