第30話:最期の戦い

【タエ】


「避けてっ!」


 最初の一手は敵からだった。

 巨大な体躯でありながら森を駆け抜け、木々にぶつかることなく、むしろ木々を利用しながら襲い掛かる。

 熊よりも大きな腕が振り下ろされようとするのを、私とオウカは左右に別れて回避する。

 人虎の男が得体の知れない怪物染みた姿から振り下ろした巨腕、そしてその手にある持ち前の爪を凶刃へと変貌させていた。

 何とか危険を察知して避けたが、元々立っていた地面は大きな爪痕を残し、加えて振るった爪が通り過ぎた周囲にあった木々を容易く切断し木々を倒してしまう。


「『グゥルルル』」


 一撃を避けられたことが気に入らないのか、凶獣となった人虎の男は唸り声をあげてからまた駆け出した。

 森の中をまるで最初から自分の領域だと言わんばかりの速度で駆ける身体能力は獣でなくとも破格だった。

 風のように駆ける凶獣が狙ってきたのは祓い刀を持つ私だった。

 木々の合間を縫うように駆けるが、まるで自らの体重を忘れたのかと思うほどの速さを持つ凶獣は簡単に背後に現れる。


「『グッ、ガァ嗚呼アっ!』」


 背後から襲い掛かろうとする獣に対して急転し、転じた際に折れた大太刀を横に薙ぐ。

 敵は襲い掛かる以上は近付かないといけない。例えそれがどれほど避けたい一撃であったとしても空中では身動きできる訳がない。

 だが人虎の身体のしなりは、まるで若木の枝のように柔らかく動くのだ。

 空中でありながら背を反らし、その下を通る折れた祓い刀は無情にも通り過ぎ、そして人虎は口角をあげて笑みを深めた。


「『ガァアッ!』」


 背を反らした人虎の腕が、先程よりも高い場所から振り上げられている。

 上半身のしなりに加えて腕の重さ、そして爪の鋭さが相まった一撃が振り下ろされる。

 ほんの僅か、瞬きすれば自分の身体が敵の爪によって分断されることを予見させられるが、折れているとはいえ振り切った大太刀を直ぐ様戻すことは出来なかった。


「だぁありゃあッ!」


 だが、やはりというべきか。

 その一瞬を狙っていたのは人虎だけでなく、オウカもまた狙っていた。

 振り下ろされる一撃と私との間に割り込むように、人虎の顔面に飛び蹴りを入れた。


「『ガァッ!?』」


 少し先の霧の中から現れたオウカの攻撃に対応出来なかった人虎の顔が歪み、その態勢が崩れて攻撃が逸れて頬と腕を裂く程度で終わってしまう。

 オウカは二手に別れた瞬間に追い掛けたのが彼女ではなかったため、その間に私よりも速くに前へと走り抜けて待ち構えていたのだ。

 オウカの瞬発力は里の中でも群を抜いて速く、その瞬発力を活かした攻撃の数々に対応できるのは年々少なくなっていったほどだ。

 戦うこと、競うことが好きな彼女にとっての苦痛が如何ほどなのかは解らない。しかしこうして実戦であっても変わらない力強さは非常に頼りになった。


「オウカっ!」

「応よ!」


 一瞬の隙を作ってくれたオウカに声をかければ、オウカは即座にその場から跳んで離れる。

 振り切った大太刀はすでに止まり、そのまま返す刃で大太刀を振るう。

 斜めに斬り上げて人虎の腕を斬り裂いていくが、両断することは出来なかった。

 オウカと同じ黄褐色の毛を赤く染め、手傷を負いながら目の前の地面に降り立つ瞬間こそが狙い目だった。

 傷によって態勢を直ぐ様整えられない人虎に対し、斬り上げたことで次の振り下ろす攻撃に転じることが出来るのだ。

 地面に両手両足をついた人虎の頭に狙いを定め……大太刀を、振り下ろす。


「っ!?」


 しかし、その一撃は迫りくる巨大な口によって止められる。

 大きく開いた人虎の口には獲物を狩る本命である武器、鋭く尖った牙があったのだ。

 口の端には一際太く鋭い牙が生えており、その硬さによって牙を両断することは出来ない。


「ならっ―――」


 ―――くれてやる。

 少しでも逸らすことが出来れば致命傷になることはないと力を入れると、折れていたためか呆気なく刃がさらに折れてしまい、その勢いを完全に逸らすことは出来なかった。

 迫りくる牙が左腕を捉え……そして、噛み千切る。

 折れた刃は散り散りに。噛み千切られた左腕からは大量に出血を。

 そして通り過ぎる人虎の巨体に向かって、ほんの少しだけ残った欠けた刃を突き立てようとした矢先に尻尾を使った強烈な腹部への一撃が入り、なすすべもなく吹き飛ばされた。

 意識が遠いどこかへ飛んでいくような気さえする一撃と、叩きつけられた岩によって肋骨は完全に折れていた。

 腹部から飛び出すことはなかったが、内蔵を傷つけたことで口から大量の血を吐き出した。


「かはっ……」

「タエ!?」


 駆け寄ってきたオウカの顔が薄っすらと見える。

 立とうという意識はあっても身体はいうことをきかず、足は動かすことも出来ず、残った右手は震えてまともに刀を握ることも出来ないでいた。


「あぁ……わた、し……ほんとに……よわいなぁ」

「おいっ、タエ! しっかりしろって!?」

「アキちゃん、の……かたき、とれない……なんて」


 思い返してみれば、自分の人生で何かを成し遂げられたことなんてあっただろうか。

 狩りを要領よくやれたことなんてない。ただ根気強く続けただけ。

 大きな荷物などの荷運びだって産まれた両親から受け継いだものだ。

 自分で何かを成し遂げられたことなんて、今まであった憶えがない。


「タエ! おいタエ! 起きろよ! しっかりしろ!」


 意識が朦朧とする中でも肩に置かれた手に、腰に差していた大事な短刀を手渡す。


「これ、を……」

「た、タエ? いやでもこれ」

「アレはきっと……あなたの、いんねん……けっちゃく、は……あなたが、つけて」


 短刀を顔も見えなくなってきた彼女に渡すと、まるで何かが抜けていくような感覚があった。

 そこに今まで感じていた痛みはなく、少しだけ心残りを残しながらも身体は軽くなっていく。

 晴れやかな午後の日光が木々の合間から光を差し込み、その光を浴びる日光浴をしているかのような晴れやかさだ。


 ――――――タエ!


 そんな懐かしいあの子の声が聞こえるほどに晴れやかな場所へと辿り着くのだった。



 ―――――――――

【オウカ】


「タエ?」


 岩に背中を預けて微笑みを浮かべたまま動かなくなったタエの顔は白く、力を少しだけかければパタリと倒れる。

 もはやそこにタエの形だけが残り、その心はすでに遠い何処かへと旅立っていった。


「『グゥルル……死ンダ、か』」

「っ」

「『退ケ、娘。仕留メタ我ガ餌ヲ奪ウコトナド許サヌ』」


 祓い刀によって斬られた奴の腕からは出血が止まってなく、それでもなお動ける程度には致命傷を与えられていない。

 状況だけ見れば最悪と言っていいほどの不利があった。今まで互角に戦って来れたのはタエという最高の戦力があったからだ。

 時間が経てば奴の腕もいずれは回復してしまい、そうなれば勝てる見込みは無い。

 だが、そんな些細なことなどどうでも良かった。


「おいっ。テメェは今、何つった? こいつを餌だと? オレが認めた奴を、タエを餌だとぬかしたのかテメェ?」

「『……気に入らぬか? 弱者は餌だ。敗者も餌だ。難敵もまた餌だ。我らは虎。この世で唯一の狩猟するのが生き甲斐の獣なり。世界は餌と我で出来ている』」

「それがテメェの戯言言い分か? だったらテメェは……オレの餌にしてやるよぉお!」


 今まで感じたことのないほどの憤りによって足に力が入り、タエから渡された短刀を手にして駆ける。

 一歩二歩と地面を踏み締める度に速度はあがり、迎え撃ってきた奴の爪と短刀で何度も打ち合い交叉する。

 白い霧の中で幾度となく火花が散り、二つの雄叫びが互いに負けじと森の中に響き渡る。


「ツアアアアっ!」

「『ウラアアアっ!』」


 竜虎相搏つ、という言葉があるがそんな言葉では括ることさえ出来ない骨肉の争い。

 血で血を洗い、骨と骨をぶつけ合い、肉を裂かれれば肉を裂く。

 自分と相手がぶつかり合う度に少しずつ共になっていく。野獣という獣に。

 だがそれでもなお違うものがあるとするならば、男は自らの信念によって争うのに対して、こちらは未だ言葉という形にすらならない何かによって背中を支えられて戦っていることか。

 内側芽生えた衝動は今まで生きてきた中で最も黒く、されど背中を支えている力は白く暖かなもの。

 短刀という正面から戦う武器としては頼りないものでありながら、今は何よりも頼りになる武器でもって打ち合う。

 時に跳ね飛ばされても木々を飛び跳ねて即座に戻って襲い掛かり、男が距離を取ろうとすれば懐に入って拳や蹴りで殴り、隙を見つければ短刀を振るう。

 深くは切り裂けない短刀によって幾つもの傷を作り赤く染まっていく人虎の身体。同時にこちらも腕や脚、胴などの皮膚を裂かれ、片耳を失い尻尾を断ち切られている。

 だが痛みはない。そんなものを気に留めるほどの時など一瞬でもなかった。

 どちらかの武器が無くなれば呆気なく決着がつく死闘は、ついにその時を迎えた。


「…………」「『…………』」


 互いの爪が腹を突き破る。

 順手に握った短刀と共に突き出した腕が人虎の腹へと突き刺さり、人虎の鋭い鉤爪が腹を突き破った。

 内臓を串刺しにした一撃は間違いなく致命傷。もはや呼吸をするための肺すら傷つき呼吸も難しい。

 しかし―――


「『虎の娘は……やはり虎、か』」


 ―――心臓を一刺しした短刀によって、人虎の命を奪い取った。

 獣の形から人の形へと戻る男の重みを最期に感じながら、ぼんやりとしてきた意識に身を委ねて眠りに落ちていった。

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