第29話:虎の縁

【オウカ】


 森の中から幾つもの剣戟音に導かれるように走り、一際大きな音に心臓の鼓動が繋がっているようだった。

 ドクンドクンと自分の鼓動の音が邪魔だと思うほどに戦闘の音色が響かなくなったことで、殊更足に力を込めて飛ぶように枝から枝へと飛び移っていく。

 飛び移った際に太い枝が折れてしまっても気にも留められないほどに昂ぶっていた。

 その理由は視界に入ってもなお、頭で理解する前に身体が動いていた。


「大丈夫かよ、タエ?」


 大量の血を浴びて変色し、今では戦闘によって襤褸となった着物と半ばから折られた大太刀を持つ熊の獣人であるタエに声をかける。

 一目見ればどれほど激しい戦闘があったのか想像できるほどに彼女と男の戦いは激しかったらしい。

 血を吸った着物は見るからに重く袖口から血が滴り、綺麗に整えていた黒い長髪は返り血によって固まっている。

 また到着直前に見たタエの大太刀が折れるところを見て、間一髪割り込むことが出来たのは急いだ甲斐もあったんだろう。


「オウカ……西の森に居たんじゃ」

「母さんが出張って来てるし、クロ姉ぇも張り切ってたからさっさと離れたんだよ。二人とも見境なんかねぇんだ。一緒にこっちまで殺されかねねぇよ」


 クロ姉ぇはあまり自覚がないようだが、母さんと性格はよく似ている。

 無意識かもしれないが似ないように優しい体面を保ってはいるが、戦場になれば一瞬で化けの皮が剥がれることだろう。

 もちろん母さんもあの年齢まで生きていることも凄いが、その存在感や威圧は年々上がっているような気もする。

 そんな怪物の二人がいて、しかも罠だらけの西の森に居続けるよりも違う森に向かったほうが面白いと思ったのだ。

 そしてその勘は当たり、迷いの霧が発生して迷っている人間どもを始末しながら進んできてみれば好敵手がボロボロになっている姿を見つけられた。


「やっぱ、オレの勘は冴えてんな。こっちのほうが面白そうだぜ」

「そんなことを言ってる場合じゃ―――「ほう。随分と面白いことを言う」―――っ!」


 思いっきりぶん殴ったというのに、虎男は平然とした顔で起き上がった。

 止めるための一撃だったとはいえ手加減はしていない。それでも起き上がってくるのは効果が薄かったからだろう。


「今度は強目にぶん殴ってやんなきゃな」

「お、オウカ! 逃げなさいっ。貴女じゃ勝てない!」

「タエこそ逃げな。そんな満身創痍? ってやつで勝てるはずもねぇだろ。それによぉ、タエ。お前……オレの遊び相手を奪う気か?」


 手を引っ張るタエに向かって今まで見せてなかったドス黒い感情を表に出す。

 その感情とは殺意。己の獲物を狩ろうとする狩猟者に対して邪魔者がいれば威嚇するように。ご馳走を前にして突然奪いにくる者に対する野生のように。

 ただ己の欲望を満たすために、あらゆるものを傷つけることを良しとする性根を見せるとタエはゆっくりと手を離した。


「俺以外の人虎など知らんが、お前は虎の獣人か?」

「さぁな。親の顔なんざ母さんぐらいしか知らねぇ。だけどよぉ、何だろうな? お前を見てると腸が煮えくり返ってよぉ……力が強まってくんのはよぉ?」

「ふん。そうか、そういうことか。ならば……面白いっ!」


 殴り飛ばしたことで開いた距離を瞬時に詰めてくる大柄な虎男の拳。真っ直ぐに顔へと向かって放たれた拳を潜り抜け、がら空きとなった腹部へと連打する。


「うらぁあああっ!」

「くっ」


 男の身体が持ち上がるほどに強く、素早く、正確に割れた腹筋を見せている腹部へと当てていけば男の苦悶の声が聞こえたが決して止めるつもりはない。

 男の身体がさらに浮き上がり、トドメの一撃を放とうとした瞬間に男の蹴りが腹へと命中する。

 突き抜けるような衝撃と内蔵が押し潰されるような痛みが吹き飛ばされながら感じ、そして木へと背中を打ち付けて停まる。


「オウカっ!?」

「ふん。まだまだだな」

「かはっ……はっ、はは……面白ぇじゃねぇか。この痛みは殴り合いじゃなきゃ得られねぇよなぁ」


 口から溢れる血は少しばかり内臓を傷つけたのかもしれないが、それ以上に目の前に現れた強敵によって興奮して痛みを忘れさせる。

 自分と同じ生まれながらの虎の獣人なのか、それとも虎の霊に憑依された妖魔なのかは解らないが同じニオイのする男に他人とは思えなかった。


「どうした? まさか虎の獣人たる者が、一撃で尻尾を巻いて逃げ出す気か?」

「ハッ! 面白ぇ。オレがどこまでやれるか……身体に刻み込みなぁあっ!」


 足を広げて仁王立ちにて待つ男に声を張り上げ突撃する。

 最大限の力を込めて走り出せば、地面は脆く簡単に抉れ、さらに太い木の根さえも吹き飛んでしまう。

 しかしその脚力によって生み出された力は森の動物を悠に蹴殺すことが出来てしまう。

 鳥が地面に向かって獲物を仕留めるよりも素早く、男へと肉薄しその腹へと飛び蹴りを当てようとしたが―――


「まあ、そう来るだろうな」


 ―――平然とその太く剛毛によって覆われた腕で止められた。

 まるでそれは最初からそこに来るのが解っていたかのような気持ち悪さがあり、続けざまに放った側頭部を狙った回し蹴りや踵落としを受け止められる。

 ならばと思って放ったのは顔面へと向かっての蹴りを、男は身体を横へとずらすことで避け、受け止めた足を掴み近くの木へと投げ飛ばす。

 身体で受ける衝撃にまた吐血して意識が飛びそうになるが、毛が逆立つ気配に力を振り絞って転がるようにその場から動いた。

 その直後にやってくる一撃は、人の身体よりも太い幹を持つ樹を簡単に切り裂いた。


「勘は冴えているようだな。今度は俺から行くぞ?」


 倒れる樹を見ることなく輪切りにした部分をその手に持って投げつけてくる。

 避ければそれは地面にめり込んでおり、頭に中たれば即死だったのは間違いない。

 だがそれも注意を逸らすための物だった。

 音もなく現れた男の側頭部を狙った回し蹴りを気配だけを頼りに運良く頭を下げて避け、反撃に回し蹴りを横っ腹へと向けて放てば腕で止められる。

 しかし男の身体は後ろを向いており、その背中はがら空きだった。

 反対の足で攻撃を仕掛けようとした直後、蹴りを放った足を掴まれて男の前の地面へと叩きつけられる。


「かはぁっ!?」

「……これで終わりだな。死ぬがいい」


 背中を打ち付けられて呼吸も満足に出来ない状況で、圧倒的な実力者を見上げる。

 その手には鋭く尖った爪。自分よりも長く太い爪を構え、オレへと向かって突き込んできた。が―――


「私を、忘れていませんか?」


 ―――背後から忍び寄ってきたタエの折れた大太刀の凶刃が襲い掛かる。

 折れていることで至近距離から迫ってきた刃を止める術はなく、男は前方へと跳ねるように逃げる。

 突き刺す勢いは殺しきれぬものではなく、その勢いを利用した回避だとしても刃は脇腹を浅く刻み、男の爪は態勢が変わったことでこちらも爪を使って受け止めると同時に両足で蹴り上げた。


「死っ……ねっ!」

「ぐっ!?」


 斬られた脇腹から血が飛び散り、もう少し深く斬られていれば蹴りによって斬られた箇所から内蔵が飛び出していただろう。

 男の身体は前方へと高く舞い上がり、空中で回転して地面へと着地する。

 斬られた腹部を押さえて立ち上がるが、その傷が瞬時に治ることはない。


祓の刀はらえのたち、か。それを持つのが京の者たちだけでは無いとはな」

「この場所は何処だと思っているのですか? ここは神聖なる森、神仙樹海。そして霊峰たる不尽山がある場所。お前たちのような妖魔が入り込んでいい場所ではない」

「……そうか。京の者たちに石を送っているのはここか。でなければ祓の刀が幾つも用意できるはずなどない。やはり、お前たちは滅ぼさなければならぬようだな」


 男の身体が少しずつ変貌していく。

 先程まで人の肉体だった部分が毛に覆われ、元々太かった手足は更に太く、鋭い手足の爪はより鋭利なる。

 尻尾は鞭のように地面を叩き、その口からは鋭い二つの牙が飛び出すように伸びていく。

 そんな姿を見ながら伸ばされたタエの手を取ること無く起き上がる。


「オウカ、まだ戦える?」

「あぁ? はん! お前こそどうなんだよ? 武器、折れてんだろうが」

「大丈夫」


 肉体が変貌していく人虎の男を前にして、タエは血を吸った着物をはだけさせたかと思えば、袖から腕を抜いて襟から腕を出す。

 サラシを巻いた大きな胸さえも曝け出したが、タエが振るった折れた大太刀は先程見た時よりも速く目で捉えることは出来なかった。


「オウカと一緒なら」

「……ふん。それなら足、引っ張んなよ?」

「なら腕を引っ張ってあげる」

「はっ! 言ってろっ」


 タエとオレの準備が出来たころ、人虎の男は巨大な虎のような姿となっていた。

 そして男の咆哮が森中に響き渡った瞬間に、オレたちは駆け出した。

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