テストパイロットの使命
勝士の頼みで小規模な改造、五試特殊爆撃機の上翼下部、コックピットから見える位置に鏡を付ける改修が終わった。
空気抵抗が増えることを露子は嫌がったが、機体後方の状態、特に尾翼を操縦席から確認するために必要だと勝士は強く言って取り付けさせた。
取り付けが終わるとエンジンを始動させ、暖機する。
潤滑油をよく温めないと上空で固まってエンジン停止の原因になる。
その間に、いつも通り機体点検。
外装に異常は無いか、昇降舵、方向舵、補助翼は動くかどうかなどを確認し終える。
十分にエンジンが温まると車止めを外し、滑走開始。
向かい風を捉え、滑走場を走り、離陸して行く。
乗るのは勝士一人のみ。
復座だが、基地上空なら航法など不要。それに失敗したとき、犠牲になるのは一人で十分だ。
実験のために燃料は最小限に抑えている上に、模擬弾――爆薬の代わりに重しを乗せたものさえ積んでいないので機体は軽く、すぐに離陸し、ぐんぐん上昇して行く。
機体が上空へ向かうにつれて、地上の建物が小さくなって行き、空の青さは濃くなり、雲が近づいて行く。
「やっぱ、空は良いな」
<死に戻り>で何度も墜落死ししているが、不思議と飛行を止めたいと勝士が思った事はない。
逃げ出して毬恵さんに連れ戻された時でさえ、飛行機に乗りこむと、空に飛び立ってしまう。
何処までも青い空と遙か遠い水平線、浮き上がる雲、地上に見える小さな建物。
全てが綺麗で気持ちよいのだ。
空を飛ぶだけで地上の嫌なことを忘れさせてくれる。
試験開始までの間だけだが。
地上から発光信号が点滅した。
「分かっているよ」
露子から早く急降下試験を開始するように、との催促だった。
文面はいつもと同じだ。
「では、行きますか」
勝士は操縦桿を前に倒し、急降下を始める。
降下角度三〇度。
舵の効きは少し重いが、反応は正常。
引けば機首は上がるし、押せば下がる。
ちらっと上の鏡を見るが、尾翼に異常は無い。
上下に昇降舵を動かしても、キチンと作動している。
地上では露子が更に角度を急にするよう、催促していた。
「言われなくても、やりますよ」
伝わらないと分かっていても勝士は返事をすると、更に角度を増した。
今度はすぐに降下角度を四五度にする。
「うん? 効きは正常だな」
機体の反応は素直だった。
尾翼にも異常はない。
その間にも降下速度は増して行き、操縦桿は重くなり、降下速度は三五〇キロを超えた。
直後、勝士は操縦桿を上下させるが、反応は逆になった。
「始まった」
またしても反応が逆になる現象。
勝士は浮遊感に耐えつつ、鉄のように堅くなった操縦桿を前後に動かし、鏡越しに尾翼の状態を見る。
「昇降舵は正常か……」
僅かだが、昇降舵は動いている。
逆向きに動いてはいない。だが、勝士は尾翼に違和感を感じた。
そして、その正体に気がついた。
「! これか! 水平尾翼か!」
昇降舵を上下に動かしていると僅かだが、昇降舵の根元にある水平尾翼が捻れる。
機首を引き上げようと昇降舵を上げたらと、水平尾翼の下側が見える。
本来、機体を水平に飛ばすための安定翼として、水平に取り付けられている水平尾翼。
これがまっすぐに取り付けられているお陰で飛行機は、まっすぐに機首が上がったり下がったりする事無く飛べる。
だが、急降下で機速が上がり強い気流が水平尾翼の後ろに付いている昇降舵に当たり、その力が強すぎて取り付けられている水平尾翼まで捻れてしまった。
それも、逆向きに、機首が下がる方向へ向いてしまっていた。
これでは、幾ら操縦桿を引いても、落下角度が増して行くだけだ。
「原因が分かった!」
これであとは<死に戻り>して機体を改良させれば良い。
海面に向かって
降下角度を増す機体の中で勝士は目的を達成できた安堵と死に備えて座席に深く腰を下ろした。
「……」
だが、勝士の脳裏に前回までの最後の瞬間、勝士の機体を見て露子が恐怖に引きつる顔が思い出された。
天才で亡くなっていても父親離れできなくて、自分勝手で勝ち気な露子。
勝士が死ぬのを見て悲しんだのだろうか。
亡き露子の父親、恩人である滋野清武から死に際に「露子を頼む」と言われているのにあんな顔をさせて良いのか。
そもそも、どうして前回、前々回、前々々回と墜落する直前、露子の顔を見たあと、顔を背けたのは何故だ。
死ぬ前に見たかったのに何故背けた。
恐怖で引きつる露子の顔を見たくなかったからだろう。
そんな顔をさせて良いのか。
「……んな事出来るか!」
勝士は、操縦桿につかみかかった。
「何としても生きて戻ってやるぞ! 生きて情報を持ち帰るのがテストパイロットの使命だ! 生きる事を諦めてたまるか!」
角度と速度が増す中、勝士は機体の立て直しを図る。
「入力が逆になるそれなら、逆に入力するだけだ!」
操縦桿を押し倒し、水平尾翼にかかる方向を変えようとする。
退いて下に向いてしまうのなら、押して上に向かせるまで。
操縦桿を両手で握り両腕の筋力で押し倒そうとする
だが、操縦桿鋼のようにびくともしない。
「言うことを聞けっ! おらっ!」
勝士は操縦桿を足で蹴り飛ばした。
流石に昇降舵も動き、目論見通り機体の機首が上がり、降下角度が緩くなる。
だが高度はぐんぐん下がり海面が近づく。
「上昇しろ!」
勝士が叫ぶ間にも海は近づき、さざ波まで見えるほどの低高度までさがる。
しかし、そこから機首が上を向いた。
「ぐおおおっっ」
上昇に伴う急激な速度変化で勝士の身体には強烈なGがかかり、身体が椅子に貼り付けられる。
だが機体は海面すれすれで機体は上昇を開始。
タイヤの先端が海面を擦ったあと急上昇していく。
「ふう、助かった」
安全な空域まで上昇し強烈なGも消えて勝士は一息吐く。
機体速度も緩まった時、突如機体が、急降下を始めた。
「なっ」
突然逆方向に向かって動き出したことに勝士は混乱するがやがてその原因に思い至った。
「しまった! 入力が戻った!」
上昇によって機体速度が低下し、昇降舵にかかる力が減少。水平尾翼の捻れも直り、操縦桿の反応が元に戻った。
ずっと勝士が操縦桿を押し続けていたため機体は機首を下げてしまった。
そのあと再び海面に突っ込みそうになり、慌てて勝士は操縦桿を引いて機体を上昇させた。
その後、勝士の乗る五試特殊爆撃機は態勢を立て直し、飛行場の滑走場へ滑り込むように侵入して着陸した。
「勝士!」
機体が停止すると露子が勝士に駆け寄ってきた。
「何、あんな危ない飛行をしているのよ!」
「お前の設計した機体が悪かったんだよ!」
当たり散らす露子に勝士は飛行中に起きた事を伝えるとっていた露子の顔が蒼白になっていく。
「ご、ゴメン……まさかそんなことがあるなんて」
「もういいさ」
素直に露子は謝り勝士も受け入れた。
航空分野は未知の領域であり何が起きるか分からない。
事前に想定していても、実際には違った、という事が多すぎる。
想定外の事を、世界中の誰もが知らないことを問い詰めても時間の無駄だ。
「なら、早速改良ね」
露子はポケットに入れているメモ、何時アイディアが出てきても書き留められるよう寝るときも持っているメモを取り出し、記入し始める。
「水平尾翼が捻れた事による入力の逆転ね。尾翼の強度を上げないと」
「降下速度が速すぎる。速度を抑制する機構が必要だ」
「翼や胴体にブレーキ? 突起物が多くなって通常飛行の時、速力が遅くなるわね。でも必要ね。抵抗を少なくする必要があるけど……あっ試作中のフラップ装置を応用して急降下時に展開するようにすれば良い! 着陸の時にも着陸距離を短くするのに使えそうね」
良し! というかけ声と共に露子は早速格納庫に付属する作業部屋で設計図を書き始めた。
一号機は既に完成しているので改造は難しいが滋野飛行機の工場では既に試作二号機が組み立て作業中で、改造は簡単だ。
早速、基本設計を書き上げると、すぐに工場へ向かった。
それから大車輪で改造を行い、試作中のフラップなどを組み込み二号機を完成させ築浜に持ち込んできた。
二号機の性能は良く、勝士が試験飛行で急降下を行った時、操縦桿の入力が逆転する事は無かった。
「やった!」
急降下の実験に成功し露子はガッツポーズをして喜んだ。
その後、模擬爆弾を使った投下実験も行われ、所定の性能があることを海軍も認め、五試特殊爆撃機の正式採用を決定。
敷島皇国海軍五式急降下爆撃機の名前を与えられ、後の艦爆隊の初期機体となる。
この機体で訓練された急降下爆撃隊は腕を磨き上げ、後の戦争で命中率八〇パーセントをたたき出した部隊もあった。
そして、勝士は五式急降下爆撃機を完成に導いたテストパイロットとして航空史の一ページに名を残した。
だが、<死に戻り>で幾度も失敗し、そこから得た経緯はどの歴史書にも書かれていない。
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