第33話:コノハナノチルヒメ
姉との思い出は多岐に渡る。
生まれた時からどこに居ても一緒だったのだから当たり前だが、記憶の中にあるものは幸せなものばかりだった。
姉は優しく、私を見守るように傍に居てくれた。いや、一緒にいるのが当たり前で離れるということが思い浮かばない程だった。
けれど少しずつ、姉は成長と共に外に出ることはなくなっていった。最初は家から出ることが無くなり、次第に自分の部屋から出てくることがなくなっていった。
父に尋ねても何も返答はなく、ただそっとしておくことを言い含められたのを憶えている。
「サクヤ……サクヤ……私の大切で愛しい妹」
色鮮やかな樹木のような動物たちの着物と身体によって構成され、流した血や肉片が周囲の建造物や地面さえも影響を与えていた。
姉の身体と同じ樹木のような生命が生えていって色鮮やかに咲き誇る。しかしその生命力は周囲への影響を度外視し、どこまでも少しずつ広がろうとしていた。
「姉様」
「貴女。サクヤによく似た貴女。私のサクヤを知らないかしら?」
「姉様?」
「あの美しい桜の花のような髪の持ち主を。あの永遠に若木のような瑞々しい肌の持ち主を。あの鳥の歌声のような声の持ち主を。あのそよ風に吹かれて舞い散る花びらに綺麗だと微笑みの持ち主を」
ポツポツと降り続ける雨に打たれながら、雨雲を仰ぐ姉は遠い昔を見ていた。
もしかしたら彼女には遠い昔の出来事ではないのかもしれないと思った頃に、彼女はこちらを見据えて支離滅裂なことを喋りだす。
「サクヤ。私と帰りましょう、外つ国へ。きっとそこなら皆が待ってる。腐った身体に痛がって喜んで悲しんで愉しんで待ってるわええ待たせておけばイイアンナ奴ラ」
「チル姉様」
「呪われろ呪ワレロ呪わレロ。奴らは呪ワレテ当然なのよそうでしょう? だってあの子に向ける浅ましさは度し難いもの。男も女も兎も亀も鳥たちさえもあの子に向ける視線は許せないもの。目を抉ってでも止めさせないといけないわ」
「チル姉様!」
幾度目かの呼び掛けに彼女は答えず、あの樹木に似た動物たちが雨によって一層色鮮やかになりながら大地や建物、森の木々を侵食していく。
しかも姉の感情が激しく揺さ振られていく程に侵食と成長は早まっていった。
「っ!」
仕方ないと近くの枝分かれした赤色の樹木を刀で刈り取れば、聞いたこともない甲高い不協和音の複数の悲鳴が木霊し、地面に落ちる頃には鮮やかな赤色は白く染まっていた。
「え? どうして? どうしてドウシテどうしてドウして殺したコロした殺シタの!? どうして死んだの!? 私の子なのに私の子供ナノに!」
「チル姉様。私の声が聞こえますか?」
「嗚呼我が子! 我が子が妹に!? いえ、いえいえいえっ! サクヤがこんな酷いことをするはずがない。あの子は優しいもの。酷いことをするはずがないもの」
すでに会話が成り立っていないことは理解し始めていた。
先程まで理性の片鱗はなくなり、彼女が歩いたことで足跡からあの樹木染みた生命体が新たに生まれていた。
もはや彼女が移動するだけで森の生命は脅かされているのだ。仮に相手が姉のような形を作り、姉のような心を持ち、姉のような過去を持ち、姉のような呪いを請負った身体であっても……今はひとつの怪物として成り立ってしまっているのであれば討伐する以外にない。
「……くそ……」
刀の柄を強く握り締め、足下に膝をついて白くなった樹木型の動物を抱えている姉にに対して刀を振り上げる。
どれほどの長い年月をそれと共に居たのかのは分からない。自分の身体が神代の時から現世に至るまで呪いによって侵されるのはどれほどの苦痛なのか想像も出来ない。
ただ解るのは、あの運命の日から離れ離れになった姉とは会えないのだと理解し、冷たい雨に混じって目頭から暖かな粒が一条だけ頬を伝っていくのみだった。
「姉よ。どうか……安らかに」
振り上げて刀を両手でしっかりと握り込み、姉の首があるであろう箇所をしっかりと見定める。
膝を折って俯く彼女の姿は思い出にある凛々しく厳しい姉の姿ではない。ただ面影を象っただけのまやかしのように見えていた。
だからこそ一切の良心の呵責を覚えることなく刀を振り下ろせた。
「ダメヨ」
その声は火花を散らして刀を弾き返すほど、甲高い音を立てた硬質な髪によって防がれてから聞こえた。
光も見えない暗黒の底から響いてくるかのような声に驚いて距離を取れば、姉が何事もなかったのかと思うほど白化した樹木のような動物を放り捨てた。
あれほど泣いていたように見えた直後なのに、まるで食べ終わった動物の骨のような扱いに困惑する。
「サクヤ。私ノ妹。貴女のおかげで呪われた。貴女の所為で力を得た。貴女のために私は今も苦しいの。貴女が可愛いから。貴女が綺麗だから。貴女だが華やかだから。アナタが私ガ持ッテ無イモノを持ッテイルカラ」
白化したそれは姉の言う通り脆く砕け散り、新たに形を成すことはない。しかし周囲に咲いていた樹木は急激に大きさを増していった。
そして大きくなってくると先端に触手がウネウネと動き、その奥には開閉する口が見えた。
明らかに樹木類とは違う動物的な部分が見え始めたことと、姉の様子が変わり始めたことで刀を正眼に構える。
相手との距離を測り、相手への牽制でもあるこの構えは一連の動作へと繋がる最も堅実な構えであり誰もが最初に教わるものだ。
ゆえに自然と心は落ち着き、頭は冷静に敵を見定める。たとえそれが姉であろうとも。
「サクヤ咲耶サクヤさくやぁああ!」
姉の内から幾つもの樹木に似た動物たちが溢れるように成長し、幾つも枝分かれして眼前一杯に視界を覆い隠すほどに襲い掛かる。
「一刀術……秘技、
それは視界一杯に広がる舞い散る桜吹雪の如く、自分の刀が届く全範囲に打ち込む剣戟だった。
僅か数秒にも満たない速度は人間の目で捉えることなど出来ず、またその範囲にいる者は敵味方問わず細切れになるほどの鋭さを持つ。
触手が伸び、口を開く動物たちの突進は枝分かれしていても枝自体は真っ直ぐにしか進んでいないがゆえに、自分だけ周囲を全て弾けば避ける必要もないと判断した。
前面に加えて左右、そして上から襲いかかってくる蠢く枝葉たちを斬り裂き、地面に落ちる瞬間には白化して砕け散る。
「アァ嗚呼■ああ■ぁアあ!」
「しぃっ!」
自分の周り以外の場所、里の建物や畑、森の木々などが姉の手によってどんどんと作り変えられていく。
子どもたちの遊び場も、訓練場も、家人が居なくなった家さえも塗り替えていく。
蠢く触手を持った樹木に似た動物たちが生え、雨に濡れて成長していく様は色鮮やかなだけの地獄にも思えた。
刀で守れる範囲は自分だけで姉の攻撃は波状攻撃。いずれ囲まれて負けるのは目に見えていた。
ならば地面から飛び跳ねて、大地を踏みしめていた足を離すことで容易く自分の身体は姉の攻撃によって吹き飛ばされて宙を舞う。
刀で受け止めたがその衝撃は両腕が折れるかと思うほどに強く、自身の軽い身体は後方の逃げ場を埋め尽くしていた蠢く樹木たちを越えることに成功した。
あの樹木に似た動物たちは成長して枝葉を伸ばすことは出来ても、その場から動くことは出来ないため追い打ちはして来なかった。
「さぁあくぅうやぁああ? 私とぉ、また、一緒にぃ…いよぉおう!?」
「姉様……」
自分が手に持っている祓いの祓の刀では樹木たちを刈り取ることは可能だが、姉の身体にその刃で斬ることは難しいらしい。
上段から振り下ろすのは最も武器で簡単かつ重さが乗る一撃だ。特に刀による振り下ろしによる斬撃は他の武器と見比べても鋭利だ。
それを弾くほどの強度の前では刀だけでなく自分の技術の粋を極めた一撃でなければ刃が通ることなどないだろう。
「遊んであげるわぁあ! あははははっ!」
姉の意思を汲んだ樹木たちがその根を伸ばして成長し、その触手という枝葉を伸ばす。
受け止めることも迎撃することもせず、一定の距離をあけて避け続けるが少しずつ姉も歩き出して距離を詰めてくる。
里の大半は見える範囲が侵食されており、弾いた枝葉が地面や建物に当たりその場に新たな仲間を生やしていく。
相手の攻撃は範囲が広く威力も高い。それだけで脅威としては充分過ぎるほどであり、この場に他の誰かがいたなら即座に怪物へと変えられていただろう。
刀で攻撃を弾きながら観察すれば、姉の攻撃はこちらに向けたものだけであり、自分の後方には足跡の場所以外に変化はない。
「隙は、あるっ!」
高波のような触れてはならない樹木の壁が眼前一面に広がるのを見た瞬間に身体は何も無意識に刀を構えて身体を動かすための息を吸う。
身体中に行き渡る血潮が筋肉や内蔵を最適な動きを実現するために動く。
「秘技、
最速の一突きによって合間を縫い、続いて上下左右に斬り払い、さらに刺突によって切り払った場所を吹き飛ばす技だ。
斬り払った場所は道を作り、白化した箇所を突き破って跳ぶ。
白煙が雨によって身体に付着するが洗い流され服へと吸い込まれ重くなっていくが、それすら考慮して跳ね上がったことで見えずとも相手との距離の目測は間違えることはない。
跳んで姉へと近づいていく最中に再度刀を構える。
突き上げ振り切った腕を引き、両手で柄を握り脇構えと移行する。狙いは真っ直ぐに姉の首へと見定めている。
「秘技―――」
近づいてくる私の姿に反応した姉は間にさらなる樹木の壁を作り出そうとするが少しだけ遅かった。
構えた刀でもって払い除けたが体勢を崩したことで直接姉の首を狙うことが出来なくなる。
そのことに安堵したのを感じ取るが、元より予想は出来ていた。
最初から相手の斜め後方へと着地する予定の経路。邪魔されることを踏まえての突破だった。
本命と思わせての隠された一撃を行うために、狙い通りの場所へと着地する。
驚いた姉は振り返り、見え見えの喉を狙っての閃光の如き一突きが姉の喉を貫いた。
「―――影桜、一輪」
突き刺した感触が刃から伝わり、驚愕の表情で姉の顔は歪んでいた。
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