露子のピンチ
「だから、この機体は落ちるだろうが」
<死に戻り>により失敗、墜落することが分かっている機体に乗ることなど、勝士は嫌だった。
蘇れるとはいえ、死ぬという瞬間を迎えるのは何度、経験しても嫌だ。
できる限り、死ぬのは避けたい。
「飛びたくないよ」
「そこをお願い!」
勝士が断るので露子は懇願した。
「この機体を完成させて納入しないと会社がピンチなの! 海軍から入金して貰わないと会社は破産なの!」
滋野飛行機は航空機の普及の為に設立させたが赤字経営が続いていた。
開国したとはいえ、皇国は貧乏国で金持ちは少ない。
しかも保守的な人間が多く新しい飛行機など活用方法が分からないし思いつきもしない。
購入するのは物好きだけで民間機の販売は殆ど無いのが現状だ。
唯一の太い収入源は、航空機の先進性に着目し諸外国と対等な軍備を目指す軍への納入だけだ。
しかし、軍への納入も大手財閥、開国から造船などで軍に食い込んできた一宮財閥の航空機部門が手を広げていた。
発注数で新興の滋野飛行機は一宮航空機より少なく劣勢に立っている。
打開策は、航空分野でも未だ誰も手にしていない新分野、特殊爆撃機を開発し独占して納入するしかない。
「飛んで実験を成功させて」
露子が勝士を逃がさないようにするほど、五試特殊爆撃機の開発にのめり込むのは、彼女の会社の存亡の危機があるからだ。
無茶は承知で、いや他に活路のない露子はリスクを承知で急降下爆撃を行う機体の試作開発に名乗りを上げ、受注し自ら設計を行い、完成させた。
あとは機体が急降下爆撃が出来る事を海軍のパイロット、テストパイロットに指名された勝士が証明するだけだ。
「でもな」
それでも、さすがに勝士は躊躇った。
露子と会社の事情は知っているが、<死に戻り>で失敗することが分かっている機体に乗りこむのは気が引ける。
「お願い」
躊躇する勝士の手を露子は握りしめた。
「うっ」
勝ち気な露子が目を潤ませ両手を握って懇願してきたため勝士の意志は鈍った。
露子は貴族のお嬢様だが、屋敷が勝士の住む貧民街に近く、ちょくちょく屋敷を抜け出し、ガキ大将だった勝士と遊んでいた。
あるとき屋敷に招かれたとき、露子の父親清武に見つかり、頭も良く、身体も頑強だった勝士は気に入られ、諦めていた中学柄の進学費用をくれた。
おかげで勉強が出来たので海軍兵学校へ進学できた。
卒業間際で事故で任官が遅れ配置がなかった勝士を航空隊に招いてくれた恩義がある。
数ヶ月前に亡くなったとき、恩に報いるためにも出来る限り露子の力になると清武の棺に約束していた。
その約束を果たそうと勝士は決めた。
「分かったよ。飛ぶよ」
「ありがとう勝士!」
露子が抱きついてきた。
外国人とのハーフで海外生まれのせいか、やけに発育の良い身体は柔らかい上に甘く良い香りがする。
貧民街の夜鷹とは違う品の良い心地よいもので、ささくれ立つ勝士の心を、死の恐怖さえ溶かしてゆく。
ああ、またこのパターンか。
前回も前々回も露子が抱きついてきて躊躇が吹き飛んで請け負ったんだよな、と勝士は思った。
我ながらチョロいと思うが露子の頼みとなれば、断れない。
「着替えてくるから」
心が溶けすぎて、自制心までなくなり、男の欲望が解放されそうになったので勝士は露子を引き離すと、飛行服をしまってあるロッカーに向かい、中から自分の飛行服とその他、装着物を取りだし身につける。
「よしっ」
第二種軍装の上から着込んだ上下一体のつなぎ型飛行服、飛行帽、ゴーグルに身を包んだ勝士は、五試特殊爆撃機の前に現れた。
失敗することが分かっていても、その原因を探らないとまた失敗する。
それに勝士が降りたら別のパイロットが搭乗し、墜落する。
<死に戻り>がないため、蘇ることなど不可能。
そして、成功するまで殉職者が増える。
そんな事は避けなければならない、と勝士は考え飛ぶことにした。
「しかし、どうして操縦不能になるんだ」
前回、前々回、前々々回も降下角度が四五度を超えると、操縦桿が重くなった上、効かなくなり、機首を上げようと引いたら、逆に機首が下がってしまった。
「なあ、整備ミスはないよな」
「当たり前じゃない。徹底的に整備したのよ」
確かに前三回とも離陸前の点検では異常なかったし、急降下実験までは普通に操りやすい機体だった。
ならば急降下に問題があるのか?
「緩い急降下じゃだめなのか? 四五度以下に出来ないか?」
「出来るけど、それだと誤差が多くなるわ。精度を上げるには出来るだけ垂直に近い角度、出来れば六〇度以上で行いたいの。私の考えだけど、海軍も同じように考えているわ。わざわざ爆弾投下架を付けてプロペラ圏外へ爆弾を放るよう要求する位だもの」
「だね」
移動する艦船へ爆弾を命中させるには出来るだけ高い精度で命中させる必要がある。
降下角度を緩くすれば操縦不能とは成らないが、水平爆撃に近くなり命中率は下がる。
垂直に近い角度でないと意味がない。その場合、投下した爆弾がプロペラに当たる可能性があるため、わざわざプロペラ圏外へ爆弾をアームで放るよう海軍が要求する程だ。
やるなら四五度以上、六〇度以上まで引き上げるべきだ。
今回の飛行でも四五度以上を目指す。
しかし、昇降舵が逆に動くのはどういうことだ。
「なあ、機首の上げ下げはどうやってやるんだ?」
「未だにそんな事を聞くの?」
「確認だよ。通常ではどのよう動くか確認して急降下との違いを認識しておきたいんだ」
基本的なところで急角度の急降下の飛行は通常と違うかもしれない、と思い勝士は露子に尋ねた。
「そうね、通常は後ろにある水平尾翼に付いている昇降舵を上下させて上げ下げをしているわ。操縦桿を前後に動かす事で、上下は操れるわ」
水平尾翼は尾部に付いている翼で、これがある事で飛行機は飛行中、水平を保つ事が出来る。
上下の向きを変えたいときには、水平尾翼の後ろにある昇降舵が動いて向きを変えるのだ。
「飛行中、昇降舵の動きが逆になる事は?」
「まさか。操縦桿と昇降舵はワイヤーで繋がっているのよ。逆にするにはワイヤーの接続を逆にする必要があるわ。飛行中にそんな事出来るの? しているの?」
「してないよ」
露子の言うとおり、昇降舵の操作はワイヤーで行っており、動きが逆になる事は、接続を切り替えない限りない。
では、どうして急降下だと逆になるのか。
操縦は問題なかった。
かなり重いが、操縦桿は効いていた。
反応が上下逆転するのはおかしかった。
「重い?」
前の飛行を思い出すと、いずれも降下を始めると高速飛行の様に操縦桿が重くなった。
機速が早くなり機体に当たる気流の量が増えて舵に掛かる力が増大するためだ。
それが降下で更に重くなっていた。
操縦桿の入力特性が逆転したのはその後だ。
「待てよ」
「どうしたの?」
勝士は少し考え込んで露子に頼み込んだ。
「操縦席の上に鏡を用意してくれ」
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