第35話:迸発する不尽山

 森の中を全速力で駆け抜けていく。

 常人では目で追えず、また見える者でさえもまるで低空飛行しているように見えるほどの速さでもって走り続ける。

 その後方から森を自分の身体の一部へと変化させながらやってくる大災害、樹木にも似た動物たちの大津波が山へと向かっていた。


「ア■声ぇ……アノ■エぇ●っ!」


 大津波に乗るようにその頂上にて呪詛を履き続ける姉の形をしている者は、すでに山から響いてきていた音しか聞こえていない。

 森や大地を自らの呪いに染め上げながら進む速度は段々と増しているように見えた。

 あらゆるモノを自分と同化させていく暴挙が制御できるはずもなく、少しずつ言葉さえも意味をなさない叫びなってきていた。


「姉様……っ」


 本当であればあのような状態になる前に斬り祓うことが出来れば良かったが、今の状態では手に持った祓の刀はらえのたちでは姉を止めることは出来ない。

 躊躇いなく出会った直後に斬っていればまだこの刃でも勝機はあったというのに、そうしなかった自身の落ち度が招いた事態に唇を強く噛んで血が流れる。


「私が止める。止めてみせるっ」


 速度をあげた大津波よりも速く、森を駆け抜ければ石造りの鳥居を通り抜けると、あとから押し寄せてきた呪詛の大津波が第二の結界にぶつかり阻まれる。

 透明な壁によって樹木動物たちは砕けて白化し地面に落ちていく。


「あ゛ぁあ■あ●?」

「ここは神聖なる不尽山。邪悪なる者を阻む結界を張ってありますよ、姉様。里の結界よりもずっと強固なものをです」

「こぎ■が●もの▲っ!」


 何度も自らの巨体を叩きつけながら結界を壊そうとする姉の姿に、記憶の彼方にある面影はすでにない。

 理知的で大人しい姉の姿は、今や目の前に食事を出された餓鬼にも見えるほどに浅ましく歪み果てている。

 だが餓鬼程度とはまるで違う力を持つのも確かだった。

 その呪詛の量は結界の要である鳥居に段々と罅が入っているのを見て長くは持たないことを悟る。


「アあぁ■あ゛っ!」

「やはり少しずつでも削っていくしか方法は―――」


 鳥居の結界は幾つか存在しており、足止めをしつつ削っていければ勝機はあるだろうと覚悟を決めた時だった。


【来たれ……サクヤ……私の……サクヤ……】


 地面の揺れと共にハッキリと頭に響く男の声があった。

 酷く頭が割れるような頭痛と共に、先程よりもハッキリと聴こえて音は幻聴ではなかったのだ。

 その音は明確に山の頂上より聴こえた気がして山を見ても、雨雲によって頂上が見えるはずもない。そしてそれほど距離であれば何者かの声がここまで届くはずもない。

 しかしそれでも声の主は頂上にいるような気がしてならない。

 自分以外に誰もいないはずの山頂にて待つ誰かが気になって仕方がない。何より自分を呼ぶ声の主を知りたくて、姉が今まさに壊そうとしている鳥居から目を逸らして頂上へと向かって走り出す。


「待っ■……! ●ってぇ!」


 それはどこか何かを求めて止まない何かに手を伸ばすような仕草にも見えるような、絶え間なく扉を叩き続ける亡者にも似た拳で結界を破壊した。

 崩れ落ちる透明な壁はその意味をなさなくなり、彼女を止めるものはもはや無い。有るのは精々が進行する勢いを緩める程度の、それこそ足止め程度の結界しかない。

 恐らく一度だけ衝突を防ぎ、姉の拳によって壊される程度のもの。しかしその結界こそが確かな差を生むものだった。

 山肌は決して森のように直線を走るような芸当は出来ない。岩などによって勾配は場所によって違う。

 さらには昇って行けば空気は薄くなり呼吸はし辛く、慣れていない者は動けないほどの頭痛に悩まされる。

 また雨雲によって地面は滑りやすく気温は冷たい。しかし雨雲を出てしまうと陽の光によって暑くなり、この急激な温度変化によってさらに身体に不調を来すだろう。

 住み始めた頃は必ずといっていいほどの経験も、今では身体が適応していることで苦も無く移動が出来ている。そうでなければ後方からやってくる大津波に呑まれていたはずだった。


「わ■■ヲ●■●い■●●デェーー!」


 言葉なのか叫びなのか、獣の咆哮にも似た声を張り上げながら登ってきているらしい。

 振り返ることはなくとも音を聴けば姉だったものとの距離を測ることはでき、その距離を少しずつ離していくことに成功していた。

 走り慣れた道は生まれ変わる度に少しずつ地形を変えていたが、それでも慣れている場所であることは変わらない。

 這いずるように昇ってくる怪物とは違い、山肌を泥濘に足を取られることなく駆け抜けて強烈な雨が降る雲の中へと飛び込んでいく。

 そこは本来であれば立ち入ることを禁止するほどの暴風雨の中だった。

 山に吹きつける風は強く、雲の中であるが故に見通しは悪く、足を絡め取ろうとする泥や足を攫おうとする雨は間違いなく脅威だった。

 しかも雨雲の中に跳び込む前から尻尾や髪の毛が逆立つほどの稲光を目で捉え肌で感じていた。

 それでも進む以外に選択肢はなく、ただ最短距離を駆け抜けるしか先はない。


「くっ!」


 何度目かの揺れによって転げそうになりつつも、何とか態勢を立て直して走り出す。

 一度でも足を止めれば怪物に追い付かれ、斜面を転がり落ちれば呪いの津波に呑み込まれてしまうだろう。

 そうなってしまっては身体は生きたまま変質し、魂さえも呪いによって凌辱されて変貌するかもしれない。


「そんな訳には、いかないっ!」


 懐かしき誰かの呼ぶ声が頭の中に響く。その声の主の顔さえ浮かばないのに、それでもなお大切な誰かだと魂に突き動かされて足を動かす。

 自分はその声の主の許へ行かなければならないと知らない自分に急かされるように。

 まるで自分の身体ではなくなったようにも思えるほどの急ぎ足で斜面を駆け上るのを邪魔するかのように視界が一瞬真っ白に閃き、その直後に身体を中心から焼く痛みによって膝をつく。


「ら、落雷……っ! ぐぅっ……」


 全身が濡れている身体を貫く痛みの後に轟く音によって何が起きたのかを知る。

 腹部を中心に衣服を焦がし、貫通した腹から背中を黒く焼き焦がした痛みによって血を吐く。

 本来ならば絶命の閃光だったが、自分の身体は寿命によってでしか死ねない身体のため転げ回りたいほどの痛みはあっても死ぬことはなかった。

 そして服は直ることはないが、身体のほうは立ち所に治ってしまう。

 衣服は暴風雨によって燃え上がることもなく焼跡だけを残すばかりだ。

 膝をついていた足を奮い立たせ、立ち上がって駆け上り始める。

 肌を突き刺すような冷たい雨に身体は凍えても、追い打ちのように雷が襲い掛かろうとも膝を屈することはなく雨雲を突き破った。

 すると天候は一変し晴れ渡る太陽が姿を見せて肌をじりじりと焼き始める。

 服は所々雷で焼かれており、上半身は胸に巻いたサラシが見えていたが人の目などこの山には無く、当人が気にしないのであれば何も問題はなかった。


「眩しっ……」


 むしろ危険なのは雨雲によって見えなかったが、肌を焼くほどの晴天と同じほどに目を焼くほど明るいのが積雪した真っ白な雪だ。

 反射する光が目を焼いて視界を眩まし、また誰も触れていない雪は表面は軽いが足を入れれば底は積み重なった影響で重たくなっている。

 普段であればその見事な化粧に感嘆の白い息を吐いている所だが、今はただ重たい足を持ち上げて上へ上へと進むしかない。

 揺れる山の影響で近くの山肌に積もっていた雪が滑り落ちていくのを見る。雪崩に呑まれれば窒息だけでなく、その重さによって骨が折れて身動き出来なくなる。

 幾ら骨も傷も治るとはいえ、落ちれば待ち構えている怪物に捕えられることになるのは変わらない。


「あれに巻き込まれれば終わりだな」


 勾配が変わっていき登る速度も落ちてきたことで、それは雲を突き破って現れる。

 雪崩さえも受け止めて、雨雲の中で急成長を果たした怪物は人らしさの全てを失って現れる。

 全身が色取り取りな樹木に似た動物たちによって構成され、所々に山形の甲殻を持つ動物の穴が腐汁を吐いている。

 また身体の至る所から手のような触手が蠢き、空へとその手を伸ばそうとしては折れて地表に落ち、自らの仲間を増やしていく。


「「「g■d■●z■!」」」

「正真正銘の祟り神に成ったか……っ」


 無数の手が雲を突き破ってユラユラと揺れる様は自分の正気さえ疑いたくなるほどの常軌を逸した光景だった。

 雲の下がどうなっているのかは不明だが、森に住んでいる動物たちは生きていないのかもしれない。

 気にならない訳がない。南の森には未だ避難した者たちもいるのだから。

 だが、山頂より響く声が段々と明確に聞き取れるようになる度に身体は自然と山頂へといち早く登頂しようと急かすのだ。


【来たれ……サクヤ……我が許へ。彼女を止めるために】

「「「■gh●r■■w●!」」」


 怪物の身体中にある腐汁を吐き出す穴から聞こえる叫び声は、何に対してのものなのかはもう分からない。

 ただ自分だけが姉を止めることが出来るならばやらなければならない。それが使命であり、絆であり、願いでもあった。

 ゆえに私は山肌を駆ける。口に刀を銜えて、両の手をつけて四足で走る一匹の獣のようにだ。

 雪に埋まってしまう前に手も足も動かして登れば、今までよりも速く移動できた。

 雪崩によって怪物の折れた手は雨雲の下へと落ちていき、しかし本体の姉の身体はゆっくりと後を追ってきていた。

 山を駆け上る速度は今まで以上に速く、自身の最高速度をでもって山の山頂のひとつ大日岳に到着すると、そこには日光に照らされて輝く人の形をした男の影が立っている。


「あ……」


 その影の形を見て思い出されるのは、どれほど昔のことなのか。

 こんな非常時である瞬間だというのに、不思議に思えるほど瞼から涙が零れ落ちていく。

 口から漏れ出た声も意識して放ったものではなく、ただその姿に大きな疑問と安堵が織り交ぜられて出てきたものだ。


「ニニギ、さま……」

【ああ。久しいな。麗しき私のサクヤ】


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