第37話:姉妹の絆
剣は陽光を浴びて輝きを放ち、雪は解けて剣の周りだけを溶かしていく。
それは見る者を取り込もうとする魔性の輝きと、崇敬の念を抱かせ近寄り難い神聖性を見出せた。
大地に刃を突き刺して、遠い昔からそこにあったとは思えないほどに綺麗に残っている。
剣の鍛錬の度に使っていた剣ヶ峰だが、こうしてこの剣を見ることが無かったのは山の揺れによってその身を露出させることになったからだろう。
私の寿命が尽きる頃に山は揺れ、意識を手放してから不尽山は噴火していた。ゆえに私がこの剣を今まで見ることはなく、またこの山頂に登る者もいない。
誰も知らぬ神剣がこの地にあっても不思議ではないが、こうして実際に見るとどんな災厄も振り祓うことが出来るだろうと確信できる。
「神剣、天叢雲剣。どうか私に……力をっ」
鏡のように光り輝く神剣の柄へと手が触れた瞬間のことだった。眩しく輝く光に目が眩み瞼を閉じると、次に瞼を開くとその場は一変していた。
眼下に広がる分厚く黒い雲と邪悪な怪物と化した姉の姿はなく、また冷たい風と雪化粧、さらには山の揺れも溶岩の脅威も消えていた。
ただそこに在るのは一面の桜吹雪。
淡い白の花びらが舞い散る場所で、着物を着た桜と同じ髪色をした女性が立っていた。
その女性に獣人の耳や尻尾は無く、また腰帯には刀などという物騒な物はない。
嫋やかでありながら堂々と立つ様は一本の木が背中に入って女性をしっかりと立たせているかのようだ。
「初めまして。私の未来」
「……あぁ、初めまして。私の過去」
自分がまだ幸せという微睡みにいた頃の姿と言葉を交わす。
現在の私と過去の私との間には何十という私がいたが、その存在たちは桜の木となって永遠に散り続けていた。
「ここは?」
「ここは私たちの歴史。帰るべき場所。名残の花園。永劫回帰の境界線。どんな言葉で言い表そうとしても難しいから説明し辛いけど……そんな場所かな?」
「ああいや、問題ない。言いたいことは分かった。ここは私たちが辿り着く場所で去って行く場所だ。生まれ変わる場所とでも言うべきか」
「……似ているけれど少し違うわ。今の
口元隠すように手をあてて笑う過去の私に対して、私はこの場所がどんな場所なのか把握することを諦めていた。
恐らく未だ死んでいない私が把握することは出来ないと察しており、それよりもどうしてこの場所に来てしまったのかが問題だったからだ。
「私は何故ここに?」
「それは……ここが最期を迎えるからかな」
「最期? どういうことだ?」
「ニニギ様の剣。天叢雲剣を貴女は使うつもりなのでしょう?」
「もちろんだ。そうしなければ姉を、コノハナチルヒメを救えない」
「たとえそれが、不死を失うことになっても?」
過去の私は微笑みながら質問を投げかけるとその言葉が一陣の風となり、さらにはまるで周囲の桜たちが呼応するかのように一段とその花を散らしていった。
「ど、どういうことだ? 不死を失う? 何を言っている?」
「神剣を振るうには代償が伴ってしまうの。その神剣を振るう資格を示す必要があると言い換えてもいい」
「資格? それが不死と?」
「ええ。生命には寿命がある。それを引き継ぐ人々は居ても、永久に生きる者も転生する者もいない。それは神々の資格であり領域。神剣を振るうにはその神性を与えなければならない」
「つまり不死を与えなければ天叢雲剣は効果を発揮しない。しかし渡してしまえば噴火によって私は間違いなく死ぬということか。だからこの場所が最期だと、そう言いたいのだな?」
「その通り。そして貴女の心はもう……決まっている。だからここはもう最期なの」
過去の私と言葉を交わしながらも、すでに答えは決まっていることに彼女は気付く。
迷うようなことはない。嘆く必要性すら存在していない。
だって彼女は言った。引き継ぐ人々は居るのだと。
ただそれは私ではなく全く知らない誰かであったとしても、きっと生命はどこまでも続いていくのだから私はただやるべきことをやればいいだけなのだ。
名前も顔も知らない誰かに命を繋げていく。
そのために私が今やるべきことが自分の未来を案じることではなく、誰かに未来を託して今という一瞬を懸命に戦うことを間違いだとは思わない。
「命は永遠なんて要らないの。ただ今を……ちゃんと咲き誇れればいい」
「ええ、その通りだわ。それじゃあ最期まで頑張ってね、未来の
「ええ。遠い過去の、在りし日の
一面に咲き誇る満開の桜たちが別れを告げるように花吹雪を散らせ、視界を白く染め上げていく。
もはや永遠に行くことは無い最期の地は花びらと共に散っていく。
土の感触も花の匂いも過去の微笑みさえも包み込んで消えていき、瞼を開ければ太陽のように輝く神剣はこの手に在った。
その剣は決して片手では持てぬほど重く、一つの軸のように太い刃に八つに枝分かれした刃を持ち、柄巻きには今も生きている蛇の鱗のような感触がある。
地面に突き刺さって見えていたのは半分ほどの大きさしかなかったのだと理解し、またこの刃から感じる禍々しさと神聖さを併せ持つ剣に確信する。
「これなら祓える。例え神であろうとも」
「さ■●ぁア!」
自分の手に握られた強大な力を前にした怪物の咆哮が山頂にて響き渡る。
それは山彦となって世に轟き、雨雲の下では雷鳴となって地上に降り注いでいく。
すでに心は決まっている。自分の運命は決まっている。その決断に一片の迷いもないことに、何処かこの青空のように清々しさすらある。
「さあ、私は道を選んだぞ。ここでちゃんと終わりにしよう、姉様っ!」
全てを終わりにするためにその剣を構える。
正中線にて怪物となった姉を見据え、吼え立てる獣のように叫び声をあげて向かってくる怪物を瞬きすらせずに捉え続ける。
「必殺―――」
その巨大さは不尽山を越えていたが、こと此処に至っては大きさなど意味はない。
怪物たちの集合体であろうとも、呪いをその身に何百年分溜めていようとも脅威ではない。
この身体はあの巨体によって脆く崩れ去るのだとしても、後方に広がる溶岩に焼き付くされるのだとしても、ただ私がやるべきことはひとつだけだった。
「―――死期桜、満開!」
それはあらゆる生命を散らす最期の桜。
その一閃を逃れられた者はなく防いだ者もなし。確実に狙った相手の命を奪い散らす神懸かりの一撃だ。
天叢雲剣の力によって樹木に似た動物たちの体が剣に触れた瞬間に、その切り口から瞬時に無数の剣閃が刻み込まれる。
一閃を数十倍にしてしまう剣を振るうことで、自ら培ってきた技術を上乗せすることで一秒にも満たない瞬きの間に数えることすら出来ない剣撃を生み出した。
さらに、神剣による効力によって邪気を瞬時に祓う様はまるでその呪いを散りゆく花びらに変えていくかのようだった。
舞い散る大量の花びらに襲われて、私の体はふわりと火口へと舞い上がる。
背中に感じる灼熱は私の髪を、衣服を、肌を、そして舞い散る花びらから火口へと落ちてくるあの日の姉の姿に火をつける。
「ありがとう、姉様……」
「いいの……私がしたくて……そうしたんだもの」
落ちてきた姉の体を抱きしめる。
すでに剣の力によって永遠も不滅も存在しないが、それでも私達の間に長い時間を経ても変わらないものを取り戻せた気がする。
「あぁ……そうか。私はきっと……このために生きてきたのね……」
そして、私達の間にぬくもりという熱を永遠のものとする劫火の波が噴き上がるのだった。
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