届くかな
三奈木真沙緒
明日は卒業式
「かわいいよ」
……この年頃で、女子にそんな言葉をまっすぐ言ってくる男子って、まずいないと思う。
だからこそ……言われたときの破壊力というか貫通力は、絶大なわけで。
◯
「またケンカしちゃった」
しゅん、と
「あらら」
内心で、また? とつっこみながら、
ふたりがすわりこんだ非常階段からは、わずかにグラウンドが見える。ときおり、サッカー部の男子がわめきながら走り抜け、ボールを蹴飛ばして見えなくなる。2年生だろう。卒業式を明日に控えた3年生には、もう関わりのなくなってしまった世界だ。
「明日仲直りしないと。いくら一緒に東高に行くったって、春休み中気まずいのはイヤでしょ」
「まあ、ねえ。アイツはまあ受かるだろうけど、あたし大丈夫かな」
「大丈夫だよ」
ほかにどうも言いようがない。春海はいったん桃奈から視線をはずして、薄明るい雲の軍勢が青空と陣取り合戦を繰り広げているのをながめた。
桃奈はかわいらしい雰囲気の女の子で、元気で活発で、口が立つ。男の子に人気があるんだろうなと春海は思っている。でも女の子にとって、どれだけたくさんの男の子にモテても、たったひとりの男の子が振り向いてくれなかったら、なんの意味もありはしないのだ。桃奈にとってのたったひとりの男の子の名前を、彼女はまだ明かしてくれない。恥ずかしいから、と。でもこれまでのおしゃべりの中で、春海のもとにはずいぶんたくさんの「手がかり」が集まっている。桃奈と中学3年間同じクラスで、サッカー部で、成績もそこそこよくて、明るくて元気で優しいので、女子には地味ながら堅実な人気があって、桃奈と同じく東高を受験したらしい。合格発表は卒業式の後だけれど。その男子が誰なのかは春海もだいたい見当はついている。休み時間に桃奈のいる3組をのぞくと、だいたい半分くらいの確率で、桃奈と仲よさそうに言い争いをしているからだ。その表情はどこか楽しそうで、その子も桃奈のことまんざらでもないんじゃないのかな、などと春海は思う。その男子はそういえば、春海のいる2組の男子ともよく一緒に話したりしている。
「告白しちゃえばいいのに」
ぽろっ、と春海はつぶやいていた。
「え、なんで、なんでよ」
桃奈は真っ赤になった顔を上げて、猛然と抗議してきた。
「だっておふたりさん、いい雰囲気だと思うけど……」
「どこがいい雰囲気なのよ、あんな悪ガキみたいなやつ、なんでヒグっちが、あたしがそんなの、いっ、……」
……桃奈は動転しまくって、挙動不審になった。相手の男子の名を口走ってしまったこと、春海がその正体に見当がついていることに、まだ気づいてなさそうだ。
「それに、万一ふられちゃったら、……同じ高校でどんな顔してりゃいいのよ……」
「……それは…………」
「……春ちゃんこそ、告白しなくて、いいの?」
桃奈は反撃に出てきた。春海はつと目を泳がせて、足元の不愛想なコンクリートを見つめた。
「高校、違うんでしょ? 明日卒業式だよ?」
「うん…………」
実は春海も以前から、気になる男子の話を桃奈に聞いてもらっている。ただ、桃奈とおあいこで、相手の氏名は明らかにしていない。2年生の秋に、ばっちり正面から見つめられ、にこっと笑って「かわいい」と言われた瞬間に、春海の気持ちはわしづかみにされて持って行かれてしまったのだ。
「なにそれー!」
はじめてその話を桃奈に明かしたとき、桃奈の方までが真っ赤になって大きく反応していた。
「すごいことやる男子がいたモンね! 女の子の扱いに慣れすぎじゃない?」
「いや……でも……」
春海は必死で桃奈をなだめにかかった。
「それ、あたし個人への好意で言ったわけじゃないと思う。一般論っていうか、服装とかひっくるめての話っていうか、……」
え、なにそれ、と桃奈は小さくつぶやいた。
「……春ちゃんの顔、まっすぐ見て、言ってきたんだよね? にこって笑って?」
「…………うん…………」
「……それで一般論って、それ、どういうシチュエーションで言われたの?」
「それ言ったら、……バレちゃう」
「えー、そこまで話して、バレちゃうってなによ。教えなさいよー」
「ちょっと、それは、さすがに」
以来、春海と桃奈がふたりで話すときは、お互い気になる男子について、「匂わせ相談」の応酬になっている。でも、――それもひとまず、おしまいになりそうだ。明日の卒業式を最後に、みんなバラバラになる。春海は南高に、桃奈は「ヒグっち」と東高に、そして春海の心をわしづかみにしてしまった男子は北高に。……もちろん、受かっていれば、の話だけど。これから桃奈に会うとしたら、休日とか、放課後にどこかで待ち合わせてとか、もしくはスマホを使っての話になるんだろうな。
わかってはいるけど……でも。
「第一、……向こうは、好きな子がいるみたいだし」
これまで何度も桃奈に話してきたことをまた、春海は口走った。はっきり聞いたわけじゃないけど、つい目や耳で挙動を追ってしまうから、なんとなく察しがつく。それは春海の心にブレーキとなって作用していた。
「その男の子って、好きな子と同じ高校行くの?」
桃奈の質問に、春海は首を振った。
「違うと思う。北高行くんだって。相手の女の子は、あたしと同じ南高に受験に来てた」
「……やっぱり告白しちゃえば?」
「無理だよ」
春海は小さく笑った。
「なんか、明日はあっちも……好きな子のことで頭がいっぱいになってる気がする。そこであたしが告白したって、冷静に考えられないんじゃないかな」
思い切るように、スカートをたたきながら立ち上がる。
「ね、帰りあそこのインテリアショップ寄ろうよ」
「あ、うん」
桃奈も、何かを切り替えて起き上がった。
雲の軍勢は劣勢に立たされている。
3年生は、もうこの時期にすることがなく、大部分がすでに下校してしまっている。
運動部の野太い号令に、ふたりは背を向けて校舎に戻って行った。
◯
モデル、というのを初めて経験したのが、2年生の秋だった。といっても、校内の文化祭でのファッションショーだったけれど。私服を持ってきてほしいと言われ、モデル数人でそれぞれ持ち寄って最初の衣装合わせをしたときに、春海はありふれたTシャツとデニムのスカートを持って行った。Tシャツのすそを短めに折り上げて待ち針で固定し、気をつけてねと言われながら身につけた姿を、彼はしげしげとながめて言ったのだ。
「やっぱりこの方がいいよ。似合うって。かわいいよ」
一緒にモデルをつとめる同級生たちも口々に感想を言っていたけれど、もう春海の耳には入らなくなってしまった。かわいいなんて言われたのも久しぶりだし、それを言ってきたのが同級生の男子なのだ。なんとも思うなという方が無茶苦茶だと思う。状況的に、春海個人に好意があっての言葉ではないことはわかっているけれど……。それが嬉しくて、ファッションショーそのものが文化祭で好評を博したことも嬉しくて、1年後のほぼ同じ企画にもモデルに立候補した。楽しかった。一緒の思い出がもうひとつできたことが嬉しかった。彼の「好意」が向けられている先が、自分ではないと気づいていても。
……もし、高校生になってから、ばったり会う機会があったら。そのときまだ、あたしの気持ちが変わっていなかったら。
そのときは、……言ってみても、いいのかな。
……連城くん、好きだよ。
届くかな 三奈木真沙緒 @mtblue
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