五試特殊爆撃機
光文五年四月二日 朝
敷島公国海軍少尉三木勝士は、下宿のベッドの上で目を覚ました。
ガラス窓にかかるカーテンの隙間から日の光が入り、勝士の顔に掛かる。
「あー、やっぱり失敗か」
一瞬夢かと思うが、飛行していたときの記憶を、身体が墜落した瞬間、いや、降下していたときの感覚を覚えている。
墜落は実際に起きたことなのだ。
「何がいけないんだろうな」
ベッドの上で暫し自問自答したが、部屋をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
勝士は入室を許可すると短い黒髪の女性が入ってくる。。
丈の長い黒のワンピースに、白いフリル付きエプロン、頭にはカチューシャを、首元にブローチで止められたスカーフ。
和服を着た、お手伝いさんではなく、正真正銘本物のメイドが入ってきた。
「おはようございます勝士様」
笑みを浮かべ軽く会釈をする滋野家のメイド、三田毬恵さんのメイド姿は本当に美しく、多くの男性が惚れるのも無理はない。
その姿を見て一目惚れした同期や見知らぬ若い男子にラブレターを預かったことが勝士は何度もある。
「おはようございます毬恵さん」
勝士はぎこちなく挨拶をした。
掃除洗濯炊事は勿論、客のもてなし、屋敷の維持などありとあらゆる事をこなす完璧なメイドだ。
だが、もし入室を無視したら、主人の奴隷、いや下宿人である勝士を叩き起こすために勝手に入室してベッドから引き剥がす恐るべき女偉丈夫である。
テスト飛行が嫌でベッドに引きこもった勝士を、ベッドごと放り投げた事さえある。
決して怒らせてはならない女性だ。
「露子は?」
「お嬢様でしたら機体の最終調整のために既にお屋敷から出ております。離陸予定時刻前に来るように、と言づてを頂いております」
「了解」
事実上の命令を聞いて勝士はベッドから起き上がった。
寝間着のまま、食堂へ行き、朝食を食べる。
終わると、毬恵さんの手伝いで海軍の制服へ着替える。
一人でも出来るが、逃げ出さないようにと見張りを兼ねているため、絶対に一人にさせてくれない。
白い第二種軍装に着替え終わると、玄関に行き、待機していた外国製高級車に乗り込む。
「それでは行きましょう」
勝士の隣に毬恵さんも乗り込む。
車から勝士が飛び降りないように監視する為だった。
毬恵さんが乗り込むと、タクシー上がりの運転士は身を乗り出してドアを閉め、車を走らせる。
傾斜地に作られた住宅街を抜け、曲がりくねった山道を通り、やがて平野が広がり始める。
周囲にある工場と飲食店街、その間を歩く工員や海軍将兵を描き分けるように車は通り抜け、勝士が所属する築浜航空隊が入る築浜飛行場へ向かった。
築浜航空隊では敷島皇国海軍のために航空機の開発研究が行われている。
勝士は海軍少尉として築浜航空隊実験飛行隊に所属するテストパイロットを務めていた。
勝士を乗せた車は、衛兵の顔パス、車のナンバーと特徴を覚えていたため、ノンストップで築浜飛行場へ入ると滑走場に隣接する格納庫の一つ、第三格納庫の前で止まった。
運転手が運転席から手を伸ばして左後ろのドアを開き、毬恵が降りて勝士に降りるよう促す。
勝士は仕方ないと重い腰を上げて車から降りると可憐だが勝ち気な声が格納庫の中に響いた。
「ようやく来たわね」
勝士が降りると声の主、つなぎ姿の明るい髪色のサイドツインテール女子が腕組みをして出迎えた。
眉は細いが力強く外に向かって跳ね上がり、大きな瞳は切れ長で強い意志の光を宿している。
少々小柄だが、活発で、気が強いが何処か品のある雰囲気だ。
ドレスを着ていれば何処かの令嬢と言われてもおかしくはない。
実際、彼女、滋野ジャクリーヌ露子は代行とはいえ爵位を持つ女男爵だ。
「逃げずにやって来たのは褒めてあげるわ」
「ありがとう」
露子の幼馴染みである三木勝士は仕方ないと言った態で言う。
実際は、勝士が逃げられないよう、飛行場の近隣にある別荘に下宿させ車で送り迎えさせ逃げ道を塞いでいたのだ。
「一軍人に過ぎない、あなたに我が滋野飛行機が、天才航空機技術者、滋野露子が制作した実験機に乗る栄誉を与えて上げるわ」
そう言って、彼女の会社であり彼女自身がオーナーであり社長と設計主任を務める滋野飛行機が生み出した航空機D1S、滋野五試特殊爆撃機一号機を指し示した。
複葉、二枚の翼に固定脚。鋼管骨組みに布張りの機体。
エンジンは空冷九気筒の滋野<祝>エンジンを搭載。
二五〇キロ爆弾を搭載可能だ。
最大の特徴は特殊爆撃、急降下爆撃を行えるよう計画、設計された敷島皇国海軍初の機体だった。
特殊爆撃、後に急降下爆撃と呼ばれる攻撃方法は、当時艦船攻撃に必要とされていた。
高高度から爆弾を落とすことは軍用機の誕生当初からあり、陸上戦闘だが実際に行われていた。だが同時に欠点も明らかになっていた。
高度が高いと爆弾が落下する距離も長く、その間に風に爆弾が流されてしまう。
そして投下時の誤差、爆弾を投下するタイミングが少しズレると、落下している間にズレが大きくなってしまい、外れてしまう。
高度五〇〇〇メートルからの水平爆撃の命中率は訓練された爆撃手が行っても演習訓練でさえ最良で二〇%。
実戦ではさらに命中率が下がると予想されている。
しかも固定目標相手でこの数値であり移動目標への命中率は更に低下する。
皇国海軍は航空機を海戦で敵戦艦や空母の襲撃に使用する計画であり、爆弾の命中率が低いと外れ弾ばかりになり話にならない。
そこで、命中率を上げるために考えられたのが急降下爆撃だった。
高高度から飛行機が目標へ向かって急降下し一〇〇〇m以下という至近距離から爆弾を投下、命中させるという方法だ。
これならズレも誤差も少なく命中率は高まる。
元々は大砲や陣地、橋など地上の部隊や武器へ正確に爆弾を命中させる地上攻撃用の戦法だった。
艦船への攻撃にも応用出来ると考えられ、皇国海軍で研究が重ねられていた。
そして、皇国の航空機メーカーの一つである滋野飛行機に急降下爆撃専用機の試作が発注され、完成したのが滋野五試特殊爆撃機、その一号機だった。
世界的に見ても当時としては見劣りしないカタログスペックであり、滋野の設計力の高さを証明する機体だ。
「どう? 凄いでしょう」
完成したばかりでピカピカの機体を、自分が設計した機体を見せて露子はドヤ顔になる。
初飛行は既に済ませており、滋野飛行機の工場から、この築浜飛行場まで飛び飛行性能に問題ないことは分かっている。
あとは、今日初めて行われる急降下試験をクリアすれば正式に納品され、契約は成立する。
そのテストパイロットに指名され飛ぶのが勝士だった。
だが勝士は不安そうな顔をして露子に尋ねる。
「こんな機体で大丈夫か?」
「大丈夫よ! 私が設計した機体なんだから問題ないわ」
「絶対落ちるフリだろそれ!」
自信満々に言う露子に何度も墜落を経験している勝士は絶叫する。
落ちると分かっている露子の設計した機体に乗りたくなくて度々、脱走と敵前逃亡を行った。
だが、いずれも毬恵さんの追跡によって阻まれ、捕まり、引きずられて機体の前に引っ立てられていた。
メイドではなく探偵か賞金稼ぎの方がよほど適職なくらいの能力だ。
だが、毬恵さんはメイドが本職といいはり、決して転職しない。
しかも、勝士を連行するときでさえ、優雅に関節を極めて逃げられないようにしつつ、腕を組んでいるようにしか見えないよう、滋野家のメイドとしての風聞や勝士のん面目を穢さないよう配慮する徹底ぶりだ。
おかげで、毬恵さんと勝士が付き合っているという噂が流れて、同期などにひがまれたり、勘違いした目の前の幼馴染みに詰問されたりしている。
それはともかく、墜落する事が分かっている機体に勝士は乗りたくなかった。
「急降下のあと引き起こし出来ないだろ!」
「機体強度に問題ないわ」
「操縦不能になって墜落しているぞ!」
「そんな事起きていないでしょう! 第一、私が設計した機体が落ちた事なんて無いでしょう」
「あれはなっ……」
勝士は言うとしたが、黙り込んだ。
自分の特殊能力<死に戻り>は誰にも言っていない秘密なのだ
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