第31話:たとえ塵芥となろうとも

【アクタ】


 まるでそれは雪崩や濁流のように降り積もり、押し流し、その場にいる者たちへと襲い掛かる。

 この場において敵や味方の概念はなく、自分以外に呼吸をするものの命など草花と同じ程度の価値しか存在しない。

 抵抗など無意味だと言わんばかりに、濁流の滝の下へと連れて来られたかのような巨木の雨が降ってくる。

 落ちてきた巨木が木に中れば圧し折れては吹き飛び、設置されていた罠が連鎖していく。

 毒が付着した蔦の網。糞尿が詰まった汚水。狙っていた仕掛け弓の矢や投石。ほかにも数種類の罠が発動しては無差別に襲い掛かる。

 そして、その糸を引いたのは自分の胎から産んだ娘。例え親諸共殺すことになっても躊躇いなく殺しに掛かってきたのだ。


「痛ぇ! 臭ぇ! 鬱陶しいっ!」

「ええいっ! この、程度の……ことっ、でぇっ!」


 穴に落ちた擦り傷だらけの馬頭に毒が回っていき、身体が変色していく姿を晒し、梟の男は寸での所で回避をし続けている。

 そして娘は巨木を背にして幾つもの矢や石が向かって来ようとも避けることもせず、ただ自らの天命に己を委ねながら嗤っていた。

 やはり半分は化生の血が入っている所為か。全てが崩壊していく様が面白くて仕方がないのだろう。

 だが、私の目的に沿っている限り邪魔ではない女だった。

 落ちてくる木々や矢などに身を晒しながら、少しずつ上空へと退避する。

 空にはすでに鴉たちが地上の様子を窺うように旋回しており、彼らの情報網によって他所での戦況も把握していた。

 あの地縛霊の力によって森に方向感覚を奪う霧が発生しているが、上空からであれば関係ない。

 戦闘音が聞こえる場所で起きていることも、森の外で起きていることも把握していた。

 狙った獲物がどこにいるのかを把握するためだったが、その獲物を横取りされていく様は不快であると同時に里の者や娘が共倒れしていく様に何一つとして心が揺れないことに自分の人間らしさを失ったことを深く理解していた。


「……ふん」


 しかし、その程度のことなど興味はなかった。

 人の形や感情に捉われては目的を果たすことなど出来ない。他者の命、血族の命、自分の命も投げ売ってこそ果たせる復讐心の前には全てが安いと感じる。

 眼下に広がる土煙と霧の中で、奴らの悲鳴は少しずつ小さくなっていく。

 馬頭は全身に毒が回り始め、もっけは罠に対して全力で回避し続けた結果、ゆっくりと笑みを浮かべながら近付く娘の姿には気づいていないらしい。

 恐らく数秒後には顔を潰されて死ぬのは間違いない。


「オウカが人虎を仕留め、こちらは馬頭と梟。森に迷っている人間共は森の獣どもが喰らっている。狩人共も凶暴になった獣たちに襲われているようだが、そんな阿呆な連中などどうでもいい。問題は……あぁ……見・ツ・ケ・タ」


 東の森の前で外に出れないサクヤの代わりに諜報屋をしている女の腸を引き抜いている女の姿を見つける。

 引き抜いた腸をその場で喰らう女は、口元を赤く染めながらあの日の面影を残したままに小綺麗な顔で生きていた。


「牛御前……っ!」


 あでやかな着物に身を包み、森や獣道を歩くには向かないつややかな高下駄を履き、美しく結い上げた髪は飛び散った血で一層輝きを取り戻していく。

 白い柔肌に重い物を一度も持ったことのないような細い腕で、楽しそうに臓物を引き摺り出す様は牛車に乗せられていた幼い非常食を怖がらせる。

 奴にとって食事の時間であると同時に非常食を丁寧に下拵えをしている瞬間を見つけ、もはや後先など考えずに黒い羽を広げた。

 羽ばたく度に速度はあがり続け、我が身で風を切り裂いて突き進めば奴の視界に入る頃には自分自身が疾風となっていた。


「アイツ……あいつ……あの女……っ!」


 黒い衝動に突き動かされながら飛ぶこと数秒。

 一陣の黒い風となってあの女の前に、周囲に暴風と鎌鼬を巻き起こして降り立った。

 風と鎌鼬が木々を薙ぎ倒して上空へと吹き飛ばし、牛御前の手下や牛車をも呑み込み壊していく。

 そして何より牛御前自身を引き裂くために使った暴風は、餌となった遺体を引き裂き吹き飛ばすだけで終わり、奴自身は涼し気な顔でこちらを見ていた。


「牛御前……!」

「これはこれは珍客ね。食事中に来られたのは感心しないわよ……アクタ?」


 周りに木々や雑草すら消えたことで、上空から見れば山道にぽっかりと出来上がった穴のようにも見える場所で牛御前と相対した。

 血に濡れた自分の細い指を艶めかしく舐め取った奴は私の名を呼んだことで、心に未だ燻り続けていた怒りが遂に燃え広がった。


「うしごぜぇええええん!」


 ほんの数歩の距離を最大加速で吶喊する。

 あの日の恐怖を呑み込み、あの日の苦痛を呑み込み、あの日の絶望を呑み込み、あの日の悲嘆を呑み込み続けた日々。

 あの日からどれだけの歳月を経ても永遠に消えない傷跡に夜毎のたうつ日々。

 恐らくあの日から人間性などうに失っていたに違いない。

 姿形が人間だっただけで、自分の形が定まっていなかった怪物はようやく自分の形を定められたのだろう。

 もちろん、形などどうでもいい。

 例え塵芥の怪物と成り果てようとも復讐さえ成し遂げられれば残った命を全て使い果たすことに否などない。


「ふふ、困った子ね」


 牛御前へと繰り出した右の拳は簡単に払われ、さらに奴に腕を掴まれたうえに圧し折られ、そして投げ飛ばされる。

 見た目以上の膂力によって投げられたが翼によって急制動をかけ、そして直ぐ様転進して牛御前の顔へと向かって蹴り上げる。

 風を纏わせた蹴りを放てば奴は最小限の動きで避け、近づいた私の顔に平手打ちを叩きつける。


「がっ!?」


 首が捩じ切れるかと思うほどの衝撃によって空中にいたこともあってか吹き飛ばされ、第三者がこの場にいたならば自分から飛んだかと思うだろう。

 だがその握力が大人の首を造作もなく引き千切ることが出来る力だと知れば、この牛御前の力の一端を知ることも出来るだろうか。

 吹き飛ばされながらも鎌鼬を放てば、まるで水溜まりを跳び越えるような気軽さで跳ねて躱してしまうではないか。

 自らの手によって刈り取られた木々の内、巨大な切り株だけを残していた場所に背中から直撃し、肺の中から息が全て吐き出され、また肋骨の幾つかを折った。


「かはっ! ぐっ……くそ、がぁ……」

「ただの人間だった頃より遊べる人形になったのね。でも枝が若木になっただけね。でも今度は両手両足を折って部下を増やして貰おうかしら? そうだ、今度は牛と交わってみたらどうかしら? どんな子供が生まれるのか興味深いわ?」


 牛御前が高下駄という不安定な履物だというのに無邪気な子供のように飛び跳ねて襲い掛かる。

 一歩ごとに地面を抉り取ってやってくる怪物は空を飛んでいる訳でもないのに素早く、そしてその一歩の距離が恐ろしく大きい。

 まるで巨人ダイダラボッチの一歩。ただその一歩で目の前に奴の顔が現れて、微笑みを浮かべたまま先程とは逆の腕を掴んでは圧し折った。


「ぐがあああっ!?」

「品の無い悲鳴ね。減点よ? 右足も折るわね」


 高下駄によって一切の遠慮もなく、一瞬の考慮もなく踏み潰す。

 しかも向う脛を狙っての一撃は鍛えた男でも痛いとされる箇所を牛御前はわざと狙って潰したのだ。

 内側から筋線維を引き裂いて現れるのは自身の骨であり、まるで華が開くように血を噴出させた。

 もはや叫び声は無音。口から言葉にする息という燃料は底を尽きていた。


「あぁ……可愛いわ、アクタ。貴女は間違いなくあの頃から変わらずに可愛い。地面を這いずる蚯蚓ミミズみたいに見っとも無いけど、そこがいいの。ぐちゃぐちゃに潰すのも引き裂くのも燃やすのも壊すのも犯すのも抉るのも意志が強いほうがいいものね!」


 砕けた足をすり潰すようにぐりぐりと動かすことで常軌を逸した痛みを与え、こちらの復讐心を力技で折ろうとしてきた。

 だがそうすれば私の心の内で燃え上がる黒い炎がさらに燃えることも奴は知っていた。

 だからこそ奴はやる。簡単に壊れてしまわない人形だから。


「部下でもここまでやれば壊れるけど……やっぱり貴女は壊れない。本当に嬉しいわ。どうしたら壊れるのかしら? 指を一つずつ爪を剥がして潰して引き抜いたら壊れる? 顔面を潰してみたら? 煮え滾るロウ混じりの熱湯をかけたら?」


 様々な苦痛を与える拷問方法を提示してくる牛御前という腐り切った性根の女から離れるために、踏み付けられている筋線維のみで繋がっている脚が引き千切れも構わないという勢いで残った左足に今まで以上の暴風を纏わせて蹴り上げる。

 もはや残った左足が自壊することさえ厭わなかった。

 ただ目の前の悪女を、自分と同じ塵屑へと変わることが出来るのであれば。

 そう思って放った一撃は視界を土と真っ赤な血に染めていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る